ミケランジェロ・アントニオーニは、パゾリーニと違って、もともと好きな監督だったが、「欲望」以外のDVDは持っていなかった。偶々、出先で、これまで見たことがなかった「砂丘」と高校生の頃に一度見たきりの「さすらいの二人」が並んでいたので、まとめて購入した。
「さすらいの二人」はラストの長回しがずっと記憶に残っていた。アメリカン・ニュー・シネマのイコンであるジャック・ニコルソンと「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のマリア・シュナイダーの主演。偶然自分と似た男の死に遭遇した主人公が、日常から逃避するために、その男になりすまして別の人生を生きようとするが、そのために命の危険にさらされながらの逃避行を強いられる、というもの。
「砂丘」は、ピンク・フロイドによる「51号の幻想」(「ユージン斧には気をつけろ」が基になっている)は知っていたが、映画そのものを見たことはなかった。冒頭近く、車で街を走るシーンで、ひたすら巨大な広告看板やトラックの広告を映し出すことで、「広告の巨大な集合」(岩井克人風)としてのアメリカ合衆国を描き出す。やがてあたりに広告看板がないザブリスキー・ポイント(これがこの映画の原題だった)と呼ばれる岩山と砂丘しかない土地に舞台を移す。学生運動やヒッピー・ムーヴメントが盛んだった時代の空気と、それらの祭りが終わったあとの虚無感とを同時に封じ込めたような映画。「51号の幻想」が流れる、高速度撮影によるラスト近くのシーンには既視感を覚えた。それはピンク・フロイドの「狂気」に収められた“Brain Damage & Eclipse”のPVを知っていたからか。もしかしたら、あのPVで繰り返される爆発のカットはこの映画からの流用なのかも知れない。
いずれにせよ、どちらの映画も主人公の男女は、自分を取り巻く日常の中に居心地のよい場所を見出しえず、<ここではない、どこか別の場所>を目指す。だが、結局、その場所にも真の居場所を見出すことができなかったという暗喩を読み取ることも可能だろうか。
ともあれ、この二本がきっかけとなって、イタリア時代の「さすらい」「夜」「情事」といった作品も買うことになってしまった。
またピンク・フロイドと映画というと、ヌーヴェル・ヴァーグ周辺から映画史に登場し、やがてアメリカでバーベット・シュローダーとしてサスペンスの佳作をいくつか撮ったバルベ・シュローデルの「モア」と「ラ・ヴァレ」の二本も見た。旅人について書かれた今福龍太や中沢新一の文章を思い起こした。「砂丘」及び「モア」、「ラ・ヴァレ」を、西洋文明-資本主義文明からの離脱とその挫折というテーマで括ることも可能かもしれない。
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