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小川洋子『ミーナの行進』

2011-01-02 21:20:29 | 読書
 小川洋子の作品の舞台は多くの場合、具体的な地名として示されていないことが多い。どこにもなさそうで、しかし意外と身近にありそうな場所。あるいはどこかにありそうで、やはりどこにも存在しないのではないかと思わされる場所。だからこそ作者の奔放な想像力の中で遊ばせてもらうことができる。けれども、この『ミーナの行進』の場合、舞台は芦屋とその周辺で、イニシャルでぼかされていても、具体的な場所につい思い当ってしまう(たとえば、このAという洋菓子屋は、本来Hのことで、クレープ・シュゼットというのはあれのことかな、といった次第)。モデルについても心当たりがないではない。そのため、先にコメントを書いた二作に比して、想像の愉しみという点で、少しばかり窮屈に感じた。

 物語の語り手である「私」は、父の死後、将来の安定した仕事の見通しを立てるため東京の専門学校で一年間学ぶことになった母と別れて、また生まれ育った岡山を離れ、芦屋に住む伯母の元へ預けられる。芦屋の高台にある広大な敷地を持つ伯父さんの家は、スペイン風の洋館でかつては私設動物園まであったという。伯母さんの夫、つまり伯父さんは、清涼飲料水(本人たちによれば、健康飲料水)会社の三代目社長であり、家族はスイスに留学していて不在の長男と、「私」の学年がひとつ下の美奈子(ミーナ)と、ユダヤ系ドイツ人のローザおばあさんがおり、ほかに家事一切を切り盛りする米田さんという老婆と私設動物園の唯一の生き残りであるコビトカバのポチ子からなり、それに庭木の手入れとポチ子の世話をする小林さんが常時通ってきている。

 そして中学校への入学を控えた三月からの一年間をそこで過ごすことになる。その年が1972年となっていることが、あとあと大きな意味をもってくる。この三十年前の、しかし人生の中で特別なものとなった、「私の記憶の支柱と呼んでもいい」と回想される一年間を回想する形で物語は進んでいく。小説の比較的はじめの方に書かれている一節を抜き出しておこう。

 三十年以上たった今は既に、家は跡形もない。家族を守るように頼もしく歯を茂らせていた、玄関脇の二本の蘇鉄は枯れて引き抜かれ、庭の南端にあった池も、埋められてしまった。とうに人手に渡った土地は、分割され、味気ないマンションと化学会社の独身寮になり、見知らぬ人が住んでいる。
 しかし、現実が失われているからこそ、私の思い出はもはや、なにものにも損なわれることがない。心の中では、伯父さんの家はまだそこにあり、家族たちは、死んだ者も老いた者も、皆昔のままの姿で暮らしている。繰り返し思い出すたび、彼らの声はなお一層いきいきとし、笑顔は温もりを帯びる。


そして、この小説は、ここに引いた言葉通りに、既に失われたものへの思いが慈しむように語られていく。

 ミーナは重い喘息持ちで、しばしばひどい発作に苦しめられる病弱な少女だが、かなり早熟で、豊かな感受性と聡明さを持ち合わせている。読書を愛し、家族に内緒で蒐集しているマッチの箱に描かれた絵にインスパイアされながら、箱の内側に短い、しかしどこか死や終わりというものを見据えた童話を書き、何ともいえぬ美しいしぐさでマッチの火をつけることができる。この小説は「私」の回想によって、ミーナを中心とした家族との交流が語られながら、このミーナの短い物語が挿入されてほどよいアクセントをつけていく。と同時に、ミーナから次々と物語を聞かされるひとときが、「私」の芦屋での一年間のかけがえなさの中核を成している。

 総じて「私」はこの裕福な家族に囲まれて夢のような日々を過ごすのだが、なぜその一年が本当に夢のようであったのかというと、ミーナの家族の誰もが、病弱なミーナを慈しむのと変わりなく「私」に接してくれたからだろう。しかし、夢の生活の背後にも現実の苦さはある。そうして、当時の「私」もそのような現実の苦さに気付き始める年頃だった。そしてことさらに潔癖で正義感が強い年代でもあるだろう。

 「私」は事あるごとに親切にしてくれる伯父さんが留守がちであること、ミーナをひどい発作が襲った時にも不在であったことを不満に思うになる。伯母さんの孤独も幾度となく垣間見る。留学中の龍一さんと伯父さんとの関係にも微妙なものを感じ、伯父さんがどうして滅多に家に帰らないのか、その理由を察する。確実な証拠を見つけた時、「私」がとった行動がこの作品のひとつの山場となる。「私」の無言の非難は、伯父さんを再び家庭を結びつけることになるのだが、「私」はそのことを伯父さんとの間の秘密としてとどめおく。その後の「私」にも何ら得意な様子も見られない。その苦さの匙加減が、この季節ごとの楽しげな出来事を綴った、一見するとファンタジー然とした物語に小説としてのしっかりとした陰翳を与えているように思われる。

 もうひとつの重要であると感じたエピソードは、その年のミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手団に対するテロ事件(黒い九月事件)と、そのニュースによって引き起こされたローザおばあさんの衝撃だろう。ローザおばあさんの双子の姉妹で、ドイツに残ったイルマは強制収容所に送られたのだった。それまで体の弱いミーナのために市立図書館に本を借りに行くようになり、いつもミーナの注文に沿って本を借りていた「私」がはじめて自分のために借りた本はアウシュヴィッツ収容所の写真集だった。いつもカウンターでアドバイスしてくれる司書に感想を聞かれて、「私」は、

 アウシュヴィッツの写真集に出てきた人たちには、何も残っていなかったんです。尊さどころか、名前も、髪の毛も、泣いてくれる人さえも。

と答える。否応なく著者自身の『アンネ・フランクの記憶』を想起するこの言葉には、たしかに作者自身が投影されている。そして、この挿話を書くために、あえて1972年という年に小説の舞台を設定したのではないかとさえ思う。

 ただ、そのことに関連して、一点だけ、気になったことがある。家族でクリスマス祝う場面だ。ローザおばあさんが采配をふるってごちそうの用意をし、またドイツの歌を懐かしげに歌ったクリスマスの番さんは、それが「私」にとってもただ一度の、そして伯母一家にとっても、ローザおばあさんが采配をふるった最後の晩餐だっただけに思い出深い晩餐となったというのだが、おばあさんはどこかでキリスト教に改宗していたということなのだろうか?(長い小説なので、そうしたことの示唆の見落としもあるのかもしれないが。)

 ・・・時間が流れ、距離が遠ざかるほどに、芦屋でミーナと共に過ごした日々の思い出は色濃くなり、密度を増し、胸の奥深く根ざしていった。ほとんどそれは、私の記憶の支柱と呼んでもいいほどだった。

という言葉に続いて、最後に、「私」とミーナ、そしてその家族のその後が語られる。病弱なためポチ子の背中に乗って通学していたミーナは、成長するにつれ逞しくなり、その一方で、「真っ直ぐに前を見据え」て「行進」を続ける芯の強さは変わらず、今はドイツで翻訳出版の仲立ちする会社を起業し、一方の「私」も図書館勤めをしている。その二人の手紙のやり取りで小説は結ばれるのだが、もの寂しさとともに、どこか暖かさを感じさせる読後感をもたらす。


小川洋子『ミーナの行進』(中央公論新社、2006/4)

 

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