とある出版社の社長のはからいで、芸術家たちがそれぞれの創作活動行う空間として無償で提供された<創作者の家>という建物の住み込みの管理人である「僕」と、狐かなにかに襲われたのか、傷だらけの体で助けを求めるように「僕」の前に現れたブラフマンと名づけられる小さな動物とのひと夏の交流が淡々とした筆致で描かれている。
ブラフマンがどのような種に属する動物か、作中で明示されていない。犬のようではあるが、短い四肢の指には水かきが備わっていて、陸地を歩くよりも水中を泳ぐことを得意としている。カワウソのような動物なのだろうか。野生動物だというのに、はじめから「僕」に懐いてくる。作中では時折「僕」によるブラフマンの観察記録らしきものがサン・セリフ体(ゴシック体)で挿入され、ブラフマンが「ぼく」の眼にどのように映じているのかが繰り返し描写される。
ところで「ブラフマン」とは、インド哲学においては宇宙原理を意味し、個我原理である「アートマン」の対立概念として扱われる。また、ヒンドゥーの神々の体系では、「ブラフマン」を人格神がブラフマー(造物主)とされるが、ブラフマーはヴィシュヌ(保持者)やシヴァ(破壊者)と同一と考えられているという。そのせいか、ブラフマンは「僕」の部屋にある家具やら何やら片端から齧り、散らかすのだった。ともあれ、ブラフマンという名は、<創作者の家>を常用の仕事場としている碑文彫刻家のところにブラフマンを連れて行った「僕」が、そこで墓碑に刻まれた言葉の中から選んだものだった。そうした意味で不吉な命名の仕方であるといえば、そういえるだろう。
不吉であるといえば、この<創作者の家>がある村の来歴も死とは切り離すことはできない。良質の石材の産地に近く、かつて石切り職人や碑文彫刻家によって開拓されたということだが、村を流れる川はかつて死者とその埋葬品が流されていた川で、この村で引き上げられた遺体はここで作られた石棺に収めて葬られたとされる。村の南端にある、背後に海が迫る丘陵の斜面には当時の墓地の跡がある。
<創作者の家>の管理人の仕事は、洗濯、掃除などの家事、建物や敷地内の手入れに始まり、そこに滞在する芸術家たちの送迎、マッサージ師や調律師などの手配、雑談相手と多岐にわたる。ここで数えきれないほどの芸術家の世話をしてきた「僕」だが、芸術家たちの営みについて理解することはないし、またとりたてて理解しようともしない。
バイオリンの音は風と一緒に流れ去り、舞踏家のステップは木々の揺らめきに紛れ、詩人の声は光に溶けてゆく。次の朝目覚めた時胸に残っているのは、風と光と林だけだ。
芸術家たちの手が苦悩している間、僕はガスレンジを磨いている。車庫のペンキを塗り替えている。落葉を集めて燃やしている。僕の手は何も作りださない。
とあるように、そして彼自身、何かを作り出すということへの意識もない。宿泊客からの依頼を受けてそれをこなしていく毎日だ。その欠落を埋めるように、ブラフマンがあらわれる。ブラフマンの人格神であるブラフマーは造物主でもある。
そして「僕」には、先の碑文彫刻家を除けば、親しく会話をする者もいないし、親密に接する者もいない。しかし、「僕」はブラフマンとの間で何かしら意思の疎通が成立している、と思っている。他者との関わりを儀礼的なものを除けば、極力避けてきた「ぼく」にとって、ブラフマンは唯一のコミュニケーションの相手となる。「ブラフマンの目をできるだけ長く見つめていたくて、僕はいつまでも語っていた」と語る「僕」は、何かしらブラフマンに依存しているともいえる。
「僕」にはもうひとつ心を慰めるものがある。村の骨董市で手に入れた誰とも知れぬ古い家族の写真だ。その写真を部屋に飾り、「僕」はそこに映っている人々のありし日のことをあれこれと想像したりもする。その写真について、次のように書かれている。
五人は皆、死んでしまったのだと僕は思う。最後に飾られていたのは誰の部屋だったのだろうか。たぶん、三人の子供の誰かだろう。きっとその家の一番大事な場所に、飾られていたに違いない。
彼らが皆いなくなってしまった、という想像は、思いの外僕を悲しくさせなかった。むしろ安らかな気持ちにさせた。家族が一人ずつ旅立ってゆく。残された者は、死者となったものの姿を、写真の中で慈しむ。そこでは死者と生者の区別もない。やがて少しずつ残される者の数が減ってゆき、とうとう最後には誰一人いなくなる。まるでそういう家族など、最初からどこにもいなかったのだというように、あとにはただ無言の写真だけが残される。・・・・その静けさが、僕に安らかさを与えてくれる。
そのような「ぼく」が例外的に関心を寄せるのが、<創作者の家>に必要な物資を届けてくれる雑貨屋の店主の娘なのだが、ただし、娘には月に一度か二度、土曜日になると午前11時10分着の急行列車で会いにやってくる男がおり、この元は高校の生物教師で、今は保健所の職員である都会の男に対する「僕」の嫉妬がさりげなく書かれ、前の年の春に知り合って以来、かすかな恋愛感情を娘に向けていることが暗示される。ブラフマンとの交流がこの小説の縦糸だとすれば、娘との関係がこの小説の横糸といえるだろう。
その娘に「僕」は進んで車の運転を教えようとし、ブラフマンを紹介する。それは「僕」としては異例の、主体的な他者への関わり方なのだが、娘は男に会いに行くための便利な手段として自動車の運転には興味を示すが、ブラフマンに対してはどれだけ「僕」から勧められても、指一本触れようとはしない。ウパニシャッドでは、宇宙原理である「ブラフマン」と個我原理である「アートマン」とは、対立概念であると同時に、本質的には同一の存在であるとし、両者の一体化を説く。とすれば、「僕」から自室に招かれたものの、ブラフマンに決して触れようとしなかった娘は、心を開いて見せた「僕」に応えようとはしなかったということになるのかも知れない。
この小説は題名どおり、ブラフマンの死で終わる。ブラフマンが死ぬ、ちょうど一週間前の土曜日、「僕」はブラフマンを古代墓地に連れていく。古代墓地は雑貨屋の娘と都会の男の逢瀬の場所であり、土曜日ということはその場に出くわす可能性があるにも関わらず、ほこらの中に入ってゆく。その部分の叙述は、この作品の、静かで穏やかな、詩的であるとさえ言ってよい語り口の中で唯一生々しい箇所となっている。
石棺の奥はそこだけ埃が払われていた。男がいつも娘を横たえている場所だ。ブラフマンがやって来て、その床の匂いを嗅いで回った。男の体液に濡れた娘の体を、黒い鼻先で丹念になぞった。
関心をもつ相手に何とか関心を持ってもらおうとする「ぼく」と、相手が自分に関心を抱いていることを自覚しながら自分からはその相手にそれほど関心を示すわけではない娘との、非対称で残酷な関係は最後まで変わることはないが、皮肉なことに、運転の練習中、「僕」の言葉に対して、娘がいつもの素っ気ない態度ではなく、素直な反応を示したことに驚いて、うつむいた丁度そのときに、ブラフマンはその娘が運転する車に轢かれて死んでしまうのだった。その娘によってもたらされたブラフマンの死は「僕」の中の何かの終りでもあるのだろう。
小説の終わりは、埋葬の様子が描かれる。それは同時に「僕」のブラフマンの観察記録の最後の記述となる。碑文彫刻家の彫った石棺に収められ、「僕」と彫刻家の手でブラフマンは葬られる。ブラフマンが「僕」の部屋から抜け出したとき、動物の毛に対するアレルギーから猛烈に抗議したレース編み作家の老婦人から「僕」とブラフマンを庇ったのは、ほかならぬこの碑文彫刻家だった。一方、そのレース編み作家もブラフマンのために一晩でおくるみを編み、同じく<創作者の家>に宿泊していたホルン奏者が葬送の音楽を吹く。しかし、雑貨屋の娘は都会の男と逢うために葬儀には参列しない。
この静かで厳かな場面に、深い悲しみを表す直截な表現は用いられない。それがこの作品のスタイルであるというだけでなく、「僕」にとって死とは「むしろ安らかな気持ちに」させるもの、「静かさ」をもたらすものとされていたからだろう。
小川 洋子『ブラフマンの埋葬』(講談社、2004.4)
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