今までに何回も紹介してきましたが、”日本トランスオーシャン航空(JTA)”の前身、”南西航空”の
旅客機です。
このオレンジ色の地元飛行機は少々あこがれでした。 当時は飛行機自体が高嶺の花で貧乏学生だった
私は自腹を切って乗るには厳しかった。 クラブの合宿で宮古・八重山へ行くのはフェリーでした。
夕方那覇出港の翌日朝~夕方到着という行程です。 南西航空の飛行機に乗るのはお仕事(アルバイト)
の時ぐらい。 今ではフェリーは人を乗せない、船旅のできない時代になりました。 飛行機で移動する
のが普通の手段になりました。
飛行機が贅沢な乗物だった時代は去りました。 でも時間の短縮から、(旅程以外の)自分が楽しめる
時間が多くなったことは事実。 逆に時間の有効活用は自分の責任、つまり「楽しみは自分でつくれ!」
という時代になったのでしょうか?