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●「今日の言葉」
~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“本当に優れた者には余裕がある”
(読み人知らず)
……IISIA代表・原田武夫のコメント:
─世を仕切る仕組みについては二つの考え方がある。
プラトンとアリストテレスがかつてそれぞれ唱えた論である。
─前者は「哲人が一人治めれば良い」と言った。
これに対して後者は「市民の全体意思で治めるべし」と語った。
─この二つの間には未来永劫、相矛盾する点があるのでここでは深入りは
しない。だが、大事なことは哲人であれ、市民であれ資格があることだ。
─それではその「資格」とは何か。
それは「優れていること」である。
─特に後者について誤解されがちなのであるが、ギリシアにおける民主政は
決して「誰でも投票可」ではなかった。市民だけが有資格者だったのだ。
─それでは市民とは何かといえば「優れた者」が淘汰され、それが門閥を
形成していったのである。それが実態である。
─哲人とは結局、その意味での市民の窮みといっても良い。
だから、これら二つの論はいずれも同じことを言っているのである。
「優れた者」に必要なのはフロネーシス(賢慮)である。
そしてそれを十分に発揮するためには余裕がなければならない。
しからば余裕とは何か。
時間と空間にだけ「余裕」とはあるものなのであり、それが心の余裕となる。
だからこそこの意味での賢者(哲人、市民)はいずれもそうした「余裕」の
創出に誠心誠意、尽くしてきたのである。これが古今東西、リーダーの役割だ。
しかるに我が国において「このこと」についての記憶が失われて久しい。
全員が全員、「決める側」ではなく「決められる側」の生活をしている。
そうした国に民主主義があるわけもなく、政治があるわけもないのだ。
なぜならば「有資格者=優れた者=“余裕”のある者」がいないからだ。
事態は正に疾風怒涛だ。
だからこそ……今こそ必要なのは、その意味での賢者の育成に他ならない。
危機に瀕した我が国を愛するがゆえに……。
私はそう思う。
(メールマガジン 2013年4月11日号 より)
http://archive.mag2.com/0000228369/index.html
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