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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

本当に優れた者には余裕がある

2014-03-02 | 選挙・民主主義

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●「今日の言葉」
 ~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“本当に優れた者には余裕がある”

(読み人知らず)


……IISIA代表・原田武夫のコメント:
 
─世を仕切る仕組みについては二つの考え方がある。
 プラトンとアリストテレスがかつてそれぞれ唱えた論である。
 
─前者は「哲人が一人治めれば良い」と言った。
 これに対して後者は「市民の全体意思で治めるべし」と語った。
 
─この二つの間には未来永劫、相矛盾する点があるのでここでは深入りは
 しない。だが、大事なことは哲人であれ、市民であれ資格があることだ。
 
─それではその「資格」とは何か。
 それは「優れていること」である。
 
─特に後者について誤解されがちなのであるが、ギリシアにおける民主政は
 決して「誰でも投票可」ではなかった。市民だけが有資格者だったのだ。
 
─それでは市民とは何かといえば「優れた者」が淘汰され、それが門閥を
 形成していったのである。それが実態である。
 
─哲人とは結局、その意味での市民の窮みといっても良い。
 だから、これら二つの論はいずれも同じことを言っているのである。
 
「優れた者」に必要なのはフロネーシス(賢慮)である。
そしてそれを十分に発揮するためには余裕がなければならない。
 
しからば余裕とは何か。
時間と空間にだけ「余裕」とはあるものなのであり、それが心の余裕となる。
 
だからこそこの意味での賢者(哲人、市民)はいずれもそうした「余裕」の
創出に誠心誠意、尽くしてきたのである。これが古今東西、リーダーの役割だ。
 
しかるに我が国において「このこと」についての記憶が失われて久しい。
全員が全員、「決める側」ではなく「決められる側」の生活をしている。
 
そうした国に民主主義があるわけもなく、政治があるわけもないのだ。
なぜならば「有資格者=優れた者=“余裕”のある者」がいないからだ。
 
事態は正に疾風怒涛だ。
だからこそ……今こそ必要なのは、その意味での賢者の育成に他ならない。
 
危機に瀕した我が国を愛するがゆえに……。
私はそう思う。

 

(メールマガジン 2013年4月11日号 より)

http://archive.mag2.com/0000228369/index.html



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