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●「今日の言葉」
~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“真の謙遜とは、結局その人が、常に道と取り組み、真理を相手に生きている
ところから、おのずと身につくものと思うのであります”
(森信三『修身教授録 一日一言』(致知出版社)より抜粋)
……IISIA代表・原田武夫のコメント:
─日本語特有の言葉に「道」という言葉がある。
「茶道」「華道」という時の“道”である。
─この「道」という言葉、実は外国語に訳すとなるとえらくややこしい。
なぜならばそれは単なるテクニックや技術ではないからだ。
─我が国における「道」には一つの大きな特徴がある。
それは行う者が没入し、そのことと合一となることが前提となっているのだ。
─要するに“窮める”ことを通じて、テクニック・技術によって切り開かれる
眼の前の世界と合一になること。これが「道」なのである。
─「道」の世界において言えること。
それは自己に対するとらわれがなくなるということである。
─そして自己に対するとらわれ、こだわりがなくなると人間はどうなるのか。
その時、人は何物にも代えがたい至福の感情に包み込まれるのだ。
謙遜などということは、したいと思って出来ることではない。
徹底した無欲・無我になるからこそ出来るのだ。
そして徹底した無欲・無我とは、自然(じねん)と合一になったところだけで
生じる。それ以外ではあり得ない。
このようになることを、人は「日本的霊性」とも呼ぶ。
“窮める”ことを通じて、かえって永遠に広きところへと辿りつくこと。
そこに至る「道」だからこそ、日々、歩むに値するのである。
とらわれるのでもない、こだわるのでもない。
ただひたすら、「自然(じねん)」との合一を目指して想い、行動すること。
そしてそこに達した時の至福をイメージし、ひたすら前に進むこと。
そうしていると不思議と笑みがこぼれ、隣人に譲る気にもなる。
……それが、本当の「謙遜」なのだ。
(メールマガジン 2012年10月9日号 より)
http://archive.mag2.com/0000228369/index.html
Unforgettable Axis among Backcasting, Synchronicity, Forecasting and Leadership
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