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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

そこに至る「道」だからこそ、日々、歩むに値するのである

2014-10-03 | 整えること・平衡・中庸・自然

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●「今日の言葉」
 ~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“真の謙遜とは、結局その人が、常に道と取り組み、真理を相手に生きている
 ところから、おのずと身につくものと思うのであります”

(森信三『修身教授録 一日一言』(致知出版社)より抜粋)


……IISIA代表・原田武夫のコメント:

─日本語特有の言葉に「道」という言葉がある。
 「茶道」「華道」という時の“道”である。

─この「道」という言葉、実は外国語に訳すとなるとえらくややこしい。
 なぜならばそれは単なるテクニックや技術ではないからだ。

─我が国における「道」には一つの大きな特徴がある。
 それは行う者が没入し、そのことと合一となることが前提となっているのだ。

─要するに“窮める”ことを通じて、テクニック・技術によって切り開かれる
 眼の前の世界と合一になること。これが「道」なのである。

─「道」の世界において言えること。
 それは自己に対するとらわれがなくなるということである。

─そして自己に対するとらわれ、こだわりがなくなると人間はどうなるのか。
 その時、人は何物にも代えがたい至福の感情に包み込まれるのだ。

謙遜などということは、したいと思って出来ることではない。
徹底した無欲・無我になるからこそ出来るのだ。

そして徹底した無欲・無我とは、自然(じねん)と合一になったところだけで
生じる。それ以外ではあり得ない。

このようになることを、人は「日本的霊性」とも呼ぶ。
“窮める”ことを通じて、かえって永遠に広きところへと辿りつくこと。

そこに至る「道」だからこそ、日々、歩むに値するのである。
とらわれるのでもない、こだわるのでもない。

ただひたすら、「自然(じねん)」との合一を目指して想い、行動すること。
そしてそこに達した時の至福をイメージし、ひたすら前に進むこと。

そうしていると不思議と笑みがこぼれ、隣人に譲る気にもなる。
……それが、本当の「謙遜」なのだ。

 

(メールマガジン 2012年10月9日号 より)

http://archive.mag2.com/0000228369/index.html


 

Unforgettable Axis among Backcasting, Synchronicity, Forecasting and Leadership



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