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●「今日の言葉」
~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“意中人あり”
(安岡正篤『運命を創る』(プレジデント社)より抜粋)
……IISIA代表・原田武夫のコメント:
─現代日本で普通に用いられる「意中の人」というと、恋人ということを
意味する。あるいは「好きな異性」と言っても良いだろう。
─しかし本来「意中の人」とはそうではない、とかつて安岡正篤は云った。
誰でも内面世界はある。そこで敬っている人。それが意中の人、なのだと。
─最近、広告PR業界の雑誌が「現代の若者は“独り”志向が強い」との
調査結果を掲載していた。つまり何をするにも「独り」だというのだ。
─その最大の理由は「失われた20年」の中でデフレが定着し、消費をしない
生活を突き詰めたことにあるのだという。つまり「群れない」若者なのだ。
─だがこれは正確ではない。例えば電車に乗ってみる。すると右手の人さし指
で盛んに携帯電話の画面をなぞっている若者が多くいる。スマホ、である。
─その姿を見るといつも思うことがある。「この子は気づいていないのだな。
毎日こうすることで自分の霊性がそのままこのスマホに移っていることを」
─魂を吸い取られていっている若者たちはそのことに気付かない。しかし
無意識は正直なもので、「独り」を逆に好むようになる。
─なぜならば「スマホ」という人工知能との無制限の対話に、生身の
人間は耐えられないからだ。その反作用として「独り」を選ぶことになる。
─だからこそ、ここであえて申し上げたいのである。
気をしっかり持て、「意中人あり」という基本に立ち返れ、と。
私たちの霊性をコピーし続けるスマホはそれ自体、何も語ってはくれない。
そこにあるのはただ、移された霊性から抜き取られた言葉の羅列だけだ。
しかしかつて書籍の中で出会い、爾来尊敬している「意中の人」は違うの
である。正に変幻自在、いかなる時にも私たちに言葉を投げかけてくれる。
“独り”であることは良い。しかしスマホに逃げることなかれ。
そうした暇があるのならば……一人でも多くの「意中の人」を書に求めよ。
これが……私たち人間しか持たない霊性を取り戻す唯一の方法なのだから。
(メールマガジン 2012年5月22日号 より)
http://archive.mag2.com/0000228369/index.html
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