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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交(その2)

2014-09-21 | 経営・人財・起業

皆さん、おはようございます!原田武夫です。

今朝は学生諸君と共に飛騨古川にて合宿2日目のスタートです。
5時から授業やってます(^^)/

さてさて。
そんな中で・・・
午前3時に起床して、下記を執筆しました。
連載ものです。

HRMと外務省。
誰も論じたことのない世界。・・・挑戦していきます。
このままでは・・・先に進まないのですよ、我が国外交は!!
全てはヒト、そしてまたヒト、です。

どうぞご覧ください。
私の根本的な問題意識を記しました。

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/fa7eb8962b9ca9f267d7ffa4d0673d96

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/737241513013739


 

2014-09-21 07:30:00 | IISIAの企業支援サービス

 

前回のコラムにおいては人財マネジメント(HRM)の世界における最新の研究動向を踏まえつつ、我が国外務省において求められるべき人財イメージについて省察した。その際、「次回は我が国外務省において行われるべき課題設定について考察する」と予告したわけであるが、ややそれでは話が抽象的に過ぎるきらいがあるのではないかと危惧する次第である。そこで今回はそうした議論を行う大前提として、そもそも私・原田武夫自身が1993年に入省し、2005年に自主退職した外務I種職員(いわゆる「キャリア外交官」)であった際の人財マネジメント(HRM)という観点での個人的経験から披瀝し、読者にまずは我が国外交の現場がどの様なものであり、いかなる課題を抱えているのかについてご理解を賜ることが出来ればと思う。

 

私・原田武夫は東京大学法学部を3年次満了と共に退学し、外務省に入省した。なぜならばいわゆる「外交官試験」にその段階で合格し、採用されたからである。ここでまず人財マネジメント(HRM)という観点で押さえておかなければならないのは、採用過程ならびに「入省」という採用の決定的な瞬間において、雇用者である外務省の人事当局の側から前回のコラムにおいて述べたいわゆるjob descriptionの提示は一切行われなかったという点である。つまり書面の形で被用者である私に対し、いかなる任務の遂行がどの程度期待されており、それに対する報酬・待遇はどのようなものであるのかといった提示は一切なされなかったのである。

 

通常、job descriptionは以下のような要素が記載されるべきものである:

―被用者が行うべきタスク、こなすべき課題(極力具体的に記載する)

―またこれをこなすに際してどの程度行うことが期待されているのか

―その際にいかなるスキルや能力(capability)が求められているのか

―こうしたタスク遂行・課題解決を被用者が行った場合、いかなる報酬が与えられるのか

 

こうしたjob descriptionの「見える化」とそれに伴う集中的な採用・人事政策の実施は人財マネジメント(HRM)においては常識である。なぜならばこのようにすることによって初めて、それまでの直感的な人財マネジメント(HRM)「らしきもの」から、企業・組織の事業遂行計画に紐づけられたより明確なそれへと発展させることが出来るからである。無論、そのことはそうした事業遂行計画そのものが「明確であること」「見える化が図られていること」を前提としているのは言うまでもない。

 

他方で被用者の側からするとなぜこのことが重要なのかと言えば、こうしたjob descriptionによって自らの為すべきことが明確にされていることによって、1)「一体自分は何をどこまで努力して行うべきなのか」という点についてセルフ・リーダーシップ/マネジメントが可能になる、2)「job descriptionに記載されているレヴェルの課題解決、あるいはそれ以上をこなしている限りにおいては解雇されることはない」という安心感を得ることが出来る、逆に言えば3)「仮に当該記載事項を自らが所定の期間内にこなすことが出来なければ異動・転職もやむを得ない」という納得感を得ることが出来る、のである。もはや終身雇用を前提としたシステムから我が国社会が大幅に舵を切りつつある中、雇用者と被用者の側においてこうした取り決めを関係性の最初において行っておくことは極めて重要なわけであるが、「平成バブル崩壊」直後である1993年の入省当時、明らかに我が国外務省においてはそうした人財マネジメント(HRM)の基本は確保されていなかった。

 

端的に言うならば私が12年ほど奉職してから「自主退職」したのは、暗黙裡に被用者である私がjob description(らしきもの)として想定していた事柄と、雇用者である外務省の側が提示する労働条件が余りにもかけ離れ、かつそれが一定の合理的な範囲を明らかに超えていたからである。かつ雇用者の側である外務省の人事当局はそのことについて一切の説明を行うことなく、あるいは後の述べるとおり「組織としての外務省として見た場合における外部的な要因」を理由に事実上の正当化を行っていた。私自身が自主退職した2005年頃を一つのピークにして、私自身はともかくその他大勢の「優秀な省員」による自主退職・転職が相次ぎ、現在においてもなお、そのことが外務省の人事当局に大きな波紋を投げかけていると仄聞するが、それらの者たちも基本的には同様の問題に直面し、判断せざるを得なかったのである。

それでは具体的に言うと被用者である私が念頭に置いていた「暗黙裡のjob description」とどらくらい我が国外交実務の現場は食い違っていたのであろうか。列挙してみるとこうなる:

1か月あたり「200時間」を超える超過労働が恒常化していたこと。当時の労働慣行として我が国外務省では朝9時から勤務を開始し、本省であればおおよそ19時頃まで就業場所(外務省)にいることが期待されていた。しかし問題はそこからであり、翌日の国会審議のための準備作業(通称「国会待機」)がそこから始まることになる。私個人の場合、最も激烈な場合には1か月あたり「240時間」の超過勤務を強いられ、かつそれについて国家公務員関連法令に置いて所定の超過勤務手当の満額を支払われないという事態の黙認も強いられていた

対米外交が主体であることを前提に「英語による執務」が当然視される中、初任者研修以来、それ以外の言語を専門として教育される者に対し、満足な英語学習の場が提供されていなかったこと。私の場合、専門言語はドイツ語であり、いわゆる天皇陛下の御通訳や総理通訳なども歴任したほどのレヴェルにまで最終的には到達した。なぜならばそれが採用内定段階で「ドイツ語専修」と通知されたことに対する当然の勤めであると考えたからである。しかし本省勤務、とりわけアジア大洋州局北東アジア課勤務時代には英語による勤務が当然のように強いられ、正直非常に苦しんだ。なぜならば意思決定ラインにいる「局長」「審議官」「課長」のいずれもが「英語専修」である中、ホワイトハウス関係者ら「英語を母国語とする者たち」との日常的なやりとりに苦しんでいることなど、一切理解を得ることがなく、それ以上に「英語が出来ないこと」に対するハラスメントすら日常化していたからである。

ちなみにロシア語・中国語・スペイン語の「キャリア外交官」については初任者としての在外研修において当該専門語2年間の研修に加え、1年間の英語研修(英米留学)が既得利権化していたが、これに対してドイツ語・フランス語は「英国に近いから」という理由だけでこうした制度は一切なかった。省内では「自主的な努力で英語を勉強するのは当たり前」という暗黙の了解があり、正直大いに戸惑ったことを今でも覚えている。記憶に残っている提供された「英語研修」の機会は在外研修直前に外務研修所において行われた3か月の機会のみであり、それ以外は在外研修をベルリンで行っていた際、「自主的に(すなわち自腹で)」1か月ほど英オックスフォードに留学したことのみであった。

繰り返しになるが私は採用段階から「ドイツ語専修」であり、その意味でのタスクは十二分にこなした経緯がある。だがそれを越えるスキルについて、上述のとおり時に「月200時間以上の超過勤務」を強いられる中、「自主的に身につけなければパワー・ハラスメントを上司から受ける」といった事態が、なぜ組織の中で当然視されるのかが全くもって納得がいかなかった次第である

いわゆる「外務省不祥事」に対処するタスク・フォースでの長きにわたる責任あるポストでの勤務の後、何らの合理的な説明もなく降格人事を強いられそうになったこと。2003年1月より我が国外務省はいわゆる「外務省機密費横領事件」を皮切りに金銭的なスキャンダルが発覚し、大揺れに揺れた。その中で私は当時、たまさか大臣官房総務課において「総務班長」(後に「法令班長」)ポストを拝命していたことから内部調査を徹底して行い、それに関する対外説明(国会対応を含む)を行い、かつ関係省庁との折衝にあたるという任務をjobとして与えられることになった。

これもまた例によって律儀にこなしたわけであるが、問題はその後に外務省の人事当局が2年半近くにわたってその任務にあたった私に対して下した異動決定であった。官公庁では俸給水準が法定されており、民間企業の様に業績に応じた加給・減給が当然行われないというのが労働慣行になっている。そのため、官公庁の人事当局がさじ加減で決めることが出来、かつ被用者である省員の側において「自らの業績に対する承認・評価」として期待すべきは「良いポストへの異動」であるというのが暗黙の了解となっている。そして降格人事は処罰の際にしか行われることがないのも当然の労働慣行となっているのである。

しかるに私は当時、2年半にわたり外務省としての「本来業務」である外交実務の現場から職務命令で離れ、内部監査業務に徹底して従事した結果、「3年次後輩の省員が国会議員への転職のために抜けたポストをあてがわれる」という屈辱的な異動内示を示されることになった。官公庁に勤務経験が無い読者にとってはなかなか想像しづらいことかもしれないが、これは正に降格人事そのものである。当然、私は人事当局(大臣官房人事課首席事務官)に対して説明を求めたが、「内部監察チームにおいて下僚に業務を押し付けて自らは早々に退庁していた」などという、一見もっともらしいが、全くもって理由になっていない「こじつけ」を述べられるのみで、承諾を強いられた(上司が退庁しないと下僚も退庁出来ないという現場レヴェルでの現実をどのように考えているのであろうか)。

正直、私はこの瞬間に1993年に入省して以来、暗黙裡に抱いてきたjob descriptionが雇用者である外務省の側において一方的に破棄されたと直感した。その後、「塞翁が馬」ではないがたまさか2年次上の先輩省員がこれまた「局長」「課長」からのハラスメントを理由に過度のストレスから軽度の精神疾患を発症させたため、「北東アジア課北朝鮮班長」という省内的な相場観からすると「昇格人事」となる異動内示を受けることで物事は表面的には解決した。また実際そこで与えられたタスクも十二分にこなしたという自信もあり、そのことは人事当局もそれなりに評価してくれていたことは仄聞している。だが、いかんせん信頼関係が前提である労働契約に際し、その基盤となるべきものがこの瞬間に音を立てて崩れたのである。そしてそのことを外務省の人事当局は今に至るまで自主退職した私より聞き出すことも出来ず、そのまま放置してきたことも現実なのだ

 

最後にあえて外務省の当局の側のあり得べき「弁解」を述べておこう。それは大別して3つに分かれるはずだ。

1つは「国家公務員、とりわけキャリア職員である以上、『国益』に滅私奉公すべきだ」という議論である。公務員の分際でありながら「カネ」を云々するなどとんでもないのであって、民間部門との関係で圧倒的に優位に立つ中、労働の現場における受忍限度も当然高いことを黙認せよというのである

2番目は「外交は対外環境の変化によってどうにでも変わるのであって、それに対する柔軟性(resilience)が被用者である省員の側においては当然求められる」という議論である。確かに我が国が積極的にフレームワークを外交実務で打ち出すことは稀であり、外交日程一つとっても相手国からの通知でほとんど決まっているのが現実である。「流動的な現実に即応できるよう、滅私奉公するのが勤めである」という暗黙の了解がそこではあった

3番目は「超過勤務を外務省の当局として何も好き好んで強いているのではなく、憲法上、優位な立場にある立法府=国会から強いられているのである。したがってそれに法令上、従わざるを得ないのが現実なのであって、その現実を許容せよ」という議論である。つまり企業でいえば経営環境が恒常的に厳しいのであるから、昇給・昇格・過度の超過勤務も我慢せよというのと同じなわけだ。しかも「立法府=国会」はそうした事態を当然視しており、むしろ官僚バッシングこそが票になることから、いわばサディズムにも近い振る舞いを行政府に対して行うのが恒常化している(例えば翌日の国会審議における質問通告を当日の午前1時から行うなど)

 

しかし、である。「平成バブル」までは少なくともかろうじて続いていた右肩上がりの我が国経済、そして人口動態上も働き盛りの人口が増えていた状態は既に「過去のもの」なのである。本来であればベスト・アンド・ブライテスト(best and brightest)が諸外国の例を挙げるには及ばずとも我が国においても当然揃うべき外交実務の現場を担う外務省職員が、果たしてこうした「人材マネジメント(HRM)における基本の不在」という現実の中で今後も健全な勤務を続けるかどうかは甚だ疑問と言わざるを得ないのである。しかもマスメディアが歪曲した事実ばかりを伝える中、私たち国民世論はこうした実体を全く知らず、外務省職員に対するバッシングばかりを面白おかしく行うというのが日常化している。これで我が国という「国」そのものが蝕まないはずがないのである。

以上、あくまでも個人的な、しかしだからこそ直接的な生々しい経験に基づき、卑見を述べた次第である。次回はこうした過酷な現実を踏まえ、人財マネジメント(HRM)という観点からどのようにすれば我が国外交を立て直すことが出来るのかについて概念的かつ基礎的な作業をより一層進めていきたいと思う。

 

原田武夫記す

(2014年9月21日・飛騨古川にて)

 

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交(その2)(連載「パックス・ジャポニカへの道」)

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/fa7eb8962b9ca9f267d7ffa4d0673d96


 

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交・その1

http://blog.goo.ne.jp/nobody-loves-you/e/38b7e0ed41a8034fd0253c45dda8e40e



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