NOBODY LOVES YOU

世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交・その1

2014-09-14 | 経営・人財・起業

皆様、おはようございます(というか・・・日本では「こんにちは」ですね(^^)/)。原田武夫です。

今、まだベルリンに居ります。
これからフランクフルトを経由して、ルーマニア・ブカレストへと向かいます。

なぜか、ですか??
ふふふ・・・★
内緒、です♪

そんな中、新しいコラムを公式和文ブログにアップしました。
今回より3回に分けて「古巣」の外務省を、最新の人財マネジメント(HRM)の知見に基づき、斬っていきます。

そろそろ・・・こういう真正面からの議論も必要でしょう、我が国政府機関も(^^)/

どうぞご覧ください!
では!!
素晴らしき連休を(^_-)-☆

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/64056e764fb56f8f1b37406628848c4a

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/733952856675938


 

2014-09-14 12:08:14 | IISIAの企業支援サービス

(ドイツ・ペーネミュンデにて筆者撮影)

 

我が国外務省について論ずる者は多く、書籍は実に無数にある。だが不思議なことに「外交」が結局のところヒト、すなわち人財(human resource)によってのみなせる業だというのにこの点に着目して我が国の外務省、そしてそれが主として担っている外交について考察する試みは皆無なのである。そこでこの我が国におけるいわば「ミッシング・リンク」を埋めるため、小論を述べさせてもらえればと思う。

大前提として申し上げておきたいのは私はドイツ外務省におけるキャリア採用に際しての初任者研修に3か月ほど「交換外交官」として派遣されて経験を持つということである。1996年のことであった。「たかが3か月」と思われるかもしれない。しかしこの時、私は文字どおり「ドイツ人のキャリア外交官」と全く同じ教育をドイツ語で(当たり前だが)受けることになった。そればかりではない。我が国外務省を自主退職した今、あの時から早いもので18年が経過しているというのにその時の「同期」たちは日本においてと同様「同期(Crew Kollege)」として私を認識してくれているのである。そうしたやりとりの中で無論、一つのモデルとしてドイツ外務省における人財マネジメント(human rerousec management, HRM)の在り方、あるいはキャリア(Laufbahn)形成の方法などが自然と耳に入って来る。何もそれを金科玉条の様に振りかざすつもりは全くないわけであるが、いずれにせよそうした経験・知見に基づいて得た「気付き」も以下の小論のベースになっていることをあらかじめお断りしておく。

さて、組織における人財マネジメント(HRM)を論ずるにあたって官民を問わずまずしなければならないのは、その組織におけるコア業務における課題設定である。言い方を変えるならば「その組織をして”組織”たらしめている主たる業務がどのような手順で進められており、それはいかなる課題の連鎖・プロセスによって構成されているか」である。民間セクターでいえばいわゆる「バリュー・チェーン分析」が施される必要があるのだ。

我が国外務省における実態を見るとまずミッション・ステートメントである「外務省設置法」から読み取ることの出来るそのミッションは「平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ること」(第3条)である。いわゆる「官庁文学」のワーディングであるのでもう少しブレイクダウンして分かりやすく言うならばこうなる:

 

●まずは我が国を取り巻く「枠組み」を提示し、それを維持することを通じて平和と良好な国際環境を実現する

●以上と並行して我が国の「国益」の増進を図る。ちなみにこの時「国益」とは我が国国民の生命と財産である

 

当たり前のように思わるかもしれないが、以上の2つのポイントは非常に深いメッセージをはらむものである。当然、人財マネジメント(HRM)もこれらを前提に展開されるべきものであることは言うまでもない。HRMの専門的な用語で言いかえるならばこうなる:

 

単に「これまでの世界はこうであったから、そのまま続く」といった思考の持ち主が我が国外務省において必要とされているわけではない。大事なのは外部環境の変化を絶えず敏感に察知し、そこから得た”気付き”をもって枠組みを提示し、かつこれを実現する能力を当該人財が持ち合わせているかどうかである。すなわち1)まずは情報(information)を摂取する手段とその維持・運用の術を身につけられるか否か、2)それに基づいて生の事実データである「情報」から我が国が置かれている文脈における「意味(intelligence)」を読み取ることが出来るか、3)そしてこれ(観察=observationから気付き=ideationというプロセス)を経て、枠組みを構想する(prototyping)が出来るか否か、そして最後に4)以上で創り上げる枠組みを国内外において実現していくリーダーシップ及びマネジメントが出来るかどうか、の4つが焦点なのだ。概念的に言うならば「情報リテラシー(information literacy)」「デザイン思考(design thinking)」「リーダーシップ(leadership)」「マネジメント(management)」が必要であるということになる

●すなわちしばしば誤解されることなのだが、我が国外務省はそのミッション・ステートメントである「外務省設置法」を読む限り、決していわゆる「水平思考」の持ち主を欲しているわけではないのである。この時「水平思考」とは松平定康・東大名誉教授が提唱したスキームに基づくものであり、 要するに「前と全く同じことを延々と繰り返すという能力(capability)」を意味している。いわゆる「役人仕事」であるが、誤解無きよう述べるならばだからといって前例を見なくて良いというわけではないのである。むしろ「気付き」の大前提となる現実の直視、すなわち上述のスキームで言うならば生データの摂取の部分である「観察(observation)」の次のステップは何も今まで守られてきた枠組みの外側について無い知恵を絞ることではない。むしろこれまでの枠組みにおいて無駄なことはなかったか、あるいはこれまでの枠組み同士を組み合わせることによって得るものはないか、などといった「インサイドボックス思考」も必要不可欠であることは言うまでもない。大事なことはルーティンのように思われがちな日常業務をそのような意味で常にイノベーションの現場としてとらえられるか否かなのである

 

以上の考察を大前提としつつさらに思考を進めると、我が国外務省がまず求めるべき人財(human resource)が持つべき要素を列挙したリスト(job description)はこうなる:

―「過去」に関する深い知見

 我が国の「過去」に関する深い知見を持ち合わせ、また継続的にこれを学び続ける意思と能力を持ちあわせていること。ルーティン・ワークの習熟もこの中に当然入って来る。またここでいう「過去」とは”真実”であり、一般国民向けの「対外応答要領」ベースの”事実”ではなく、また諸外国の勢力が自らに有利な形で我が国への刷り込みを図ってきたあらゆる形での「パブリック・ディプロマシー」における”事実”とは大きく異なっている。無論、そこでカバーすべき知見は政治・経済はもとより、文化・社会、さらには自然科学や哲学に及ぶ「森羅万象」であることは言うまでもない

―更なる「観察(observation)」を可能にする広義のコミュニケーション能力

 もっとも「過去」だけで「未来」に向けた枠組みは紡ぎだせないのであって、動いている現実から生きている情報(information)を絶えず摂取し続けることが出来るかがカギとなってくる。その際必要なのは、1)広い意味での文献を読むことが出来るか否か(新聞・雑誌をも含む)、2)インターネット上で無数に提供されている公開情報を日々裁き、そこに記されている情報を摂取することが出来るか否か、3)誰にでも無料で開放されているという意味での公開情報(open source)ではなく、閉ざされた人的ネットワーク(closed human network)においてだけ流布される非公開情報を摂取出来るよう、そもそもそうしたネットワークを構築し、維持するだけのコミュニケーション能力があるか否か、といった要素に分解することが出来るのだ。一般に「外交官には語学が必要」と言われるが「何のために」と明確に定義されることは現場レヴェルでほぼ皆無である。そこであえて言うならばここでいう観察(observation)を可能にするための能力(capablity)の一つとして「語学」が必要なのである。

 またここで忘れてはならないのは今、国際社会全体を揺り動かしているのはそれを貫徹する原理である金融資本主義(financial capitalism)であるということである。我が国外交も現在はその従属変数になっているのが実態だ。したがってまずはその現実について知る必要があるのだが、我が国の高等教育機関においてその総体をありのまま教えるということは一切行われていない。だがその実態に関する知見を抜きにして、金融資本主義あるいはグローバリズムの実際の担い手とのコミュニケーションが出来るわけもないのであって、その意味での知見はここでいう外交に必要なコミュニケーション能力の大前提だということになってくる。

―デザイン思考とインサイドボックス思考の両方を行うことが出来る能力

 観察(observation)に基づき、気付きを得るための集団的作業を行うのがデザイン思考である。独り悩んでいても知恵(気付き)は出てこないのであって、とにかくフリーな雰囲気の中でありとあらゆる知恵(気付き)をまずは相互に無批判で出し合い、それに基づき一つの枠組みを形成していく(prototyping)していく能力が求められてくる。いわゆる「ワイガヤ」であるが、一見馬鹿馬鹿しく思えるこの手の作業を通じて一方ではフォロワー(下僚)たちもやりがいを覚え、かつ行動分析学的に言うならばそこでのプロセスにおける様々な所為が好ましい行動をより強化する要因(「好子」)となることで、助長される経緯をも織り込むことになる。

 もっともこうした「デザイン思考」だけで外交の現場を語りきることが出来ないのも現実である。限られた時間、限られた材料だけでギリギリの判断を求められる場合がある。ただし単なる直感で全てを決めるべきなのではないのであって、伝統的には意思決定スキームの古典である「ケプナー・トリゴー法」を体得し、あるいは最近のワーディングを用いるならば上述の「インサイドボックス思考」を素早く展開すべきなのである。

 以上述べてきたことの全体を真正面から若者たちに教えている高等教育機関は、管見によれば今のところ我が国には存在していない。他の要素も多かれ少なかれそうなのであるが、したがって特にこの部分については産業教育の現場でのみ学ぶことが出来るというのが我が国における現実なのである

―マネジメント能力とリーダーシップに関する知見と絶えざる実践・省察

 情報は得て、そこから意味(intelligence)を取出すことが出来た。そしてそれを通じて新たな「枠組み」を考えることも出来た。―――そうなったらば重要なのはこれを実現する能力(capability)である。結論を言うならばこれこそがリーダーシップ(leadership)ということに他ならない。ここでいうリーダーシップは次の5つの要素から成っている:

・過去を徹底して振り返り、そこに歴史法則を見出す。その上で絶えず現実から舞い込んでくる情報に耳をそばだて、「歴史法則」の鑑に照らし合わせることで”気付き”を得る。いわゆるアブダクション(abduction)である

・”気付き”を得たならば今度はそれを他人に対して説明することが出来なければならない。「脳内地図」が異なる他人に対して説明をするため、まず必要なのが論理的思考である。具体的には「演繹法と帰納法の峻別と運用」「抽象的思考」といったものが必要になってくる

・フォロワー(下僚)たちに一応説明することが出来たらば、まず必要なのが自らそこで述べた”気付き”やそれに基づく”枠組み”を実現していくことである。つまり「実行力(execution)」が必要なのである。命令(commanding leadership)だけで人は動かず、また行動分析学的に言うとそこでの威圧的な行動が「嫌子」となり、好ましい行動を消去してしまう危険性すらある。そうではなくて「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」(山本五十六)なのである。まずもって自分でやって見せることが出来なければフォロワーが動くことはないのだ

・その上で今度は他人を巻き込んでいく能力(involvement)が必要ということになってくる。ただしそこでも必要なのは単に命令をするといった危機的なコミュニケーションではない、別のやり方が不可欠だという点なのである。特に重要なのが、対話者であるフォロワー(下僚)らにおいて自らの”気付き”をもたらし、自らの意思をもって望ましい動きをするようになるためのコミュニケーション能力である。そのためにはまずもって相手の置かれている文脈を知り(contextual learning)、さらには積極的に傾聴する(active listening)することが不可欠なのだ。そのためのテクニックを頭で知っているのみならず、かつ単純な性格論(無限論法に陥りがち)に堕することなく行動分析学的なベースに基づきつつ、「好ましい行動を引き出すための当方の行動は何か」という点に絞りながらのコミュニケーション能力が必要なのである

・以上を踏まえ、当初想定された新たな枠組みがいよいよ実現されたならばリーダーシップが行うべきは「適正な事後評価」である。つまり好ましい行動をとったフォロワー(下僚)たちに対し、適時的確に行動分析学でいう「好子」を与えるべきなのである。これを行わない限り、フォロワー(下僚)たちは好ましい行動を強化させ、持続させることはなく、組織はやがて崩壊していく。この点について絶えず意識して行動することがリーダーシップには求められている

 

 上記の大前提としてリーダーシップに必要なのが広い意味での「人間力」である。ブレイクダウンして言うならば「ヒトとして正しいことを行っているか否か、常に自省し、前に進む能力」である。道徳や倫理はその一環である。あるいは宗教学的な知見もこの中に含まれ、コンプライアンス(法令順守)も同様に含まれる。

 また以上では基本的にリーダーシップを日本外交の主たる現場の一つである「外務省」という組織の中で実践する時のことを前提に述べたが、実はそうした組織としての「外務省」を越えて国内、あるいは諸外国の官民各種勢力を動かすという意味でも全く同じことがリーダーシップには求められるのである。曰くプレゼン能力が我が国外交には乏しいなどと言われるが、そうした局面だけをとらえて語るのは不適当なのであって、大切なことはあくまでもあらゆる場面で共通したリーダーシップの総体についてまずは組織全体としてとらえ、浸透させていくことなのである。

 さて、以上のとおり「枠組みを自ら創り上げ、他者に伝達し、その力を得つつこれを実現し、自らを取り巻く環境の好ましいバージョン・アップを図る」のがリーダーシップであるとするならば、その枠組みの実現にあたって、あるいはそれに基づいた運用の現場で必要なのがマネジメント(management)のための能力(capability)である。これは以下の2つの要素から成り立っている:

・時間の整理

 まず大切なのはフォロワー(下僚)を筆頭とする他者に対して業を行わせるに際し、いなかる時間の枠組みの中でこれを行わせるのかを決めることである。なぜこれが必要なのかといえば人財(human resource)にもエントロピー増大の法則が働くからである。つまり放置しておくと人体はダレるのであって、やがて「24時間取り組んでいるが何も成果が出ない」ということになりかねないのである。

 それを防ぐ方法は一つしかない。「限られた時間の中での執行を他者に対して求め、それ以外の時間にはそうした執行を担保するための力の涵養・回復にあたらせること」である。したがって時間の枠組み(time framework)の設定こそが求められてくるのだ

・空間の整理

 次に必要なのがフォロワー(下僚)といった他者に”気付き”に基づく新たな枠組みを執行させるにしても、これをどの場でやらせるかという決断である。すなわち「空間の整理」が必要になってくる。

 もっともこの空間の整理は何も「仕事場の提供・区分」ということだけを意味しているのではない。その大前提として業が行われる場所全体の確保・特定や、あるいはそこで行われるべき業とは無関係なものを徹底して排除し、清掃し、整理整頓をするということも含まれている。なぜならば行動分析学的に言うとこうした余分な要素があることによって望ましい行動が遮られ、消去されることもあり、あるいは逆もまた真だからである

 

 以上、組織としての我が国外務省のミッション・ステートメントである「外務省設置法」から読み解くことの出来る、そこでの望ましい人財マネジメントの前提としての課題設定を行うにあたり、まず必要となってくる「望ましい人財が持つべき能力(capability)」の要素を列挙してみた(job description)。次回以降においては、1)それでは外務省における業務プロセスは典型的にはどのようなものであり、そこでの「課題設定」はどうあるべきなのか、さらには2)これらを前提に考えた場合、我が国外務省の現場レヴェルにおける「人財マネジメント」はいかなる問題・課題を抱えており、どの様な解決(solution)があり得るのかについて順次述べていくことにしよう。

 

ドイツ・ベルリンにて

原田武夫記す

(2014年9月14日)

 

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交・その1 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/64056e764fb56f8f1b37406628848c4a



Karl Marx’s Message and the Real Japan-Sino Relationship

 

人財マネジメント(HRM)から考える日本外交(その2)

http://blog.goo.ne.jp/nobody-loves-you/e/6d5c54cdde4e9eeee642aa461a45b6c9



最新の画像もっと見る

コメントを投稿