永徳との対決が描かれた「等伯」下は期待通りに面白かった♪
とくに等伯が江戸に向かうところで終わらせたのが絶妙だなと思った。
等伯と永徳の対決はその後のそれぞれの流派の行く末にどう影響を与えたのか?
2011年出光美術館「長谷川等伯と狩野派」で拝見した「竹虎図屏風」が思い出された。
等伯作を探幽が周文の真筆と大きく署名していたものだ。
等伯没後しばらくすると長谷川等伯と云う名は日本の美術界から長く消えていたという。
確かに元信や永徳や探幽以降も狩野派の画を目にする機会は多いが
等伯の子孫たちのものにお目にかかることは本当に少ない。
昨年のボストン美術館展で長谷川左近の「牧牛・野馬図屏風」を観た時は
なんだか嬉しかったのを覚えている。
ほのぼのとした穏やかなものだった。
安部龍太郎氏はどんな想いでこの屏風をご覧になっただろうか?