さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

光雲寺庭園

2010年12月14日 | 都へ上る
「都名所図会」や「都林泉名勝図会」にも描かれている光雲寺さんの庭園。

現在の庭園は昭和2年に七代目小川治兵衛により大幅に手を加えられたものであると。

今回、「庭園修理の軌跡」というリーフを頂戴し、拝読させていただいたが、
当然のことながら、露天にさらされ、雨風に晒される庭というものは
私たちにはわからないが、手入れをしていても穏やかな荒廃が進行しているそうで
数十年の周期で修理が必要な古建築と同じであるということをあらためて知った。

その修理過程を写真ともに詳細に解説されているリーフはとっても貴重なもの。

修理においても修理を始めるまでわからないことも沢山あるようで
調査や実際に修理に係わられた関係者のご苦労がしのばれた。

京都には素晴らしい庭園が沢山あるが、それぞれがその庭園を美しく維持するために
一方ならぬ関係者のご苦労があることを初めて知った。



2010名残の京都 光雲寺

2010年12月14日 | 都へ上る
東福門院の菩提寺として、以前から一度お参りをさせて頂きたかった光雲寺さん。

今回は、庭園の修復完成記念として特別公開があり、幸運にも
冠をいただく東福門院像や女院の念持仏の聖観音像などを拝むことができた。

後水尾天皇を大きな愛で支えた東福門院のお姿はふっくらととても穏やかでいらした。
座像のそばに、光明皇后伝来の仏舎利塔があり、
光明皇后1250年御遠忌に拝ませて頂けたのも有難く、光明皇后と
同じく天皇を支えた后として東福門院の元にあるのがとっても相応しく思われた。
また伝聖徳太子作で足利尊氏が所有していた珍しい船に乗っている弘誓観音像他も公開されていた。

寛文の頃は七堂伽藍を有する広大なお寺であったのが肯ける素晴らしい寺宝の数々。

方丈の東側には、加藤清正が朝鮮より招来した「瑪瑙の手水鉢」もあった。

お庭を眺めながらお抹茶を頂いたが、お菓子のわらび餅がこれまた絶品であった♪

数年前に、光雲寺さんの事をブログに書かれていた方にコメントを入れさせて頂いたことがあったのだが、
この日、その方に偶然にも光雲寺さんでお目にかかることが出来、「仏のお導き」があることをしみじみと思った。