真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

観音菩薩伝~第38話 永蓮、端座瞑想中、外魔に襲われる、 第39話 白熊に遭い、死を装って難を逃れる

2021-10-15 18:35:41 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

第38話 永蓮、端座瞑想中、外魔に襲われる

 やがて陽もとっぷり暮れたので三人は、近くで洞窟を探して、そこに入って端坐瞑想し、夜を過すことにしました。しかしこの頃になってようやく先程の凄惨な光景が改めて恐怖となって現われ、心神が動揺して安心立命(あんじんりゅうめい)・精進三昧に入ることが出来ません。心神が不安定なまま端坐を組むことは、大変な危険を伴います。それは、魔にとり憑かれ易いからです。

 大師は功行が深いので心神を乱すことなく忽ち夢想三昧に収めて、無人・無我・無住・無礙の境地に達することが出来ました。保母は大師には遠く及ばないものの、それでも長い間大師に従事して修行していたので、漸く心神を鎮めることが出来ました。しかし永蓮は性格的に動性を帯びているので、どうしても心神を鎮めることが出来ません。その中に全身が火照(ほて)って熱くなり、だんだんと熱炉の中で身体を焼かれているような焦熱を感じ、どうしても辛抱して趺坐(ふざ)をしていられません。堪らず目を開けて見ると辺り一面が火の海となっており、果ては紅蓮(ぐれん)の炎と化して自分に燃え移ろうとしています。驚いて思わず振り向いてみると、大師と保母は依然として何事も無いように泰然不動のまま端坐瞑目をしています。永蓮は焦りました。これはいけない、お二人が何事も感じないのに私一人が熱さを覚えるとは、これはきっと魔障の仕業であろう。永蓮は心急くまま心神を奮い起こし、思い切って坐を組み直し雑念を払って心意の動揺を無理に落ち着かせました。すると目の前の火焔の海は消え去り、身体から熱も取れました。

 しかしこれは、半刻も続きませんでした。今度は全身が氷のような寒冷を覚え、震え始めました。まるで洞窟全体が、氷室(ひむろ)のようです。永蓮は震えが止まらなくなって覚えず目を開くと、氷の浮漂する海水が怒涛のように押し寄せ、洞内は忽ち水浸しになってしまいました。驚いた永蓮が大師と保母を見ると、お二人とも依然として端坐されています。永蓮は途方に暮れました。

 何故二度までも外魔に襲われたのであろうか。このような状態ではとても正果を成就することは望めないと、未熟な心を収めるのに意は乱れるばかりです。どうしたものだろうかと、迷い始めました。座行には、恐怖と煩悩が一番禁物です。一度恐怖心・煩悩心が生ずると、次々に雑念が叢(むら)がって妄想・幻想が浮かび上がり、一層外魔を呼び込むことになります。永蓮は氷冷の海水と闘いながら何とか雑念を払おうと努力していると、突然海水は消え、今度は洞窟全体が吹き飛んだかと思うような轟音が響き、永蓮は肝を潰さんばかりに驚きました。ふと見上げると、空中に金色の甲冑で身を固めた天神(金甲天神)が、憤怒の形相ものすごく睨み付けていました。一人や二人ではありません。ずらりと並んでいます。身の丈は一丈二尺(およそ三・六メートル)ほどもあろうか、鋼鉄のような頑丈な体で手に手に八稜角(はちりょうかく。八つの尖った角のある武器)と金の爪槌(そうつい。釘抜き用の槌)を鷲掴みにして、両眼は炯々(けいけい)としております。その中で目の丸い天神が物も言わずに永蓮の側に近寄るや否や、手にした金の爪槌を振り上げ頭上目掛けて打ち下ろしました。永蓮は驚きの余り一声悲鳴を上げると、そのまま昏倒してしまいました。

 大師と保母はその声で目を開け永蓮を見ると、永蓮は神魂が出竅(しゅっきょう)して(気を失って)倒れています。二人は急いで永蓮を抱き起こし、その名を呼び続けました。二人に介抱された永蓮は、夢から覚めたように頻りに辺りを見廻していたが、既に火も水も無く、勿論憤怒の形相を持った天神の姿も見当たりません。総て幻想であったのかと気が付いた永蓮は、面目の無い恥ずかしそうな顔をして今までの出来事を話しました。大師は、一部始終を聞いてから優しく言いました。

「そなたは、どうして外魔に襲われたのか解りますか」

「存じません。何故でございましょう」

「それは昼間出会った大蛇の極度の恐怖が災いし不安となって心神を集中することが出来ず、そのためそのような現象に見舞われたのです。そなたには、特にその衝撃が強く残っていたためだと思います。幸い金甲天神がそなたを呼び覚まして下さったお陰で、功行が損なわれずに済みました。人の世の生老病死・憂悲・苦悩・愚痴・暗蔽・三毒の限りない煩苦の焔が心身を焦がすため、貪欲の潮に苛まれます。速やかに心神を定め、般若妙智を開き、神通に安住して決定(けつじょう。不動)・不退の法輪を転じなければなりません」

 永蓮は、冷や汗を流しながら聞いていました。

 やがて夜は白々と明けていきました。恐ろしい一夜の幻想であった、私はまだ修行が足りないから景に触れて心神が動揺するのだ。大師の説かれる真の定境(じょうきょう)に入れば、例え須彌山が崩れても驚かないであろう、一日も早くそうなりたい、と永蓮は心に誓いました。

第39話 白熊に遭い、死を装って難を逃れる

 洞窟で一夜を明かした三人は、再び山を登り始めました。幸い山中のあちこちには色々な果実が生(な)っていたので、これを採って空腹を凌ぎました。坂道はだんだんと険しさを増し、三人は互いに助け合いながら登りました。ふと前方に目をやると、人間の三倍もあろうかと思われる一頭の大きな白熊がおりました。大師は急いで二人に知らせ、足音を殺して森の中に駆け込みました。

「恐ろしい大熊です。人食い熊かも知れません。避けられるだけ避けて隠れ、もし逃げ切れないときは、地上に俯伏せになって息を止め死人を装うのです。絶対に動いてはなりませんよ」

大師は小声で二人に注意しました。ところが後ろを振り返ってみて驚いたことに、物音や気配に感付いたのか、あるいは人の臭いを嗅ぎつけたのか、白熊は鼻を鳴らし鉤爪で地面を掻きながら隠れている三人の方に近寄って来ました。熊は穴倉の中に潜んでいたが、冬眠から醒め、食べ物を探し求めに出たところでした。熊は非常に敏感で、人間が少しでも身体を動かすと体臭が風に乗って気取られます。三人は素早く地上に伏し、息を止めて死人を装いました。

熊はゆっくりと三人の側まで来て暫く眺め廻していたが、物音も無く少しの動きも無いのを見て本当に死んだ人間と思ったのか、白熊は二声空に向かって吼え、更にもう一度確かめてみてからのっそりとその場から遠退きました。元来白熊は、死人を最も嫌うらしく、屍とみたら近寄りません。大師はこの習性を知っていられたから、幸い難を免れることが出来ました。保母と永蓮は、熊が立ち去った後も胸の動悸が鎮まらず生きた心地がしません。冷や汗三斗とは、この事でしょう。汗で全身びっしょりと濡れています。熊は雑食性で比較的植物質を多く摂るが性質は荒く、よく人畜を襲います。もし完全な肉食動物でしたら、あるいは害を受けたのではないかと思われます。

生命の危急時には、先ず沈着と冷静さが必要です。三人が若し理性を失って騒ぎ立てていたら、疾うに命を失っていたでしょう。賢者と愚者は平素見分けることが難しくとも、一旦生命の瀬戸際になると、各々心の作用が違ってはっきりと区別がつきます。真の智慧者は普段愚人に見えても、一大事には一際光り輝きます。平素いくら利口や聡明そうに振舞っていても、いざというとき邪念に纏われ、醜態を演じて大事を失するようでは仕方がありません。大師は、身を捨てて生を得ました。もし生を得るため騒ぎ立てしていたら、死を免れ得なかったでしょう。この決心が得道の動機となり、成果成就の重大な鍵となったのです。ここに菩薩の菩薩たる所以があったと言えましょう。

三人は、森を出てまた坂道を登り始めました。険阻な道に足を取られ、斜面に足を滑らせながら五・六刻ほど上った頃、三人は咽喉の渇きを覚えました。辺りを探し廻ったところ、右手の茂みに谷があり、そこに小さな一筋の渓水が流れているのを見付けました。

「あそこに水が流れています。口を潤して暫く休んで行きましょう」

 大師の声に、保母も永蓮も喜んで同意し、三人は崖を伝って谷を下り始めました。窪地に流れが溜って清水が溢れ、腰掛石も点在していて休むのに大変都合の良い所でした。

続く・・・

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