日本では、長野県佐久の龍岡城五稜郭は、函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
龍岡城は、江戸時代末期に田野口藩主 松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工し、慶應3年(1867)に竣工した、とされてます。
一方長野県の佐久に近い岡谷市は日本の電気の発祥地でもあります。
函館山下の洋館はわかりますが、洞爺丸沈没(昭和29年9月26日)の1000人以上の遺体を収容した建物がいわゆるタルタリア様式で不思議に思っていました。
明治維新以降アイヌ同化も急激に進み、北海道開発庁の予算は本土と差別されています。
尊皇派は、ヨーロッパがバック、つまりタルタリアを核攻撃した国です
これから、日本の歴史も観光で隠蔽の上塗りではいられないほどオープンになりそうです。
【幕末から明治へ】なぜヨーロッパ式のお城が日本に建てられた?〜 星形の要塞「五稜郭」