真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:すべての歴史は進化の糧、根源創造主は129600年周期の「弥勒の世」を最終的生命の構造として創造しました!】神々とレプテリアンたちの偉大な戦い第三回・全三回

2022-12-07 19:52:31 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

神々とレプテリアンたちの偉大な戦い第三回・全三回


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真理の目(1)

2022-12-07 19:08:04 | 道すなわち真理

現代の政治・金融・経済・医療・教育など生活や人生のあらゆる分野は、世界の一握りの人々によってコントロールされてきました。

今日はその原因が驚くほどシンプルであることを知っていただきたいと思います。

原点は「道・真理」です。優美な神の存在にあこがれたためでした。これから人類は「道・真理」の世界に入ってゆきます。

ここまで来るには人類創生以来の長い道のりでした。

何百回、何千回の生まれ変わりを体験し、ある時期は意識が低下したため何度かの人類滅亡の体験もして来ました。

その荒波の中で希望の光、それが超古代から普遍の「道すなわち真理」でした。

しかし「道・真理」を求める過程で人はそれぞれの段階(縁)があります。

権力や財宝に目がくらんでいる者は「道・真理」から程遠く、大衆を支配するための道具としてまやかしの狐や狸の霊を霊験あらたかなものように敬いオカルト化してきました。

歪んだ人間の心が今日の災害や戦争の世界を造りだしたかを知っていただきたいと思います。

世界を支配している秘密結社の象徴として使われているプロビデンスはキリスト教摂理という意味で、プロピデンスの目は神の全能の目を意味しています。

カバール(カバラー)とは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想で、独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがあります。

しかし、これはもっぱら積極的な教義開示を行わないという類似性であると言われ、教義や起源等の類似性までしか探究でないほど、ましては邪悪な者には至難の業でした。

享楽的な意識ではこの「道・真理」に至るための艱難辛苦の修道機会は与えられることはありません。

カバラーはもともと「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味しています。

カバラーが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられていました。

これは釈迦仏教の口伝と同じで、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられました。

これがキリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段としてしか理解できないものになりました。

イルミナティとは、ラテン語で「に照らされたもの」を意味しますが、後に宗教的な活動から「啓蒙開化」をも意味するようになったようです。

近世以降、この名前で呼ばれた秘密結社が数多くある。グノーシス的要素やテンプル騎士団シオン修道会アサシンフリーメイソンとの関連等を持つとされます。

このほかにも中国の数々の宗教も秘密結社もみな同種の形象を受け継いでいまます

しかし形象は「道・真理」と似て非なるものです。

釈迦や達磨、観音やキリストが得た同じ殊宝を天が直接あなたに伝承するその時まで漏らされることはありません。

形象的な伝承、プロピデンスの目

 

 

本来、縦に長いピラミッドの上部に目がありますが、この意味を佛教では「玄嚢鼻直(げんのうびちょく)」と言います。

嚢は鼻の穴の膨らんだ部分、鼻直と鼻の真っ直ぐ上を指しています。

そこにあります。

つまりピラミットは鼻を顕しています。

その鼻の真直ぐ上にいわゆる神秘の目があることを指しています。

仏像にも第3の目が眉間にあります。

十字架も薔薇十字のように交わる「点」をバラの華で強調しています。

キリストがゴルゴダ(しやれこうべ:頭骸骨)の丘の十字架で磔になった時に、両側に盗人が2人処刑されました。

聖書の姦淫は目が色を盗むことを意味します。

2人の盗人は左右両目を、キリストは真中の真理の目を顕していました。

十字架の中心点はプロピデンスの目と同じ真理の一点の意味です。

続く


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伝承されてきた「空」の秘密、それは道すなわち真理の轍(わだち)

2022-12-07 19:05:39 | 道すなわち真理

縄文時代の「十字架」

ご承知の通り、歴史は為政者による権力維持のための創作がほとんどです。
その歴史に隠されていた真実が般若心経の「色即是空・空即是色」です。
この「空」の意味は、神道はもとより世界の宗教に様々な表現で伝えられています。

身近なところでは、諏訪大社より格が上である「八剣神社」の御神体が〝鉢を伏せたような形で、神主が毎年一枚の布(御衾)をかぶせる神事があり、何千年も続けているので御神体自体とても重く、しかも宮司でさえ中身が何なのかわからない”と言われていました。

出雲大社の御神体もしかり、何が依代なのかは謎となっています。
御神体は封印されていて、その正体は分からないというのです。
宮司も「御衾(おふすま)が丁重にかけられており、その中を伺い見ることはできない」と著書にあらわしています。

日本の大社と言われる神社は勿論、日本神道の神髄は「神仏習合」の謎として歴史が経過してきています。

謎になった理由の一つは、「天命」にあります。
古来為政者にとって「権力の象徴」は天命があるかどうかであったため、天命が遷ったことは歴史上決して表沙汰にされることはありません。

そこで為政者は天命があったかのように形象あるもので装うのが常でした。
天皇の権威を象徴する三種の神器などが歴史をゆがめてきた原因でした。

謎の二つ目は、八百万の神々がこの天に従って国体を護持し続けてきたことによります。

八百万の神々には、「天命」は開示されていませんが、天意を汲んで和を以って人心が按配されるよう、御神体は封印されていても、天命という神聖な世界があることを「一子相伝(親から子へ)」で代々伝承されて来ていました。

しかし、明治維新前後して、古来のほとんどの「一子相伝」の神事は、73代目にして絶たれています。※ 諏訪の守矢神社も73代目で絶たれています。

ここで般若心経の「色即是空・空即是色」と神道の関係を紐解きます。

天命が遷る前、本来の神道は、「皇統」が担っていました。
これを継承したのが、紀元前600年ごろ(神武統制)までの皇統でした。

後の天皇制でした。

つまり、現在の天皇制には「天命」の道盤を繋ぐ役割はありませんでした。

天皇制の初代は神武天皇とされていますが、国の成り立ちや皇統や天皇制についてこれを覆すたくさんの古史古伝(上記・竹内文書・日月神示…などなど)が遺されております。

皇統の時代は天命である「空」の「隠微な道」を伝承するのが神聖な役割で、宮殿や厳かな儀式は一切なく、名も知れない存在がこの聖なる天命を継承していました。

この「空」の秘密は、紀元前1000年前ごろから、聖人と言われた老子(道教)・孔子・孟子(儒教)・釈迦(仏教)、そしてキリスト(キリスト教)・マホメッド(イスラム教)に伝承されました。

達磨大師が開祖である禅宗の「達磨の四諦句」では、

一、教外別伝(教えの外に別に伝える)

二、不立文字(ふりゅうもんじ:文字にあらわさない) 

三、直指人心(じきしにんしん:直接人の心を指す) 

四、見性成仏(けんしょうじょうぶつ:性〔仏性〕を見て仏〔悟った者〕となる) 

つまり、その秘密は、禅宗の教えにもない、文字(経典)にも著わされていない、心の有りどころを明師が直接指でさす、それによって仏性を悟り成仏できる。
という宗旨のものです。

神武天皇より350年前、インドから訪れた釈迦が梵珠山で修行し、晩年この地を再び訪れ生涯を終えたとう青森に釈迦の墓があります。

また同じ青森にキリストの墓、能登にモーゼの墓があるのは、彼らがこの道を求め来日し、皇統の下で修道し、道を得て天命を担い、それぞれの国に道を弘め、そして役目を終えて日本に帰還してきたためです。

特に、モーゼは諏訪とゆかりが深く、諏訪大社を建てたのはモーゼだとされています。

境内の奥にその痕跡が遺されています。

古来から、神殿は人々が神に近づくために、神聖な儀式に参加し、主たる神に従う決意を深めるために参入する場所として建立されてきました。

  ※Ray:今日、仏堂(聖所)は世界中に建立されています。

紀元前10世紀ソロモン王が建設した神殿(ソロモン神殿)をはじめ、日本も紀元5百年頃からはじまって、全国に2万社をこえる諏訪大社が建てられました。

諏訪大社の守矢神社では明治4年までアブラハムと息子イサクの神事が行われていましたが、天皇制に影響するため廃仏毀釈と同時に廃止されました。

また、諏訪大社の祭神「御左口神」も謎になっています。右があれば左があるように、陽から陰への移行を示し、陰・陽を超えた「口」は「空」であることを伝承してきました。

この「口」は、老子の道徳経では「玄牝之門」と記されています。玄なる牝の門、すなわちこの世の現象を生み出す門で、玄妙な赤子を生む女性の性器のような神聖処として伝承されてきました。

「空」の中に「妙」あり、すべてを創造する力、すなわち根源創造主の分け御霊画あり、それを発揮するには「進化の轍に入る儀式、すなわち天命を授かる神儀」があります。それが人類5000年の念願だったのです。

天皇や皇帝が権力に汚れたため、天命が宗教(道教・儒教・仏教・キリスト教・イスラム教)に秘められ、修道することでその境地に到達できる道がひらかれるようになりました。

つまり、天皇や皇帝の神権が師儒(道教・儒教)・僧侶(仏教)・牧師(キリスト教)・ラビ(イスラム教)などで修道し道を修めた聖人に遷ったわけです。

そして、さらに明治維新のころ宗教も権力にまみれ退廃し、神権は秘かに火宅(一般庶民)に遷されました。 

青陽期~紅陽期~白陽期と時代が流れ、現在は人類は白陽期の始まりになりました。
しかし、堕落した民心のままでは、この聖なる道を得て極楽浄土に入ることは赦されません。

そこで天の恩恵によって、青陽期(水の劫災)9劫~紅陽期(火の劫災)18劫~白陽期(風の劫災)81劫の劫災があり、合計108の劫災を経験し、人々の心の汚れが清められるよう諮られています。

今回の新コロナウイルスは、白陽期10800年の始まりの「風」の劫災です。
スペイン風邪・エイズ・サーズ・鳥インフルエンザなど多くの劫災が蔓延し人類一人ひとりの叡智が試されています。

時代は、人々の心を封印し悪習を植え付けてきました。

師が言われました「誤った事を改めれば好い」のであると、歴史は為政者の権威を象徴するために作られてきました。

2022年、旧い時代の過ちを正し、覚醒の糧にする時に至りました。

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Ray:上図のソロモン神殿図は、御柱祭りで、山から降ろして川で禊をした後、最寄りの神社の四方に建てられますが、その神社の拝殿がソロモン神殿にあたります。

契約の箱を配するなど神事が決められていますが、実際に「契約の箱」は東北のある県にあります。

古代に遡ると、その時の約束の地は「竪琴」の印象のある諏訪湖、そして罪のある状態のままで永遠の命を得てしまわないように命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いています。

諏訪大社には毎年炎神社から火が届けられています。

これらの神事は新しい時代を迎えるための伝承です。

根本の「根源創造主の降臨と道すなわち真理」が公開され、究極の「禊」が「修道」という規範で享けられています。

神の約束はすでに成就されています。

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困境を解脱する必要な六つのこと(7)

2022-12-07 19:02:34 | 師尊老大人・月慧師母

師尊老大人曰く・・

第四、困境を解脱するのに必要な綱領は貞明(正しく明らかであること)そして中立で偏らない、獨行(自分の力だけで物事をすること)して怠らないことである。

いわゆる困とは、すなわち必要な時に、いち早く準備することをしていない、

例えば停水の時のように、干ばつにも関わらず貯水をしていない、これによって困になる。

この時に責め立てていても効果がない、後悔しても事を補えない、信心は根拠もなく何かをもたらすことができない、唯一君子のみ実際を知ることができ、正しいことを行い、なすべきことを行うのである。

例えば道情にすでに亀裂が現れていたとして、しかしあなたは最初から何一つ恩徳を相手に与えたことがない、

この時に成全しても効果がないし、責め問いても無益である、唯一しかっりと着実に最初からやり直し、付出すべきことが遅いと嫌がらない、率直にするべきことを包み隠さない。

困の中に道が極まる現象があると雖も、しかし時に困するが、人に困せず・・物に困するが、心に困せず、

そうすることで、自然に寒冬が過ぎた後に、春の生機が生じる。

だから君子が困を解決するのは一朝一夕ではないことを知り、また苛立ち急いだり妄りに求めてはいけない。それはゆるやかに解決することである。

もし己が貞明できるならば、困での思う通りに運ばないことに患う(憂う)ことはない、故に困の中においてその道を失ってはいけない。

 

師尊老大人曰く・・

第五、困境を解脱するのに必要な認識は因縁果報を了悟し、そして困の中で先に施しができることである。

見の危険を救われても、その恩を感じない、その罪は昧となり、必ず困苦により頼りのいない人に転生する。

身の貧しさを救われても、その恩を感じない、その罪は妄となり、犬豚の汚れた畜生に転世する。

身の寒さから助け出されても、その恩を感じない、その罪は讟(とく)となり、孤独で善縁を得られないことに転世する。

修道者が知るべきことは、一切の富貴貧賤は皆前世の定めであり、順境、逆境は言うまでもないことではないか?

今日の困苦はどのように解脱するのか、もし乾坤を回転できる毅力(意思が強くてくじけない力)でなかったら、どのようにしてその困を脱出することができるのか?

故に君子は困の中において、人が欠乏し自分が欠乏しているとき、何か書くと帰したものを必ず先に人に譲り・・

人が需要し自分も需要する時、何か手に入れたものを必ず先に人に譲ことである。

だから皆欠乏し、皆需要するからこそ、はじめて先に施す尊貴の徳性がある・・

 

もし自分が需要して自分がとるならば、すなわち苦の因は消えない、そして人と争う者は道格が全て喪失してしまう・・

知るべきことは、因縁果報では生死によって隔たりがない、すでに了吾した者は、どうして小さくとるに足りない生死のために、物欲の奴隷に落ちるのか?

得失は心にあらず、一切は先に施すことを以て本分と為す、他人の議論や視線はどうであろうとも、浅く短い褒め称えでさえ求めないならば、はじめて困を亨る(とおる)ことができるのである。

 

師尊老大人曰く・・

功徳に大小の区別はあるのか?(ありません)

功徳に大小の区別があると思う人は手を挙げなさい。

みなさんは全員、功徳に大小の違いはないと思っていると思っているのですか?(はい)

しかし、実際のところは功徳に大小の違いはある。その大小は形相上の多い少ないによるものではなく、それは彼がその功徳を行った時、彼らにとって困難であるか簡単であるかによるのである。行い難いならば功徳は大きく、行い易いならば功徳は小さい。

だから、実は困苦の中、困窮の中にいる時こそ、正に大きな功徳を立てる機会である。なぜなら、あなたは困難な中にいてもやり遂げられるからこそ、はじめて真に大きな功徳を得ることができる。

皆はなぜこの機会を把握して、よくよく大きな功徳を立てないのか?

(點傳師は班員にどんな時に功徳を立てればよいのかを質問した)

 

師尊老大人曰く・・

どんな時でもよい。

 

師尊老大人・・

沢山の大富豪達が、あんなに多くの福の報いがあるのは、すべて自分がまだ貧しい時から善を行うことができ、積み重ねてきた福の報いで彼は長く享受することができるのである‥しかし、後の彼には貧しい機会もなくなり、彼にできることも自然と自分の心境によって小善小福しかできなくなってしまう・・逆に彼が罪と業を造る機会を多くさせてしまい、これは実に人として生きて行く過程の中でとても簡単に墜落する一種の現象である。

ゆえに、真に修道者は、簡単なことを求めず反って困難を求めるべきであり、すなわち自ら成就できることを願うならば、はじめてこのようにできる。皆今後は一緒に努力しましょう、好いか?(はい)

続く


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天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (3)観音菩薩(かんのんぼさつ)の證道(しょうどう)

2022-12-07 19:00:45 | 天道推奨

(3)観音菩薩(かんのんぼさつ)の證道(しょうどう)

昔から天命ある天道は単独のまゝ聖者の間で伝承されていた。

たとえ、王者、権力者であっても奥玄(おうげん)を慕い求める以上は、その身を捨てねばなるまい。

私も例外ではなかった。

明師を尋ね得ることは実に容易ではなく、種々雑多の苦や魔の鍛錬を受けるものである。

資性(しせい)が如何に優れていても、生死の関門となる一竅(いっきょう:秘宝の一つ)を点受されないと霊光は被(かぶ)られたままで闇然(あんぜん)たるものである。

若し一度(ひとたび)、その妙戸(みょうこ)を開かれ、更に内攻外功を修めたならば、自在の菩薩性を観じ得て聖賢に証することができよう。

道は貴(とうと)く、理は真にして法門は二つとなく、偉大なる天命は天地を貫徹(つらぬ)き、王者聖者の間だけに道統(道等)が継がれていた。

今日まで経過すること六万余年、白陽の時勢と変わり、普遍済度(ふへんさいど)の機会に恵まれたが、惜(おし)むらくは殆んど世の仮相に惑わされて真道を誤まり、魚の目玉を真珠と混同してしまったようである。

色声(しきしょう)は人を迷わすことが酷(ひ土)く、世道人倫を顚覆(てんぷく)し、道徳礼教を滅ぼす程である。

正に殺気が天を冲(ちゅう)しているが、この現象は人を加害して己に利した寃(あだ)の報いによる。

憐(あわ)れにも罪なき原子等(もとのこら)は恐惶(きょうこう)不安の状態である。

老〇(ラウム)は善悪・玉石(ぎょくせき)が共に焼却されるのを見るに忍びず、天道を降してすべての霊を苦厄から解いて浄土へ度(すく)い還そうとしていられるのである。

(詩)大いなる眠りに落ちている人々の中から賢良を呼び起こす。

   真なる宗旨は二つとなし。

   海の波浪(なみ)は風強きによりて起こり、劫(わざわ)い

   は貪恋(むさぼり)に由りて変わる。

   本性を観透(みとお)せば虚(むな)しき景色を識(し)

   れ。

   恰(あたか)も水に映(うつ)る月、鏡に映る花の如し、

   音韻(音韻)、調律(ちょうりつ)は人を苦の坑(あな)に

   顚(おと)すが道は理天へ引(みちび)いて回(かえ)る。

  (後略)


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