にこにこ日記

原因不明の病気で寝たきりの長女ののこ、8歳年下の次女ニコ。二人の娘の成長、毎日の小さな小さな喜びを書き留めています。

おとやん乱入 ニコニコ日記番外編 2014東京ディズニーランド紀行 ののこが空を飛んだ

2016-03-01 12:08:07 | おとやん
おかやんです。
自分のブログなのに、
わざわざ名乗らなければならない事態に、少々ストレスを感じつつ・・・。
卒業まであとわずかになり、再びこれの原因であるおとやんが
「どうしても修学旅行について、一言書きたい」と言い出しました。

しかたないなぁ~、と書かせていたら、止まらなくなったらしい。

一応UPします。

長いです。

読むのに時間が掛かります。

忙しい人は読まない方がいいです。

しかも、これでまだ半分だって・・・・信じられない(全然一言じゃないし)

では、お時間のある方、どうぞ~ ※文章中登場人物名が一部仮名となっております 


                       ○


あと数日で、のの子は養護学校高等部訪問学級の卒業式を迎える。

学生生活にピリオドを打ち、社会人の仲間入りとなる。

この十二年間で我が家の最大のハイライトは、のの子が高校二年生の時修学旅行で訪れた東京ディズニーランドの思い出に尽きる。

卒業の記念に、そのときのことを書き留めておこうと思う。


                       ○


《9月2日 火曜日 出発前日》

出発が間近に迫っても、妻の準備は遅れていた。

開け放したスーツケースとバッグ類。

着替えの服の山、介護に欠かせない何十枚のタオルとボックスティッシュ―、大量のくすり、ポータブルタイプの医療機器などなど。

荷物の海に囲まれて、妻は和室の畳の上にへたり込む。

「考えることが多すぎる。準備がどこまで進んでいるのか、全然わからなくなってきた。緊張で気分が悪くなりそう…」

一方、私の準備はほぼ整いつつあった。

新しい下着を買った。新しい歯ブラシを買った。散髪をした。爪を切った。携帯電話を充電した。アパートの廊下と階段を掃除した。神社へ願掛けに行った。墓参りをして道中の無事を祈った。インターネットで羽田空港人気お土産ランキングをチェックした。ここひと月、肌身離さず愛読書にしてきたディズニーランド・パーフェクトガイドを丹念に読み返した。

えーと、それから、それから…。

テレビのデータチャンネルで、東京方面の天気予報を確認した。

むこう三日間の空模様は、晴れか曇り。最高気温28度。

台風も来ない。雨も降らない。この時期の東京にしては、涼しいくらいの気温。

神様に感謝した。ご先祖様に感謝した。家族の健康に感謝した。太陽に感謝し、山にも空にも感謝した。

あらゆるものに感謝を捧げ、感謝のしすぎで、なんだか少々「感謝疲れ」を起こしてしまった。


                        ○

《9月3日 水曜日 第一日目》

4時30分起床。

さっとカーテンを開く。

夜明け前の空は、まだ暗い。

飛行機の出発時刻やら、うちから空港までの距離やら、のの子が家を出るまでに要する時間やらを逆算すると、遅くとも、これくらいの時間に動き出す必要があった。

慌てず騒がず最後の荷造りと積み込みを終えて、私と妻とふたりの娘、家族四人ワゴン車に乗車完了。

(六月にブラジルで開催されたワールド杯のように)遅れに遅れていた妻の準備も、最後で何とか間に合った。

6時40分、アパート発。

峠を越えて、隣り町のセブンイレブンに立ち寄りパンとコーヒーの朝食。

私はクロワッサン、妻はクリームフランス、次女のニコ(このとき小三)は揚げパンホイップ。

のの子はラコール(パンではありません、経腸栄養剤です)。

車中、バウムクーヘンとチョコチップメロンパンを、みんなで分けながら食べる。

国道39号線を西へとひた走る。空港まで、あと一息だ。

「気をつけて!」

妻が鋭く叫んで、反対車線を指さす。

覆面パトカーが、通勤途中の車をスピード違反で捕まえていた。

「危ない、危ない」少しドキリとする。

「気をつけてよ。それでなくても遅れ気味なんだから。捕まったりしたら、絶対間に合わなくなる」

妻が注意を促す。

「反対車線だから大丈夫だよ」私は落ち着いた声で、浮足立つ妻をなだめた。

この程度で動じる私ではない。

その5分後。

背後からいきなりサイレンの音。そして、スピーカーの声。「前の車、止まりなさい!」

一瞬心臓が凍りつく。

いつの間にUターンしていたのか、先ほどの覆面パトカーが、隣り車線からスーッと私たちの車を追い抜いていった。

幸い、「前の車」は私たちのワゴンではなかったようだ。

危ない、危ない。

私の背中を、冷たい汗が一滴流れ落ちる。


                       ○


10分遅れで、空港に到着。

二階出発ロビーで、養護学校高等部二年、修学旅行チームに合流する。

車椅子の集団が銀輪を光らせて居並ぶ光景は、壮観ですらある。

北原先生(ベテランの男性教員)が、笑顔で私たち家族に駆け寄る。

「良かったですね、お父さん、お母さん。東京もいい天気みたいです。気温も旭川と変わらない。あまり暑くないようです。ほら、見てください。生徒たち十人全員揃っています。誰も風邪をひいていません。これはキセキです!」

いつも親父ギャグで周囲の空気を凍りつかせている北原先生が、泣き出しそうな顔で笑っている。

今日の無事を手放しで喜んでくれている先生がいることを、親として嬉しく思った。

搭乗前にトイレへ行こうとしたとき、都会から来たらしい女子三人組の観光客とすれ違った。

初めて見る(?)地方空港の風景に興奮しながら、彼女たちが口々に叫んでいる。

「わあ、自然え~ん」「凄っごい自然!」「自然、自然!!」

彼女たちの目の前に広がる滑走路を、美しい緑が取り囲んでいる。

 
                        ○

日本航空1100便、10時15分発羽田行。

東京へ行くのが学生時代以来27年ぶりならば、飛行機に乗るのも18年ぶり。

という次第で、いまどきの飛行機の乗り方がよくわからない。

最後に飛行機に乗ったのは携帯電話もパソコンもなかった時代だし、デジタルという言葉も社会で一般的に使われだす前のことだった。

「ヒコーキに上手く乗る自信がないのだけれど…」こっそり妻に打ち明けたが、

「私は娘二人の世話でいっぱいいっぱいだから、自分のことは自分で何とかしてください」ぴしゃりと突き放された。

金属探知機のゲートを通過する。

順番がひとつ前の乗客を仔細に観察してみると、携帯電話、車の鍵、家の鍵、財布を別トレーに乗せて迂回通過させている。

よし、わかったぞ。この人と同じことをすればいいのだ。

私は荷物でぱんぱんに膨れたリュックサックを降ろし、中身をがさがさ漁って、どうにか携帯電話等々を取り出した。

「なんで、財布なんだろう?」後ろに並ぶ妻に訊ねる。

「カードが入っているからでしょう」

「なるほど。磁気でデータが狂ったりしないためか」

「小学生の社会見学じゃないんだから、早く行ってよ」妻が私を急かす。

金属探知機を通過したあと、係官がリュックに入れてあったペットボトルを調べ始める。

彼らがキャップを取って匂いを確認するにいたっては、いよいよ驚いた。

液化させた危険物の、機内への持ち込みを阻止するためであろうか。

いちいち感心させられることばかり。

確かに、これじゃあ小学生の社会見学だ。

そして、搭乗ゲートにたどり着く。

これから私たちを乗せて東京へ飛び立つ旅客機が、ガラスの向こうに待機している。

白い機体と広げた翼が、初秋の陽光を受けまぶしく輝いている。


                        ○


10時前、一般客よりひとあし早く、養護学校御一行様の搭乗が始まった。

機体入口ぎりぎりまで、のの子の乗ったバギーを押して行き、最後はオーロラ姫のように抱き上げて座席へ運ぶ。

生徒十人の中で最も障害の重い長女と付き添いの妻にだけは、プラス千円でアップグレードした「ゆったりJシート」があてがわれる。

そのJシートの上に、のの子の姿勢を保持するため、普段は乗用車に使用しているカーシートを二重がさねに備え付ける。

「どっこいしょ」

特別仕様シート・オン・シートの上に、のの子を抱え降ろす。

これにて、のの子搭乗無事完了。

私はニコの手を引いて、後部のエコノミークラスに向かう。

 
                         ○


飛行機は嫌いだ。

許してもらえるなら、一生乗らずに済ませたい。

私にとって、飛行機に乗ることは罰ゲームみたいなものである。

定刻を二十分ほど遅れて、私たちが乗った飛行機は羽田へ飛び立った。

北国の大地や畑が、眼下に遠く離れていく。

「どんなに足を伸ばしてみても、もうあの地面には触れられないのか」

そう考えるだけで、腰が抜けたように下半身に力が入らなくなる。

重力に従って魂は下へ留どまろうとしているのに、肉体は無理やり空へと引き上げられる。

この感覚が、たまらなく嫌だ。

隣り座席のニコを見た。

もちろん、彼女は飛行機初体験である。

なぜか、楽しそうにけらけら笑っているではないか(!)。

ニコは母親似であるということが、よくわかった。

                         ○

飛行機は無事羽田に到着。

私たちはJTBの佐伯添乗員に連れられ、空港第一ビル二階和食レストラン「新大和」にて昼食をとった。

総勢三十名近い団体なので、奥まった場所が予約席として準備されている。

テーブルに着くと、空港ビル内を行き交う人々がガラス越しに見えた。

のの子の同級生に自力で食事の出来る生徒は一人もいないので、先生方がマンツーマンで対応し、キッチン鋏を使って食材を細かく切り分けながら生徒の口へ運ぶ。

生徒の食事を介助する合間を縫って、先生方は慌ただしく自分の料理をかき込むように食べる。

作業ひとつひとつに手間がかかるせいで、スケジュールは着々と遅れていく。

養護学校の修学旅行は、時間との戦いだ。

「あと10分、いえ、15分ほど出発が遅れると思います…」

駐車場で待機する観光バスに、謝罪の電話を入れる佐伯添乗員の顔色がみるみる蒼くなっていく。

妻の昼食は、先生や生徒と同じ団体メニューの幕の内弁当。

個人旅行扱いの私とニコは、それぞれ、かき揚げうどんとお子さま御膳を注文する。

細いながらコシのある麺、サクサクしたかき揚げが濃いめのだしに程良くからみあう。

「ねえ、ひとくち頂戴」

私の大事な大事なかき揚げを狙って、妻がするすると箸を伸ばしてくるや、否も応もなく、むしり取るように奪い去られてしまった。

「おや、お父さんはソバをお召し上がりですね。ソバだけに、そばで見せてもらってもいいですか」

食事の介助で忙しい中、北原先生が得意の駄洒落ですり寄ってくる。

養護学校の宿泊行事に初参加で、緊張気味の私を気遣ってくださるのは有難いのですが、よくご覧になってください。

これはソバではなくうどんなのですよ、北原先生。


                       ○

昼食後、空港駐車場にて、貸切観光バスに乗車。

「良かったねえ、ののちゃん」のの子担当の藤野先生(若手の女性教員)が、長女の手を握り笑顔で語りかける。

「そんなに暑くないよ。旭川とあまり変わらないくらいだよ」

ヒートアイランド熱風地獄を覚悟して東京へ乗り込んできた私たちであったが、予想外の快適さに、のの子の表情も穏やかだ。

生徒たちは一人ずつ車椅子のまま電動昇降機でリフトアップされ、後ろ扉からバスに乗車していく。

修学旅行中、バスに乗り降りする都度、同様の手順が繰り返された。

「あの運転手さん、カッコイイわあ」順番待ちをしながら、妻がつぶやく。

後ろ扉で生徒たちを待ち受ける運転手が、素早く車内で車椅子の位置を決め、前輪と後輪にフックを掛け、微動だにしないよう固定していく。

短躯で筋肉質。運転手は短く刈り上げた額からしたたり落ちるる汗を、首から下げたタオルでごしごし拭っている。

弱きを助け、正義を貫く。

働く親父の逞しい背中に、感情過多の妻が目を潤ませる。

旅のあいだお世話になった運転手の仕事ぶりは誰もみな、この方のようにとても誠実で頼もしいものでした。

空港駐車場から、最初の目的地「お台場」へ向け出発。

私たちを乗せたバスは巧みに車線変更を繰り返し、高速道路のゲートを通過、流れに乗った回遊魚のようにすいすいと走った。

道の上に道が造られ、前方ではさらにその上を斜め後ろから来たもう一本の道が立体に交差していく。

車窓から見えるのは、ゲームの世界に迷い込んだかのような風景である。

「さっすが、東京の高速道路はレベルが違うわ」妻が目を瞠って感心する。

「建設工学の勝利だ。同じ日本とは思えない…」私もうなずく。

空港の広さ、利用客の多さ、洗練を極めた店舗のデザイン、車線の数、交通量、立体的幾何学模様を描く高速道路網…。

世界に冠たるメトロポリス東京は、決してお上りさんを裏切らない。


                         ○

ガイドブックによると、お台場はいま、首都圏でもっともホットな注目を集めているスポットなのだとか。

(たぶん)人生最初で最後のお台場だから、話題の商業施設を見て回りたい欲はあったものの、今回コースに組み入れられているのはフジテレビ本社見学のみ。

バスを降りて、まず目を魅かれたのが、九月の空をバックに円形のスカイラインを描くカラフルな観覧車と、頭上数十センチから通行人を冷徹に見下ろす銀色の監視カメラ。

海が近いせいか、涼しい風が勢いよく吹いている。

本社ビルに入る。

広々した入口ホールの天井から二、三十メートルくらいありそうなドラマの宣伝広告が、何枚も吊り下がっている。

そのセンターにあるのは、キムタクが型破りな検事を演じる人気ドラマのメガポスター。

非の打ち所のない二枚ぶりに、バギーの上でのの子がにたりと笑み崩れる。

佐伯添乗員に導かれ、エレベーターで天空二十五階球形展望室(通称はちたま)へ。

長女と次女を、ふたり並べて記念撮影。

眼下に東京湾とベイブリッジ、遠くにスカイツリーが霞んで見える。

ほんとに、いい天気で良かった。

ひとつ下の階にくだって、朝の情報番組のスタジオ見学。

「めざましテレビ」というタイトルなら耳にしたことはあるが、うちの朝はラジオ党だから番組を見た記憶はない。

エレベーターで、再び地上へ戻る。

「おお、『アナと雪の女王』がいるぞぉ!」先生の一人が指をさす。

すぐそばの階段広場で、数名のTVスタッフが、アニメーション映画のヒロインに扮したブロンドのタレントをモデルに、丁度ビデオ撮影を行っていた。

養護学校一行から「わっ」と歓声が上がる。

さて東京滞在中、「アナ雪」の次はどんな有名人に会えるだろう。

キャリー・パミュパミュ? 嵐? エグザイル? それとも、マツコデラックス?


                          ○


私たちが投宿したのは東京ベイ舞浜ホテルといって、外観はうすい茶色で楕円形をしたのっぽの建物だった。

ここはディズニーリゾートのオフィシャルホテルで、シャトルバスとモノレールを乗り継げば15分くらいでディズニーランドまで行けるのだとか。

一団ぞろぞろ正面玄関から中へ入る。

ホテル内部は、すとんと真ん中が天井まで吹き抜けの設計になっていて、アトリウム様式のガラス窓から自然光が降り注いでいる。

明るく開放的な雰囲気に、心が浮き立つ。

一階中央フロアはまるごと広いレストランになっていて、各テーブルに開いたパラソルがずらずらっと並んでいる。

屋内なのになんでパラソル? なんて、野暮を言ってはいけない。

素敵なものは、素敵なのだ。

うちの家族には四階の二部屋が割り当てられ、藤野先生、妻、のの子チームと、ニコ、私チームに別れる。

旅装を解いて窓辺に立つと、道路沿いに街路樹の椰子の木が見えた。

ひょろりと背を伸ばした先っぽで、緑の葉がさわさわと潮風に揺れている。

いまから五十時間、夢の王国の市民でいるあいだ、このホテルが私たちのベースキャンプとなるのだ。



                         ○

夕食後、妻から単独行動の許可を得た。

「是非何か記憶に残ることを」と考え、スカイツリー探訪の小冒険を試みることにした(特に、珍しくもないか…)。

ホテルからJR舞浜駅まで、夜道を小走りに駆け出す。

駅舎で慎重に進行方向を見定め、ホームに滑り込んできた電車に乗る。

早速、妻にメールを送信。「東京駅に向かってます、ナウ」。

東京駅で下車。

迷路のような駅地下道を、直観と案内表示だけを頼りに進撃する。

それからは、乗る→降りる→迷う→考える→走る、の繰り返し。

次第に、私の中で二十年眠っていたバックパッカーの血がザワザワ騒ぎ出す。

逐次、メールで妻に現在位置を知らせる。

「上野駅に向かってます、ナウ」。「浅草駅に向かってます、ナウ」。

浅草駅の改札を抜け地表に出ると、夜空にぽっかり上弦の月が浮かんでいた。

吾妻橋の袂から、かの有名な筋斗雲のオブジェがライトに照らされ金色に輝いて見えた。

橋の下、隅田川がネオンサインを映してゆるゆる流れている。

少し歩いたところで、雑居ビルの谷間に淡く青い光を滲ませるスカイツリーを発見。

すでにホテルを出てから一時間余りを経過していたので、冒険はここで終了。

ツリーの写メを一枚妻に送信して、私は踵を返した。

ルートを逆にたどるだけなのだから帰路は簡単、のはずだった。

実際、舞浜駅に戻るまで、何の支障もなく事はスムーズに運んだ。

ところが、駅からホテルまで近道しようとして道に迷い、あろうことか、知らないうちにホテルを通り過ぎてしまい、さらにホテルとは逆方向にがむしゃらに進んでしまい、最後はUターンして大汗をかきかきホテルに帰り着いたものの、時刻は裕に10時を過ぎていた。

急ぎエレベーターで四階へ上がり、こってり叱られることを覚悟で、恐る恐る妻たちがいる部屋のドアをノックした。

娘の修学旅行に同行していながら、保護者として節度に欠ける行動をとってしまったのだから、どんなになじられても私に返す言葉はない。

しかし意外なことに「あら、お帰りなさい」と、妻は予想外の上機嫌な笑顔で私を迎えてくれた。

そればかりか、帰りが遅れた事情を説明すると、「大変だったわね。無事に帰って来られて良かったじゃない」と、労りの言葉まで掛けてもらえた。

ちょっと拍子抜けの気分。

さすが、ここは魔法の国だ。

ベッドの上では、のの子と並んでニコが寝息を立てていた。

寂しがり屋で甘えん坊の次女は、藤野先生にすっかり懐いて「ニコもここで寝る」と、さっさとベッドにもぐり込んでしまったらしい。

「ということは、隣の部屋を俺が一人で使っても良いということかい?」

「どうぞ、ご自由に」

「そいつは、有難てぇ」

立派なダブルルームを独占できる贅沢に、私の頬が思わず緩む。

何から何までお世話になります、藤野先生。


                          ○

一日目の夜は、しっかりと熟睡しておきたかった。

心地良いベッドの上で仰向けになり、眠気が訪れるのをひたすら待ってみたが、今日一日、強い刺激を受け続けた脳細胞の興奮がいつまでたっても静まらない。

「これって拙いかも」

部屋の中を歩き回ったり、柔軟体操をしたり、海の上で点滅する赤や黄色の照明を窓から眺めてみたり…。

思いつく限りのことをひと通り試してみたが、一向に事態は改善されない。

結局、まぶたが重くなることはなく、ほとんど一睡もしないうちに舞浜の空が白み始めた。



















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