にこにこ日記

原因不明の病気で寝たきりの長女ののこ、8歳年下の次女ニコ。二人の娘の成長、毎日の小さな小さな喜びを書き留めています。

お父やん乱入 ニコニコ日記番外編 父娘二人関西聖地巡礼弾丸苦行旅

2017-04-14 13:38:12 | おとやん
ニコが小学校の高学年に上がったら、京都や奈良の寺社めぐり、仏像めぐりをしてみたいものだ。

ずうっと以前から、そう思っていた。

そしてこの春、ニコが六年生に進級するタイミングで、念願を叶える機会がやって来た。

時は三月末、ぼちぼち桜の開花時期。 旅程は四泊五日。

「五日間くらいなら、ちょうど良いんじゃない? 私は家でのの子と、まったりお留守番してるから」

大河ドラマは欠かさず視聴しているわりに、寺社めぐりには関心がうすい妻からも、快い承諾を取り付けた。

旭川発、名古屋着。 名古屋から新幹線で京都に乗り入れる。

行きの飛行機は午後の便。 帰りの飛行機は十二時半の便だから、午前中にセントレア空港到着が必須。

つまり、初日と最終日に関し、観光に充てる時間はない。

左右両端を切り落とすと、父娘に与えられる猶予は実質三日、七十二時間。

計画はコンパクトで整理の行き届いたものでなければならない。

行きたい寺、見たい仏像、訪れたい店、食したい名物…。

リサーチを重ねるにつれ、それらはどんどん増殖していく一方。

まいった、まいった。

泣く泣く、訪問箇所を最小限度に留めたプラン作りを目指すことにした。


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京都、奈良では仏様の尊顔を拝するにあたり、テーマを四つに絞り込んで訪ねる寺を選んでみた。

一、 千一体の仏像が雲霞のごとく群集する寺。

一、 慈悲深い微笑みをたたえた、もっとも美しい仏様のいらっしゃる寺。

一、 もっとも大きな仏様の鎮座する寺。

一、 もっとも人気のある仏様のおわす寺。

その他、古都観光に欠かせない名刹や神社をいくつか組み入れる。

テーマを絞り込むことにより、仏像や寺院のイメージが無秩序に混ざり合うことなく、娘の記憶の小部屋

に首尾よく収まることを父は願った。


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そして、完璧な計画が出来上がった。

と思いきや、「絶対、ミニマリズムに徹するのだ」という涙の誓いは、私の些細な気まぐれによって、

いとも容易く打ち破られることになった。

関西の地図を眺めているうちに、どうしても私は、伊勢神宮に足を伸ばしてみたくなったのだ。

二日目、三日目は京都観光。 四日目は京都から奈良、奈良から伊勢神宮へ移動を試みる。

そう公表したら、

「そんなん絶対無理やでぇ。 止めときぃ。 ニコちゃんが可哀そうやわ」

関西の知人の多くは、声を揃えて反対した。

でも、行ってみたいんだよなあ伊勢神宮。

生まれてこのかた、一度も参拝したことがないし…。

この旅で思い切らなければ、世にいう「お伊勢参り」なるものを経験することなしに人生終わってしまいそうだしな…。

みんなが反対の声を上げるなか、ただ一人私を応援してくれる人が現れた。

妻の妹である。

「さすが、お義兄さん。ニコと伊勢神宮に行くなんて凄いっ! 私もいつか絶対行きたいと思っているんです。しっかり、見て来てください」

ありがとう。 ちゃんと分かってくれる人がいたんだ。 

全方位逆風、四面楚歌の状況にあって、義妹の援軍は涙が出るほど(というのは大仰だが)嬉しかった。

「ほら、伊勢神宮ってあれですよね? 海の中に、赤い鳥居が立っているあの神社でしょ?」

えっ…。 思わず、私は絶句した。

伊勢神宮のロケーションは、海の中というよりむしろ、森の中である。

海の中の赤い鳥居? なんかそれって、違うんでないかい?

義妹よ。 君が言っているのは、恐らく厳島神社のことではないか。

厳島神社は広島県にある平家ゆかりの神社であって、伊勢神宮とは全く別物であるぞっ。

たった一日で、京都~奈良~広島…。

そんなの、絶対あり得ませんからっ!


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3月26日 日曜日。

14時50分旭川発、名古屋空港行き 全日空326便。

初めて座る窓側のシートに興奮を隠せず、ニコはずっとガラス窓に額を押し付けるような格好で、翼の下に広がる雲のじゅうたんに目を奪われている。

飛行機が安定姿勢に入り、キャビンアテンダントの柔らかな声で機内放送が流れる。

「本日は強い向かい風の為、当機の名古屋空港到着時刻は定刻より10分程度遅れ、16時55分になる

予定です。お急ぎのご乗客の皆さまには、大変ご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。

今後ともクルー一同、安全な飛行に務めてまいりますので…」

一瞬、自分の耳を疑いそうになった。

飛行機って、向かい風で遅れてしまうものなんだ。

なんだか、自転車通学の女子高生みたいですね。

乱気流や雷の影響を受けるというなら話はよく分かるけれど、ちょっと驚きました。

巨大な鉄の塊、空の支配者と思っていただけに、少し微笑ましい気分にもなった。

名古屋空港の天気は雨。

水しぶきを上げて、着陸滑走路に車輪が停止する。

雨に加えて、風が強い。それに寒い。北海道と全然変わらない。

日中は汗ばむくらいの陽気という話を聞いていたのに、一体これは何たることか。

結果、旅行中の五日間、末端冷え性の私は、関西地方を覆った想定外の寒の戻りに悩まされ続けることになってしまった。


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3月27日 月曜日、旅行二日目。

伏見稲荷大社(朱塗りの千本稲荷で有名)、清水寺(只今、平成の大修理真っ最中)、三十三間堂(横に

長いお堂に千一体の観音菩薩がどどどっと居並ぶ)、平安神宮(明治時代建立の平安京の巨大レプリカ)

などを見て回る。

3月28日 火曜日、旅行三日目。

天龍寺(嵐山を借景とした庭園が明媚な世界遺産)、竹林の小径、渡月橋、広隆寺(美しい弥勒菩薩像、

慈愛に満ちたアルカイックスマイルと四十年ぶりの再会)、北野天満宮(今年受験生の従姉の合格を祈

願)、鹿苑寺金閣(ここは注釈不要だな)を訪ねたあと、夕方から祇園周辺でお土産を買う。

この二日間に食べたものは、お好み焼き、タコ焼き、天とじ丼、親子丼、栗ういろう、あぶり餅、抹茶パフェ等々。

たいてい一人分だけ注文して、父娘でシェアするようにしたので、食事代はずいぶん安くあがった。

一人旅とは異なり、こうして道連れのいる旅行は、少しずつ品数を多く食べられるから良い。

市内の移動は、ほぼ百パーセント、市バスを利用した。

一日乗り放題のフリーパスがたったの五百円(しかも、子供はその半額である)。

バスの路線は、何十種もの系統が複雑に入り組んでいるが、乗り慣れてしまえば一日パスは非常に安価で便利。

訪れた寺院の中で、娘の感性をもっとも強く揺さぶったのは、やはり金閣寺だった。

さすが、日本政治史上屈指のリーダー足利義満公ですな。

それまで仏像を拝んでも、庭園を歩いても、

「お父やんがヨロコブから、ちょっと関心があるような素振りを示しておこうかしらん」的な態度でいた

ニコの表情が、金閣寺を目の前にしたその瞬間だけは明らかに違った。

照明灯のワット数を、一気に二倍に切り替えたくらいパッと輝くような笑顔になった。

「お父やん。こっ、これが本物の金色だったんだね…」しみじみ唸るような声でニコは言った。

「今までニコが見てたのと、全えーん然同じじゃない。これは、折り紙の金色とまるで違うわ」





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京都滞在中の三泊は、先輩のアパートに逗留させてもらった。

宿代が浮いたのは助かったけれど、先輩宅には火の気がなく、部屋の寒さにはほとほと参った。

五度を下回る外気と、室内温度にほとんど差がないというのは、末端冷え性の私に何ともつらい環境であった。

「窓でも開いているのかな?」と思い、立ち上がって確認してみたが、しっかりロックが掛かっているの

を見て、愕然とするほどだった。

一方、若さ溌溂のニコは、この状況にタフに適応していた。

その三日間、父娘連れ立ち、カタカタ石けんを鳴らしながら、歩いて十五分の距離にある銭湯に通った。

そして、昔のフォークソングで歌われるように、洗い髪が芯まで冷える寒さにぶるぶる震えた。

ひと組の手袋、一枚の上着さえあれば、このような目に遭わずに済んだものを…。

ジャケットも手袋も、北海道を発つとき、ご丁寧にも空港駐車場に止めた車の中に置いてきてしまっていた。

痛恨のミスである。

先輩のアパートのそばには、神田川ではなく賀茂川が、ゆるゆると流れていた。




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3月29日 水曜日、旅行四日目。

この日の朝が旅の最大の山場になることは、初めから覚悟していた。

早朝に京都を出て、午前中、奈良を観光し、昼過ぎに伊勢へ入る。

弾丸計画を消化するためには、先輩宅から徒歩二十分、最寄りの北大路駅5時56分発の地下鉄に乗車しなければならない。

北大路駅5時56分発の地下鉄に乗るためには、アドバンテージを見込んで、5時15分頃に先輩宅をチェックアウトしなければならない。

5時15分頃に先輩宅をチェックアウトするためには、4時45分頃に起きなければならない。

私はそれで良いが(自業自得)、問題はニコである。

彼女は、父親に押し付けられた無理難題をクリア出来るのか?

結果は、「案ずるより産むがやすし」でした。

その朝、掛け布団の上から手をかけ、軽く肩を揺すっただけで、ニコは素直に目を覚ましてくれたのである。

旅の疲れ、部屋の寒さ。

二重苦にめげる様子もなく、もぞもぞと布団から這い出し、黙々と服を着替え、5時過ぎには出発の支度を抜かりなく整えてくれた。

どうか皆さん、この健気なうちの娘を誉めてやってください。

感謝の言葉を記したメモを残し、眠っている先輩を起こさないよう、そっとアパートの外へ出る。

夜明けには、まだ早い。

荷物の大半を私が担ぎ、下町を抜け、一路、地下鉄の駅を目指す。

古都の空に煌めく星は、心なしか雅な光を帯びているように見えた。

次の通りで、かぐや姫とすれ違ったとしても、その時の私ならば、少しもふしぎに思わなかったかもしれない。

空気は肌を刺すくらい冷たかったけれど、二人は余裕綽々、意気揚々と歩を進めた。

しかし、余裕は慢心を生み、慢心は油断へと姿を変えていることに、私はまだ気づいていなかった。

「お父やん。ちょっと、来すぎたんじゃない?」

立ち止まったニコが、振り返って言った。

そのとき私は、本来西へ折れるべき曲がり角を遥かに通り越し、自分たちの現在位置を完全に見失ってし

まっていることを自覚し、激しく狼狽した。

「やっ、やべ~えっ」

唯一明かりの灯っていた新聞販売店に駈け込んで、駅までのおおよその行き方を教わり、広い通りに出て

からもう一度、コンビニのカウンターにいたお兄さんに道を尋ね直し、「まだか、まだなのか?」やっと

の思いで北大路駅にたどり着いたときには、アドバンテージの時間をすべて使い果たしていた。

下り階段の最後の一段を降り切って、ホームに行き着いたまさにそのとき、シルバーの車輛が風を起こし

て、私たちの目の前に滑り込んできた。

ぎりぎり、セーフ。

一旦地下鉄で京都駅に出てから、近鉄の急行列車に乗り換え、奈良へ向かった。

人心地着いたところで、地図を開いた。

先輩宅を出たあと、大きく南へ行き過ぎ、慌てて北東の方角へ軌道修正していたことが改めて分かった。

つまり私たちは、片仮名の「レ」の字をなぞるように目的地まで、相当無駄な遠回りしていたということ

になる。

こうして、予定の列車を捕まえられたことが、小さな奇跡であるかのように思えてきた。

隣からニコが話しかけてきた。

「さっき会ったセブンイレブンの男の人さぁ、なんか星野源君に似ていたよね?」

さあ、どうであったか。あまりにも慌てていたので、親切に道を教えてくれた彼の顔が、よく思い出せない。

「星野源? そういえば、そんな感じだったかもな…」

そのとき私は、ふと心に浮かんだことを口にした。

「新聞屋のオジサンにしても、セブンの星野源君にしても、お父やんとニコが困ってるのを見かねて、 

菩薩さまが姿を変えて助けに来てくれたんだよ、きっと」


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7時07分、近鉄奈良駅着。

駅近くのアーケード街にあったサンマルクカフェに入り、カフェラテとココアを飲んで暖を取ってから、

東大寺で奈良の大仏様と二月堂、興福寺で阿修羅像を拝観。

奈良公園にて鹿に煎餅を与える(150円)。  

鹿煎餅は、出発前からニコがもっとも楽しみにしていたイベントのひとつ。

ニコの頭の中には、子ヤギと戯れるハイジのような親密なイメージが出来ていたと思われるが、現実はア

ニメのように素敵に展開するという訳にいかなかった。

屋台のオバサンから煎餅を買うやいなや、哀れな我が娘は、カツアゲに来た不良グループのように周りを

ぐるりと五、六頭の鹿に取り囲まれ、ほとんど力ずくで煎餅を奪われそうになるわ、上着の袖を甘噛みさ

れるわ、リュックの紐を食いちぎられそうになるわ、濡れた鼻先でお尻をツンツンつつかれるわ…、

散々な目に遭い「もういい、もういい」と半べそをかきながら、煎餅を手に逃げ回る羽目になってしまった。




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奈良滞在は四時間で終了。

11時16分発のJRで(途中、桜井駅で近鉄急行に乗り換え)、伊勢市を目指す。

田圃やら、背の低い山やら、のどかな田園風景を車窓に眺めなら県境を越える。

13時36分、伊勢市駅に到着。

妻がネット予約してくれた、駅すぐそばのビジネスタイプのホテルへ行く。

まだ時間前ということでチェックインは出来ず、荷物だけ預かってもらい早速、外宮(げくう)へ参拝に向かう(徒歩10分)。

本来、伊勢神宮とは大小百二十五ものお社から成る一大聖地の総称であるらしいが、私のような「お伊勢

さん初心者」の場合、広大な敷地面積と高い格式を備えた外宮と内宮(ないくう)のふたつを巡るのが、

ほどよい按配とされるようだ。

外宮と内宮は五Km離れていて、定期的にシャトルバスが走っている。

参拝の順序にも決まりがあって、先に外宮を参ってから、内宮を訪れるのが正式な手順とされるらしい。

まずは腹ごしらえという事情もあって、私とニコは外宮正面大鳥居の前で一礼だけ済ませ、シャトルバス

に乗って、「おはらい町・おかげ横丁」という名の、内宮の門前町へ向かった。




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おはらい町には、江戸の昔を彷彿させる瓦屋根の料理屋やみやげもの屋が、ずらりと軒を連ねている。

往来はあふれるほどの参拝客で賑わい、たいそうな活気に満ちている。

しかしニコは疲労の蓄積と空腹、今朝からの強行軍が祟って、とうとうここで電池切れ。

戸外に設えた茶屋の椅子席に腰掛けたまま、動けなくなってしまった。

ここからは、私の独擅場だった。

私は横町を駆け回り、巣で待つヒナに餌を運ぶ親鳥のように、食料を買い集めてはせっせとニコに届けた。

福まん(松阪牛の肉まん。客の目の前で白い湯気を立てて次から次へ蒸しあげられていく)、コロッケ

(さくさく)、おからドーナツ(これも、さくさく)、伊勢うどん(白い麺に濃口醤油の出汁、小口の刻

み葱がトッピングされているお伊勢参りの伝統的ファストフード)を、仲良く分け合った。

最後に、やわらかく粘っぱる出来立て赤福の旨さに感動のため息をつく頃には、暫定的充電も完了。

「よし、行くぞ」

ニコは笑顔で立ち上がり、また元気に歩き出した。




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私たちが内宮を訪れる頃には、ぼちぼち日も西に傾き、時刻は四時になろうとしていた。

正面の大鳥居をくぐり、俗世との結界線である宇治橋を渡る。

聖域に身を置いた途端、空気の透明度が一段階、増したように感じた。

目に映るものすべて美しかったが、樹齢五百年に及ぶという杉木立の凛とした気配に、私はもっとも心を動かされていた。

参拝客の流れに乗って、歩を進めていく。

穢れが洗い流されていく感覚、「六根清浄」という四文字熟語が脳裡に浮かぶ。

「『ろっこんしょうじょう』っていう言葉の意味、分かるかい?」私はニコに訊ねた。

「うん、わかるよ」しれっと、ニコが即答する。

何んだって? 分かるわけないだろ。嘘を言うんじゃありません。

知らないことは知らないと言える、素直な娘に育ってほしいと、常々父は思っているのです。 

「じゃあ、どういう意味よ?」

「キレイになるってことでしょ」

ん、まあ、確かに。キレイになるってことだけれど…。

「何が?」

「こころとか、体とか」

わ、分かってんじゃん…。

「知ってたの?」

うううんと、ニコは首を横に振る。

「聞いたことあったの?」

うううんと、ニコはまた首を横に振る。

「じゃあ、なんで分かったの?」

「なんとなく、そんな気がしたから」

なんとなく、そんな気がした? ええ! もしかして、うちの娘は天才?

凄いことを発見してしまいましたよ、天照大御神さま。

尚、さらにしばらく、凡父と神童は玉砂利を踏み、柏手を打ち、神殿に頭を下げ、木の幹に手のひらを押

し当て、ゆるりと内宮をめぐった。

参拝を終える頃には、うすい藍色が聖域の夕空を静かに染め上げていた。


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3月30日 木曜日、最終日。

私たちが泊まったホテルは、伊勢市駅にほど近く、価格は手頃で、小振りながら浴場は温泉で、朝はひと

り五百円でバイキングが食べれて…、実に申し分のない宿だった。

この日も私は早々にに起き出すと、泥のように眠るニコをホテルの部屋に残し、参拝開始時刻である

朝五時に合わせて外宮を参った。

まだ夜が明ける前の鬱蒼と暗い境内を、上下ジャージ姿の地元のウォーキングおじさん、私のような個人

旅行客、足元を懐中電灯で照らし、添乗員の説明を聞きながら進むツアーの人々らが訪れていた。

ピンと張り詰めた神聖な空気。厳粛で興味深い光景が、目の前に広がっていた。

旅も最終局面というのに、ここでも私は、またひとつミスを犯してしまった。

写真撮影などに気を取られて、うっかり境内にガイドブックを置き忘れたまま、ホテルに戻ってしまたのだ。

朝食後、そのことに気が付き、慌てて外宮へひとっ走り。

ガイドブックは、人に攫われることもなく、心当たりの場所で私を待ってくれていたものの、三十分近く

ロスタイムが発生。

そのせいで予定の列車に一本乗り遅れ、想定外の追加料金を払って、特急で名古屋へ向かうことになってしまった。

追加の特急料金 > ガイドブックの値段。

しかも、その差額510円也。

うーん…、ビミョウだ。外宮へ走った私の判断は、正しかったのだろうか?

それとも、ガイドブックは諦めて、予定の列車に乗るべきだったのだろうか?

みなさんは、どう思われますか。

そうは言っても、初めて体験する特急列車の旅は満足のいく、なかなか快適なものであった。

用意された指定席、緋色のふかふかシート、大幅な時間の短縮。

ちょっと贅沢な特急料金は、こういう形で乗客にフィードバックされるのである。




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以上が、今回の旅のあらましです。

そのあと、名古屋空港でお土産を買って、父と娘は14時15分に旭川空港に到着しました。

我が朝日町に戻って最初にしたのは、やはり、朝日神社へのお参り。

「帰って来ました」安着を報告し、旅行中、留守番チームが平穏な暮らしを送れたことへ謝意を伝えた。

ここは常住の神主さんも居ない閑寂な神社だけれど、私たちにとって、もっとも重要な聖地なのである。

最後に一言。

この文章を読まれたなかに、京都への旅行を計画されている方がいらっしゃいましたら、是非、伊勢神宮

もプランにお加えください。

朝の五時に宿を発てば、一日で奈良の大仏さん、阿修羅像、伊勢神宮をたっぷり見て回れますよ。

あともうひとつ、旅をするときの大切な注意事項をお教えしましょう。

向かい風の強い日にヒコーキに乗るときは、到着時刻が遅れることがありますのでお気を付けください。

くれぐれも、時間に余裕を持った行動を、おススメします。


































































































お父やん乱入 ニコニコ日記番外編  2014 東京ディズニーランド紀行・後編

2016-05-09 17:18:25 | おとやん
前回は、昼ご飯を食べたところまで書きました。

その続きです。

昼食後、藤野先生や他の生徒たちと別れて家族単位の単独行動に移った私たちは、トゥモローランドの劇場で行われるショー『ワンマンズ・ドリーム』を観に出かけた。

しかし、ここで計画に狂いが生じる。

ガイドブックによれば、収容人員1000人とあったので「会場に行けばすぐに入れるだろう」程度に、軽く考えていたのが失敗だった。

身近な感覚で1000人といえば、私が住む町の全人口の三分の二超に相当する数字である。

そうそう簡単に集まる人数ではないと踏んでいたが、私たちが訪れた開演15分前、会場はすでに満席であっさり入場を断られてしまった。

「次の公演は13時10分に始まります。できれば、12時半頃から劇場前にお並び頂きたいのですが…」

妻が担当のキャストから説明を受ける。

キャストの言葉使いは実に丁寧で物腰も柔らかいが、話の内容はまったくシビアだ。

つまりは、1時間後ここに戻って来てくれ。 そして30~40分並んでくれ。 そうしないとショーは観られないぞ、ということなのですね?

了解です。

我々、今日はいくらでも並ぶ覚悟は出来ています。 後ほどまた出直して参ります。



                        ○


1分たりとも、無駄にしたくはない。

その場で妻と協議。

指定の時間よりやや早いものの、最初の二枚のファストパスを利用して『プーさんのハニーハント』に入ることに決定した。

残念ながら、ディズニーランドのバリアフリー化は大幅に遅れている。

車椅子利用者で、自力で座位を取れないのの子が利用できるアトラクションは、ごく一部に限られている。

『プーさんの…』も、その例外ではない。

中へ入れない私とのの子は、屋外待機。

笑顔で手を振り、アトラクション内へ姿を消す妻とニコを見送る。

ニコよ、君にはハンディを負った姉の分も合わせて二人分、楽しんでくる義務と責任があるのだぞ。

目の前を行き交う人の群れをぼんやり眺めながら、のの子とふたりで、妻とニコの帰りを待つ。

大層な人出に思えるが、ピーク時は一日に七万人だか八万人だかを記録するというディズニーランド標準からすれば、これでも客足は少ないほうかもしれない。

ポップコーンを売るワゴンから、キャラメル風味の甘い匂いが漂って来る。

すぐ近くで聞こえる『世界はひとつ』のメロディー。

うすぼんやりした青い空。

食前に注入した薬が効いてきたのか、のの子がバギーの上でうつらうつら居眠りを始める。

私の目の前に広がるのは、いま地球上で「もっとも幸福な風景」のひとつかもしれないなあ。

ふと、そんなことを思う。

20分あまり待っていただろうか、アトラクション出口に妻とニコが姿を現した。

「おや?」

遠目なのではっきりと分からないが、ニコが左腕に何やらホワホワモコモコしたものを大事そうに抱きかかえている。

母娘が近づくにつれ、ホワホワモコモコの正体が明らかになる。

ニコがひしと胸に抱いているのは、プーさんのぬいぐるみでした。

アトラクションの出口近くに、みやげ物を売る小屋があって、あまりの可愛さに心惹かれたニコが何のためらいもなく、自分の財布に入っていた小遣いを全てはたいて買ったのだとか。

「これで、お前の好きなものを買って来い」

そう言って、北海道を発つ前、バアチャンから餞別にもらった虎の子の三千円は、朝日に当たった霜のように一瞬にして彼女の財布から跡形もなく消え去ったのでありました。



                         ○


ミッキーマウスが主役のミュージカル・ショー『ワンマンズ・ドリーム』に再びチャレンジ。

私とニコは、開演40分前から行列に加わる。

妻は、のの子の導尿のため、バギーを押してトイレへ向かう。

1時近くなって、行列の先頭がじわりじわりと動き出す。

入場案内が始まったようだ。

早々に並んだ甲斐あって、私とニコは、自由席の舞台正面ほぼ最前列に近い座席を確保することに成功した。

妻とのの子は、少し離れた車椅子専用席に案内される。

これから私たちが観るショー『ワンマンズ・ドリーム』には、正式には『ザ・マジック・リブズ・オン』という副題が添えられている。

超訳すれば「ウオルト・ディズニーの夢 ~魔法は永遠に~」という意味になるだろうか…。

ショーの内容は、まだ白黒映画時代のミッキーが初めてスクリーンに登場してから、ディズニー名作アニメのハイライトシーンを華麗な歌とダンスで辿るというもの。

ミニーマウスやドナルドダックはもちろんのこと、『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』等々に登場する王子様、お姫様、悪い魔女たちが、てんこ盛りになって次々ステージに現れる。

スーパー歌舞伎のようにピーターパンが空を舞い、松明(たいまつ)の形状をした発火装置から「ぶふわっ、ぶふわっ」と仕掛けの炎が噴き上がる。

その都度、熱波が観客に押し寄せる。

「空気が熱いよ! お父やん、本物の火だよ!」

焦がされてはたまらないとばかり、プーさんのぬいぐるみを胸に抱え込みながら、ニコが驚嘆の声をあげる。

至近距離なので、ダンサーの皆さんの化粧や汗がくっきりと見える。

余計なお世話と知りつつ、化粧崩れしないものかと気にかかる。

「ファンタスティック!」 というより、リアリスティック…。



                         ○



ショータイムが終わった時点で、次はスイーツタイム。

(我が家のスイーツ番長である妻が、ガイドブックによる事前学習で熟慮の結果「これでいきましょう」と決断を下した) 「ティポトルタ」という名前の菓子を売るワゴンを探して歩く。

ティポトルタとは、クリームをかりかりのパイ生地でロールした人気の一品で、夏季限定で冷製クリームの入っているバージョンがお勧めであると、攻略本に説明があった。

耐えられない暑さではないが、今日の気温はおよそ25℃ほど。

さっぱり冷たい味覚で、口の中からクールダウンするのも悪くない。

探していたスイーツは『世界はひとつ』近くにあるワゴンで販売されていた。

「私、並んでくるわ」

ここはスイーツ番長の妻が、家族代表で行列に加わることを志願の立候補。

ほどなく、ふたつをお買い上げ。

ところが。

念願のティポトルタに狂喜するかと思いきや、それを左右の手に持って、私たちの待つ場所へトコトコ歩いて戻って来るスイーツ番長の表情が、どことなく冴えない感じ。

何かあったのか、スイーツ番長? 急にトイレにでも行きたくなったか?

「はい、お待たせ」

妻から紫芋クリーム味のティポトルタを手渡された瞬間、すべての謎は解けた。

え? ええっ? なにこれ、温かいじゃん!

なんとまあ、ワゴンで売られていたのは“ホット”ティポトルタだったのである。

夏季限定冷製クリーム味は8月いっぱいの販売だったのでしょうか、Mr.ウォルト?

夫婦とも、隠しきれないショックに顔を歪めながら、ほくほくティポをさっくりかじる。

そりゃまあ、旨いことは旨いのですが、でもやっぱり…。



                        ○



藤野先生と再合流した私たちは、続いて『フィルハー・マジック』に向かった。

『フィルハー・マジック』は驚異の3D映像で、ドナルドダックと共にディズニー映画の世界を旅するアトラクション。

入口で手渡された専用の眼鏡をかけて家族四人と藤野先生の合計五人、横並びに席を取る。

「いいの? 3Dは嫌いなんでしょ?」 妻が訊ねる。

劇場公開される映画に関しては「絶対、見るわけにはいかない」と、頑なに3Dを敬遠している私だが、ここで意地を張るほど野暮ではない。

眼鏡のかけ具合を微調整しているうちに、上映開始のブザーが鳴る。

ドナルドダックが竜巻の渦に呑み込まれるシーンでは、頬に微風が吹きつけ、

テーブル一面にご馳走が並ぶ絵では、どこからともなく甘い香りが漂い、

キャラクターが池に飛び込む場面では、ピシャッと顔に水しぶきが降りかかる。

手堅い演出が、我々観客を楽しませる。

座席のどこかに秘密装置が隠されているのだろうが、暗闇の中では探すべくもない。

アラジンやジャスミンと絨毯に乗って空を舞ったり、ピーターパンやウェンディーとビッグベン上空を旋回したり、その浮遊感は圧巻でした。

「あ、危ないっ!」

勢いよくスクリーンを飛び出したドナルドダックとぶつかりそうになって、思わず体を避けそうになる。

「いかん、いかん。 私としたことが…」(そんな自分が、ちょっと恥ずかしい)。

ひとつ、恰好の嘘を思いつく。

上映終了後、出口へ歩きながら、私はニコに話しかけた。

「お父やんさぁ、ほんの一瞬だけれど、ドナルドの足に触われたよ」

「ええーっ!」

期待通り、大げさな反応を示すニコ。

「嘘でしょ? ねえ、お父やん、それって嘘なんでしょ?」

何度もしつこく聞いてくるが、私はニヤニヤ笑って答えない。

本当だってば。 ほんの一瞬だけどね、父はドナルドの足に触わることに成功したんだよ。


                         ○ 

ここで私たちは、二つのチームに別れた。

私とニコは、あとから入手したほうのファストパスを使って『プーさんのハニーハント』へ。

ディズニーランドきっての人気アトラクションを、一日に二回も楽しめる次女は、相当な幸運児といえよう。

はちみつの壺を模した乗り物で、父娘仲良く百エーカーの森を巡る。

「プーさん、青い風船につかまって飛んでっちゃうんだョ~」とか、

「見てて。今度はね、ティガーがぴょんぴょん飛び跳ねるからね!」とか、

先回りして絵本のページをめくるように、ニコが得意満面にこれから起こる出来事を予言する。

『プーさんの…』で占い師気取りのニコが、次々未来の予言を的中させてている頃、我が家のAチーム(のの子と妻と藤野先生)は、マークトゥエイン号に乗船し、ゆったり園内をクルーズしていた。

昨日の飛行機搭乗に次いで、船に乗ることも、のの子には人生初めての体験である。

擬似(なんちゃって)蒸気船の甲板にバギーを据えて、擬似ミシシッピー河を下り、擬似赤茶けた岩山を見上げ、擬似インディアンと挨拶を交わす。 「ハ~オ!」。

で、肝心ののの子は蒸気船クルーズを楽しめたのだろうか?

実際のところ、乗船から下船まで一貫して彼女は、バギーの上で熟睡していたらしい。

「せっかくディズニーランドへ来たというのに、ちょっと虚しかったなあ…」と、妻は言う。

いやいや。

短絡的に悲観したり残念がる必要はないと、私は思う。

のの子が熟睡できるときは、けいれん発作や筋緊張に伴う肉体的苦痛から解放されて、心身ともリラックスしている状態にある場合に限りますから。

甲板で風に吹かれながら、つい迂闊にも昼寝をしないではいられないくらい、のの子には何とも心地よい昼下がりのひとときだったのでしょう。



                         ○


「食べる? クリッターサンデー」

待ち合わせ場所にたどり着いた私とニコの鼻先に、妻がマークトゥエイン号の降り場近くのワゴンで買ったスイーツを突き出した。

「クリッターサンデー…」 何ですか、それ?

「コーンフレークとソフトクリームとチュロス。正真正銘、冷たくて美味しいよ」

そうか。

先ほどの恨みを晴らして、念願の冷たいスイーツにたどり着いたのだね、君は。

カップに刺さった、ストローのように細長いチュロスは、輪郭がミッキーマウスの顔になっている。

芸の細かさは、ここでもなかなかの徹底ぶりである。

引き抜いたチュロスを齧って、ソフトクリームをひとさじ舐める。

爽やかな涼味が舌の上に広がった。


                         ○


午後の部、最後はトゥーンタウンに移動。

ニコがもっとも楽しみにしていた『ミニーの家』へ。

このアトラクションは待ち時間をあまり必要としないうえ、バリアフリーなので、姉妹いっしょに楽しめる点が有難い。

私と藤野先生は中に入らず、周辺の写真を撮るなどしながら建物の外で待つ。

『ミニーの家』の正面には、小さな噴水と広場が設けられている。

噴水の中央には、(あたかも勇壮なマーチを奏でるかのように)指揮者に扮したミッキーが勢いよくタクトを振る銅像が立っている。

流れ落ちる水飛沫に、傾きかけた日差しが当たる。

「お父さん、5時から食事になっていますから、そろそろホテルへ戻らなければいけない時間になってきました」

藤野先生が、落ち着きなく時計に目を走らせて言った。

「4時半ですか」私も慌てて時刻を確認する。「急がなければなりませんね」

浮かれ気分でうっかり忘れそうになっていたが、これは長女が在籍する高校の修学旅行。

一般の家族旅行ではないのだから、団体の一員として決められたルールは遵守すべきである。

私たちが引き起こした不祥事で、藤野先生が責任を問われるような事態は極力避けたい。

それにしても、わずか30分ほどで、ホテルの食事ルームまで帰れるだろうか…。

藤野先生と私は『ミニーの家』の出口で、三人が現れるのを待ち伏せ。

そして、妻と娘たちが出てくるや否や、

「さあ、早く早く」

左右から挟み撃ちにして、人攫いのように腕を取って歩き出した。

最初は五人ひとかたまり、小走りくらいの速さで歩いていたが、徐々にニコの足取りが怪しくなる。

それでもしばらく、母や姉たちに遅れを取るまいと頑張っていたが、

「ニコ、もう駄目。疲れた…」

泣きそうな声で一言つぶやくや、急激に失速してしまった。

この広いランドで置き去りにするわけにもいかず、ニコに合わせて私も歩調を緩める。

無情にも、前を行く三人の背中がみるみる遠ざかって行く。

シンデレラ城の尖塔に懸かる雲が、淡い橙色に変わり始めている。

「姉えたんたちさえ、晩ごはんに間に合えばいいよ。お父やんとニコは、ゆっくりでもいいから。マイペースで帰ろう」

私は、疲労困憊の次女を励ました。

すると、この一言のどこがカンフル剤的効果をもたらしたものやら、故障寸前の車のように今にも止まってしまいそうな様子だった次女が、

「よし。ニコ、頑張る」

何を思ったか俄然生気を取り戻し、すたすた歩き出したのには驚いた。

のの子と妻と藤野先生は、夕食時間ぎりぎりに、すべり込みでホテルに帰着。

私とニコも、Aチームに5分ほど遅れただけで、生徒や教員の皆さまと一緒に夕食のテーブルを囲むことが出来た。

ニコ、見事なⅤ字回復でした。



                       ○


午後6時。

素早く夕食を終え、シャワーでささっと汗を流した私は『スター・ツァーズ』にエントリーするため、単身ディズニーランドへ舞い戻った。

『スター・ツァーズ』は、映画『スターウォーズ』をベースにした3Dアトラクション。

伝説のスペースファンタジー『スターウォーズ』の第一作が封切られたとき、私はまだ紅顔多感な中学二年生。

いわゆる“SW直撃世代”の面子にかけて、今日私がこれだけは絶対外せないアトラクションをひとつ挙げるとすれば、即ちこの『スター・ツァーズ』だった。

結論から言うと、30分待たされはしたものの、我慢に見合うだけの満足を得て(あるいは、その二倍、三倍に及ぶ満足を得て)、私は宇宙大冒険旅行から無事帰還したのであった。

まるでXウィング・スターファイターに乗ったかのような高速感覚で、急上昇と急降下を繰り返しながら、銀河宇宙を飛び回る。

シートベルトを装着し、固定されたイスに座っているだけなのだから、高所恐怖症の私でも無重力状態や高速落下の恐怖を安心して楽しむことが出来る。

W.ディズニーとG.ルーカス。

二十世紀を代表する二人のクリエーターによる、超プレミアム級最高贅沢なコラボレーションでした。



                        ○


午後7時。

すでにとっぷり日は暮れて、いよいよ本日の最終決戦『エレクトリカルパレード』の時間が近づいてきた。

つかの間の宇宙旅行から帰って来た私は、再入園した養護学校一団をワールドバザールにてお出迎え。

「ステキ♡ ステキ♡」

絢爛豪華な夜のディズニーランドに、妻が目を輝かせる。

グッズを売るショップの賑わい、洋式建築物を縁取る色とりどりの電飾、軒先に吊り下げられた極彩色のランターン、ますます興奮のボルテージを高めていく人々の群れ…。

のの子の周囲で、先生方も生徒たちも皆、こぼれそうな笑顔を浮かべている。

「見て見て、似合うでしょ。ホテルで着替えてきたんだよ」

ニコが両手で怪物サリーのTシャツの裾を引っ張りながら、自慢げにぐいと胸をそらせてみせる(ちなみにのの子は、ミニーちゃんの黒Tシャツに衣装替え)。

夜の遊園地の空気には、非日常の度合いを何倍もの大きさに膨らませてみせる、魔性の酵母菌がふんだんに含まれている。


                        〇


午後7時30分。

ついに始まりました、東京ディズニーランドが誇るメインイベント『エレクトリカルパレード』!

感謝すべきことに、私たち養護学校一行には、至近距離でパレードを楽しめる車椅子専用スペースが与えられる。

いつもなら薬の服用後、たちまち眠りの森に落ちて行くのの子も、今夜ばかりはむんむん立ち込める熱気と人いきれに当てられ、バッチリ目を見開いている。

準備万端整いました。

フライパンの上でポップコーンが弾けるような、あのメロディーが園内に響き渡り、パレードの先頭が通過したらしい方角から、どっと歓声が上がる。

来るぞ、来るぞ、来るぞ。

私の心臓も、曲に合わせて、ぴょんぴょん上下に飛び跳ねる。

間もなく、ピノキオに生命を与えた青い妖精を先頭に、光の粉をまき散らしながらフロート(山車)の行列が、養護学校一団が待ち受ける車椅子専用スペースを目指し、しずしずと近づいて来た。

イルミネーションの灯りが、沿道に集う人々の笑顔をきらきら明るく照らし出す。

アリスのチシャ猫、白い煙を吐く緑の恐竜、白雪姫、ピーターパンと海賊船、魔法のランプの巨人、プーさんと森の仲間、シンデレラ姫、ティンカーベル、イケメン王子たち…。

精霊流しの紙灯篭が川を流れるように、カラフルに煌めく光の放列が、次から次へ目の前を通りすぎて行く。

妻と娘たちの後列に控え、私は休みなくカメラのシャッターを切り続ける。



                        ○

最後のフロートが去って行った。

のの子の友達は、このタイミングでホテルへ引き揚げたが、藤野先生と私たち家族だけはランドに居残り。

まだ夢の中にいるような微熱を帯びた静かな興奮と、祭りの後を思わせる穏やかな溜め息の混ざった空気が、しばし園内を包み込んだ。

けれどそれも、ほんのわずかの時間のこと。

アミューズメントパークの王様のご馳走メニューは、まだまだ終わらない。

引き続き8時30分から、プロジェクションマッピングの上映が始まるのだ。

正直に白状すると、東京駅のイベントや今冬ロシアで開催されたオリンピック開幕式で話題をさらった、このハイテクノロジー最新アートを私はあまり好きではない(何故だろう? 理由は特にありません)。

とにかくまあ、私の好みなどはどうでもよい。

藤野先生と私たち家族四人は、海に浮かぶ漂流物のように人波に押されたり、揉まれたりしながら、巨大スクリーンとなるシンデレラ城の正面広場へゆるゆる移動した。

夜は着実に更けていくにもかかわらず、人混みはまるで衰える気配がない。

「ニコ、何も見えない…」

クラスの中で、いちばんチビの次女が涙声で訴える。

確かに、彼女目線で見えるのは人の背中と頭だけだ。

「よし」 お父やんに任せろとばかり、気合を入れて胸の正面にニコを抱き上げる。

「見えるかい?」

「うん。 よく見える」 安心した声でニコが答える。

定時に、プロジェクションマッピング『ワンス・アポン・ア・タイム』の上映が始まった。

いったい、いつの間にニコはこんなに成長していたのだろう…。

まだまだチビだと高をくくっていたが、九才と十一か月の娘の体重に耐えかねて、私の腕や背中や腰の筋肉は、上映中ひたすら悲鳴を上げていた。

エレクトリカルパレードを楽しむことに最後の力を使い果たしたのの子は、藤野先生と妻に挟まれ、車椅子の上でご就寝。

昼間見たミッキーマウスのステージ同様、何度も炎が上がり、盛大な音楽が夜空に奏でられる。

その都度、群衆の間にどよめきと感動の波が広がる。

そんな中、ただ私一人だけが、ぎりぎり歯を食いしばり「もう沢山だ。早く終わってくれ。まったく、いつまで続けるつもりなんだ?」そう心の中で呪いの言葉を吐き続けていた。

やはり私は、この新しい芸術とひどく相性が悪いらしい。



                        ○


プロジェクションマッピングを見届け、潮が引くように、多くの人々がどっと出口に向け大移動を始めた。

「じゃ、私たちもこのあたりで」

妻とのの子と藤野先生も、流れに乗ってホテルへ去る。

魔法が解けて、金色の馬車はただのカボチャに、白馬は元のネズミに戻る時間がやって来た。

のの子のディズニーランド体験は、ここで終わりを告げた。

「もう少し、遊んでいくかい?」

私の問いかけに、まだ余力の残る笑顔で「うん」とニコが頷く。

それでは、最後の思い出作りに、あとひとつかふたつアトラクションを探訪するとしよう。

さて、何がいいかな?

私とニコはファンタジーランドまで歩き、『アリスのティーパーティー』に参加することにした。

どこの遊園地でも必ず見かける“コーヒーカップ”の、紅茶バージョンという訳だ。

琥珀色のランターンに照らされた大ぶりのティーカップに、父娘向かい合って腰を下ろす。

音楽が流れ、カップが静かに動き出す。

周囲のお客さんを真似て中央のハンドルを回すと、フロアーを滑りながらカップが駒のようにくるくる回転する。

同時に、目の前の娘の笑顔もくるくる回転する。


                      ○


最後の最後に、正統派アトラクション『世界はひとつ』に入る。

何組か先客はあるが、さすがにこの時刻ともなれば、列に並んで待たされるようなことはない。

水路をぷかぷかとボートに浮かびながら、10分余りで世界一周の旅。

氷の国、アフリカのジャングル、南太平洋の島々、ラテンアメリカのインディオ…。

各大陸で、子供や動物たちが歌と踊りでお出迎え。

ぬいぐるみが天井から吊り下がっていたり、明るい表情の人形たちが右に左にスイングしているだけの素朴な演出は、『スター・ツァーズ』で大興奮したばかりの感性にまるで物足りないものに映ったが、ニコのハートには、これくらいの穏やかさが程よくフィットしたらしい。

驚きに目を瞠ったり、声を立てて笑ったり。

むぎゅっとボートの縁を握りしめ、ヘソまで身を乗り出しながら楽しんでいた。

「これこれ。落ちないように気をつけなさい」

たびたび注意してみたが、ニコの耳に私の声は届いてないらしく、一度も返事は帰って来なかった。

人生最大級イベントの締め括りに、このアトラクションを選んだことは正解だったように思う。

地球は丸い。 世界はひとつ。 人類みんな仲良く暮らしていこう。

ふだんなら、右の耳から左の耳へ素通りしてしまいそうなありきたりの決まり文句が、今この時だけは、しっとり心に沁みていく。

フィナーレで子供たちの大合唱に送られ、アトラクションをあとにする。

「もっと遊びたい」 とは、さすがのニコも言い出さない。

人間その気になれば、たった一日でこれだけのボリュームを遊び尽くすことが出来るものなのだ。

我ながら、あきれた気分になる。

ニコと手をつなぎ、出口へと歩く。

「星に祈りを捧げるとき、あなたの夢は叶う」。

映画『ピノキオ』の主題歌の歌詞にそう謳われている。

今日、私たち家族の願いを叶えてくれたのはどの星だろう?

私はきらめく1等星を探し、夜空を見上げた。

ありゃりゃりゃりゃ…。

ランドの照明が、明る過ぎるのだ。

どこを探したって、星なんて、何ひとつ見えやしなかった。



                       ○



《9月5日 金曜日 最終日》

二日目の朝と同じ。

早暁、ホテル周辺を散歩する。

東京湾を望みながら、何度か深呼吸。

深々と潮風を吸い込む。

ついでに肩をコリコリいわせながら、大きくゆっくり腕を回す。

明るさを増していく空を、海鳥たちがゆったりと舞う。

遥か水平線近くに東京ゲイト・ブリッジ。

恐竜のスケルトンが二頭、向かい合うように設計されたこの橋は別名「恐竜橋」というのだと、一昨日バスガイド女史に教わった。

すぐ目の前を、小型船舶が白い航跡を曳きながら通りすぎて行く。


                      ○

昨日より30分早く、全員揃っての朝食は6時半。

今日も北原先生の舌は滑らかです。

「さあ、これからみんなでどこに行くの? ディズニーAかな? それとも、ディズニーB?」

話のオチが見えず、一同、なんとなく視線を落として無反応。

ディズニーA? ディズニーB?

実は私は(滑っても転んでも不死身のゾンビのように何度でも立ち上がる)北原先生の秘かなファンなのだが、そんな私にもこのギャグの意味するところが分からない。

気まずい沈黙の海で溺れそうになっている北原先生に助け舟を出したのは、父娘ほど年令の離れた川島先生でした。

「それを言うなら、ディズニー・シーでしょ? でも、行きませんよ。私たち今日は、旭川へ帰る日ですから」

さっすが、川島先生。

素早く、北原先生を孤立から救い出す見事なお手際。  

お若いのに、しっかりしていらっしゃいます。

隣りのテーブルのベテラン先生が、スプーンで生徒にスクランブルエッグを食べさせながらぼそりとつぶやく。

「許してあげましょう。北原先生も、相当疲れていらっしゃるのよ」

こうして間もなく、私たち家族と養護学校一行の奇跡の三日間が終わろうとしていた。

誰も蚊に刺されなかったし(良かったですね)、日本テニス界の英雄は全米オープンの決勝進出を目指し、明日、ランキング1位の王者と激突する(頑張れ)。

我々はこのあと部屋へ戻り、大量の荷物をまとめ、8時にはホテルをチェックアウトしなければならない。

正面玄関でバスに乗り込み、9時に羽田空港に着いて、売店でおみやげを買って、10時45分発の飛行機で旭川へ帰る。

高層建築群、立体交差の道路網、集う大衆、ファッションの極致、圧倒的な物流量…。

未来都市トウキョウとさようなら。

大都会と真反対の、緑あふれる旭川の田園風景が翼の下に見えてくるとき、私はこう心の中で叫ぶだろう。

「わあ、自然え~ん。凄っごい、自然っ!」


                     ○



2014年秋、のの子が空を飛んだ。

聞くところによると、のの子が籍を置く養護学校でも、修学旅行でディズニーランドへ行くのは十年ぶりの冒険だったとか。

いくつかの好条件と、ささやかな偶然と、先生方の熱意と、楽観的だった父兄と…。

それは、様々な要素が上手く歯車がかみ合うように有機的な作用をもたらした結果、達成できた壮挙であったようです。

中でも、添乗員氏や関係機関と粘り強く交渉を重ね、旅行計画を総合的にコーディネートしてくださったアーモンド男爵には、参加者の一人として改めて謝意を表したいと思います。

お疲れ様でした。












































































お父やん乱入  ニコニコ日記番外編  2014 東京ディズニーランド紀行・中編

2016-03-25 15:24:45 | おとやん
こんにちは!おかやんです。

お待たせしました。再び、『おとやん乱入~昨年の見学旅行記Part2』です。

前回同様、長いです。

前回同様、時間のない方はここから先に進むのはお勧めしません。

当然!歯ミガキをしながら読める長さではないかと思われますが、それも自己責任でお願いします。


「この人たち本当に旭川へ帰って来られるのだろうか・・・?」と思ってしまうのは、私だけ?


                              ○



《9月4日 木曜日 第二日目》

朝早く、散歩に出た。

ホテル近くの小高い土手に登り、東京湾と向き合う。

晴れ渡るでもなく、曇るでもなく、暑くもなく、涼しくもなく…。

のの子には、絶好の気象条件が揃ったようだ。

部屋に戻ってテレビの電源を入れると、ちょうど『めざましテレビ』の放送が始まるタイミングだった。

ポップなオブジェでカラフルにデザインされたスタジオが、画面に映し出される。

昨日見学してきたばかりの場所から笑顔で語りかける出演者の方々に、私は気のおけない仲間と再会したような親密さを覚えた。

めざましファミリーの一員になったような気分で、ニュースを見る。

今日のニュース(1)
内閣改造。女性閣僚の登用が注目を集めている(これでまた支持率が上がるのか?)。

今日のニュース(2)
全米オープンで、上位ランカーを次々撃破する日本人テニスプレイヤーの活躍。
躍動する彼の映像を見ながら、決戦の日を迎えた私の心にも闘志の火が灯る(共に頑張ろう!)。

今日のニュース(3)
蚊を媒体として広がりをみせる伝染病。発源地は都心の公園だとか(蚊に刺されないよう気をつけなくちゃね)。


                              ○


7時、大部屋にて朝食(パラソルのレストランではないのが、残念)。

ディズニーランドまで参加者全員の入園パスポートを貰い受けに行くため、早めに食事を終えた佐伯添乗員と大部屋の入口ですれ違う。

行ってらっしゃ~い、佐伯さん。

朝食後、部屋に戻って出発の準備を整えた。

佐伯添乗員からパスポートを受け取り次第、フットワークの軽い私とニコの二人だけ、他の生徒たちよりひと足早くランドへ先発する手筈になっている。

しかし。

混み合っているのか、トラブル発生か、道に迷ったか(まさか、それはないよね)、待てど暮らせど、佐伯添乗員がホテルに帰って来ない。

焦れる…。

佐伯はまだか。 佐伯はまだか。 佐伯はまだか。

部屋の中を行ったり来たり、ただ手をこまねいているしかない私に妻が言う。

「やっぱり佐伯さんと一緒に行って、その場でささっと入園してきたほうが良かったんじゃないの?」

仰る通りです。 確かに、その手はあったのだ。

でも、いい年をした大人が出走前の競走馬みたいに入れ込んでいるところを、周りの人に見透かされるのは嫌だった。

「そこまでするのは恥ずかしいだろう…」

「何言ってるのよ。この旅行でいちばん舞い上がっているのはお父やんだってこと、みーんな知ってますから」

えっ、そうだったの? バレてましたか?

そうと知っていれば、ニコと一緒に佐伯添乗員について行けば良かったなあ。

今さら悔やんでも、あとの祭り。 過ぎた時間は巻き戻せない。

「ニコ」 私は、ベッドの上の次女に呼びかけた。「こっちへおいで」

「なに?」 読みかけの本を置いて、次女がベッドから降りる。

私はひざを折って、目線を次女に合わせた。

「これから私たちはディズニーランドへ遊びに行きます。それは、誰のお陰か分かるかい?」

「お父やんかなあ? お母やんかなあ?」ニコが首をかしげる。

「違います。それは、うちの家族でいちばん頑張っている人のお陰です」

「ああ、姉えたんだ!」

「正解。姉えたんが頑張って高校生になって、風邪も引かないで元気でいてくれるから、今日みんなで修学旅行に参加することが出来たんだよ。お父やんも、お母やんも、あなたも、姉えたんにここまで連れて来てもらったんだ」

「うん」

「だから、出発前にもう一度、きちんとお礼を言っておこう」

ニコは姉のバギーに歩み寄り、「姉えたん、ありがとう」と言いながら、のの子の手を包み込むように握った。

バギーの上でのの子は、シンデレラの継母みたいに勝ち誇ったような微笑みを浮かべ、傲然と妹を見降ろしていた。

そのとき、部屋のドアがノックされる音がした。

「帰って来ましたよ、お父さん」 藤野先生が言う。

よほど急いだのか、顔を真っ赤にした佐伯添乗員が、肩で息をつきながら入口に立っていた。


                                 ○

ホテル玄関で、シャトルバスに乗車。

ミッキーマウスの声で車内アナウンスが流れる。「お早うっ、みんな! 今日は楽しんで来てね!」

顔だけクールさを装いつつ、周囲の乗客に気取られないよう、私は心の中で華やかに弾ける。 (「イエ~イッ!」)。

ベイサイド・ステーションで、バスをモノレールに乗り継いだ。

待つほどもなく、モノレールがプラットフォームにやって来る。

車両の窓が、車内の吊り革が、ミッキーの顔形にデザインされている。

モノレールは私たち父娘を乗せ、左に大きくディズニーシーを旋回しながら、高度数十メートルの宙空をゆっくり進んで行く。

隣の席を見ると、ニコの表情がえらく硬い。

九年に満たない人生、経験値の乏しい彼女は、目の前に待ち受ける幸福の大きさを上手く推し量れず、どのレベルまで喜んでよいものか戸惑い緊張しているらしい。


                                              
                                  ○


夏休みは終わった。 ハロウィンのイベントが始まるのは、来週からである。

端境期に当たる九月一週目の平日、ディズニーランドの来園者数は一時的にぐっと落ち込む。

かと思いきや、アミューズメントパークの王様に、私の甘い憶測など全く通用しなかった。

モノレールの改札を通過した私たちを待ち受けていたのは、入園ゲート前に居並ぶ人、人、人、人、人の海。

もちろん、その中には子供たちの姿が目立つ。

「おいおい、平日だぞ。小学生は学校へ行ってろよ」

ついつい自分たちのことは棚に上げて、そう毒づきたくなる。

「中ほどの列は混雑します。右か左の列に分かれてお並びくださ~い」

キャストが拡声器で呼びかけている。

案内に従って、ニコの手をつなぎ右列最後尾に着いた。

じわりじわりと前進する。

ようやく私たち父娘が夢の国に足を踏み入れたとき、時刻は9時になろうとしていた。


                                ○


東京ディズニーランドのシンボル、シンデレラ城が彼方にそびえている。

そのシンデレラ城を真正面に見ながら、賑やかで祝祭的な雰囲気にあふれたアーケード街を歩いて抜ける。

近衛兵姿のマーチングバンドが楽し気な音色を響かせ、左右にグッズを売る店がひしめく幅広なこのストリートは「ワールドバザール」と呼ばれるらしい。

シンデレラ城の尖塔の背後に、うすい靄がかかったような、青色とも灰色ともつかないぼんやりした感じの空が広がっている。

今日は熱中症の心配も、雨に打たれる心配もなく、平穏に一日を送れそうだ。

一家の主として、最初に私が果たさなければならない使命は、ファンタジーランドの超人気アトラクション『プーさんのハニーハント』のファストパス(とりあえず二人分)を入手すること。

指定を受けた時間に施設を訪れ、このファストパスを提示すれば、どんな人気アトラクションも優先的に入場が許されるという訳だ。

いざ発券所を目指し、ショップやアトラクションにはわき目もふれず、(懐中時計を気にしながらアリスのそばを通り抜けた白ウサギのように)急ぎ足でずんずん歩く。

「ねえ、どこにも入らないの?」 私の横で小走りのニコが訊ねる。

「もう一度行列に並ぶけれど、我慢してね」 そう言って、不満顔の娘をなだめる。

ほぼランドの端から端まで歩き終えたあたりで、やっとファストパス発券所にたどり着いた。

自分の体の長さを持て余す不器用なヘビみたいに、うねうねと行列が続いている。

迷っている暇はない、列の最後尾に並ぶ。

やはりここでも、じわりじわり前進。

十数分後…、パス二枚を入手。

ファースト・ミッション無事完了。

いま手に入れた二枚のファストパスは、もうすぐ、のの子や他の生徒たちと一緒に来園する妻への献上品となる。


                                 ○

さてと。

ニコにとって記念すべき人生最初のアトラクションは、何に入ろうか…。

特に作戦は練っていない。まずは、手近で待ち時間の少ないものから攻略していこう。

そこで目に着いたのが『ピノキオの冒険旅行』。

目論見通り、わずかな待ち時間でトロッコに案内される。

娘と並んで、イスに腰を落ち着ける。

カタンとひと揺れして、トロッコが発車する。

ゼペット爺さんが寂しさを癒すために作った木の操り人形が、幾多の誘惑に翻弄されながら、青い妖精や良心のコオロギに導かれ、正しい勇気と優しい心を持つ本物の人間の子供に生まれ変わるまで、物語の世界を巡っていく。

そのとき、トロッコに揺られながら、私の胸の奥に秘めた童心は大きなヨロコビに満たされていた。

何といっても、創始者ウオルト・ディズニーの描いた夢は素晴らしい。

彼のエンターテイナーとしての無制限の奉仕精神を、私はひれ伏すほどに尊敬している。

中年のオッサンがこれほど喜悦しているのだ。八歳の少女の興奮は、想像に難くない。

「どお? 楽しかった?」

トロッコを降り、再び園内の人混みを歩きながら、私はニコに聞いた。

当然彼女は、「とっても楽しかった」と笑顔で答えるに違いないと思っていた。

ところが、返ってきたニコの答えは私を愕然とさせるものだった。

複雑な顔で、娘は言ったのである。

「ニコねぇ、おっかなくてずっと目をつぶってたから、よく分からなかった」

なっ、なっ、なぬ~っ! 怖くて目をつぶっていただと、この餓鬼ーっ!

この地にたどり着くまで、うちら家族が積み重ねてきた時間の長さと、払ってきた犠牲の大きさを、君はまるで理解していなかったのか…?

ガックリ肩を落とす私であった。

「あ、今度はあれに乗りたい」

ニコが、気落ちする私の手をぐいと引っ張った。

娘が指さしたのは、回転木馬『キャッスル・カルーセル』。

バンドオルガンが奏でるディズニーの名曲に合わせて、白馬たちがゆっくり回っている。

(カルーセルといえばつい、私たちの世代はカルーセル麻紀を連想してしまうのですが、「回転木馬」という意味だったのですね)。

「お城へ向かう馬車か…」

確かに、このくらいソフトな刺激なら、ニコでもしっかり目を開けていられるだろう。

ほとんど待ち時間なく、父と娘は肩を並べて乗馬態勢に入った。

音楽が流れ、ターンテーブルが静かに回り始める。

木馬に身を任せ、上下に揺られるニコは、すっかりお姫様気取り。

その頬に、今日初めて子供らしい笑顔が浮かぶ。

音楽が終わり、馬が歩みを止めたタイミングで、携帯電話の着信音が鳴った。

発信元は妻である。

「今、ランドの中に入ったところ」 と妻が言う。

「了解です。直ちに合流します」 と私が答える。


                              ○                                   


「大丈夫かなあ? お母やんたち、ちゃんと見つけられるかなあ?」 不安そうな声でニコがつぶやく。

押し寄せる人波に逆らうように、入園口方面へ取って返しながら、私も娘と同じ不安に捕らわれていた。

この人混みの中から、妻と長女を見つけ出すのは至難の業かと思えた。

『ウォーリーを探せ!』のリアルバージョンである。

けれど、案ずるほどのことはなかった。

のの子ら養護学校生徒十人の車椅子と先生方の一団は、ワールドバザールのアーケード下で、特に異彩を放つ存在であった。

入園客は沢山いたが、養護学校チームを発見するのは、北の夜空に北斗七星を見つけ出すのと同じくらい簡単なことだった。

「いたよ。ほらあそこ」

ニコはつないだ手をふりほどいて走り出すや、むしゃぶりつくみたいに母親の腰に抱きついた。

「ファストパスは取れた?」

のの子のバギーを押しながら、妻が訊ねる。

「万事順調。では、君たちのパスポートをください」

私は二枚のファストパスを妻に進呈。代わりに妻から、母娘二人分の入園パスポートを受け取った。

それを手に、私は再びファストパス発券所を目指し、単騎駆け出した。

ファストパスの発行は、一人のパスポートに対し一枚しか認められていない。

最初のパス二枚は、妻と娘のために。

これから取りに行く二枚は、私と娘のために。

オジサンだって、『プーさんのハニーハント』が見たいのだ!


                              ○                                   


新たに二枚のパスを手に入れ、再度、家族と合流するまで30分ほどを要した。

その間、修学旅行一行はワールドバザールの色んな店を冷やかしつつ、買い物を楽しんでいたようだ。

花柄リボンとミニーマウスの耳を縁取ったカチューシャを頭に乗せ、ニコもご満悦。

「ほら、こんなに買ったんだよ」

袋いっぱいのおみやげを、自慢げに披露する。

オリジナルのクランキーチョコレートやキャラクターボールペンは、同級生と先生に配るのだとか。

『モンスターズ・インク』怪物サリーのボディーをデザインしたTシャツは、「あとでホテルに戻ったときに着替える」らしい。

「家族でお写真、撮りましょうか?」

お言葉に甘えて、藤野先生にカメラを手渡す。 よろしくお願いします。

背景にシンデレラ城、斜め後ろにウォルト・ディズニーとミッキーの銅像を同時にとらえたアングルでシャッターを押してもらう。

パシャッ。


                              ○
                                    

時刻が11時になったところでランチタイム。

気の早い昼食であるが、養護学校の食事にはたっぷり時間がかかるのだ。

常に余裕ある予定作りが欠かせない。

早めの昼食には、混雑を避けることが出来る利点もある。

例のごとく、一同ぞろぞろと佐伯添乗員にくっついてプラザレストランへ向かう。

テーブル席に座ると、ミッキーやミニー、『トイストーリー』『リロ&スティッチ』のキャラクターたちが、次から次へと歓迎のあいさつにやって来るもんだから、ステーキがメインのコース料理なのに落ち着いて食事してられなかったよ。

というのは、作り話です。 スミマセン。

実際のプラザレストランは、ホール面積がとても広く、銘々がカウンターに赴き好みのメニューを注文するファストフード形式の食堂で(キャラクターの歓迎サービスもありません)、我々家族はグローブシェイプ・チキンパオをセットで三人分オーダー(胃ろうボタンののの子は、経腸栄養剤がご飯です)。

グローブシェイプ・チキンパオとは、名は体を表す典型のような一品で、ミッキーマウスの手袋形をした中華まん生地に、甘辛ソースのかかった鶏から揚げを挟んだ料理である。

「いただきま~す」

出来立てのほくほくに、ニコがめいっぱい大きな口を開けてかぶりつく。


                              ○                                      






















おとやん乱入 ニコニコ日記番外編 2014東京ディズニーランド紀行 ののこが空を飛んだ

2016-03-01 12:08:07 | おとやん
おかやんです。
自分のブログなのに、
わざわざ名乗らなければならない事態に、少々ストレスを感じつつ・・・。
卒業まであとわずかになり、再びこれの原因であるおとやんが
「どうしても修学旅行について、一言書きたい」と言い出しました。

しかたないなぁ~、と書かせていたら、止まらなくなったらしい。

一応UPします。

長いです。

読むのに時間が掛かります。

忙しい人は読まない方がいいです。

しかも、これでまだ半分だって・・・・信じられない(全然一言じゃないし)

では、お時間のある方、どうぞ~ ※文章中登場人物名が一部仮名となっております 


                       ○


あと数日で、のの子は養護学校高等部訪問学級の卒業式を迎える。

学生生活にピリオドを打ち、社会人の仲間入りとなる。

この十二年間で我が家の最大のハイライトは、のの子が高校二年生の時修学旅行で訪れた東京ディズニーランドの思い出に尽きる。

卒業の記念に、そのときのことを書き留めておこうと思う。


                       ○


《9月2日 火曜日 出発前日》

出発が間近に迫っても、妻の準備は遅れていた。

開け放したスーツケースとバッグ類。

着替えの服の山、介護に欠かせない何十枚のタオルとボックスティッシュ―、大量のくすり、ポータブルタイプの医療機器などなど。

荷物の海に囲まれて、妻は和室の畳の上にへたり込む。

「考えることが多すぎる。準備がどこまで進んでいるのか、全然わからなくなってきた。緊張で気分が悪くなりそう…」

一方、私の準備はほぼ整いつつあった。

新しい下着を買った。新しい歯ブラシを買った。散髪をした。爪を切った。携帯電話を充電した。アパートの廊下と階段を掃除した。神社へ願掛けに行った。墓参りをして道中の無事を祈った。インターネットで羽田空港人気お土産ランキングをチェックした。ここひと月、肌身離さず愛読書にしてきたディズニーランド・パーフェクトガイドを丹念に読み返した。

えーと、それから、それから…。

テレビのデータチャンネルで、東京方面の天気予報を確認した。

むこう三日間の空模様は、晴れか曇り。最高気温28度。

台風も来ない。雨も降らない。この時期の東京にしては、涼しいくらいの気温。

神様に感謝した。ご先祖様に感謝した。家族の健康に感謝した。太陽に感謝し、山にも空にも感謝した。

あらゆるものに感謝を捧げ、感謝のしすぎで、なんだか少々「感謝疲れ」を起こしてしまった。


                        ○

《9月3日 水曜日 第一日目》

4時30分起床。

さっとカーテンを開く。

夜明け前の空は、まだ暗い。

飛行機の出発時刻やら、うちから空港までの距離やら、のの子が家を出るまでに要する時間やらを逆算すると、遅くとも、これくらいの時間に動き出す必要があった。

慌てず騒がず最後の荷造りと積み込みを終えて、私と妻とふたりの娘、家族四人ワゴン車に乗車完了。

(六月にブラジルで開催されたワールド杯のように)遅れに遅れていた妻の準備も、最後で何とか間に合った。

6時40分、アパート発。

峠を越えて、隣り町のセブンイレブンに立ち寄りパンとコーヒーの朝食。

私はクロワッサン、妻はクリームフランス、次女のニコ(このとき小三)は揚げパンホイップ。

のの子はラコール(パンではありません、経腸栄養剤です)。

車中、バウムクーヘンとチョコチップメロンパンを、みんなで分けながら食べる。

国道39号線を西へとひた走る。空港まで、あと一息だ。

「気をつけて!」

妻が鋭く叫んで、反対車線を指さす。

覆面パトカーが、通勤途中の車をスピード違反で捕まえていた。

「危ない、危ない」少しドキリとする。

「気をつけてよ。それでなくても遅れ気味なんだから。捕まったりしたら、絶対間に合わなくなる」

妻が注意を促す。

「反対車線だから大丈夫だよ」私は落ち着いた声で、浮足立つ妻をなだめた。

この程度で動じる私ではない。

その5分後。

背後からいきなりサイレンの音。そして、スピーカーの声。「前の車、止まりなさい!」

一瞬心臓が凍りつく。

いつの間にUターンしていたのか、先ほどの覆面パトカーが、隣り車線からスーッと私たちの車を追い抜いていった。

幸い、「前の車」は私たちのワゴンではなかったようだ。

危ない、危ない。

私の背中を、冷たい汗が一滴流れ落ちる。


                       ○


10分遅れで、空港に到着。

二階出発ロビーで、養護学校高等部二年、修学旅行チームに合流する。

車椅子の集団が銀輪を光らせて居並ぶ光景は、壮観ですらある。

北原先生(ベテランの男性教員)が、笑顔で私たち家族に駆け寄る。

「良かったですね、お父さん、お母さん。東京もいい天気みたいです。気温も旭川と変わらない。あまり暑くないようです。ほら、見てください。生徒たち十人全員揃っています。誰も風邪をひいていません。これはキセキです!」

いつも親父ギャグで周囲の空気を凍りつかせている北原先生が、泣き出しそうな顔で笑っている。

今日の無事を手放しで喜んでくれている先生がいることを、親として嬉しく思った。

搭乗前にトイレへ行こうとしたとき、都会から来たらしい女子三人組の観光客とすれ違った。

初めて見る(?)地方空港の風景に興奮しながら、彼女たちが口々に叫んでいる。

「わあ、自然え~ん」「凄っごい自然!」「自然、自然!!」

彼女たちの目の前に広がる滑走路を、美しい緑が取り囲んでいる。

 
                        ○

日本航空1100便、10時15分発羽田行。

東京へ行くのが学生時代以来27年ぶりならば、飛行機に乗るのも18年ぶり。

という次第で、いまどきの飛行機の乗り方がよくわからない。

最後に飛行機に乗ったのは携帯電話もパソコンもなかった時代だし、デジタルという言葉も社会で一般的に使われだす前のことだった。

「ヒコーキに上手く乗る自信がないのだけれど…」こっそり妻に打ち明けたが、

「私は娘二人の世話でいっぱいいっぱいだから、自分のことは自分で何とかしてください」ぴしゃりと突き放された。

金属探知機のゲートを通過する。

順番がひとつ前の乗客を仔細に観察してみると、携帯電話、車の鍵、家の鍵、財布を別トレーに乗せて迂回通過させている。

よし、わかったぞ。この人と同じことをすればいいのだ。

私は荷物でぱんぱんに膨れたリュックサックを降ろし、中身をがさがさ漁って、どうにか携帯電話等々を取り出した。

「なんで、財布なんだろう?」後ろに並ぶ妻に訊ねる。

「カードが入っているからでしょう」

「なるほど。磁気でデータが狂ったりしないためか」

「小学生の社会見学じゃないんだから、早く行ってよ」妻が私を急かす。

金属探知機を通過したあと、係官がリュックに入れてあったペットボトルを調べ始める。

彼らがキャップを取って匂いを確認するにいたっては、いよいよ驚いた。

液化させた危険物の、機内への持ち込みを阻止するためであろうか。

いちいち感心させられることばかり。

確かに、これじゃあ小学生の社会見学だ。

そして、搭乗ゲートにたどり着く。

これから私たちを乗せて東京へ飛び立つ旅客機が、ガラスの向こうに待機している。

白い機体と広げた翼が、初秋の陽光を受けまぶしく輝いている。


                        ○


10時前、一般客よりひとあし早く、養護学校御一行様の搭乗が始まった。

機体入口ぎりぎりまで、のの子の乗ったバギーを押して行き、最後はオーロラ姫のように抱き上げて座席へ運ぶ。

生徒十人の中で最も障害の重い長女と付き添いの妻にだけは、プラス千円でアップグレードした「ゆったりJシート」があてがわれる。

そのJシートの上に、のの子の姿勢を保持するため、普段は乗用車に使用しているカーシートを二重がさねに備え付ける。

「どっこいしょ」

特別仕様シート・オン・シートの上に、のの子を抱え降ろす。

これにて、のの子搭乗無事完了。

私はニコの手を引いて、後部のエコノミークラスに向かう。

 
                         ○


飛行機は嫌いだ。

許してもらえるなら、一生乗らずに済ませたい。

私にとって、飛行機に乗ることは罰ゲームみたいなものである。

定刻を二十分ほど遅れて、私たちが乗った飛行機は羽田へ飛び立った。

北国の大地や畑が、眼下に遠く離れていく。

「どんなに足を伸ばしてみても、もうあの地面には触れられないのか」

そう考えるだけで、腰が抜けたように下半身に力が入らなくなる。

重力に従って魂は下へ留どまろうとしているのに、肉体は無理やり空へと引き上げられる。

この感覚が、たまらなく嫌だ。

隣り座席のニコを見た。

もちろん、彼女は飛行機初体験である。

なぜか、楽しそうにけらけら笑っているではないか(!)。

ニコは母親似であるということが、よくわかった。

                         ○

飛行機は無事羽田に到着。

私たちはJTBの佐伯添乗員に連れられ、空港第一ビル二階和食レストラン「新大和」にて昼食をとった。

総勢三十名近い団体なので、奥まった場所が予約席として準備されている。

テーブルに着くと、空港ビル内を行き交う人々がガラス越しに見えた。

のの子の同級生に自力で食事の出来る生徒は一人もいないので、先生方がマンツーマンで対応し、キッチン鋏を使って食材を細かく切り分けながら生徒の口へ運ぶ。

生徒の食事を介助する合間を縫って、先生方は慌ただしく自分の料理をかき込むように食べる。

作業ひとつひとつに手間がかかるせいで、スケジュールは着々と遅れていく。

養護学校の修学旅行は、時間との戦いだ。

「あと10分、いえ、15分ほど出発が遅れると思います…」

駐車場で待機する観光バスに、謝罪の電話を入れる佐伯添乗員の顔色がみるみる蒼くなっていく。

妻の昼食は、先生や生徒と同じ団体メニューの幕の内弁当。

個人旅行扱いの私とニコは、それぞれ、かき揚げうどんとお子さま御膳を注文する。

細いながらコシのある麺、サクサクしたかき揚げが濃いめのだしに程良くからみあう。

「ねえ、ひとくち頂戴」

私の大事な大事なかき揚げを狙って、妻がするすると箸を伸ばしてくるや、否も応もなく、むしり取るように奪い去られてしまった。

「おや、お父さんはソバをお召し上がりですね。ソバだけに、そばで見せてもらってもいいですか」

食事の介助で忙しい中、北原先生が得意の駄洒落ですり寄ってくる。

養護学校の宿泊行事に初参加で、緊張気味の私を気遣ってくださるのは有難いのですが、よくご覧になってください。

これはソバではなくうどんなのですよ、北原先生。


                       ○

昼食後、空港駐車場にて、貸切観光バスに乗車。

「良かったねえ、ののちゃん」のの子担当の藤野先生(若手の女性教員)が、長女の手を握り笑顔で語りかける。

「そんなに暑くないよ。旭川とあまり変わらないくらいだよ」

ヒートアイランド熱風地獄を覚悟して東京へ乗り込んできた私たちであったが、予想外の快適さに、のの子の表情も穏やかだ。

生徒たちは一人ずつ車椅子のまま電動昇降機でリフトアップされ、後ろ扉からバスに乗車していく。

修学旅行中、バスに乗り降りする都度、同様の手順が繰り返された。

「あの運転手さん、カッコイイわあ」順番待ちをしながら、妻がつぶやく。

後ろ扉で生徒たちを待ち受ける運転手が、素早く車内で車椅子の位置を決め、前輪と後輪にフックを掛け、微動だにしないよう固定していく。

短躯で筋肉質。運転手は短く刈り上げた額からしたたり落ちるる汗を、首から下げたタオルでごしごし拭っている。

弱きを助け、正義を貫く。

働く親父の逞しい背中に、感情過多の妻が目を潤ませる。

旅のあいだお世話になった運転手の仕事ぶりは誰もみな、この方のようにとても誠実で頼もしいものでした。

空港駐車場から、最初の目的地「お台場」へ向け出発。

私たちを乗せたバスは巧みに車線変更を繰り返し、高速道路のゲートを通過、流れに乗った回遊魚のようにすいすいと走った。

道の上に道が造られ、前方ではさらにその上を斜め後ろから来たもう一本の道が立体に交差していく。

車窓から見えるのは、ゲームの世界に迷い込んだかのような風景である。

「さっすが、東京の高速道路はレベルが違うわ」妻が目を瞠って感心する。

「建設工学の勝利だ。同じ日本とは思えない…」私もうなずく。

空港の広さ、利用客の多さ、洗練を極めた店舗のデザイン、車線の数、交通量、立体的幾何学模様を描く高速道路網…。

世界に冠たるメトロポリス東京は、決してお上りさんを裏切らない。


                         ○

ガイドブックによると、お台場はいま、首都圏でもっともホットな注目を集めているスポットなのだとか。

(たぶん)人生最初で最後のお台場だから、話題の商業施設を見て回りたい欲はあったものの、今回コースに組み入れられているのはフジテレビ本社見学のみ。

バスを降りて、まず目を魅かれたのが、九月の空をバックに円形のスカイラインを描くカラフルな観覧車と、頭上数十センチから通行人を冷徹に見下ろす銀色の監視カメラ。

海が近いせいか、涼しい風が勢いよく吹いている。

本社ビルに入る。

広々した入口ホールの天井から二、三十メートルくらいありそうなドラマの宣伝広告が、何枚も吊り下がっている。

そのセンターにあるのは、キムタクが型破りな検事を演じる人気ドラマのメガポスター。

非の打ち所のない二枚ぶりに、バギーの上でのの子がにたりと笑み崩れる。

佐伯添乗員に導かれ、エレベーターで天空二十五階球形展望室(通称はちたま)へ。

長女と次女を、ふたり並べて記念撮影。

眼下に東京湾とベイブリッジ、遠くにスカイツリーが霞んで見える。

ほんとに、いい天気で良かった。

ひとつ下の階にくだって、朝の情報番組のスタジオ見学。

「めざましテレビ」というタイトルなら耳にしたことはあるが、うちの朝はラジオ党だから番組を見た記憶はない。

エレベーターで、再び地上へ戻る。

「おお、『アナと雪の女王』がいるぞぉ!」先生の一人が指をさす。

すぐそばの階段広場で、数名のTVスタッフが、アニメーション映画のヒロインに扮したブロンドのタレントをモデルに、丁度ビデオ撮影を行っていた。

養護学校一行から「わっ」と歓声が上がる。

さて東京滞在中、「アナ雪」の次はどんな有名人に会えるだろう。

キャリー・パミュパミュ? 嵐? エグザイル? それとも、マツコデラックス?


                          ○


私たちが投宿したのは東京ベイ舞浜ホテルといって、外観はうすい茶色で楕円形をしたのっぽの建物だった。

ここはディズニーリゾートのオフィシャルホテルで、シャトルバスとモノレールを乗り継げば15分くらいでディズニーランドまで行けるのだとか。

一団ぞろぞろ正面玄関から中へ入る。

ホテル内部は、すとんと真ん中が天井まで吹き抜けの設計になっていて、アトリウム様式のガラス窓から自然光が降り注いでいる。

明るく開放的な雰囲気に、心が浮き立つ。

一階中央フロアはまるごと広いレストランになっていて、各テーブルに開いたパラソルがずらずらっと並んでいる。

屋内なのになんでパラソル? なんて、野暮を言ってはいけない。

素敵なものは、素敵なのだ。

うちの家族には四階の二部屋が割り当てられ、藤野先生、妻、のの子チームと、ニコ、私チームに別れる。

旅装を解いて窓辺に立つと、道路沿いに街路樹の椰子の木が見えた。

ひょろりと背を伸ばした先っぽで、緑の葉がさわさわと潮風に揺れている。

いまから五十時間、夢の王国の市民でいるあいだ、このホテルが私たちのベースキャンプとなるのだ。



                         ○

夕食後、妻から単独行動の許可を得た。

「是非何か記憶に残ることを」と考え、スカイツリー探訪の小冒険を試みることにした(特に、珍しくもないか…)。

ホテルからJR舞浜駅まで、夜道を小走りに駆け出す。

駅舎で慎重に進行方向を見定め、ホームに滑り込んできた電車に乗る。

早速、妻にメールを送信。「東京駅に向かってます、ナウ」。

東京駅で下車。

迷路のような駅地下道を、直観と案内表示だけを頼りに進撃する。

それからは、乗る→降りる→迷う→考える→走る、の繰り返し。

次第に、私の中で二十年眠っていたバックパッカーの血がザワザワ騒ぎ出す。

逐次、メールで妻に現在位置を知らせる。

「上野駅に向かってます、ナウ」。「浅草駅に向かってます、ナウ」。

浅草駅の改札を抜け地表に出ると、夜空にぽっかり上弦の月が浮かんでいた。

吾妻橋の袂から、かの有名な筋斗雲のオブジェがライトに照らされ金色に輝いて見えた。

橋の下、隅田川がネオンサインを映してゆるゆる流れている。

少し歩いたところで、雑居ビルの谷間に淡く青い光を滲ませるスカイツリーを発見。

すでにホテルを出てから一時間余りを経過していたので、冒険はここで終了。

ツリーの写メを一枚妻に送信して、私は踵を返した。

ルートを逆にたどるだけなのだから帰路は簡単、のはずだった。

実際、舞浜駅に戻るまで、何の支障もなく事はスムーズに運んだ。

ところが、駅からホテルまで近道しようとして道に迷い、あろうことか、知らないうちにホテルを通り過ぎてしまい、さらにホテルとは逆方向にがむしゃらに進んでしまい、最後はUターンして大汗をかきかきホテルに帰り着いたものの、時刻は裕に10時を過ぎていた。

急ぎエレベーターで四階へ上がり、こってり叱られることを覚悟で、恐る恐る妻たちがいる部屋のドアをノックした。

娘の修学旅行に同行していながら、保護者として節度に欠ける行動をとってしまったのだから、どんなになじられても私に返す言葉はない。

しかし意外なことに「あら、お帰りなさい」と、妻は予想外の上機嫌な笑顔で私を迎えてくれた。

そればかりか、帰りが遅れた事情を説明すると、「大変だったわね。無事に帰って来られて良かったじゃない」と、労りの言葉まで掛けてもらえた。

ちょっと拍子抜けの気分。

さすが、ここは魔法の国だ。

ベッドの上では、のの子と並んでニコが寝息を立てていた。

寂しがり屋で甘えん坊の次女は、藤野先生にすっかり懐いて「ニコもここで寝る」と、さっさとベッドにもぐり込んでしまったらしい。

「ということは、隣の部屋を俺が一人で使っても良いということかい?」

「どうぞ、ご自由に」

「そいつは、有難てぇ」

立派なダブルルームを独占できる贅沢に、私の頬が思わず緩む。

何から何までお世話になります、藤野先生。


                          ○

一日目の夜は、しっかりと熟睡しておきたかった。

心地良いベッドの上で仰向けになり、眠気が訪れるのをひたすら待ってみたが、今日一日、強い刺激を受け続けた脳細胞の興奮がいつまでたっても静まらない。

「これって拙いかも」

部屋の中を歩き回ったり、柔軟体操をしたり、海の上で点滅する赤や黄色の照明を窓から眺めてみたり…。

思いつく限りのことをひと通り試してみたが、一向に事態は改善されない。

結局、まぶたが重くなることはなく、ほとんど一睡もしないうちに舞浜の空が白み始めた。



















お父やん乱入 ニコニコ日記番外編 二十世紀型映画少年スターウォーズ観賞記録

2016-01-29 14:22:23 | おとやん

2015年、私は生誕五十周年を迎えた(そんなことは、どうでもいい)。

その年の暮れ、「スターウォーズ」の新作「エピソード7・フォースの覚醒」が製作、公開され大きな話題をさらった(のは、みなさんご承知の通りです)。

スターウォーズ第一作が日本に初上陸したとき(1978年夏)、私は中学二年生だった。

二作目公開時は高校一年生、三作目は大学受験に失敗して浪人中。

いずれの折も、映画館に馳せ参じ、手に汗を握り、興奮で喉をからからにさせながら、スペースファンタジーの世界に酔い痴れた。

世にいう「スターウォーズ直撃世代」の私にとって、今回この新作を観に行かないという選択肢は、元より存在しないのであった。

チャップリンや寅さんや西部劇に始まった少年期における私の映画遍歴は、スターウォーズを以って、ひとつの頂点に達した感がある。

十代半ばから後半にかけて、感受性が最も豊かで、理屈なしに「映画を面白い」と思える年令を私はスターウォーズと共に送っていたようだ。

「君は良い時代に生まれて、それなりに豊かな人生を生きてきたんだよ」

私が通ってきた来し方が満更でもなかったことを、一連のサーガが力強く肯定してくれているような気がする。

           
                        ○

 
そんな私も、1990年代後半に製作された四~六作目に関しては、完全にスターウォーズ離れに陥っていた。

映画館へ足を向けなかったばかりか、テレビ放映に際しても、ろくにストーリーを追うことさえしなかった。

最先端の映像技術を駆使しながら、ちょっと不器用な手触りの残るアナログの味わいを大事に保存する。

それが、私にとってのスターウォーズの魅力だった。

ところが、元々マペットとして登場していたヨーダが、四作目以降はフルCGで処理されている。

監督は、本家本元のジョージ・ルーカス。

ルーカス氏を尊敬する気持ちに今も昔も変わりはないけれど、「こんなのはスターウォーズじゃないやい…」やや鼻白んでしまうような気分を、少なからず感じていた。

その後、ルーカス・フィルムは、スターウォーズの製作に関する権利を一切合財ディズニープロに売却。

その影響がどれくらい濃く関わっているのか、興業や宣伝に無知な私にはよくわからないが、このたび公開される新作については、四~六作目のときと世界中の空気の盛り上がり方がまったく異なっているようだ。

映画の公開そのものが歴史の一頁を刻む大イベントになるような作品に、残りの人生で再び巡り合える可能性は、それほど大きくないように思う。

十年の空白を経て、老熟期を迎えた私の映画観が「この作品だけは見逃してはならない」と、落ち着きなく私の心にオーダーしてくるのであった。

行くと決めたからには、早い方がいい。ザ・スーナー、ザ・ベターである。

ちょうど旭川へ出かける用事ができたので、公開三日目の日曜日、パワーズ永山のシネマコンプレックスで13時上映の回を観賞するプランを立てた。
            

                         ○ 


「さあ、明日はスターウォーズを観に行くぞ」

そう決めた前日夜から、筋肉が硬張るような緊張が私を捉えた。

そして、よく眠れないまま朝を迎えるに至った。


                          ○


クリスマス直前の日曜日だけあって、デパートへ向かう買い物の車で、国道四十号線は渋滞を呈していた。

少し遅れたものの、9時30分にシネマコンプレックスに到着。ここまでは、ほぼ予定通りだ。

まず、13時上映の座席を確保するため、受付カウンターを目指す。

ロビーは人で埋まり(ずいぶん親子連れの姿が目立つなあ…)、ここにも渋滞が発生していた。

さすがは人気のスターウォーズ。

この熱気の中で、世界の注目を集めている映画を観られることが嬉しい。

迷うことなく、列に加わる。

目の前に行列を作っている人々はみな、直後の10時上映分のチケットを手に入れようとしているのであろうから、私の座席確保には何の支障もないだろう。

ハハハ、備えあれば憂いなし。私の回の上映までは、まだたっぷり三時間半の余裕がある。

逆に私の胸の中で、毒蛇が鎌首をもたげるように、ひとつの不安が湧き上がる。

「もしかして私は、早く来すぎたのではないだろうか?」

「恐れ入ります、お客様。13時上映分のチケット受付は10時の回の上映開始以降になります。暫くここでお待ち頂くか、もしくは、後ほど改めてお出かけ直し頂くかお願いすることになるのですが」

冷たくあしらわれでもしたら、どうしよう…?

シネコンに不慣れな(そして、デジタル社会への対応を当にあきらめているような)二十世紀型映画少年には、細かいルールがよくわからない。

それは困るのである。

私には、このあとすぐ車を運転して市の中心部を目指し、旭川駅近くで足さなければならない用事が控えている。

ここで暫く待つことなどできないし、再びシネコンに戻って来るのは上映時間間際である。

私は今すぐ、座席を確保しなければならないのだ!

でも、そんなのは要らない心配でした。

順番が回ってきたので、私は事前購入していた前売り券を提示した。

「13時の回の座席をお願いします。」

「13時のスターウォーズですね? 少々、お待ちください」

カウンターの受付嬢は爽やかなふたつ返事で、手際よく発券に応じてくれたのであった。


                         ○


三件の用事を消化し、パスタで軽めの昼食を済ませ、12時30分頃永山パワーズに戻った。

ロビーで待つほどもなく、入場の案内が始まる。

早速、入場する。

「あれ…?」意外に思った。

館内の照明が落ちて、広告映像がスクリーンに映し出されるようになっても、あまり席が埋まらない。

客の入りは半分か、あるいはそれ以下か。

では、私が9時すぎに見た、ロビーの人だかりはいったい何だったのか?

後に判明したことであるが、その時間帯ロビーにたむろしていた人々のほとんどは「妖怪ウォッチ」のお客さんであったらしい。

道理で、親子連れの姿が目立ったのも肯ける。

スターウォーズ熱はまだ、列島末端旭川まで、十分な波及を果たしていないのか。


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長々続いた近日公開作の予告が終わり、ようやく「スターウォーズ・フォースの覚醒」本編の上映が始まる。

フルオーケストラの奏でる重厚で華やかなテーマ曲が耳を撃ち、広げた紙巻物が引き上げられていくように、スクリーン手前から奥へと(もしくは、銀河の遥か彼方に向かって)解説の字幕が流れ去っていく。

慄えました。哭きました。

今回、私だけでなく世界中多くのファンが、この約束されたオープニングに涙を流す目的で「スターウォーズ」を観に行ったのではないでしょうか。

「うん。何年経とうが、スターウォーズはスターウォーズだ」そして、私は私だ。

アイデンティティの確認と、そのことによってもたらされる深い安堵の感覚。

それこそ、スターウォーズを観る主要なテーマであると、私はここに断言したい。

初期の作品では、敵味方双方の戦闘員の身のこなしに、ちょっと緊張感の足りないところがあって、そのゆるい感じが得も言えぬ味わいを醸し出していた。

それも、今は昔。

今作で、手を抜いた動きをしているようなストームトルーパーは一人もいない(が、そのことにやや寂しい気がしないでもない)。

性懲りもなくハン・ソロが借金を踏み倒して、債権者の雇った賞金稼ぎに追われているのがいい(事前の情報の流入を一切カットし、映画の内容を全く知らなかった私は、H.フォードの出演! にたいそう驚いた)。

オンボロだのポンコツだの、悪口を叩かれながら、ミレニアム・ファルコン号がバリバリ現役の姿で飛び回る絵は、殊のほか嬉しかった。

新登場のドロイドBB8が、ダルマのような体躯で、砂漠の上を泡を喰って逃げ回る様子が愛らしい。

フォースの暗黒面のイコンとして登場するカイロ・レンは、なかなか悪い奴になりきれず、司令官としてもまだまだ未熟で、部下の失態の報告を受けると怒っちゃってライトセーバーを振り回し、精密な計器類を滅茶苦茶に壊してしまう。

今後、続編では彼の成長と変貌の様子が、物語を支える柱になるのだろう。

Xウィング・スターファイターとTIEファイターの対決。

エースパイロットの操縦する両軍戦闘機が、空中で激しくバトルを展開する。

スリルとスピード感が圧倒的であることは言うまでもない。

まるで、動体視力を鍛えるテストかトレーニングを受けているみたいだ。

もしこれを3D画面で観ようものなら、その脅威的な迫力はいかほどのものになってしまうのか?

想像すると、空恐ろしい気がしてくる。

古くさい映画鑑賞眼しか持たない私には、3Dはドラッグのように思えてならない。

一度手を出したら後戻りが効かなくなってしまいそうで、今のところまだ(実は興味はあるのだけれど)、3Dの映画体験は回避している。

それに、3D効果がもたらすビジュアルインパクトの大きさは、作品の正当な評価の機会を奪ってしまうことになるのじゃないのかな?

ファルコン号の復権と並んで嬉しかったのは、ハン・ソロとレイア姫の恋愛が、物語の縦糸として脈々と受け継がれていたこと。

これって、「カサブランカ」の続編を35年後にH.ボガードとI.バーグマンの共演で映画化するようなものですから。

俳優さんたちが、みんな元気で良かったです。

英雄が対峙する場面では、暫く銃声が止む。

そして、決着のついたあと、再び銃撃戦が始まる。

その間合いも、絶妙でした。

過去に作られたシリーズ六作品のなかで最大の衝撃は、何といっても、二作目でダース・ベイダーがルークに「私はお前の父だ」と告げるシーンだろう。

突然の父親宣言に、ルークは激しく動揺する。

そのとき、映画館の座席の上で私(当時高校一年・16才)は、危うくアゴが外れそうになるくらい、もしかしたら当事者であるルーク本人よりも驚いたかもしれない。

第三作で明らかになる、ルークとレイア姫が兄妹だったという事実も、とても新鮮だった。

今作でも物語のクライマックスに、大胆な仕掛けが観客を待ち受けていましたね。

それは、観てのお楽しみ。

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「スターウォーズを観て来たよ」そう人に話すとまず、必ず「面白かった?」と訊かれることになる。

しかし、その質問を受けて私は、いささか返事に困ってしまう。「ウ~ム…」。

とりあえず「面白かったョ」と答えておけば、場が丸く収まることはわかっているのだが、面白かった(あるいは、面白くなかった)という視座で、私はスターウォーズと向き合っていないようなのだ。

そもそも、正義の騎士たちが悪党どもと戦うディズニー映画なのだから、最後はどうなるか結果は見えている。

私とスターウォーズの関係性は、歌舞伎と歌舞伎ファンの距離感に相通ずるものがあるのではないかと推察する。

「勧進帳」を観に行く歌舞伎ファンの方々は、斬新なストーリーの飛躍に期待を寄せているのではないでしょう。

仕草の美しさや、型の荒々しさ、人間味豊かで爽やかな心の在り方…。

歌舞伎ファン同様、私もきっと、それらの要素をスターウォーズに求めているに違いない。

私の中でスターウォーズはいつしか、私的な伝統芸能として結晶化されてしまったようである。


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「スターウォーズ・フォースの覚醒」を観終わって、最初に思ったのは「自分はまだまだ死ぬ訳にはいかないよなあ」ということ。

必ず生きて(そして、健康な体で)、是非とも最終話「エピソード9」まで見届けなければならない。

次の目標は、はっきりしている。

数年内に製作される次回作を、娘といっしょに観に行くことだ。

音響効果など強すぎる刺激を考慮して、今回は同伴を許さなかったが、その頃には娘も、私が初めてスターウォーズを体験した年齢に達していることになる。

スターウォーズが与えてくれた「新たなる希望」とともに、明日からも生きていこうと思う。

みなさんも、フォースと共にあらんことを。