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Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

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ゲイ(男性同性愛者 / ホモセクシュアル)の Nikkoh が、徒然なるままにいろいろ書いてます。
マスキュリズム / メンズリブ にも関心があり、調べたり考えたりしています。
※ マスキュリズム(masculism) = 男性に対する性差別(男性差別)の撤廃を目指す思想・運動。フェミニズムの対置概念とされますが、僕は、並置概念と言いたいと思っています

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・ ここのブログは同性愛者が運営しており、同性愛の話題がたくさん出てくるブログです。また、管理人はマスキュリズム / メンズリブ にも関心を持っており、それらに関する記事も多いです。その点をご承知の上でご覧ください。(各人の責任で、読む記事を取捨選択してください)

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[(極私的な)ゲイFAQ] 第5回 ゲイを受け入れることに関して / その他

2013-06-22 10:32:03 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
《 極私的なゲイFAQ 》というシリーズの第5回目です。一応最終回です。
ゲイについて、主に非当事者の方が抱くのではないかと想定される質問に、ゲイの僕が答えてみるという企画です。

ここで注意して欲しいのは、あくまでもこれは僕の個人的な回答だということです。僕は確かにゲイの1人ではありますが、ゲイの代表ではありません。ゲイと一口にいってもいろんな方がいますから、ここに記載した内容を直ちに一般論として捉えることのないように くれぐれもお願いしたいです。
また、同性愛FAQとせずゲイFAQとしたのは、僕はゲイ(男性の同性愛者)であり、女性のことやレズビアンのことについてはほとんど分からない からです。女性の同性愛についての情報を求めてこられた方は、その点承知の上でご覧くださればと思います。ある程度の参考にはなるかもしれません。

第1回~第4回へのリンクは、末尾に掲載してあります。ご覧ください。

第5回  ゲイを受け入れることに関して / その他

5-1:ゲイであるということは自分自身の中ではすんなり受け入れられましたか?

僕の場合は、わりとすんなり受け入れることが出来ました。ただし、「このことは誰にも知られたらいけない」という認識を同時に持ちました。

ゲイであることに気づいたのは小学5年生頃。周りの男の子たちがしだいに女の子への興味を持ち始める中、僕の中では男の子への興味が膨れあがっていく一方でした。それは時間が経つにつれてはっきりしていきました。
なお、誤解の無いように書いておきますが、僕は自分が「男の子である」ということに違和感を持ったわけではありません。そこには揺らぎが無く、「僕は男の子だけど、男の子にすごく惹かれる種類の人間なんだなー」とクールに思っていた感じです。
そんな風に、自分の内面に限れば、拒絶感も喜びもなく、事実として淡々と認識していたと思います。
でも、そのことを他者に知られたらいけないという観念は強く持っていましたし、知られたらリスクがあるということも、幼いながらに承知していたと思います。

以上は僕の場合の話ですが、ゲイの中にはもちろん、自分がゲイであることが全然受け入れられない人もたくさんいます。
「大きくなったら女性と結婚して、子どもを授かって、お父さんになって……」という、一般的な男性のライフストーリーを、強く思い描いている子にとって、それが困難になるという事実を、思春期が始まったばかりの時期にいきなり突き付けられることはやはり衝撃でしょう。大きな葛藤を生むはずです。
また、周りの多くの男の子とは違う種類の男の子であるということで、その事実を一切秘めたまま、そういう自分自身とうまく付き合っていかねばならないというのは結構な重荷です。
彼らが秘めることなく相談できるような環境を用意することは、やはり必要なことだと、僕は考えています。


5-2:ゲイであることは周りに明かしていますか?

今の僕は、基本的には隠して生きていますが、一部の人に対しては明かしています。
本名まで知っている方の中にも、僕がゲイであることを知っている人がいますし、Nikkoh さんというある種の《 仮面 》の下で明かす場合もあります。
友人の 豆腐さん が主催している セクシュアリティ勉強会 でも、一応 Nikkoh さんという仮面を装着しています。

この勉強会について記した記事の中でカミングアウトについても書いているので、よろしければ併せて読んでみてください。

世の中には、開示したゲイと、秘密のゲイがいます。これはどちらがいいという性質のものではなく、その人がどうしたいかによって決めていけばいいと思っています。
僕としては、完全に開示してしまうことにリスクを感じますし、そこまでのことをする勇気もないですし、必要性も感じないので、完全開示はしていません。
かといって、絶対に秘密を貫かなければという風にも今は思わないので、選択的に開示しているというわけです。


5-3:ゲイって差別されてるんですか?

ゲイは差別されているのか。これは難しい問題ですね。下手なことを言うと、攻撃されることにもなりかねない、危険な話題だと思います。

結論から言えば、差別はされているのではないかと思います。ただ、その多くはマイノリティ(少数者)であればゲイに限らず抱えるような種類のものではないかと思います。

例えば、「ゲイだから」という理由で会社を解雇になってしまったり、借家を追い出されてしまったり、誹謗中傷を受けて名誉を毀損されたりというようなことが現実にあれば、それは明らかに差別だといえるでしょう。
でも、今の日本でそういう事例がどのくらいあるのかは疑問です。

同性カップルには結婚という選択肢が付与されていないという意味で、結婚が異性相互にしか認められていないということも、差別にあたると思います。近年、国際的に話題となっている、結婚制度の変革はこの視点によるものです。
僕は同性カップルへ選択肢を拓くことで困る人はほとんど居ないと考えていますが、やはり「認めたくない」という人はいるでしょうし、その気持ちを安易に踏みにじって良いものかという思いも少しあります。
現実問題として、「異性カップルが圧倒的多数派でなければ人間という種を維持していくことはできない」ので、「異性カップルを奨励する意味で、異性相互にのみ結婚が認められ、政府に祝福されるのだ」という考え方も、世の中にはあるようです。これも理屈としては分かる部分があります。

好奇の目で見られるとか、ネタにされたり嘲笑されたりするとか、心ないことをズケズケと言われるということは、やはり嫌なものですし、苦痛ではありますが、これは《 差別 》というよりは《 無知 》や《 偏見 》と言った方が適切ではないかと思います。そして、マイノリティ(少数者)は、ゲイに限らずこういう目に遭うものです。つまり、ゲイに特有の問題では無いと思います。

また、忌避する人がいるとか、気持ち悪がる人がいるという点については、その人の好悪感情である以上は他者がとやかく言える性質のものではないと思います。もちろん無知や偏見の解消によって、「嫌い」から「好きでも嫌いでもない」へ移行することはあるかもしれません。でも、よく分かった上で「嫌い」という人がいてもいいですし、その気持ちも尊重されなければならないと思います(内面にその気持ちを留めている限りにおいては)。
ゲイフォビア(同性愛嫌悪)は、それそのものは善でも悪でも無いのではないかと思うのです。もちろん、それが高じて、不当な攻撃・暴力へと転じたり、ヘイトクライム(憎悪犯罪)が起こってしまえば問題です。このレベルまでいけば、もはや《 差別 》というよりは《 犯罪 》でしょう。

いずれにせよ、「僕らのことを好きにならなきゃそれは差別っ!」というのは傲慢ですし、「嫌い」とか「好きでも嫌いでもない」という人の存在も尊重しなければならないと考えています。
特に、実際のところは、「好きでも嫌いでもない」にあたる人が多数派なのではないかと、僕は考えています。


5-4:ゲイって所詮は好き勝手やってるだけでしょ?

僕は、「好き勝手やっている」つもりはありません。
まず、そもそも、望んでゲイになったわけではありません。たまに「ゲイ(ホモ)に走る」とかいう言い方をする人がいますが、その表現とはほど遠い認識をしているゲイがかなりいます。

左利きの人は、望んで左利きになったわけではありません。ベジタリアン(の多く)は、望んでベジタリアンになったわけではありません。目や耳の不自由な人は、望んで目や耳が不自由になったわけではありません。
ただ、その属性と巧く付き合って生きていくまでのことです。
左利きの人が左利き用のハサミを使ったり、ベジタリアンの人が肉食を拒否したり、目が不自由な人が点字ブロックの設置を要請してそれに頼って歩行したり、耳が不自由な人が手話や筆談を求めたりすることは、決してわがままではありませんし、好き勝手な生き方では無いと思います。

ゲイも、基本的にはこれと似ていると考えています。ぜひ照らし合わせて考えてみてください。

ところで、ゲイとして生きている人の中には、自分がゲイであることを肯定的に捉えている人も、否定的に捉えている人もいます。
僕は前者ですので、自分に正直に生きていくまでです。それを「好き勝手やっている」と見る人がいるのだろうなあということは想定済みです。ある程度は仕方ないなという諦念みたいなものもあります。
一方後者のタイプは、仮に《 ゲイを治す薬 》が発明されれば、それを服用したいと願うような人々です。彼らは望みもしないのにゲイに生まれてしまい、それが嫌で仕方ないのに、「好き勝手やっている」と言われれば、心をえぐり取られるほどの強い痛みを覚えるでしょう。
ぜひ、そういう人の存在も頭の片隅に入れておいてもらえたらうれしいなあと思います。

なお、「好き勝手やっている」という言い方の裏には、「そういう連中が相手だから何をやってもいいんだ」という理屈が隠れていると思います。でも、例え好き勝手やっている連中だったとしても、それを理由に攻撃をしてもよいことにはならないと思います。もしそうでなければ、ある特定の趣味を持つ人を不当に攻撃することが正当化されてしまいますからね。


5-5:「同性愛を受け入れよう」と言われても、同性に恋したり同性と性的な行為したり、そんなことは想像するだけで気持ち悪くなるのですが…

同性愛者ではない人が、「同性愛を受け入れる」とはどういうことなのでしょうか。
それは、同性愛者が社会の中に存在していることを認める(尊重する) ことだと思います。
存在を認めるだけで良いのです。自分が同性愛者に共感する必要性はありませんし、まして同性愛者になる必要性などは皆無なのです。
要は、「貴方自身が同性愛者になる必要は微塵も無いですし、もし同性愛者だったらという仮想をする必要性も全くないですよ」ということです。

異性愛者が、「自分が同性に恋したり同性と性的な行為をしたり」ということを想像すれば、気持ち悪くなるのはある意味当然のことです。
また、「同性愛者どうしがいちゃついている姿をリアルに思い浮かべる」ことで、生理的に嫌悪感を持つ人も一定数いることでしょう。
あるいは、同性愛者向けのポルノなどを見れば、生理的に拒絶感が出てくることでしょう。
だから、そんなことをする必要は全くないのです。

僕は煙草が大嫌いです。自分が煙草を吸うなどということはまずあり得ませんし、近くで煙草を吸われても不快です。
でも、世の中には煙草が大好きな人がいることを知っていますし、彼らが存在することを否定しません。
もちろん、僕に喫煙を強制する人がいれば拒絶しますけれども。

僕はお酒も嫌いですし、下戸なので体質的に無理です。極端な話、お酒なんか無くても全然困りませんし、むしろ快適なくらいかもしれません。
でも、世の中にはお酒が大好きな人がいることを知っていますし、彼らが存在することを否定しません。
もちろん、僕に飲酒を強制する人がいれば拒絶しますけれども。

正直、僕は喫煙者にも飲酒者にも共感はできませんし、一緒になって楽しむこともできません。でも、存在はしっかり認めています。「僕は嫌いだし、良さも全然わかんないけど、好きな人もいるんだねー」という感じでしょう。

《 同性愛を受け入れる 》と言ったときもこれと似ていて、別に同性愛者に共感する必要もなく、一緒になって楽しむ必要もなく、ただ存在していることを認めればいいのだと考えています。
そして、煙草や飲酒の強制にあたるのが、同性愛の場合は同性愛者による同性へのセクハラだと思うのですが、そういう不快なことをしてくる人がいれば、きちんと拒絶すればいいのです。

例え嫌いな存在でも、生理的に受け付けない存在でも、「存在していることそのもの」を否定してはやはりまずいと思います。同性愛を受け入れるということも、そういった性質のものだと考えます。


5-6:このブログ読んでると、白ブリーフだの尻叩きだの、あなたは変態にしか思えないのですが、ゲイってやっぱり異常性欲で変態なんですよね?

まず、総合的に見て僕は《 変人 》です。また、《 変態 》と言われても弁明できないとも思っています。
自分から《 変態 》を名乗ることもあります。
とはいえ、それは、僕のフェチズムに起因するものです。白ブリーフフェチ,白短パンフェチ,スパンキングフェチなどの持ち主であるが故に《 変態 》と言われるのは、当然だとも思いますし、自分でも《 変態 》だなあと思うので問題ありません。
ケツ叩きのお仕置きを受けて興奮するなど、やっぱり倒錯していますから。

ただ、ゲイそのものは、これらとは区別して考えなければならないと思います。
ゲイはあくまでも性的指向の問題です。恋愛対象・性愛対象が同性であるということのみを意味しているのであり、そこにはそれ以上の意味はありません。
したがって、ゲイであるから直ちに《 変態 》とか《 異常性欲者 》とかいうのはやめて欲しいなあと思います。

異性愛者の中にも、結構変態がいますよね。SMとかスカトロとか、とにかく色々なフェチを持つ人が居そうです。
彼らも僕と同様に《 変態 》ですが、それはそういうフェチの持ち主だからですよね。決して、「異性愛者だから」ではないはずです。

僕は《 変態 》ですが、それは先述したフェチたちに由来するものです。もし、「ゲイであること」(つまり男性が恋愛対象・性愛対象であること)を理由に《 変態 》と言われることがあれば、それは違うと思いますし、反論します。

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これで第5回は完結です。それと同時に、このシリーズも一応完結となります。
お読み下さってありがとうございました。

第1回  イントロダクション (5月30日更新!)
1-1:ゲイやレズビアンってどのくらいいるのですか?
1-2:ゲイって、「ホモ」と同じことですよね?
1-3:いつからゲイになったのですか?
1-4:なぜゲイになったのですか?(なぜ男性が好きなんですか?)
1-5:女性恐怖症だからゲイになったのですか?

第2回  ステレオタイプなゲイのイメージに関して  (6月1日更新!)
2-1:メディア等に出ている人たちと全然違うのですが、あなたはゲイなのですか?
2-2:「女性の心」で男性を好きになっているのですか?
2-3:女性の身体になりたいと思っているのですか?
2-4:女装したり女性言葉を使ったりはしないのですか?
2-5:男性であれば相手は誰でもよいのですか?
2-6:ゲイってオシャレでセンスが良いというイメージなのですが…?

第3回  ゲイを異性愛者に転向させることに関して (6月8日更新!)
3-1:異性愛者になりたいと思いませんか?
3-2:異性愛者に変わることは絶対に無理なのですか?
3-3:本当に女性に性的な興味はないのですか?
3-4:ゲイを治療して異性愛者に戻すことはできないのですか?

第4回  子孫を残したり(女性と)結婚したりということに関して (6月14日更新!)
4-1:子孫を残せない同性愛者が増えると社会が衰退するのでは?
4-2:子どもが欲しいとは思わないのですか?
4-3:人間が生物である以上、子孫を残すのが自然ですよね?
4-4:女性に恋はできずとも、女性と結婚する可能性は無いのですか?


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[(極私的な)ゲイFAQ] 第4回 子孫を残すこと・結婚すること

2013-06-14 21:21:13 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
《 極私的なゲイFAQ 》というシリーズの第4回目です。
ゲイについて、主に非当事者の方が抱くのではないかと想定される質問に、ゲイの僕が答えてみるという企画です。

ここで注意して欲しいのは、あくまでもこれは僕の個人的な回答だということです。僕は確かにゲイの1人ではありますが、ゲイの代表ではありません。ゲイと一口にいってもいろんな方がいますから、ここに記載した内容を直ちに一般論として捉えることのないように くれぐれもお願いしたいです。
また、同性愛FAQとせずゲイFAQとしたのは、僕はゲイ(男性の同性愛者)であり、女性のことやレズビアンのことについてはほとんど分からない からです。女性の同性愛についての情報を求めてこられた方は、その点承知の上でご覧くださればと思います。ある程度の参考にはなるかもしれません。

第1回~第3回へのリンクと、第5回の予定は、末尾に掲載してあります。ご覧ください。

第4回  子孫を残したり(女性と)結婚したりということに関して

4-1:子孫を残せない同性愛者が増えると社会が衰退するのでは?

もし社会全体が同性愛者だったら、人類という種は確実に滅亡します。半数が同性愛者でも確実に衰退すると思います。つまり、同性愛者の比率がある一定割合を超えてしまうと、社会の衰退や人類という種の滅亡は免れないといえそうです。

でも、現実には同性愛者は人口比で3~5%しかいません。この比率は安定していて増減するものでもないようです。
過去ずっと、人口比3~5%の同性愛者が存在していながら、人類の総人口は増加の一途をたどっています。文明もどんどん進歩しています。この実験結果を受け入れるならば、同性愛者が存在しているからといって社会が衰退することは無いと言えると思うのですが、どうでしょうか。

同性愛者はこれまでずっとマイノリティ(少数者)でしたし、これからも、未来永劫、人類という種が存続する限りはマイノリティであり続けるはずです。
それは、異性愛者として生まれ、そう自覚している人が、「同性愛者になりたい」と思うことが稀であることに依っている部分も、もしかしたらあるのかもしれません。もしそうならば、仮に「同性愛者になりたい」という人が著しく増えたとすれば、状況は変わってくるのかもしれませんね。でもそういうことは想像しづらいです。これを読んでくださっている異性愛者の方、あなたは同性愛者になりたいですか?

また、第3回(ゲイを異性愛者に転向させることに関して) で書いたとおり、異性愛者が同性愛者になったり、同性愛者が異性愛者になったり、性的指向を意図的に変更することは著しく困難なものとされています。つまり、「同性愛者になりたい」と思ったところで、本当に同性愛者になれるのかといえば、それは疑問符が付きます。

僕は、自分の同性指向を、生得的なものであると認識しています。もう少し平たく言えば、僕は同性愛者であることを自分で選んだという意識は全くなくて、自然とそうだったということです。同じような認識を持つ同性愛者は多いと思います。僕が言いたいのは、そういう数%の人間が、マイノリティとして社会の中に存在していることを認めて(許して)欲しいなあということです。

4-2:子どもが欲しいとは思わないのですか?

僕個人としては、子どもを育ててみたいという思いは結構強いのです。
子どもが好きだということもありますし、実父を反面教師として見ている面が強く、自分自身が父親になってみたいのです。
そして、やはり、自分の子どもの顔というのは拝んでみたいものです。
でも、現実味はありませんね。これはもう、半ば諦めています。

4-3:人間が生物である以上、子孫を残すのが自然ですよね?

子孫を残すと言うことは、確かに人間が生物であることを考えれば、自然なことなのでしょうし、大切な営みだといえるでしょう。
でも、世の中には、例え異性愛者だったとしても、さまざまな理由でそれが出来ない人もいます。もちろん同性愛者の多くも、《 それが出来ない人 》に入るわけです。
確かに子孫を残すことは大切な営みですが、それがすべてではないはずです。無理ならば無理で、社会に貢献することはいくらでも出来ると思います。子孫を残せない人だって、決して無駄な存在などでは無いと信じています。

4-4:女性に恋はできずとも、女性と結婚する可能性は無いのですか?

僕に関して言えばほぼ0%だと思います。女性に恋を出来ない(+性的に一切惹かれない)僕が、女性と結婚しなければならない理由が見あたりません。世間体の為でしょうか。そのために自分を偽って、そして相手となる女性を騙して結婚するというのは、僕はやっぱり嫌です。そんなことをしても誰も幸せになれないと思うのです。

僕がゲイと言うことを承知の上で、僕と結婚したいという女性が仮に現れた場合はどうするのかと言えば…。そんなことは現実にほとんど起こりえない事とも言えそうですが、万一起こった場合は、どうしてそんなことを思ったのかを訊ねてみたいですね。そして、僕は大いに悩むと思います。

なお、世の中には既婚のゲイ(つまり女性と結婚しているゲイ)もそこそこ居ますし、子どものいるゲイも居ます。それは事実として申し添えておきます。

これで第4回は完結です。

以下、過去の分へのリンクと今後の更新予定です。変更される場合もあるので、悪しからずご了承下さい。

第1回  イントロダクション (5月30日更新!)
1-1:ゲイやレズビアンってどのくらいいるのですか?
1-2:ゲイって、「ホモ」と同じことですよね?
1-3:いつからゲイになったのですか?
1-4:なぜゲイになったのですか?(なぜ男性が好きなんですか?)
1-5:女性恐怖症だからゲイになったのですか?

第2回  ステレオタイプなゲイのイメージに関して  (6月1日更新!)
2-1:メディア等に出ている人たちと全然違うのですが、あなたはゲイなのですか?
2-2:「女性の心」で男性を好きになっているのですか?
2-3:女性の身体になりたいと思っているのですか?
2-4:女装したり女性言葉を使ったりはしないのですか?
2-5:男性であれば相手は誰でもよいのですか?
2-6:ゲイってオシャレでセンスが良いというイメージなのですが…?

第3回  ゲイを異性愛者に転向させることに関して (6月8日更新!)
3-1:異性愛者になりたいと思いませんか?
3-2:異性愛者に変わることは絶対に無理なのですか?
3-3:本当に女性に性的な興味はないのですか?
3-4:ゲイを治療して異性愛者に戻すことはできないのですか?

----- 以下更新予定 -----

第5回  ゲイを受け入れることに関して / その他 (6月22日更新!)
5-1:ゲイであるということは自分自身の中ではすんなり受け入れられましたか?
5-2:ゲイであることは周りに明かしていますか?
5-3:ゲイって差別されてるんですか?
5-4:ゲイって所詮は好き勝手やってるだけでしょ?
5-5:「同性愛を受け入れよう」と言われても、同性に恋したり同性と性的な行為したり、そんなことは想像するだけで気持ち悪くなるのですが…
5-6:このブログ読んでると、白ブリーフだの尻叩きだの、あなたは変態にしか思えないのですが、ゲイってやっぱり異常性欲で変態なんですよね?


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[(極私的な)ゲイFAQ] 第3回 ゲイを異性愛者に転向させることに関して

2013-06-08 12:00:59 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
《 極私的なゲイFAQ 》というシリーズの第3回目です。
ゲイについて、主に非当事者の方が抱くのではないかと想定される質問に、ゲイの僕が答えてみるという企画です。

ここで注意して欲しいのは、あくまでもこれは僕の個人的な回答だということです。僕は確かにゲイの1人ではありますが、ゲイの代表ではありません。ゲイと一口にいってもいろんな方がいますから、ここに記載した内容を直ちに一般論として捉えることのないように くれぐれもお願いしたいです。
また、同性愛FAQとせずゲイFAQとしたのは、僕はゲイ(男性の同性愛者)であり、女性のことやレズビアンのことについてはほとんど分からない からです。女性の同性愛についての情報を求めてこられた方は、その点承知の上でご覧くださればと思います。ある程度の参考にはなるかもしれません。

第1回~第2回へのリンクと、第4回以降の予定は、末尾に掲載してあります。ご覧ください。

第3回  ゲイを異性愛者に転向させることに関して

3-1:異性愛者になりたいと思いませんか?

僕の場合は、異性愛者になりたいとは思いません。
異性愛男性の多くが、おそらく同性愛者になりたいと思わないと想定していますが、それと同じです。
僕にとって自分自身がゲイであることはごくごく自然なことですし、そういう自分を完全に受け入れていますので、異性愛者にあこがれもありませんし、なりたいとも思いません。

ただし、僕は異性愛を尊重しています。それは大きく2つの理由によります。
1つは、もし異性愛が無ければ僕はこの世にそもそも存在していないからです。父と母の間に異性愛があったからこその僕なのです。
もう1つは、立場を置き換えてみれば、世の中の大半を占める異性愛者にとって異性愛は自然だし尊いものだということが分かるからです。

なお、同性愛者の中には、もちろん出来ることならば異性愛者になりたいと考えている人もいるはずです。そのことは申し添えておきます。

3-2:異性愛者に変わることは絶対に無理なのですか?

異性愛者が同性愛者になろうとしても、大方無理ではないでしょうか。恋愛感情を持ったり、性的に惹かれたりするというのは、まさに《 自然に 》なるものであって、意図して引き起こすものではない と思いますし、そんなことって出来ないと僕は思っています。
そういう観点から、僕は、同性愛者が異性愛者になるのも大方は無理だと考えています。

ただ、絶対に無理かと言われれば、《 絶対 》ではないとも思います。とはいえ、それは、意図して変わるというものではありません。
性的指向( = 異性に惹かれるか,同性に惹かれるかという方向性)は、グラデーションのようになっていて、どんな人にも異性への指向と同性への指向が具わっているそうです。ただしその比率が人それぞれに違います。結果として、同性指向の比率が著しく高い僕のような者は自分を同性愛者として認識するし、半々くらいであれば両性愛者と認識したり、異性指向の比率が高ければ異性愛者として認識する(これが多数派)と考えられます。
それで、「自分は同性愛者だ」と思っている人でも、例えば同性指向85%+異性指向15%だったりします。すると、ふと異性指向15%が発動して異性に恋することがあるかもしれません。そのときにその人は、「自分は異性愛者に変わった」と感じるかもしれませんね(実際にはもともとあった異性指向が発現しただけですが)。
もちろんこれは「自分は異性愛者だ」と思っている人にも起こり得ると思います。異性指向85%+同性指向15% だった場合、ふとしたことで同性指向15%が作動すれば同性に惹かれますし、そのときに「自分は同性愛者に変わったのか?」と感じることでしょう(真相はもともとあった同性指向が発現しただけ)。
もっとも、先にも述べましたが、これは望んで変化したという訳ではありません。やはり、望み通りに性的指向を操作することは、著しく困難だと思います。

3-3:本当に女性に性的な興味はないのですか?

ありません。僕の場合、女性への性的興味は皆無です。
異性愛男性の多くが、男性に性的興味を感じないと思いますが、それと同じくして、僕は女性に性的興味を感じません。
例えば、仮に、目の前に裸の女性がいたとしても、何も感じないでしょう。
少し卑猥な話をすると、女性の胸の膨らみよりも、男性の股間の膨らみの方が気になります。女性の胸元から見えるブラジャーよりも、男性の短パンからちらりと見えるブリーフの方が気になります。
異性愛男性向けのポルノ雑誌やAVなどを、仮に見たとしたら、きっと男性モデルにばかり目が行くことでしょう。
これは僕にとっては自然なことです。

3-4:ゲイを治療して異性愛者に戻すことはできないのですか?

同性愛は病気ではなく、いかなる場合においても治療の対象とはならないというのが、現代医学の見解です。
少し歴史を追ってみると、以下の通り、かつて同性愛は精神障害の一種として治療対象とされていましたが、1990年代半ば以降は、上述の通り、疾病や傷害とは見なされず、治療の対象ともしないことになっています。
『1952年にアメリカ精神医学会が発表した「精神障害の診断と分類の手引き」(DSM-Ⅰ)には、同性愛者は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていた。その後、1973年の「DSM-Ⅱ」では同性愛の記述は削除され、「DMS-Ⅲ」では「自我違和的同性愛」と規定されたのだが、1988年の「DSM-ⅢR」、1994年の「DSM-Ⅳ」では同性愛の分類自体なくなったのである。また世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD)の改訂第10版でも、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」とされた。すでに世界的には同性愛は治療の対象や人格障害の範疇から除外されているのである。』( 引用元は、こちら

なお、この点については、こちらの記事 が参考になると思います。
(カリフォルニア州の、ゲイをヘテロセクシュアル(異性愛)に転向させることを目的とする、いわゆる「性的指向の回復療法」を禁止する法律について論じた記事です)

ところで、世の中にはいろんな方がいますから、中には こちらのQ&A の質問者さんのように感じる方も存在します。

同性愛嫌悪(ゲイフォビア)について、僕としては、他者がとやかく言う性質のものではないと考えています。好きか嫌いかという個人の内面の好みの問題ですから、誰も介入できませんし、すべきでもありません。したがって、「同性愛者は嫌いだ」という人がいても良いと思います(もちろん悲しいですが)。

※ なお、同性愛嫌悪(ゲイフォビア)が高じて、現実の同性愛者への不当な攻撃が行われるようになれば、やはりこれは問題だと思います。また、さらにエスカレートして、憎悪犯罪(ヘイトクライム)が発生してしまうようなことになれば、一人の同性愛者としては多大なる恐怖心を持ちます。人間誰しも、嫌いで嫌いで仕方ない存在が世の中にあると思いますが、その気持ちは出来るだけ心の中へ留めておく努力をすることが求められると僕は思っています。

『同性の人にそういう目で見られたら不快』とか、『同性愛者の存在そのものがセクシャルハラスメントみたいなものだ』といった感じ方をする人は、一定数いると思います。それは僕にも理解できます。
(僕は満員電車の中で、隣に立っている女性にジロジロジロジロ見られ続けて辟易したことがあります。僕のことを痴漢か何かと思ったのでしょうか。だとしたら失礼な話ですし、勘違い甚だしいです。あいにく僕は痴漢ではないし、まして女性に一切の性的関心を持たない純正のゲイなので、その人に痴漢することはまずありえません。「あんた私に痴漢する気でしょ!」って、そういう目で女性に見られて僕はすごく不快でした。すなわち、女性から、「私に性的に惹かれてるんでしょ?」って目で見られるのがとても不快ということです。そして、リンク先での質問者さんの書かれた文を読んで、この記憶がオーバーラップしました)
とはいえ、だからといって、僕ら同性愛者を社会から排除・抹殺されては困りますし、現代医学の見解として治療は出来ないわけですから、どう折り合いを付けるのがよいのかは難しいですね。
僕は大声で恫喝するタイプの人がすごく苦手で、『恫喝されたら恐怖』だし『恫喝する人の存在そのものが暴力みたいなものだ』と感じますが、だからといってそういう人たちを排除・抹殺できませんしね。性格を直してもらうといったって、そんな簡単ではないでしょう。彼らにも人格があり人権があるわけですし。かといって、僕も苦しいですし。どう折り合いを付けるのが良いのかわかりません。
この構図と、同性愛者と同性愛に嫌悪感がある人の関係はよく似ていると感じます。だから、僕は、同性愛を嫌悪する人の気持ちも、なんとなく理解はできます。

これで第3回は完結です。

以下、過去の分へのリンクと今後の更新予定です。変更される場合もあるので、悪しからずご了承下さい。

第1回  イントロダクション (5月30日更新!)
1-1:ゲイやレズビアンってどのくらいいるのですか?
1-2:ゲイって、「ホモ」と同じことですよね?
1-3:いつからゲイになったのですか?
1-4:なぜゲイになったのですか?(なぜ男性が好きなんですか?)
1-5:女性恐怖症だからゲイになったのですか?

第2回  ステレオタイプなゲイのイメージに関して  (6月1日更新!)
2-1:メディア等に出ている人たちと全然違うのですが、あなたはゲイなのですか?
2-2:「女性の心」で男性を好きになっているのですか?
2-3:女性の身体になりたいと思っているのですか?
2-4:女装したり女性言葉を使ったりはしないのですか?
2-5:男性であれば相手は誰でもよいのですか?
2-6:ゲイってオシャレでセンスが良いというイメージなのですが…?

----- 以下更新予定 -----

第4回  子孫を残したり(女性と)結婚したりということに関して (6月14日更新!)
4-1:子孫を残せない同性愛者が増えると社会が衰退するのでは?
4-2:子どもが欲しいとは思わないのですか?
4-3:人間が生物である以上、子孫を残すのが自然ですよね?
4-4:女性に恋はできずとも、女性と結婚する可能性は無いのですか?

第5回  ゲイを受け入れることに関して / その他 (6月22日更新!)
5-1:ゲイであるということは自分自身の中ではすんなり受け入れられましたか?
5-2:ゲイであることは周りに明かしていますか?
5-3:ゲイって差別されてるんですか?
5-4:ゲイって所詮は好き勝手やってるだけでしょ?
5-5:「同性愛を受け入れよう」と言われても、同性に恋したり同性と性的な行為したり、そんなことは想像するだけで気持ち悪くなるのですが…
5-6:このブログ読んでると、白ブリーフだの尻叩きだの、あなたは変態にしか思えないのですが、ゲイってやっぱり異常性欲で変態なんですよね?


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[(極私的な)ゲイFAQ] 第2回 ステレオタイプなゲイのイメージについて

2013-06-01 23:24:22 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
《 極私的なゲイFAQ 》というシリーズの第2回目です。
ゲイについて、主に非当事者の方が抱くのではないかと想定される質問に、ゲイの僕が答えてみるという企画です。

ここで注意して欲しいのは、あくまでもこれは僕の個人的な回答だということです。僕は確かにゲイの1人ではありますが、ゲイの代表ではありません。ゲイと一口にいってもいろんな方がいますから、ここに記載した内容を直ちに一般論として捉えることのないように くれぐれもお願いしたいです。
また、同性愛FAQとせずゲイFAQとしたのは、僕はゲイ(男性の同性愛者)であり、女性のことやレズビアンのことについてはほとんど分からない からです。女性の同性愛についての情報を求めてこられた方は、その点承知の上でご覧くださればと思います。ある程度の参考にはなるかもしれません。

第1回へのリンクと、第3回以降の予定は、末尾に掲載してあります。ご覧ください。

第2回  ステレオタイプなゲイのイメージに関して

2-1:メディア等に出ている人たちと全然違うのですが、あなたはゲイなのですか?

メディアに出てくるゲイは、例えばオネエ言葉をしゃべっていたり、女性的なしぐさをしていたりする方がほとんどですね。
でもそれは、メディアが、視聴者が《 面白がりそうな 》人を出しているからにすぎません。
《 普通の 》人を出してもつまらないですからね。
リアルの僕を知っている人に聞けば分かるのですが、僕はオネエ言葉もしゃべらないし、しぐさが女性的なわけでもありません。
その辺の普通のおじさん(まだお兄さんか?)なんです。地味でひ弱でネクラですけど、そんな人はたくさんいますし。
恋愛対象が男性だという点を除けば、異性愛の草食系(虚弱系?)の男性と何ら違いはないと思っています。
黙っていればゲイだということがバレない自信があります
でも、やっぱり恋愛対象は男性ですから、ガチでゲイなんです。純正品のゲイなんです(笑)

実際に世の中に存在しているゲイの中では、オネエじゃない方が多数派だと思いますし、特段女性的なしぐさをしない方が多数派だと思います。
(オネエやしぐさが女性的な方を見下しているわけではありません。ただ、オネエじゃない人や女性的なしぐさをしない人の方が多いという数量的な話をしているだけです。誤解のないようお願いします)

なお、メディアについては、同性愛や同性愛者を面白おかしく扱い、貶め、笑いの対象としている場合が散見され、僕は悲しく思っています。
他にも、スキャンダルとして扱ったり、ステレオタイプな同性愛者像をつくってしまったりといったことも悲しいです。やめてほしいな…

※ 関連記事 : 同性愛を嘲笑の対象にされるのがなぜ嫌か

2-2:《 女性の心 》で男性を好きになっているのですか?

これは難しい質問です。僕自身、よく分かっていないのです。

僕は性自認が男性です。つまり、自分のことを男性として認識していて、そこに揺らぎがまったくありません。
となれば、僕が持っているのは《 男性の心 》ということになります。
前の質問の答えでも触れたとおり、恋愛対象が男性という点を除けば、異性愛の草食系(あるいは虚弱系?)の男性との差異を僕は感じません。
恋愛や性が関係する話題以外では、彼らが一番波長が合いますし、共感できるのです。

ところが、恋愛や性愛が絡んでくると、話はややこしくなってきます。
僕はプロ野球を観るのが好きで、球場へ足を運んだり自宅のPCやテレビで観戦したりします。観戦友達も男女双方います。
それで、そういう友人たちの話を聞いていると、僕は女性の友達の方に共感することが多いのですね。
選手を見る目とか、観戦スタイルそのものが、「あ、彼女たちとすごく似てるな(^^)」って思うのです。
野球選手には恋をしているわけではないですが、特にタイプの選手なんかは、ある種の性愛対象として見ている部分があるのは事実だと思います。
すると、もしかしたら、恋愛や性が関係する部分では、僕は《 女性の心 》を発動させているのかもしれないなあという気もしてきます。
これは例えば野球選手以外でも、俳優さんなんかでも同じだったりします。

以上、いろいろ述べましたが、現時点での結論としては「よくわからない」とさせてください。

※ この件については、こちらの記事(島田暁さんのブログ) も参考になるかもしれません

2-3:女性の身体になりたいと思っているのですか?

女性の身体になりたいとは全く思っていません。もっと言えば、女性の身体になるのは嫌です。
(別に女性蔑視ではありませんよ。僕は今もっている男性の身体が好きで、このまま保持したいと思っているというだけのことです)

この質問をされる方は、おそらく《 同性愛 》と《 性同一性障害 》を混同されているのではないかと思います。
同性愛は性的指向の問題,性同一性障害は性自認の問題であり別問題です。
僕は、男性の身体を持ち,自分を男性と認識していて(=性自認が男性),恋愛対象が男性の、ゲイです。性同一性障害ではありません。僕は自分が男性であるということにいささかの違和感もありません。
次に、男性の身体を持ち,自分を女性と認識していて(=性自認が女性),恋愛対象が男性のAさんを仮定しましょう。
Aさんは、外から見たら僕と同じですが、性同一性障害に当たります。そして、ゲイではありません(自分を女性と認識していて恋愛対象が男性のため)。
もし、「男性の身体を持って生まれたけど、女性の身体になりたい」という人がいれば、ほとんどはAさんのようなタイプだと思います。
(ただし、Aさんのようなタイプが必ずしも性転換を望むわけではないようです。性同一性障害や、もっと広義でトランスジェンダーについては、性別に違和感の無い僕には分からないことだらけです…)

2-4:女装したり女性言葉を使ったりはしないのですか?

僕は女装はしませんし、女性言葉(オネエ言葉)も使いません。

女装する男性には、異性愛者もゲイもどちらもいます。
女性言葉(オネエ言葉)を使うゲイは存在していますが、使わないゲイの方が多数派だと思います。

(女装する方やオネエを見下しているわけではありません。ただ、女装しない人やオネエじゃない人の方が多いという数量的な話をしているだけです。誤解のないようお願いします)

※ ここまで(2-1から2-4まで)の内容と関連して、こちらの記事 などはもしかしたら参考になるかもしれません。

2-5:男性であれば相手は誰でもよいのですか?

そんなことはありません。
異性愛男性の場合でも、女性ならば相手は誰でもよいと言うことはなく、それぞれに好みのタイプといったものがあるでしょう。
ゲイの場合も同様で、それぞれに好みのタイプがあります。誰彼かまわず好きになったりするわけではありません。
大多数の良識のあるゲイは、セクハラ等の迷惑行為はしません。襲う(強姦する)ようなこともありません。
これも、大多数の良識のある異性愛男性は、セクハラや強姦などしないのと同じです。
好きになるのが男性なのか女性なのかという点以外は、何ら変わらないと認識してください。

※ この件については、こちらの記事(島田暁さんのブログ) も参考になるかもしれません。なお、質問2-1とも関連した内容です

2-6:ゲイってオシャレでセンスが良いというイメージなのですが…?

ゲイというと、「オシャレだ」とか「センスが良い」というイメージを持っている人がいらっしゃるようです。
これはプラスのイメージなのですが、ステレオタイプだと思います。
もちろん、オシャレでセンスの良いゲイもいっぱいいますが、そうでない人も結構います。
この記事を書いている僕は、オシャレにはまったく興味がないですし、ファッションに無駄なお金と時間をかけるなんて真っ平ごめんという考え方です。シンプルに地味に無難に適当に小綺麗に服を用意するのがコンセプトです。
センスもそんなに良くありません。基本的に野暮ったいやつです。
さすがに僕は極端かもしれませんが、とにかく、オシャレじゃないゲイは結構いますし、センスの良くないゲイも結構います。
要は、人それぞれということです。
たとえプラスのステレオタイプでも、事実と反することを言われたら、わだかまりがあったりします

ただ、ゲイは異性愛男性よりもオシャレでセンスの良い人の比率が高いのか否かについては、正直分かりません。
ファッション業界などの、オシャレでセンスの良い人の比率が高そうな業界にゲイが多いということは、しばしば言われることです。
もっとも、これらの業界は、ゲイのカミングアウトの敷居が低そうに思います。現実に、ゲイをオープンにされている方が結構いらっしゃるようです。
ここで重要なのは、「これらの業界での カミングアウト率が高いだけ であり、ゲイの比率が特段高いわけではない」のか、
それとも、「これらの業界は そもそもゲイの比率が高い」のかということです。
もし後者であれば、やはりゲイは異性愛男性よりもオシャレでセンスの良い人の比率が高いといえそうです。前者ならそうはいえないでしょう。
でも、これを検証するのは実際には不可能な気がします。


これで第2回は完結です。

以下、過去の分へのリンクと今後の更新予定です。変更される場合もあるので、悪しからずご了承下さい。

第1回  イントロダクション
1-1:ゲイやレズビアンってどのくらいいるのですか?
1-2:ゲイって、「ホモ」と同じことですよね?
1-3:いつからゲイになったのですか?
1-4:なぜゲイになったのですか?(なぜ男性が好きなんですか?)
1-5:女性恐怖症だからゲイになったのですか?

----- 以下更新予定 -----

第3回  ゲイを異性愛者に転向させることに関して (6月8日更新!)
3-1:異性愛者になりたいと思いませんか?
3-2:異性愛者に変わることは絶対に無理なのですか?
3-3:本当に女性に性的な興味はないのですか?
3-4:ゲイを治療して異性愛者に戻すことはできないのですか?

第4回  子孫を残したり(女性と)結婚したりということに関して (6月14日更新!)
4-1:子孫を残せない同性愛者が増えると社会が衰退するのでは?
4-2:子どもが欲しいとは思わないのですか?
4-3:人間が生物である以上、子孫を残すのが自然ですよね?
4-4:女性に恋はできずとも、女性と結婚する可能性は無いのですか?

第5回  ゲイを受け入れることに関して / その他 (6月22日更新!)
5-1:ゲイであるということは自分自身の中ではすんなり受け入れられましたか?
5-2:ゲイであることは周りに明かしていますか?
5-3:ゲイって差別されてるんですか?
5-4:ゲイって所詮は好き勝手やってるだけでしょ?
5-5:「同性愛を受け入れよう」と言われても、同性に恋したり同性と性的な行為したり、そんなことは想像するだけで気持ち悪くなるのですが…
5-6:このブログ読んでると、白ブリーフだの尻叩きだの、あなたは変態にしか思えないのですが、ゲイってやっぱり異常性欲で変態なんですよね?

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[(極私的な)ゲイFAQ] 第1回 イントロダクション

2013-05-30 12:40:48 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
今回から5回(予定)にわたって、《 極私的なゲイFAQ 》というシリーズを始めようと思います。
ゲイについて、主に非当事者の方が抱くのではないかと想定される質問に、ゲイの僕が答えてみるという企画です。

ここで注意して欲しいのは、あくまでもこれは僕の個人的な回答だということです。僕は確かにゲイの1人ではありますが、ゲイの代表ではありません。ゲイと一口にいってもいろんな方がいますから、ここに記載した内容を直ちに一般論として捉えることのないように くれぐれもお願いしたいです。
また、同性愛FAQとせずゲイFAQとしたのは、僕はゲイ(男性の同性愛者)であり、女性のことやレズビアンのことについてはほとんど分からない からです。女性の同性愛についての情報を求めてこられた方は、その点承知の上でご覧くださればと思います。ある程度の参考にはなるかもしれません。

冒頭に書いたとおり、全5回シリーズを予定します。第2回以降の予定は、末尾に掲載してあります。ご覧ください。

第1回  イントロダクション

1-1:ゲイやレズビアンってどのくらいいるのですか?

これについては、正確な調査が難しいと思います。大きく2つの問題があります。1つは、ゲイやレズビアンであることを隠している人が多いために正直な回答を得られないことです。もう1つは、何をもってゲイやレズビアンの定義とするかということです。
ただ、現在流布している書籍や文献を読むと、同性愛者は、どの国・地域・時代にも人口の約3~5%いるとされています。20人~33人に1人は同性愛者という計算ですから、学校の1クラスには1人~2人は同性愛者がいるということになります。僕の母校の中学校は1学年が250人くらいいましたので、僕の同級生には7~12人は同性愛者がいたはずです(僕もその1人)。
でも、皆さんの周りにはそんなにいる感じがしませんよね。僕も結局同級生の「仲間」に出会うことはありませんでした。いや、出会ってはいたのでしょうけど、お互いに隠していたので分からなかったのですね。同性愛者の多くは、自分が同性愛者であることを隠して生きているので、存在が見えないのです。でも、先ほどの数字を見てもらえば、あなたの周りには思ったよりたくさんの同性愛者がいるということがお分かりいただけると思います。それだけたくさんの同性愛者が隠れて生きているということです。

1-2:ゲイって、「ホモ」と同じことですよね?

だいたい同じです。「ホモ」はホモセクシュアル=同性愛の略語 なので、この由来からすれば、ゲイ(男性の同性愛者)とレズビアン(女性の同性愛者)を含む意味なのではないかと思います。ただ、一般的な使われ方を見ていると、男性の同性愛者を指して「ホモ」,女性の同性愛者を指して「レズ」という表現が多いようにも見受けられます。
「ホモ」や「レズ」という表現は、侮辱的な感じがして嫌だという当事者は一定数います。一方で、自分から進んで「ホモ」という表現を使う当事者もいます。
男性の同性愛者は「ゲイ」,女性の同性愛者は「レズビアン」あるいは「ビアン」と表現するのが《 政治的に正しい 》ようですが、あまり拘泥しすぎなくてもいいと最近の僕は思っています。
(自分から進んで使う人もいるわけですし…)
それで、当ブログでは、ゲイ(ホモ)という併記を採用しています。「ホモ」という表現を使う人は多いと思いますし、そういう人たちにも記事を読んで欲しいなあという思いがあるからです。

※ 類似の表現で「オカマ」があります。これは少し意味が違う気がしています。男性の身体を持ちながら自分を女性だと思っている人(所謂、MtFトランスジェンダー) や、外見や性格などの面で女性的な要素が強く表れている男性(異性愛者か同性愛者かに関わらず) などがオカマと呼ばれることが多いように感じるのです。特に後者の意味の場合、女性的な要素が強くて男性的な要素が欠けている男性への侮辱のニュアンスがあると思います。

1-3:いつからゲイになったのですか?

いつからと聞かれてもわかりません。強いて言えば、生まれたときからということになるのだろうなあと思います。
異性愛男性が、自然と女性に惹かれるように、僕は自然と男性に惹かれるようになりました。それに気づいたのは小学校5年生ごろでしょうかね。

※ このことについて以前書いた記事があります。こちら です。よかったら併せてお読み下さい。

ゲイの中には、意図してゲイになった人もいるかもしれませんし、そういう人は「いつからなったの?」にズバリ答えるかもしれません。
でも多くは、僕のように、「いつからなったの?」の答えには困り、「いつごろ気づいたの?」ならば答えられるというパターンのような気がしています。

1-4:なぜゲイになったのですか?(なぜ男性が好きなんですか?)

分かりません。誰か教えてください。
異性愛男性に対して、「なぜ女性が好きなんですか?」と聞いたって、たいてい答えは返ってこないでしょう。返ってきても「よくわかんないけど自然に」とか「当たり前のことだ」とかそういう感じではないかと思います。
僕からも同じ答えを返したいと思います。僕にとって男性を好きになることはとても自然であり、ごくごく当たり前のことなのです。

1-5:女性恐怖症だからゲイになったのですか?

女性恐怖症の問題とゲイの問題は全く別問題です(男性恐怖症とレズビアンに関してもおそらく同様だと思います)。

僕は極度に女性恐怖症になっていた時期があります。それはちょうど中3の後半から高1のはじめにかけてのことです。中学生のときに僕は何回かいじめの標的になりましたが、僕に致命的な傷を負わせたのはすべて女子でした。それで、若い女性が怖くなってしまったのです(中高年の女性は大丈夫でした)。
一方、ゲイであることを自覚したのは小学校5年生頃で、女性恐怖症になったよりも前です。
現在、女性の友人は結構いますし、普通に付き合うことができています。ただ、異性愛男性と違って性愛の対象としないというだけのことです。

女性が怖くても、女性が苦手でも、もし異性愛者であれば、やっぱり恋をする相手は女性なんだと思います。「俺はどうしても女性が怖いし苦手だから、ホモになろう」と決意しても、そんなことはほとんど不可能でしょう(中には例外もあるとは思いますが…)。
そして、おそらく、男性恐怖症の女性でもだいたい同じような感じなのではないかなあと思っています。
僕の場合は、たまたま《 男性同性愛者が女性恐怖症になった 》だけであり、女性恐怖症だから男性同性愛者になったというわけではありません。

そういえば、自分の息子からゲイであることをカミングアウトされた母親が、「この子がゲイになったのはわたしのせいだ」とか「一番身近な女性であるわたしのせいで、この子は女性が怖くなった(女性が苦手になった)んだわ」などと自分自身を責めてしまうことがあると聞きます。もしそういう方がこの記事を読んでおられるなら、どうか、落ち着いてください。たいていの場合、そんなことはありませんから。

これで第1回は完結です。

以下、今後の更新予定です。変更される場合もあるので、悪しからずご了承下さい。

第2回  ステレオタイプなゲイのイメージに関して  (6月1日更新!)
2-1:メディア等に出ている人たちと全然違うのですが、あなたはゲイなのですか?
2-2:「女性の心」で男性を好きになっているのですか?
2-3:女性の身体になりたいと思っているのですか?
2-4:女装したり女性言葉を使ったりはしないのですか?
2-5:男性であれば相手は誰でもよいのですか?
2-6:ゲイってオシャレでセンスが良いというイメージなのですが…?

第3回  ゲイを異性愛者に転向させることに関して (6月8日更新!)
3-1:異性愛者になりたいと思いませんか?
3-2:異性愛者に変わることは絶対に無理なのですか?
3-3:本当に女性に性的な興味はないのですか?
3-4:ゲイを治療して異性愛者に戻すことはできないのですか?

第4回  子孫を残したり(女性と)結婚したりということに関して (6月14日更新!)
4-1:子孫を残せない同性愛者が増えると社会が衰退するのでは?
4-2:子どもが欲しいとは思わないのですか?
4-3:人間が生物である以上、子孫を残すのが自然ですよね?
4-4:女性に恋はできずとも、女性と結婚する可能性は無いのですか?

第5回  ゲイを受け入れることに関して / その他 (6月22日更新!)
5-1:ゲイであるということは自分自身の中ではすんなり受け入れられましたか?
5-2:ゲイであることは周りに明かしていますか?
5-3:ゲイって差別されてるんですか?
5-4:ゲイって所詮は好き勝手やってるだけでしょ?
5-5:「同性愛を受け入れよう」と言われても、同性に恋したり同性と性的な行為したり、そんなことは想像するだけで気持ち悪くなるのですが…
5-6:このブログ読んでると、白ブリーフだの尻叩きだの、あなたは変態にしか思えないのですが、ゲイってやっぱり異常性欲で変態なんですよね?


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同性愛・GIDの数量イメージ

2013-04-02 14:40:45 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
同性愛者はどのくらいの比率で存在しているのか?
GID(性同一性障害)はどのくらいの比率で存在しているのか?

調査はいろいろされていますが、なかなか正確なデータを得ることは難しいようです。
同性愛者もGIDも、クローズ(秘密)にしている人が多いというのが、その一因と思われます。

そういう状況ではありますが、今の時点で知りうるデータを元にして、少し、同性愛やGIDを数量的に捉えてみることにしましょう。

同性愛者については、刊行されている同性愛を取り扱った書籍等を見ると、概ね人口比率3~5%程度とされていることが多いようです。
この記事では、少なく見積もって、3%ということにしましょう。
日本人の人口を1億3千万人とすると、その3%は、390万人 ということになります。
これは、大阪市(280万人)や名古屋市(220万人)の総人口よりも多く、鳥取県(60万人)や島根県(70万人)の総人口よりも多いです。

GID(性同一性障害)については、こちら を参考にすると、15000人程度と推計されているようです。これは日本人の総人口の 0.012% にあたります。
15000人といえば、小さな町村の人口程度であり、政令指定都市や都道府県の人口をも上回っている同性愛者と比べると、かなり少ないといえるでしょう。

同性愛者が390万人,GIDが1万5000人とすれば、同性愛者はGIDの260倍ということになります。
別の捉え方をすれば、同性愛者は 33人に1人 の割合で存在していて、GIDは 1万人に1~2人程度 の割合で存在しているということになります。

もちろん、GIDを同性愛よりも軽視してよいというわけではありません。ただ、これだけ数量に差があるということは、念頭に置いておく必要があると思うのですが、どうでしょう。

さらにイメージをしやすくするために、ここまでの内容をもとにして、《 量率グラフ 》を描いてみました。
なお、このグラフでは、男性異性愛者,男性同性愛者(ゲイ),女性異性愛者,女性同性愛者(レズビアン),GID の5つのカテゴリーのみとなっています。両性愛者(バイセクシュアル)や無性愛者(アセクシュアル)が存在しないかのようになってしまっていますが、どうかご容赦下さい。
また、男性同性愛者(ゲイ)と女性同性愛者(レズビアン)の比率も半々としていますが、現実には半々にはなっていないと思います。この比率についてのデータを知っていれば反映させることができたのですが、残念ながら知らないため、半々としてグラフを作成してあります。
このグラフを描いた一番の目的は、大まかなイメージを捉えてみたいということでしたので、そこをくみ取っていただければと思います。



これをご覧いただくと、同性愛者やGIDの存在比率が、面積として図示されるので、数値だけを見ているよりも具体的にイメージしやすくなると思われます。
お読みいただいている皆様は、どのようにお感じになられたでしょうか。
「思っていたよりも多い」という方もいらっしゃるでしょうし、「だいたい想定通りだ」とか、「思っていたよりも少ない」という方もいらしゃるかもしれません。
グラフ作成者である僕は、「GIDって同性愛よりももっともっとマイノリティ(少数)なんだなあ」という印象が強かったです。

皆様もぜひグラフを描いてみてください。
そして、社会の事象を、数量的に捉えてみて下さい。

===== 以下は余談です =====

ところで、余談ですが、人口の男女比は半々ではありません。総人口では男性の方が少なく、男:女 = 0.94:1 という比率になっています。
一方、出生比では男児の方が多く、男:女 = 1.05:1 程度となっていることが知られています。
男児の方が女児よりもたくさん生まれてくるにもかかわらず、総人口でみれば、男性は女性よりも少ないわけです。
これは色々な見方ができますが、僕は、「人間社会において、男性の生命が女性の生命よりも軽く扱われているという、1つの証拠かもね」って感じました。平均寿命は男性の方が短く、自殺や過労死も圧倒的に男性に多いです。徴兵制度のある国において、徴兵されるのは(一部の国を除いて)男性のみです。また、種々のアクシデントの時には、女性が優先的に保護される傾向があります。そして、その意志があろうが無かろうが、保護する側へ回らされるのは男性です。
出生時に男児の方が女児よりも多く産まれてくるという傾向は、はるか昔から続いているものです。これは自然の摂理みたいなもので、そもそも人間という種は、男性の方が脆弱というのか、男性の方が生命が軽んじられるようにできているのかもしれませんね。
同じ生命なんだから、せめて女性と同程度には、男性の生命も扱っていただきたいなあというのが、僕の願いです。
このグラフを書きながら、改めてこのことを考えさせられました。
また、この問題については、記事を書いてみたいです

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ゲイ(ホモ) はみんな女性的?

2013-01-17 16:15:18 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
世の中には、「ゲイ(ホモ)には女性的な人が多い」という風に思っている人が結構多いように感じます。
あるいは、もっと極端に、「ゲイ(ホモ)はみんな女性的だ」と考えている人もいるのかもしれません。
本当にそうなのでしょうか?
この記事では、ゲイ(ホモ)と《 男らしさ 》の関係について、個人的な見解みたいなものを述べてみようと思います。

■ 4人の男性

記事を進めるにあたって、4人の男性に登場してもらうことにしましょう。なお、彼らはすべて架空の人物です。

Aさん:恋愛対象は女性。趣味はマラソンと山登り。服装は簡素でこざっぱりした感じ。性格は朴訥で毅然とした感じ 
Bさん:恋愛対象は男性。趣味はマラソンと山登り。服装は簡素でこざっぱりした感じ。性格は朴訥で毅然とした感じ
Cさん:恋愛対象は女性。趣味は料理と手芸。服装は凝っていてオシャレ。性格は穏やかで優しい(物腰が柔らかい)感じ
Dさん:恋愛対象は男性。趣味は料理と手芸。服装は凝っていてオシャレ。性格は穏やかで優しい(物腰が柔らかい)感じ

ちょっと極端すぎるような感じもしますが、この4人を例として話を進めて行こうと思います。
なお、朴訥(ぼくとつ)とは、かざりけがなく口数が少ないことを指します。

さて、この4人の中でゲイは誰なのでしょう?
そして、いわゆる《 男らしさ 》の度合いが強いのは誰なのでしょう?
ちょっと考えてみてください。

■ 性的指向 ~誰を好きになるか~

恋愛の対象(性愛の対象)を 性的指向 といいます。
性的指向は基本的には生まれつきその人に備わっているものと考えられています。ただし、自分の性的指向を知るのは、思春期ごろになることが多いようです。
また、性的指向はグラデーションのようになっていて、異性への指向と同性への指向をすべての人が併せ持っているとされています。
ただし、その存在比率は人によって異なるので、異性への指向が圧倒的に強い人は異性愛者同性への指向が圧倒的に強い人は同性愛者異性への指向と同性への指向が同程度であれば両性愛者 となると考えられます。
生物学的に考えれば、種を絶滅させないために子孫を残すことが必要不可欠です。その観点だけで考えれば、自然なのは異性への指向であるといえます。したがって異性愛者(異性への指向が圧倒的に強い人)が圧倒的に多く生まれてきます。同性愛者や両性愛者はいつの時代でもどの地域でも一定の割合で生まれてきますが、人口比率でいえば少数です。同性愛者は人口比率で3~5%とされています。
先述したとおり、生物として子孫を残すという観点から見れば同性愛は不自然ともいえます。しかし、個人レベルで考えたとき、同性愛者として生まれてきた人にとって、同性愛はきわめて自然なものです。それは異性愛者にとって異性愛が自然なのと同じだといえます。


※ 性的“指向”を、性的“嗜好”あるいは性的“志向”とするのは誤りです。性的指向は趣味のようなものではないので“嗜好”とするのは誤りですし、自らの意志で選んだり変えたりすることがきわめて困難なものなので“志向”とするのも誤りです。発音上はいずれも同じとなってしまうため間違われることが多いですが、漢字が異なると意味合いががらりと変わってしまうため、注意が必要です


さて、最初に登場した4人の男性の場合はどうでしょう?

AさんとCさんは恋愛対象が女性となっているので、異性愛者(ヘテロ,ノンケ)となります。
BさんとDさんは恋愛対象が男性となっているので、同性愛者(ゲイ,ホモ)となります。

つまり、ゲイはBさんとDさんの2人ということでした。当たりましたか?

■ ジェンダー ~《 男らしさ 》と《 女らしさ 》~

《 男らしさ 》とか《 女らしさ 》というのはあいまいな概念です。
何が男らしい(女らしい)のかというのは、人によって、時代によって、文化によって、さまざまな要素によって異なってくるものだからです。
しかし、あいまいとはいえ、やはり男らしさ(女らしさ)のイメージはある程度社会の中で共有されているものともいえるでしょう。
そのような社会的なあるいは文化的な部分における性差のことを、ジェンダー といいます。

ジェンダーは決してそれそのものは悪いものではないと思いますし(むしろ必要な側面もあると思う)、ごく自然に、あたりまえに、知らず知らずのうちに身につけているものといえるでしょう。あまりに自然すぎて、意識することすら普段はないのかもしれません。
ただ、人にはそれぞれ個性があります。その個性がジェンダーのイメージから外れていた場合、その人は抑圧を受けることになってしまいがちです。それは悲しいことだと思います。

※ 参考記事
 ・ 僕と 《 男らしさ 》 -少し「ジェンダー」を考える (2012年7月31日公開)
 ・ 僕とぬいぐるみ (2012年10月28日公開)
 ・ 僕とジェンダーフリー (2013年1月26日公開)


さて、最初に登場した4人の男性をジェンダーに照らしてみてみることにしましょう。

AさんとBさんは、マラソンや山登りという男性的とされがちな趣味を持ち、服装や性格なども男性的とされる傾向のあるものの持ち主です。
CさんとDさんは、料理や手芸という女性的とされがちな趣味を持ち、服装や性格なども女性的とされる傾向のあるものの持ち主です。

したがって、いわゆる《 男らしさ 》の度合いが強いのはAさんとBさんということになりそうですが、どうでしょうか?

(しかし、やはり極端というか乱暴な例でしたね。実際には本当にさまざまな個性の持ち主がいます)

■ 性的指向とジェンダーは別物

4人の男性を、性的指向とジェンダーに着目してカテゴライズしてみました。

Aさん : 性的指向 = 異性愛(ヘテロ),ジェンダー = 男性的
Bさん : 性的指向 = 同性愛(ゲイ) ,ジェンダー = 男性的
Cさん : 性的指向 = 異性愛(ヘテロ),ジェンダー = 女性的
Dさん : 性的指向 = 同性愛(ゲイ) ,ジェンダー = 女性的

これをもとに、ゲイと男らしさの関係について考えてみましょう。

冒頭で述べたとおり、世の中には、「ゲイには女性的な人が多い」という風に思っている人が結構多いように感じます。
あるいは、もっと極端に、「ゲイはみんな女性的だ」と考えている人もいるのかもしれません。
しかし、それは、固定観念(ステレオタイプ)であり、根拠のない決め付けである と言わざるを得ません。
BさんとDさんはともにゲイですが、ジェンダーの視点から見てみるとBさんは男性的でDさんは女性的です。彼らは架空の人物ですが、現実に、BさんのようなゲイもDさんのようなゲイもいます。
ゲイというのは、《 男性を性愛の対象とする男性 》 のことです。その中にはさまざまな個性の持ち主がいます。本当に多様なのです。
ですから、男性的なゲイもいますし、女性的なゲイもいるのです。実にバラエティに富んでいます。

BさんとCさんを比べてみると、Bさんは男性的でCさんは女性的です。
「ゲイには女性的な人が多い」とか「ゲイはみんな女性的だ」といった類の固定観念を持っている人が見れば、Cさんがゲイに見えて、Bさんはゲイには見えないでしょう。
でも現実にはBさんがゲイであり、Cさんはゲイではありません。
こんなことはざらにあると思います。
異性愛男性よりも男性的なゲイはわんさかいますし、ゲイよりも女性的な異性愛男性もわんさかいます。

僕の考えとしては、ゲイ / ヘテロ という性的指向 と、男性的 / 女性的 というジェンダー とは、分けて考えるべきものであると思います。

そして、いずれもその人の生まれ持った個性であることを忘れてはいけないと思います。


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[動画紹介] あなたならどうする? ~飲み屋でのゲイ差別~ (字幕つき)

2012-10-25 09:23:32 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
昨日に引き続いての動画紹介です。
たいへん興味深い動画をニコニコ動画で見つけたので、紹介させて下さい。

あなたならどうする? ~飲み屋でのゲイ差別~ (字幕つき)


※ 流れてくる「コメント」を消すには、プレイヤー右下の吹き出しボタンを押してください

これは、アメリカでの1つの 《 実験結果 》 です。
もし、日本だったらどうなるのでしょうね。
ゲイの当事者も、そしてゲイではない、いわゆるノンケの人たちも、じっくり噛みしめてみて下さい。
そして自分なりに何かを考えてみて下さい。

飲み屋でいちゃつく男女のカップルが居たら、あなたはどう思いますか?
それが、男性同士のゲイカップルだったならどうですか? 違った思いを持ちますか?
あるいは、女性同士のレズビアンカップルだったならどうでしょう?

1つの興味深い問題提起として、この動画をじっくりとご覧下さい。

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性的マイノリティと他のマイノリティ

2012-10-04 09:53:29 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
僕はゲイ(で非性愛者)という、性的マイノリティです。
でも、世の中には、性的マイノリティ以外にも様々なマイノリティがいます。

以前、《 啓蒙 》 するということ ― ゲイという少数者の1人として という記事(このブログで真面目な内容を発信している動機みたいなものを書いた)でも、抽象的になってしまうのを覚悟の上で、《 多数者 》と《 少数者 》という言葉を使って書いています。これは性的マイノリティ以外のマイノリティのことも念頭に置いたからです。読者の方にそこが伝わったのかどうかはわからないのですが。

身体に障がいをお持ちの方,精神的な障がいをお持ちの方,発達障がいの方,色覚が他の人と違う方(一般に「色覚異常」と言われたりしますが僕はこの言葉が大嫌いです),ベジタリアンの方…etc.
左利きもマイノリティにあたるのかな。とにかくたくさんのマイノリティがあります。
それは当然のことです。人間は多様で、もって生まれてくる特性は人によって違うんだけど、そこにはバラツキがあって、《 多くの人が持っている特性 》と、《 少数の人しか持っていない特性 》があるからです。
その、《 少数の人しか持っていない特性 》 を持っている人のことを、《 少数者 》 とか 《 マイノリティ 》 とか称しているのだと考えるとわかりやすいのかな。
同性愛の場合、異性を性愛の対象にするのが《 多くの人が持っている特性 》なんだけど、僕みたいに同性を性愛の対象にする人間も生まれてくる。この同性を性愛の対象にするというのは《 少数の人しか持っていない特性 》なんだよね。だから、同性愛者はマイノリティなんだね。
僕は、男性を性愛の対象にするように生まれてきたんだけど、世の中の男性の多くは女性を性愛の対象にするように生まれてくるわけで。
なんだか、まわりくどくて小難しくてごめんなさい。

そう言う意味では、どのマイノリティの問題も根幹部分は同じなんですよね。
つまり、《 多くの人が持っている特性 》を持たず、《 少数の人しか持っていない特性 》を持っているがために、いろいろと苦しんでいる わけですから。もちろん具体的な苦しみの内容は違うのだけれど、その点では同じだから。
だから、僕は、セクシャルマイノリティという枠に囚われず、もっと広く、いろいろなマイノリティのことを考えていたいなあと、常々思っているわけです。
《 啓蒙 》 するということ ― ゲイという少数者の1人として にも、その辺の思いを含めたつもりでいます。伝わったのかどうかはわからないのですが。

昨晩(日付上は10月4日)、Twitter で、次のようなツイートが公式RTされてきました。どうやら、同性愛の当事者の方のものとのことです。
少し引用させてもらいましょう。

「セクマイ」であることはとても辛いことだけど、身体に障害があることや、学習障害があることは、同じように辛いことだということに、もっと「セクマイ」の人たちが気づいてあげられたらいいのに。「上」ばっか見てんじゃなくてさ。
「セクマイ」に対する偏見と、その他のマイノリティに対する偏見が同じ根っここら生じているということに無自覚な「セクマイ」の主張に、どれだけの価値があるだろうか。
( @tomoyukix さん )

ここに書かれていることは、僕が予てから思っていたことと一致する部分がかなりあるように思って、共感を覚えました。
これを見て、この記事を書いてみようかなあと思うに至ったわけです。
狭い枠に囚われず、広い目で見ていくように、これからも意識していきたいなあと思います。

自分自身が、ゲイであるだけでなく、《 適応障がい 》 の当事者でもあるし、身近に《 発達障がい 》の当事者も多く居られるので、余計にそういう部分を意識せざるを得ません。

ところで、社会がさまざまなマイノリティに寛容になっていけばすばらしいしそれは大切なことです。ただ、そんなに早急には変化していかないでしょう。じわじわとゆっくり変わっていくのが社会のように僕には思えます。
当事者は、今この瞬間も生きています。だから、少しでもラクに生きていくことが必要なのかなあと思うわけです。
それで、これも昨日の夜の Twitter でのことなんですが、あるフォロワさんがこういうツイをされたのです。

いつもあたしは他の人たちの言うことに全面的にうなずけない、薄っぺらな感情しかない、血も涙もない全くの欠陥人間

自分の悲しみ以外で涙を流したことがない欠陥人間です

これに対して、僕は下のようにリプライを送ったのですよね。

あ、あのですね、《 他の人たちの言うことに全面的にうなずけない 》 のなんて当たり前だと思いますよ。もし 《 全面的にうなずいている 》 人が実在するなら紹介して欲しいです。考え方とか人それぞれで多様で当たり前です。貴女は貴女の考え方でいいと思いますよ
そんなのは欠陥とは言わない。それは、****さんの生まれ持った特性なのかもしれないけど、でも欠陥なんかじゃない。ご自身の中でその特性を受容できるかどうかはわからないけど。 私の場合のゲイと同じかな。同性を好きになるのは特性であって欠陥ではないってのと同じ

で、その後、いろいろ考えて、以下のようなツイートをしました。

人は多様な特性もって生まれてくるけど、その特性が少数派に属すものだったり、誤解されやすいものだったりすると、苦しむんだよねえ。過剰に意識し過ぎちゃったり。そういう自分を自分が受け入れられなかったり。わしの場合はそれが同性愛なんだけど。誰しも程度の差こそあれ何かそういうのを持ってる
まずはね、そういう自分を許してあげるっていうのかなあ。 わしの同性愛だったら、「多数派の人は異性を好きになるみたいだけど、僕は同性を好きになる。でもそれでいいんだ。悪いことじゃないし、1つの個性なんだ」って。で、できればそういう自分を好きになって愛せるとこまで行けば、完璧かもね

僕が同性愛者なので、同性愛が例になっていますが、他のマイノリティの方はそれぞれ読み替えてもらえばいいのかなあと思います。
《 多くの人が持っている特性 》を 持っていない という部分に目を向けるのではなく、《 少数の人しか持っていない特性 》を 持っている という部分に目を向けてみるというのは効果的かもしれませんね。
まずは自分を受け入れ,許し,愛して,好きになる。これができるだけでかなりラクになると思うのです。自分の経験もふまえると。
そういうことができていると、感じる《 痛み 》が軽くなっていくような気がします。

社会の変化を望むのももちろん必要だし、そのために個々に出来ることがあればしていかないといけないけれど、自分自身の内面で、辛さや痛みを軽減できるようなことができれば、ぜひ取り入れていきたいものだなあと、改めて思いました。


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性的少数者といじめの問題(動画紹介)

2012-09-24 23:29:45 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
性的少数者(セクシャルマイノリティ)といじめの問題について、いい動画があがっていたので、リンクを貼っておきます。
自分自身が当事者であり、かつ、教育にも携わっている人間としては、とても興味深かったです。
本当はこの動画に添えてあれこれ僕の言葉で書きたいこともあるし、書くべきだとも思うのだけど、ちょっとバタバタしているので、またいずれ余裕があるときにということで。
(真面目な記事は、本当に練りに練って、絞り出すように書いているのです)
取り急ぎ、ご紹介だけということで。
特に、教育に携わる方には見て欲しいです。

セクシュアルマイノリティといじめ問題1●セクシュアリティと教育の現状


セクシュアルマイノリティといじめ問題2●SCORA「心の性も扱う性教育」


( まだ続きがあり、全体で12本の動画になっている。全体は、 こちらのリスト から視聴できる )


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《 無性愛者 》 という人々

2012-09-02 22:54:33 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
僕は ゲイ の 非性愛者 を名乗っています。

※ 非性愛という言葉については、以前書いたこちらの記事 を参照してください。曖昧な言葉なんですが、他に適切な言葉も見あたらず、やむを得ず(?)使っています。
なお、《 無性愛 》と《 非性愛 》は意味が異なりますのでご注意下さい。

カムアウトしていない人に対しては、無性愛者 あるいは 異性愛者 を演じて生きています。
(ゲイで異性愛者を演じている人って多いと思うんですが、僕の場合、異性愛者を演じるよりも、無性愛者を演じる方が、僕自身のキャラクターもあって楽なもので、こういう形になります)

カムアウト済みの異性愛者の人と真面目に話をするとき、ゲイ(で非性愛者)という存在を説明するにあたって、次のように説明することがよくあります。

あなたは思春期くらいの時期に、気付いたら異性を性的な存在として意識するようになっていませんでしたか? それまでは何とも思わなかったのに、ある日気付いたらという具合で。別に意図したわけでもなく。
僕も同じなんですよ。ふと気付いたら、同性を性的な存在として意識していました。たぶんその気持ちに違いは無いんですよねえ。ただ、対象が異性ではなくて同性だった。そういう風に生まれただけのことなんです。ゲイってのは、意図してなろうとしてなるものではないんですよ。(ここまでゲイの説明)
ただ、いわゆる肉体関係とかは持ちたくないんです。恋はするんですけどもね。それに、好きな人といちゃつきたいとは思うんです。エッチな妄想とかもしますしね。でも、肉体関係はダメですねえ。(ここまで非性愛の説明)

人にもよりますけれど、たぶん伝わるとは思うんですよ。
というのは、お相手は異性愛者ですから、異性に対する性愛を持っているんですよね。だから、それと、対象が同性であること以外は同じ なんだという説明をすれば、それなりに実感を持ってもらえるのかなあと思うのです。違和感はあるにせよ、理解・納得してくれるように感じます。
(《 違和感 》そのものはあって当然ですよね。だって、違うんだから。僕だって異性愛に対して違和感があるわけですし)

ただですね、そういう人たち(ゲイについて理解・納得してくれた人たち)に、下のようなことを話すと、「そんな人居るんですか!?」 ってなるんですよねえ。

世の中には、無性愛者(ア・セクシャル)という人たちも居るんですよ~。その人たちは男性も女性もどっちも性愛の対象にしません

こういう経験が数人に対してありました。
無性愛者は確実に社会の中で生きています。これは事実でしょう。
(僕の知り合いにも無性愛者の方がいらっしゃいます)
ただ、マイノリティの中のマイノリティではあるのかもしれませんね。
セクシャルマイノリティを総称して、LGBT という言葉を使ったりします。L=レズビアン,G=ゲイ,B=バイセクシャル,T=トランスジェンダー なので、ここに無性愛者の姿は見えません。
ゲイ,レズビアン,バイセクシャルに比べて、あるいは、トランスジェンダーに比べて、無性愛者は少ないということなのでしょう。あくまでも予想に過ぎませんが。

無性愛に関しては、異性愛者だけでなく、ゲイもレズビアンもバイセクシャルも、もしかしたら理解が難しい部分があるのかもしれません。
なぜなら、これら全て、異性にせよ同性にせよ人間に対して性愛が向くという点では共通しているからです。
だから、僕がゲイについて説明するとき、最初に挙げたような説明ができるんですよね。
でも、無性愛者は違う。人間に対してそもそも性愛が向かない。確かにこの感覚は彼(彼女)らに特有のものなのかもしれません。

僕は無性愛者を演じたりはしているけれど、男性に対する性愛を持っているので、現実に無性愛者なわけではないから、うまく説明できないのがもどかしいです。
でも、僕には無性愛という感覚がなんとなくわかるのです。演じているくらいですし。それは、僕の性愛(性欲?)が弱いからなのかもしれません。
(もしかしたら、肉体関係を望まないというのも性愛が弱いからなのかな)

あまりうまくまとまりませんでしたが、無性愛者という、マイノリティの中のマイノリティの存在について、少し考えさせられるところがあったので、記事に仕立ててみました。
世の中には、男性も女性も性愛の対象にしない、無性愛者(ア・セクシャル)とよばれる人たちが確実に存在しています。そういう人々も、自分らしく楽しく生きています。

※ 9月20日追記
 無性愛者(アセクシャル)の方のブログを発見したので、リンクを掲載しておきます
 「アセクシャル~ひとりでみんなと生きていく~」
 http://hitorideminna.blog.fc2.com/


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同性愛を嘲笑の対象にされるのがなぜ嫌か

2012-08-22 06:46:49 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
このブログの真面目系(?)記事で繰り返し繰り返し書いているように、同性愛を嘲笑の対象にされることに対して、僕は嫌な気持ちを持っています。哀しくなります。憤りを覚えます。
今回は、その嫌な気持ちとか哀しい気持ちや憤りがなぜ出てくるのかを考えてみたいと思います。

世の中には、“ホモネタ”を面白半分で喋る人 がたくさんいます。同性愛者を笑い者にして平然としている人 がたくさんいます。意識しての場合もあれば、無意識の場合もあるのでしょうけれど。

※ “ホモ”は蔑称として受け取る人も相当数いる表現であり、僕も平素はあまり使わないのですが、ここではあえて使わせてもらいました。

「○○はホモだ!」とか勝手に誰かのことを言っている人がたまにいます。いや、結構いるというのが適切かもしれません。どういう根拠があってそういう発言をしているのかわかりませんが、こういうスキャンダル的な(?)発言が普通に成り立つというのは、同性愛者が 異常な存在得体の知れない気持ち悪いもの嘲笑の対象とされても仕方ない存在 として認識されている証拠と思えて、哀しくなります。これは被害妄想なのでしょうかねえ。
雑誌なんかが、有名人に対して、《 ○○にホモ疑惑 》とかって記事を出す場合がありますが、これなんかも同じです。その人が同性愛者だったとして、それがなんだというのでしょう。何も悪いことなんかしていないのに。自然に生きているだけなのに。そんなに同性愛者が気持ち悪いですか。同性を愛することはそんなに後ろめたいことですか。不倫のようにスキャンダル扱いされないといけないことなのですか。嘲笑に晒されないといけないようなことですか。良識のないマスコミに対して、哀しさと憤りがこみ上げてきます。

僕は1人のゲイとして(あくまでも僕の意見というか考えですが)、自分自身を《 普通 》だとは思いません。6月に 「変人」の哲学 という記事でもああだこうだと書いていますが、自分自身のことをポジティブな意味で《 変人 》だと思っていますし、《 特殊 》だとは思っています
でも、《 異常 》と言われれば心外です。僕は決して《 異常 》なんかじゃない。

自分で選び取った趣味はともかく、ゲイであること(同性である男性を性愛対象とすること)については、(少なくとも僕の場合には)自分で選び取ってはいません生まれつき そうだったのです。出身国や人種と同じです。あるいは左利きと同じです(但し同性愛の場合は気付くのが思春期頃になるだけ)。性的指向は、基本的には 自分ではどうにもできないこと です。そして、左利きを右利きに矯正するのと比べて、同性愛を異性愛に矯正するなんてことは著しく困難というか普通は不可能です。出身国や人種は変えられませんが、そっちに近いと思います。出身国や人種に基づく差別や偏見はいけないと認識している人でも、同性愛者に対しては平然とそういうことをしてしまう人はたくさんいます。これはやはり無知が最大の原因に思えます。

※ というか、そもそも左利きも矯正する必要なんか無いと思います。だいたいこういうケースで《 矯正 》という言葉が使われることに押しつけがましさを感じます。《 正しい 》ってなんですか?

僕は自分自身がゲイであることに対して嫌だとは思わないし、異性愛者になりたいとも思いません。このままゲイとして天寿を全うしたいと考えています。
たしかに《 変人 》で《 特殊 》かもしれないけれど、そこも含めて僕だと思うから。ゲイじゃない僕なんて想像も出来ない。
異性愛者が、《 自然 》に《 あるがまま 》に 生きているように、
同性愛者も、《 自然 》に《 あるがまま 》に 生きています(生きたいです)。
恋する気持ちにだって、違いはありません。僕はパートナーがいたことはまだ無いけど、おそらくパートナーに対する思いだって同じです。ただ性別が違うだけのことで。
5月に更新したとおり、 辞書は「恋」の対象を異性に限定しています 。こういうところにも、哀しさを感じざるを得ません。
「お前のしてる恋なんて、そんなの恋って言わないんだよ~(あかんべー)」って言われているように感じてしまいます。僻みっぽいですかね。
でも、そのくらい哀しいのです。
僕にとっては大事な恋を、《 変な趣味の1つ 》として片付けて欲しくない です…。そもそも同性愛は趣味でも嗜好でもないのですけどね。

同性愛を嘲笑の対象とされることが、嫌で哀しくて憤ろしいのは、この辺りなのかなあと、最近思うのです。
僕の恋を踏みにじられたような気分になって大切なものを思いっきり叩きつぶされたような気がして。そういうことをされて、哀しみや憤りを感じないのは、よほど訓練された人のように僕には思えます。

もちろん、同性愛者にもいろいろですから、嘲笑の対象にされてもむしろそれを好意的に(?)受け止めたり、ある種の開き直りみたいのを見せる人々もいます。場合によっては、自分からネタにしていくような人々もいます。
そういう人々を一切否定しませんし、ある種、尊敬のまなざしで見ていたりもします。
ただ、僕はああいう風にはなれないなと。たとえ狭量と言われても、やっぱりネタにされたり、嘲笑されたり、《 異常 》と見なされたりするのは嫌 です。断固拒否です
僕は《 見せ物 》じゃない。静かに自然に生きていきたいだけなのです。
同性愛者の1人としてそう思います。同じ立場に立つ人も、きっと結構いると思います。

今回の記事は、自己分析のために書いたという側面もあって、ごちゃごちゃしてしまいました。
ただ、僕の中で渦巻いているいろいろな思いが、そのまま吐露されているともいえるので、そういう感じで読んでくだされば嬉しいかもしれません。


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隠れて生きるゲイ(ホモ)のはなし

2012-08-16 15:14:53 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
同性愛者は、少なく見積もっても、人口比で3%いるとされています。
でも、そういう実感を持っている人は少ないのではないでしょうか。
それはなぜか? 同性愛者の多くが、《 隠れて 》生きている からです。
同性愛の場合、基本的には、当人が明かさない限り はその事実が他者に知れることはありません。当人が同性愛者であるということを述べたり、同性愛者であることが発露する行動をしない限り、周りの人は知ることはできないのです。
そのため、当事者が他者に知られないように気をつけてさえいれば、《 隠れて 》生きることができます。そういう人は世の中にはたくさん存在しているのです。同性愛者全体のうちの比率で言っても、《 隠れて 》生きている人の方が、圧倒的に高いと僕は考えています。統計をとったわけでもないですし、本当のところは分からないのですが。
したがって、この記事を読んでいるあなたの周りの、思いもよらぬ人が、もしかしたら《 隠れて 》生きている同性愛者かもしれません。近所の人,友達,先生,親戚,兄弟,… etc.
ちなみに、一口に《 隠れて 》生きていると言っても、やむを得ず《 隠れて 》生きている人(今の生き方が辛い人) も居ますし、《 隠れて 》生きる今の生き方を楽しんでいる人 も居ます。それは人それぞれ異なるのです。いろいろな人がいます。
ただ、前者の人の場合、なぜやむを得ず隠れていないといけないのかと言えば、やはり社会の中には 無知と偏見と差別 があって、場合によっては 嫌悪や憎悪 にさらされてしまうからです。同性愛を嘲笑の対象として、そのことに罪悪感すら持たない風潮 が蔓延しているからです。それが怖くて、隠れていざるを得ないのです。

この記事では、このような《 隠れて 》生きているゲイが、どういうところで辛さや違和感を感じて居るのか、主に非当事者の人たちに知ってもらいたくて、僕自身の実体験を2~3つほど書こうと思います。
僕もつい最近までは完全に《 隠れて 》生きていましたし、近頃でもごく少数の人以外に対しては同じスタンスを貫いている人間です。そういう立場から、事実を発信することで、《 隠れて 》生きているゲイの存在に目が向けば少し考えてもらう材料・手がかりになればと考えて、この記事を書きます。そういうつもりで読んでいただければ嬉しいです。

※ 関連記事 → ゲイの気持ちを描いた動画 (2012年7月16日更新)

1.野球場での出来事
1つめのエピソードは、野球場での観戦中の出来事です。
去年の8月のことでした。とある天然芝が美しい球場の外野席で、僕は大好きな野球チームの応援をしていました。
その日は1人での観戦ではなく、Twitter で繋がった同年代の人々で一緒に観戦していたのでした(観戦オフ会というやつです)。
参加者は5人でした。男性が4人(私を含む),女性が1人。私にとっては男性2人は以前に面識のある方でしたが、男性1人と女性1人は初対面の方でした。ここでは、仮にAさん(男性面識有り),Bさん(男性初対面),Cさん(男性面識有り),Xさん(女性初対面)としておきましょう。
座席は自由席なのですが、横並びで5人座りました。左から順に、Xさん → 僕 → Aさん → Bさん → Cさん の並び順でした。
今思えば、この席の取り方も悪かったかもしれませんね。
僕はあまり声が大きくないし、人付き合いも不得手で、右隣のAさんや左隣のXさんとばかり喋ってしまい、BさんやCさんとは言葉を交わすことがあまりできませんでした。
Xさんとは初対面だったのですが、グラウンドやブルペンの選手のことなどで話が盛り上がり、楽しかったです。でも、これが悲劇を生んでしまいました。
5回表ごろ、TLにBさんやCさんのツイートが流れました。
「左端の2人がいちゃついててウザイ」とか「ボールぶつけてやろうか」とかそんな感じの内容でした。
携帯電話でそれを見てしまった僕は、その後は、始終黙りこくってしまいました。
花火が上がったのですが、それも上の空。ただ、応援歌を歌って、グラウンドの選手達の動きにだけ、意識を集中させていました。1人で観戦しているときと同じように。
この日、チームは勝利をおさめました。1点ビハインドだった9回裏、ツーアウトから同点に追いついて、そして、10回裏にサヨナラ勝ち。
いい勝ち試合でしたし、楽しかった。でも、なんだかその楽しさに少し影が落ちてしまった感じがして、悔しかった。なぜこんなことになってしまったのだろう…。
僕には、いちゃついているというつもりは全くなかったのです。女性に対してそういう意識すらもないから、本当に普通に自然に喋っていただけなのです。
でも、BさんやCさんはヤキモチを妬いてしまった。嫉妬してしまった。
彼ら、ノンケ男子からすれば、そうなってしまうのは理解できます。きっと、すごく親密そうに見えたのでしょう、僕とXさんの距離感が。
僕はあのツイートを見て、初めて1つの事実を思い起こしたのです。僕がゲイだと知らない人は、僕のことを異性愛者の男性だと見ているのだ と。だから、女性と仲良く話していれば、そういう目で見られてしまうことだってあり得るのだと。
では、僕はどうすればよかったのでしょう。あるいは、BさんやCさんはどうするべきだったのでしょう。その答えは僕にはわかりません。ただ、こういう哀しいできごとは、日本中、いや、世界中のどこかで、毎日のように起こっているのではないかと、そんな気がするのです。
もしかして、僕がゲイだということをBさんやCさんが知っていたら、あるいはあの場で知らせることができたとしたら、どうだっただろう。もし、左利きや色覚異常(本当は「異常」という言葉を使いたくないけど…)のように、ためらいなくゲイであることを言えるような社会だったとしたならば。そんなことも考えます。
これで野球場での出来事の記述は終わりです。読者の皆さんは、この出来事をどう受け止めてくださるでしょうか。


2.飲み会での出来事
《 隠れて 》生きているゲイにとって、飲み会やコンパというのは、存外に辛い要素を含んでいるものです。少なくとも僕にとってはそうなのですが。

(1) 大学の研究室でのコンパ
大学4年生になって研究室に配属されたとき、居酒屋で新入生歓迎会が催され、僕も参加しました(なんせ、主役の新入生ですし)。
規模の小さめな研究室で、教員も学生も男性ばかりでした。穏やかな感じの人が多くて、下戸でも何ら問題もなく、まあそんな感じだったのですが。
お酒の入る席というのは、性的な話題も出やすいものです。「どんな女性がタイプか」とか「女性のどこに惹かれるか」とか、そういう話題も出てきてしまいます。すると、僕としては答えられないのです。
もちろん、女性の友人は何人もいます。でも、性愛対象として見ていない以上、タイプとか何とか言われても答えようが無いのです。
(「どんな男性がタイプか」とか「男性のどこに惹かれるか」ならば普通に語れますけどもね)
ただ、僕は賢くなっていたのですね。というのは、そういう経験が以前にもあったし、そのとき困ったことがあったから。だから、事前にそれなりに答えを用意しておくのです。ある種の演技ですよね。そうやって、飲み会やコンパの席を乗り切っている人って、結構いるはずです。まあ、めんどくさいですが、慣れてしまえばそれなりに造作なくできてしまいます。
とはいえ、やはりこんなことをしなくて済むのがラクだとは思うんですけどもね。
これは、同性愛者もだけど、無性愛者にとっても同じことかもしれませんね。

(2) 野球観戦後の飲み会
こちらは、つい最近の出来事です。僕が周りの少数の人にカミングアウトするようになって以後の出来事です。だから、この飲み会には、僕がゲイであることを知っている人 が混ざっていました。この点が、ここまでの事例とは少し異なります。
大勢での野球観戦オフ会の後、飲み会が開催されました。野球のはなしで盛り上がって、とっても楽しかったです。初対面の方も多かったけど、話しやすい方が多かったですしね。
ただ、その飲み会の中で、約5~10分くらい、僕がフリーズしてしまった時がありました。
それは、同性愛に関わる話題が上がったとき。たいして差別的な発言でも無かったし、僕に「グサッ」と来るような内容でも無かったです。上で書いた、野球場でのエピソードは、僕個人への攻撃でしたが、こちらの場合はただの偏見というか誤認というか、そういう感じのもので、それもすごくありがちなもので、もしかしたら普通にスルーできたものかもしれません。
でも、その日の僕はスルーできず、その話題が出てからしばらく、下を向いて(というか携帯を見ながら)黙り込んでしまいました。
僕の右隣に座ってらした女性は、僕がゲイであることをご存じの方。僕のそういう様子を察知されたのか、何度も目配せをくれました。その気遣いが嬉しかったです。
彼女はふつうに話を合わせていましたけどね。あの場ではそれが正解。
僕が黙っていたのも、それもたぶん正解な気がします。話を合わせられればもっとよかったのかもしれないけど。今の自分はそこまでは訓練されてないんだなあと、そう思いました。
もちろん、その誤認を正すような発言をすることが念頭を掠めました。でも、それはできなかった。15人もの人の居る飲み会で、事情をご存じの方は2人しか居らず、やはり勇気は出ませんでした。
そして、そういう発言をすることで、場の空気をおかしくしてしまうのも嫌でした。
こちらのエピソードも、結局何が正解なのかはわかりません。いったいどうするのがいいのか、僕には分からないのです。
もし、あの場にいた全員が僕がゲイだと知っていたなら、状況は異なっていたでしょうね。そういう話題がそもそも上がらないか、あるいは、僕が軽い感じで正せるか。
読者の皆様は、このエピソードをどう受け止めますか? もちろん色々な受け止め方があって当然です。


以上、3つ(大きくは2つ)のエピソードを挙げました。全部、僕という1人のゲイの体験してきた実話です。
ここでは極力主観を交えず、事実を客観的に書いたつもりです(もちろん自分自身の感情・気持ちのことですから、完全に客観的にはなっていないと思うのですが)。それは、冒頭でも書いたとおり、事実を提示することで、《 隠れて 》生きているゲイの存在に目が向けば少し考えてもらう材料・手がかりになれば という思いがあってのことです。
その意図をくみ取って下さる方が、読者の中で1人でもいらっしゃれば、僕は幸せです。


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《 啓蒙 》 するということ ― ゲイという少数者の1人として

2012-08-14 09:38:33 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
カントの『啓蒙とは何か』という論文が大好きです。
文庫本で20ページもないような、短い論文ですし、ぜひいろいろな方々に読んでもらいたい、オススメの論文だったりします。



で、内容については実際に読んでいただきたいのですが、この論文というのは、結局は 《 自分の頭で考えること 》 の大切さを説いているのです。
権威者やその他誰か自分とは別の人の言うことを、そのままなんの疑いもなく鵜呑みにしてしまうのではなく、自分の頭で考えて、ものごとを把握していくこと。まあ、その結果、誰かと同意見になると言うことは当然あるのですが、もちろんそれはまったく問題なくて。要は、自分で考えたかが問題なのですね。

ちょっと出だしの部分を引用してみると、
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。
となっています。

カントは、「知る勇気をもて」 というのを啓蒙の標語に掲げていますが、《 勇気 》 という言葉が出てくるということは、知ることには《 恐怖 》をともなうという側面があるのだということを示唆しているように思えます。
新しい知識や論理や視点が、既存のものを打ち砕いてしまうことは往々にしてあるので、そこに恐怖が生ずるのかなあと思うのです。
また、未知の存在(有形・無形を問わず)というのは、《 得体の知れないもの 》 で、そういうものを怖がるというのは、人間の本能的なものなのかもしれません。あるいはまた、そういう恐怖が、謂われなき嫌悪や憎悪や差別や偏見や誤解へもつながっていくのかもしれません。
だから、その《 恐怖 》を乗り越えて、《 勇気 》をもって知っていったとき、《 得体の知れないもの 》が 《 得体の知れたもの 》 になるわけで、そうなれば、恐怖が消えて、結果的に謂われなき嫌悪や憎悪や差別や偏見も消えていくかもしれない(あるいは知ってなお、嫌悪や憎悪や差別が残るかもしれませんが、それは「謂われなき」ものではありませんね)。

世の中には、多数者(マジョリティ)とよばれる人々と少数者(マイノリティ)とよばれる人々がいます。同性愛者というのは、少数者に該当しますね。他にも、さまざまな少数者がいます。発達障がいの方々はその1つの例あたるのかもしれませんね。
少数者は、多数者にとっては、まさに、《 得体の知れないもの 》 なのでしょう。異質なものなのだから当然ですね。
少数者に対して、謂われなき嫌悪や憎悪や差別や偏見や誤解は世の中にはいくらでも存在しているのですが、結局、これは上述したような理由で生まれてくるのかなあと、そんな風に思います。
だとすれば、少数者が 《 得体の知れたもの 》 になれば、問題が軽減されると言えそうです。
そのためには、少数者(当事者)の側が、実情を発信していかないといけない のです。それがある種の責務なのかもしれません。「知る勇気をもて」 といくら言ったところで、情報がなくてはどうにもなりません。教科書も参考書も何もない状態で、勉強が出来ないのと同じ事ですね。だから、正しい知識日頃感じている違和感だとか辛さだとか哀しさだとか不便だとか、そういったものを発信していくことが必要だと思うのです。それができるのは当事者だけだから。
一方、多数者(非当事者)の側は、「知る勇気をもて」 ということになるのでしょう。つまり、既存のものを打ち砕かれてしまうことを恐れず、当事者が発することを受け取って、それをもとにして、《 自分の頭で考えること 》 をする。その結果、どういう風になるのか、それはわかりません。きっといろいろな人がいるのでしょう。でもそれは自分の頭で考えた結果ですから、謂われなき嫌悪や憎悪や差別や偏見や誤解 は消滅します(“謂われある”嫌悪や憎悪や差別は残るかもしれませんけれども)。
ただ、知る勇気をもつことを強制することはできませんし、そんな権限は誰にもありません。「考えたくない」,「見たくない」という人々にはそうする自由があります。
だから、僕がしていきたいのは、あくまでも発信すること。《 自分の頭で考える 》 ための材料を社会へ流すこと。ここに尽きるのです。それをどう受け取るのかは、それは受け手が自由にして欲しいのです。
勿論、無知を払拭し、謂われなき恐怖を取り払い、謂われなき憎悪や差別や偏見や誤解や偏見を消滅させ、《 共生 》 できるようになれば、この上ない幸せなのですけども。

ただ、発信の仕方は考えなければいけません。
再びカントの言葉を引用しようと思いますが、彼は、理性には公的な利用と私的な利用があるというのです。

…理性の公的な利用だげが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである。これにたいして理性の私的な利用はきわめて厳しく制約されることもあるが、これを制約しても啓蒙の進展がとくに妨げられるわけではない。
さて、理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を公使することである。そして、理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。…


つまり、《 理性の公的な利用 》をしなければならないということですね。
このブログであれこれ発信しているのは、これに該当するでしょう。このブログは一応、全世界に向けて発信されています。日本語で記述しているので、読んでくださる方は日本人が大半でしょうけれども。でも、誰でもが読むことの出来るものとして提供しているので、公衆の前で理性を公使しているということになると思います。少しオーバーですが、全世界に向けて、正しい知識日頃感じている違和感だとか辛さだとか哀しさだとか不便だとか を発信しているのだといえると思います。
《 理性の私的な利用 》は、僕でいえば、勤務先の塾で、社会科の授業の時間を使って、この話題を延々と話すとか。例えばそういうことでしょう。
中3の社会科には、人権の単元があって、平等権と差別の話が出てくるので、そこで少し触れるくらいは、いいのかもしれませんけれど。差別,外国人差別,性差別,障がい者差別など、教科書に挙がっている差別問題と一緒に紹介するくらいはね。
鍵付きのTwitterアカウント(鬱とゲイのことを呟くためのアカウント)でもああだこうだと発信しているけど、あれはどちらになるのでしょうね。一応、公的な利用ということにしてもいいのかな。限られたフォロワさんにしか読めない場所だから、塾の授業で話してるのと同じようにも思えて。最近、ここは葛藤があります。
でも、そもそも鬱とゲイのことを呟くと宣言しているアカウントだから、自分の呟きたいことを呟けばいいのかなとも思いつつ。何を呟こうと自由なのが Twitter だから。

たいへん力を入れて、長文に仕立て上げましたが、僕がこのブログでいろいろなことを書いて、発信していく動機みたいなものが伝われば嬉しいです。
ここまで読んで下さった方、感謝です


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ゲイ(ホモ)の気持ちを描いた動画

2012-07-16 19:59:12 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
3連休の最終日、ニコニコ動画でいろいろと動画を見ていて、見つけたこの動画。

【ゲイ】そ.れじゃあバ.イバイ【手描きMAD】


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※ 上にうまくプレイヤーが表示されていない方は、下のリンクからどうぞ

【ニコニコ動画】【ゲイ】そ.れじゃあバ.イバイ【手描きMAD】

SURFACE の 『それじゃあバイバイ』 という曲の歌詞をゲイ的に解釈して、絵をつけてみたものなんだそうです。
素敵なイラストで、それがまた歌詞とよくマッチしていていい感じ。
そして、見ていたら、目が潤んでしまいました。
共感できる部分がたくさんあって…。
最後の「1人ぼっちじゃないよ」って描写が本当に胸にしみいってきたのです。
ああ、なんとなくだけど、今の僕の気持ちを代弁してくれてる気がするなあって。

今、ゲイの知り合いもできました。恋しい人もいます。元からの知人や家族(の一部)も理解してくれています。それが幸せだなあって、しみじみ思ったのです。
僕の場合、僕自身の性格というかキャラクターのおかげで、《 無性愛者 》を演じることが無理なくできていたりしました。周りも、「ああ、本当に色恋とかそういうのが無い人なんだろうなあ」って納得してくれて。それはそれでいいと思うんですよね。僕に対して色恋がらみの質問を投げること自体が野暮みたいな、そんな認識が周りの人たちにあった気がします。
だから、無理矢理《 異性愛者 》を演じる苦労というのは、たぶん他のゲイの人たちよりはたくさんはしていないはずです。それでも、やっぱりいろいろと困ったことはありましたけどもね。
そうやって無性愛者を、さほど無理なく演じているとはいえ、やっぱり本当の僕は恋もすれば、時にはエッチなことも考えたりするわけで、で、その指向性が男性へ向いている訳で、そこも含めて僕という人間なのだとすれば、やっぱり誰に対しても隠し続けているというのはなんだか寂しいよなあと。
僕だって、恋の話をしたいし、少しエッチな話だってたまにはしたいんだって。そう思うことも、頻繁ではないけどあったのは事実だから。

もし、ゲイの人の気持ちを知ってみたいなあと、困っていたら支えになりたいなあと、そう思ってくださっている、異性愛者の皆さんがいらっしゃるのだとしたら、そういう方に見てもらったら嬉しい動画だなあとも思いました。
(もちろん当事者の生き様も千差万別なんですが、ありがちな要素をいろいろと含んでいますからね)

あとは、自分自身の性的指向が同性へ向いていることに気付き、もしかしたら悩んでしまっている中高生なんかにも見て欲しいなあと。
「君はそのままで大丈夫なんだよ」っていうメッセージが伝わったらなあと。

そういう、気持ちもあって、ブログで紹介させてもらいました。
素敵な動画との出会いに感謝


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