Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

僕と 《 男らしさ 》 -少し「ジェンダー」を考える

2012-07-31 18:18:22 | 僕のこと
今日は少しジェンダー(社会的性差)についての僕の考えを書いてみようかなと。
ジェンダーというのは、社会・文化的につくられた性別役割分業や《 男らしさ 》,《 女らしさ 》のことです。
「男は強くなければならない」とか、「女は出しゃばってはいけない」とか、「男は仕事,女は家事」とか、そういうのですね。子どもとかだと、「男の子は野球やサッカーをして、女の子は鞠突きやおままごとをする」みたいなのも一緒ですね。
世の中には、こういう《 らしさ 》を押しつける、ジェンダー規範があります。
それで、《 男らしくない男性 》や《 女らしくない女性 》は、いろいろな側面において辛い思いをしているのです。
《 自分らしさ 》あるいは《 個性 》を消し去ってまで、《 男らしさ 》や《 女らしさ 》を手に入れようとあがいている人はたくさんいるように見えます。
もちろん、そういう人々が、自らの意志で、自らそうありたいと願って、行動しているのならば全然問題はないのですが、自らの意志に反して、無理をしてそういう行動を起こさざる得なくなっているのだとすれば、哀しいことです。

ちなみに、ジェンダーと性的指向には関係が無いと僕は考えています。
異性愛者でもゲイでもレズビアンでもバイセクシャルでも、それぞれにいろいろな個性の人が居るのですから、ジェンダー的な意味で男らしい人,女らしい人,あるいは中性的(中間的)な人がいるはずです。
ゲイには女らしい人が多く、レズビアンには男らしい人が多いなどというのは偏見だと僕は考えています。

さて、ここからは少し僕自身のことを書いてみましょう。

僕自身は、ジェンダー規範の押しつけにすごく苦しんできた感があります。
性自認は男性で、男性であることに違和感はないし、女性になりたいとか女性の身体が欲しいとか思ったことは一度もありません。僕はどう考えても男性だし、男性であることをやめたいとは思わないのです。
でも、ジェンダー的な意味では、結構女性的なところが多い人間だと自分で思います。僕はまったく強くないですし、泣き虫です。箸やペンより重たいモノなんか持たせたら潰れてしまいます。ケンカとか乱暴なことはとにかく大嫌い。怒声を聞いただけで身体が硬直します。甘いものが好きで、少食です。小さい頃はぬいぐるみやお人形さんで遊んだり、おままごとをしたりするのが大好きでした。どうですか?
もちろん、ジェンダー的な意味で男性的な部分もたくさんあるんですよ。例えば、かなり理性的だったりとか、鉄道が好きだったりとか、長時間かけて買い物するのは嫌いだったりとか、群れをなすのは嫌いだったりとかね。オシャレとか無頓着だし。

こういうのって要は、僕の《 個性 》ですよね。ただ、ジェンダーってものに照らしあわせて男性的な部分と女性的な部分に分けたけど、これってそもそも分ける必要あるのかなって思うのです。だって、僕は僕だから。
ジェンダー的な意味で、完璧な男性とか、完璧な女性っていないでしょう。どんな人だって、男性的な面と女性的な面があるはずだから。ただ、最初にも書いたとおり、《 女性的な面の強い男性 》とか《 男性的な面の強い女性 》は生きづらいのです。それは社会がジェンダー規範を押しつけるから。

僕は実父とか祖母に「女の腐ったような奴」とかさんざん言われて育ちました。彼らにはそう見えたのでしょうけど、そういうとらえ方しかできない可哀想な人たちだなあと思いました。人にはさまざまな個性があるのになぜ枠にはめようとするのだろうと。
異性愛だけがあるべき形で、それ以外は認められないという発想も、なにかこれと近いものを感じます。結局は、典型的な《 家庭 》像を万人に押しつけようとするから、そういう発想になってしまうのかなと。
「《 男らしい 》父親と、《 女らしい 》母親がいて、子どもを育てる」という典型的な《 家庭 》像。これを否定する気は毛頭ありません。これで幸せな方々はたくさんいらっしゃるからです。でも、皆が皆そうではないですよね。別に、男らしくない父親がいたっていいし、女らしくない母親がいたっていいではないですか。それでみんな《 幸せ 》なのだとすれば。
「《 強い 》男性が《 弱い 》女性を守る」というのも同じかな。なぜ、男性は《 強く 》ないといけないのか。なぜ、女性を守ることを押しつけられなければいけないのか。僕は男性ですけど、僕より強い女性はいっぱいいますよ。ケースバイケースではダメなのでしょうか。人と人は支え合う生き物です。それぞれの持っている《 個性 》や《 特性 》に応じて、時には人を守ってあげ、時には守られる側に回る。それこそが幸せのように思えます。
ジェンダー規範に過度にとらわれず、各人が持って生まれた個性をのびのびと出して明るく生きられる世の中が来たらいいなあと強く思います。

僕は、僕らしく、生きていきたい

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