去年5月に知り合った、僕のゲイの友人、マイノリティのパイオニア・豆腐さん が、《 セクシュアリティ勉強会 》を隔月開催で主催されています。
僕は去年10月の第6回から連続で参加しています。今回(4月)で4回目となりました。
過去の開催分については、この記事の一番下にリンクをまとめて載せてあります。
今回は4月27日開催で、ちょうど僕の誕生日の開催でした。
というわけで、誕生日に有意義な勉強会へ行ってきました。
勉強会開催から、2週間も経って、やっとこの記事を公開するという遅さに唖然としますが、お許し下さい。
テーマは、《 セクシュアルマイノリティと友人関係 》でした。
資料として、NHK「ハートをつなごう」製作班が監修した、『 LGBT BOOK 』 という本から抜粋したものが配布され、それも元にしながらディスカッションをしました。
豆腐さんはこの本から当事者の声を8つ抜粋されていたのですが、僕が特に共感したり感銘を受けたりしたのは、20代のゲイの方のものと、30代のレズビアンの方ものもでした。
まず、20代のゲイの方のものから。
・ 中学1年生のときに同性の友人を好きになり、「あぁ、自分は同性愛者だったんだ」と気がつきました。そして、そのことをすんなり受け入れてしまいました。「自分を受け入れられない苦しみ」というものはほとんど経験していません。
→ 僕の場合は小5のころに同じような経験をしました。そして、彼の場合と同じように、自分自身の内面ではすんなり受け入れてしまいました。同性愛者である自分自身を受け入れられずに苦しむ人もいますが、彼や僕みたいな当事者も居るということを知って欲しいです。
・ やはり家族には打ち明けられません。ばれたら自分の居場所がなくなる、家庭から排除される、という恐怖があるからです。今回の番組も、親の前では見られないから録画しました。そもそも、番組を録画していることもばれないように気をつけました。同性愛に関心を持っている=異常、という両親の考えがわかりきっているからです。身内に否定されたらどうなるのだろう、と考えるだけでも怖いです。
→ 僕も同じような感覚を持っていました。自分が同性愛者であることをすんなり受け入れた僕でしたが、同時に「これは誰にも知られたらいけない」と強く思ったのでした。幸運にして、僕は母や妹へのカミングアウトが成功して、今はかなり精神的にラクになっています。ただ、これはやはり幸運なケースといえると思います。
次に、30代のレズビアンの方のもの。
・ 番組や周りの人たちはセクマイの権利を主張して理解してくれないことを声高に言っていますが、私たちはそんなことよりまず、社会人としてしっかりと働き自分の足もとを固めてきちんとした生活を送れることを心がけています。
→ この方のおっしゃりたい事に同意です。僕はまだ足もとを固めることができていると言えないので、そこをしっかり努力していきたいです。また、権利も必要なものは求めていけばいいと思いますが、あまり声高に「権利をよこせ!」,「理解しろ!」とまくし立てるのには、僕は懐疑的です。
・ 誰しも悩む時期もあると思いますが、ある程度の年齢になれば、自分のセクシュアリティを認め覚悟を持ち当たり前の生活を送ることが、セクマイへの偏見を断ち切ることに繋がると思います。
→ これは自分自身の肝によく銘じておきたいです。
・ いつまでもグズグズと「周りにわかってもらえない」というネガティブな意見ばかりマスコミが取り上げていると、マジョリティの人たちの偏見はますます悪いものになります。もっと普通に前向きに生きているセクマイにも目を向けて欲しいと思います。
→ これも同意ですね。もちろんネガティブな側面や孕んでいる問題も報じることは必要ですが、セクマイ = 可哀想な人たち という認識になってしまうのはどうなのかなあと思います。
さて、今回の勉強会は、セクシュアリティと友人関係がテーマでしたが、このテーマを考える上で、カミングアウトの話題は避けて通れないでしょう。
僕の現時点での意見として、友人へのカミングアウトは、一種の嗜好品みたいなものだなあと思っています。
(家族へのカミングアウトはまたちょっと別なんですけどね…)
もしカミングアウトして、特に拒絶されなかった場合、当事者の側は嬉しいものですし、かなり気が楽になるのは事実でしょう。
ただ、受け手の立場に立って考えると、どうでしょうか。
もちろん、カミングアウトを受けて喜んでくれたりする人もいるのかもしれません。あるいは、特に何も思わないという人もいるでしょう。ただ、重たく感じる人も当然いるはずです。
カミングアウトすることで、自分はラクになれるかもしれないけれど、相手を重たい気持ちにさせてしまう可能性があるということを、僕らは自覚しておかないといけないと思っています。
また、カミングアウトをして拒絶される可能性もありますし、場合によっては何らかの不利益を被る可能性もあるという点はよく覚悟しておかなければならないでしょうね。
そういう次第で、僕は、少なくとも当分の間は、誰彼かまわずカミングアウトするというやり方を取るつもりはありません。
ただ、何が何でも絶対にカミングアウトしないというつもりもなくて、相手に応じて、流れにまかせて、臨機応変にやっていこうと思っています。
ゲイであることは、僕という人間がいろいろ持っている属性のうちの1つに過ぎません。
僕は、日本人で,男性で,AB型で,右利きで,メガネ使用者で,プロ野球ファンで,クラシック音楽好きで,茶道部出身者で,地図好きで,鉄道好きで,麺類好きで,ブリーフ派で,スパンキングフェチで,ゲイなのです。
ありとあらゆる要素が組み合わさって僕という人間が出来上がっていて、ゲイというのはその1つでしかありません。
ただ、その要素を持っている人間が、少数だというだけのことです。
(少数と言うことで言えば、ブリーフ派だってスパンキングフェチだって少数ですね。茶道部出身者もかな。マイノリティな属性なんて実は世の中には腐るほどあるわけです)
友人関係が出来上がるとき、たぶんそういう雑多な属性の中で、どこかが重なっていたりするから友人になれるのだと思うのです。
例えば、野球好きな僕には、観戦仲間が居ます。彼ら / 彼女ら とは、プロ野球が好きで、特に同じチームを気に入っているという点で一致して、友人になっているわけです。
その関係性を考えたとき、極論すれば、僕がゲイであろうが無かろうが関係ないわけです。
友人関係ってそういうものだと僕は思います。
だから、友人へのカミングアウトは、先ほど述べたようなスタンスを取っています。あくまでも、今の僕の場合はですが。
一方、カミングアウトの《 功 》の部分を考えるなら、その1つは、ゲイに対する謂れなき偏見や恐怖や嫌悪を除去することにつながるという点があるでしょう。
僕の友人の1人(同年代の異性愛男性)は、まだ小学生だったころ、通っていた塾の男の先生に性的ないたずらをされたそうです。たぶんその先生がゲイかバイセクシュアルだったと想定できるのですが、彼はその経験から、ゲイが怖かったそうです。
でも、彼は僕がゲイであることを知って、その恐怖心が薄れたらしいです。異性愛者に色んな人がいるように、ゲイにもいろんな人がいるということが、実感を持って伝わったということでしょう。
そんなことがあって、僕は彼から、感謝・尊敬されてしまうということになって、ちょっと照れくさかったのですが。
こういうことが成り立ったのは、そもそも僕という人間の人間性(?)が、彼にそれなりに良い評価をされていたからだということを忘れてはいけません。もし、そうでなければ、彼はゲイへの恐怖を余計に募らせたことでしょう。
これは、前半で引用した、30代のレズビアンの人の文とも関連してきますね。
ゲイへの偏見を取り除きたいのならば、闇雲にカミングアウトするとか、声高に権利を主張するとか、社会の無理解を嘆きわめき散らすとかする前に、《 きちんとした生活を送る 》とか《 当たり前の生活を送る 》ことが大切なんだなあと、今の僕は思います。
最後に、僕が社会に対して何か働きかけるとするなら、「もし良かったら、僕たちのことを少し知ってみませんか?(^^)」とか「僕たちが社会の中に存在していることを認めてくれたら嬉しいなあ(^^)」というつもりで、情報を流すくらいかなあと思います。
「もっと僕らのことを理解しろ!」とか「僕らのことを好きになれ!」と押しつけがましく無理強いしたって、知りたくないものは知りたくないし、生理的に嫌いなものは仕方ないですしね。そんなことをしても、余計に憎悪をかき立てるだけのような気がします。
それに、自分のマイノリティ性(あるいは弱者性)を振りかざして、その正義の前に相手が何も言えないのをいいことに、言いたい放題やりたい放題するような、横暴なマイノリティにはなりたくないです。それはあまりにも卑怯だと僕には思えるのです。
マイノリティだから(弱者だから)何でも許されるなんてことは、あってはならないと思います。
ただ、当事者としては、知って欲しいという風には思います。だから、非当事者の人たち向けに発信はします。僕らのことを嫌いでもいいけど、嫌うなら知った上で嫌って欲しいなあとも思います。でも、知ることを無理強いしたりはしないようにしたいのです。
「ちょっと知ってみたいな」と思ってくれた人たちに、歩み寄って、語りかけていければ理想的だなあと思います。
というわけで、勉強会のレポというか、自分自身の考えをダラダラと書いただけになってしまいましたが、このあたりで擱筆しようと思います。
※ 過去の開催分について、豆腐さんのブログのエントリーへのリンクです
第1回 2011年12月23日 記事1,記事2
第2回 2012年2月26日 記事1,記事2
第3回 2012年4月29日 記事1,記事2
第4回 2012年6月24日 記事1, 記事2
第5回 2012年8月26日 記事1,記事2
第6回 2012年10月28日 記事1,記事2
第7回 2012年12月15日 記事1,記事2
第8回 2013年2月23日 記事1,記事2
第9回 2013年4月27日 記事1,記事2
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僕は去年10月の第6回から連続で参加しています。今回(4月)で4回目となりました。
過去の開催分については、この記事の一番下にリンクをまとめて載せてあります。
今回は4月27日開催で、ちょうど僕の誕生日の開催でした。
というわけで、誕生日に有意義な勉強会へ行ってきました。
勉強会開催から、2週間も経って、やっとこの記事を公開するという遅さに唖然としますが、お許し下さい。
テーマは、《 セクシュアルマイノリティと友人関係 》でした。
資料として、NHK「ハートをつなごう」製作班が監修した、『 LGBT BOOK 』 という本から抜粋したものが配布され、それも元にしながらディスカッションをしました。
NHK「ハートをつなごう」LGBT BOOK | |
クリエーター情報なし | |
太田出版 |
豆腐さんはこの本から当事者の声を8つ抜粋されていたのですが、僕が特に共感したり感銘を受けたりしたのは、20代のゲイの方のものと、30代のレズビアンの方ものもでした。
まず、20代のゲイの方のものから。
・ 中学1年生のときに同性の友人を好きになり、「あぁ、自分は同性愛者だったんだ」と気がつきました。そして、そのことをすんなり受け入れてしまいました。「自分を受け入れられない苦しみ」というものはほとんど経験していません。
→ 僕の場合は小5のころに同じような経験をしました。そして、彼の場合と同じように、自分自身の内面ではすんなり受け入れてしまいました。同性愛者である自分自身を受け入れられずに苦しむ人もいますが、彼や僕みたいな当事者も居るということを知って欲しいです。
・ やはり家族には打ち明けられません。ばれたら自分の居場所がなくなる、家庭から排除される、という恐怖があるからです。今回の番組も、親の前では見られないから録画しました。そもそも、番組を録画していることもばれないように気をつけました。同性愛に関心を持っている=異常、という両親の考えがわかりきっているからです。身内に否定されたらどうなるのだろう、と考えるだけでも怖いです。
→ 僕も同じような感覚を持っていました。自分が同性愛者であることをすんなり受け入れた僕でしたが、同時に「これは誰にも知られたらいけない」と強く思ったのでした。幸運にして、僕は母や妹へのカミングアウトが成功して、今はかなり精神的にラクになっています。ただ、これはやはり幸運なケースといえると思います。
次に、30代のレズビアンの方のもの。
・ 番組や周りの人たちはセクマイの権利を主張して理解してくれないことを声高に言っていますが、私たちはそんなことよりまず、社会人としてしっかりと働き自分の足もとを固めてきちんとした生活を送れることを心がけています。
→ この方のおっしゃりたい事に同意です。僕はまだ足もとを固めることができていると言えないので、そこをしっかり努力していきたいです。また、権利も必要なものは求めていけばいいと思いますが、あまり声高に「権利をよこせ!」,「理解しろ!」とまくし立てるのには、僕は懐疑的です。
・ 誰しも悩む時期もあると思いますが、ある程度の年齢になれば、自分のセクシュアリティを認め覚悟を持ち当たり前の生活を送ることが、セクマイへの偏見を断ち切ることに繋がると思います。
→ これは自分自身の肝によく銘じておきたいです。
・ いつまでもグズグズと「周りにわかってもらえない」というネガティブな意見ばかりマスコミが取り上げていると、マジョリティの人たちの偏見はますます悪いものになります。もっと普通に前向きに生きているセクマイにも目を向けて欲しいと思います。
→ これも同意ですね。もちろんネガティブな側面や孕んでいる問題も報じることは必要ですが、セクマイ = 可哀想な人たち という認識になってしまうのはどうなのかなあと思います。
さて、今回の勉強会は、セクシュアリティと友人関係がテーマでしたが、このテーマを考える上で、カミングアウトの話題は避けて通れないでしょう。
僕の現時点での意見として、友人へのカミングアウトは、一種の嗜好品みたいなものだなあと思っています。
(家族へのカミングアウトはまたちょっと別なんですけどね…)
もしカミングアウトして、特に拒絶されなかった場合、当事者の側は嬉しいものですし、かなり気が楽になるのは事実でしょう。
ただ、受け手の立場に立って考えると、どうでしょうか。
もちろん、カミングアウトを受けて喜んでくれたりする人もいるのかもしれません。あるいは、特に何も思わないという人もいるでしょう。ただ、重たく感じる人も当然いるはずです。
カミングアウトすることで、自分はラクになれるかもしれないけれど、相手を重たい気持ちにさせてしまう可能性があるということを、僕らは自覚しておかないといけないと思っています。
また、カミングアウトをして拒絶される可能性もありますし、場合によっては何らかの不利益を被る可能性もあるという点はよく覚悟しておかなければならないでしょうね。
そういう次第で、僕は、少なくとも当分の間は、誰彼かまわずカミングアウトするというやり方を取るつもりはありません。
ただ、何が何でも絶対にカミングアウトしないというつもりもなくて、相手に応じて、流れにまかせて、臨機応変にやっていこうと思っています。
ゲイであることは、僕という人間がいろいろ持っている属性のうちの1つに過ぎません。
僕は、日本人で,男性で,AB型で,右利きで,メガネ使用者で,プロ野球ファンで,クラシック音楽好きで,茶道部出身者で,地図好きで,鉄道好きで,麺類好きで,ブリーフ派で,スパンキングフェチで,ゲイなのです。
ありとあらゆる要素が組み合わさって僕という人間が出来上がっていて、ゲイというのはその1つでしかありません。
ただ、その要素を持っている人間が、少数だというだけのことです。
(少数と言うことで言えば、ブリーフ派だってスパンキングフェチだって少数ですね。茶道部出身者もかな。マイノリティな属性なんて実は世の中には腐るほどあるわけです)
友人関係が出来上がるとき、たぶんそういう雑多な属性の中で、どこかが重なっていたりするから友人になれるのだと思うのです。
例えば、野球好きな僕には、観戦仲間が居ます。彼ら / 彼女ら とは、プロ野球が好きで、特に同じチームを気に入っているという点で一致して、友人になっているわけです。
その関係性を考えたとき、極論すれば、僕がゲイであろうが無かろうが関係ないわけです。
友人関係ってそういうものだと僕は思います。
だから、友人へのカミングアウトは、先ほど述べたようなスタンスを取っています。あくまでも、今の僕の場合はですが。
一方、カミングアウトの《 功 》の部分を考えるなら、その1つは、ゲイに対する謂れなき偏見や恐怖や嫌悪を除去することにつながるという点があるでしょう。
僕の友人の1人(同年代の異性愛男性)は、まだ小学生だったころ、通っていた塾の男の先生に性的ないたずらをされたそうです。たぶんその先生がゲイかバイセクシュアルだったと想定できるのですが、彼はその経験から、ゲイが怖かったそうです。
でも、彼は僕がゲイであることを知って、その恐怖心が薄れたらしいです。異性愛者に色んな人がいるように、ゲイにもいろんな人がいるということが、実感を持って伝わったということでしょう。
そんなことがあって、僕は彼から、感謝・尊敬されてしまうということになって、ちょっと照れくさかったのですが。
こういうことが成り立ったのは、そもそも僕という人間の人間性(?)が、彼にそれなりに良い評価をされていたからだということを忘れてはいけません。もし、そうでなければ、彼はゲイへの恐怖を余計に募らせたことでしょう。
これは、前半で引用した、30代のレズビアンの人の文とも関連してきますね。
ゲイへの偏見を取り除きたいのならば、闇雲にカミングアウトするとか、声高に権利を主張するとか、社会の無理解を嘆きわめき散らすとかする前に、《 きちんとした生活を送る 》とか《 当たり前の生活を送る 》ことが大切なんだなあと、今の僕は思います。
最後に、僕が社会に対して何か働きかけるとするなら、「もし良かったら、僕たちのことを少し知ってみませんか?(^^)」とか「僕たちが社会の中に存在していることを認めてくれたら嬉しいなあ(^^)」というつもりで、情報を流すくらいかなあと思います。
「もっと僕らのことを理解しろ!」とか「僕らのことを好きになれ!」と押しつけがましく無理強いしたって、知りたくないものは知りたくないし、生理的に嫌いなものは仕方ないですしね。そんなことをしても、余計に憎悪をかき立てるだけのような気がします。
それに、自分のマイノリティ性(あるいは弱者性)を振りかざして、その正義の前に相手が何も言えないのをいいことに、言いたい放題やりたい放題するような、横暴なマイノリティにはなりたくないです。それはあまりにも卑怯だと僕には思えるのです。
マイノリティだから(弱者だから)何でも許されるなんてことは、あってはならないと思います。
ただ、当事者としては、知って欲しいという風には思います。だから、非当事者の人たち向けに発信はします。僕らのことを嫌いでもいいけど、嫌うなら知った上で嫌って欲しいなあとも思います。でも、知ることを無理強いしたりはしないようにしたいのです。
「ちょっと知ってみたいな」と思ってくれた人たちに、歩み寄って、語りかけていければ理想的だなあと思います。
というわけで、勉強会のレポというか、自分自身の考えをダラダラと書いただけになってしまいましたが、このあたりで擱筆しようと思います。
※ 過去の開催分について、豆腐さんのブログのエントリーへのリンクです
第1回 2011年12月23日 記事1,記事2
第2回 2012年2月26日 記事1,記事2
第3回 2012年4月29日 記事1,記事2
第4回 2012年6月24日 記事1, 記事2
第5回 2012年8月26日 記事1,記事2
第6回 2012年10月28日 記事1,記事2
第7回 2012年12月15日 記事1,記事2
第8回 2013年2月23日 記事1,記事2
第9回 2013年4月27日 記事1,記事2
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