Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

同性愛を嘲笑の対象にされるのがなぜ嫌か

2012-08-22 06:46:49 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
このブログの真面目系(?)記事で繰り返し繰り返し書いているように、同性愛を嘲笑の対象にされることに対して、僕は嫌な気持ちを持っています。哀しくなります。憤りを覚えます。
今回は、その嫌な気持ちとか哀しい気持ちや憤りがなぜ出てくるのかを考えてみたいと思います。

世の中には、“ホモネタ”を面白半分で喋る人 がたくさんいます。同性愛者を笑い者にして平然としている人 がたくさんいます。意識しての場合もあれば、無意識の場合もあるのでしょうけれど。

※ “ホモ”は蔑称として受け取る人も相当数いる表現であり、僕も平素はあまり使わないのですが、ここではあえて使わせてもらいました。

「○○はホモだ!」とか勝手に誰かのことを言っている人がたまにいます。いや、結構いるというのが適切かもしれません。どういう根拠があってそういう発言をしているのかわかりませんが、こういうスキャンダル的な(?)発言が普通に成り立つというのは、同性愛者が 異常な存在得体の知れない気持ち悪いもの嘲笑の対象とされても仕方ない存在 として認識されている証拠と思えて、哀しくなります。これは被害妄想なのでしょうかねえ。
雑誌なんかが、有名人に対して、《 ○○にホモ疑惑 》とかって記事を出す場合がありますが、これなんかも同じです。その人が同性愛者だったとして、それがなんだというのでしょう。何も悪いことなんかしていないのに。自然に生きているだけなのに。そんなに同性愛者が気持ち悪いですか。同性を愛することはそんなに後ろめたいことですか。不倫のようにスキャンダル扱いされないといけないことなのですか。嘲笑に晒されないといけないようなことですか。良識のないマスコミに対して、哀しさと憤りがこみ上げてきます。

僕は1人のゲイとして(あくまでも僕の意見というか考えですが)、自分自身を《 普通 》だとは思いません。6月に 「変人」の哲学 という記事でもああだこうだと書いていますが、自分自身のことをポジティブな意味で《 変人 》だと思っていますし、《 特殊 》だとは思っています
でも、《 異常 》と言われれば心外です。僕は決して《 異常 》なんかじゃない。

自分で選び取った趣味はともかく、ゲイであること(同性である男性を性愛対象とすること)については、(少なくとも僕の場合には)自分で選び取ってはいません生まれつき そうだったのです。出身国や人種と同じです。あるいは左利きと同じです(但し同性愛の場合は気付くのが思春期頃になるだけ)。性的指向は、基本的には 自分ではどうにもできないこと です。そして、左利きを右利きに矯正するのと比べて、同性愛を異性愛に矯正するなんてことは著しく困難というか普通は不可能です。出身国や人種は変えられませんが、そっちに近いと思います。出身国や人種に基づく差別や偏見はいけないと認識している人でも、同性愛者に対しては平然とそういうことをしてしまう人はたくさんいます。これはやはり無知が最大の原因に思えます。

※ というか、そもそも左利きも矯正する必要なんか無いと思います。だいたいこういうケースで《 矯正 》という言葉が使われることに押しつけがましさを感じます。《 正しい 》ってなんですか?

僕は自分自身がゲイであることに対して嫌だとは思わないし、異性愛者になりたいとも思いません。このままゲイとして天寿を全うしたいと考えています。
たしかに《 変人 》で《 特殊 》かもしれないけれど、そこも含めて僕だと思うから。ゲイじゃない僕なんて想像も出来ない。
異性愛者が、《 自然 》に《 あるがまま 》に 生きているように、
同性愛者も、《 自然 》に《 あるがまま 》に 生きています(生きたいです)。
恋する気持ちにだって、違いはありません。僕はパートナーがいたことはまだ無いけど、おそらくパートナーに対する思いだって同じです。ただ性別が違うだけのことで。
5月に更新したとおり、 辞書は「恋」の対象を異性に限定しています 。こういうところにも、哀しさを感じざるを得ません。
「お前のしてる恋なんて、そんなの恋って言わないんだよ~(あかんべー)」って言われているように感じてしまいます。僻みっぽいですかね。
でも、そのくらい哀しいのです。
僕にとっては大事な恋を、《 変な趣味の1つ 》として片付けて欲しくない です…。そもそも同性愛は趣味でも嗜好でもないのですけどね。

同性愛を嘲笑の対象とされることが、嫌で哀しくて憤ろしいのは、この辺りなのかなあと、最近思うのです。
僕の恋を踏みにじられたような気分になって大切なものを思いっきり叩きつぶされたような気がして。そういうことをされて、哀しみや憤りを感じないのは、よほど訓練された人のように僕には思えます。

もちろん、同性愛者にもいろいろですから、嘲笑の対象にされてもむしろそれを好意的に(?)受け止めたり、ある種の開き直りみたいのを見せる人々もいます。場合によっては、自分からネタにしていくような人々もいます。
そういう人々を一切否定しませんし、ある種、尊敬のまなざしで見ていたりもします。
ただ、僕はああいう風にはなれないなと。たとえ狭量と言われても、やっぱりネタにされたり、嘲笑されたり、《 異常 》と見なされたりするのは嫌 です。断固拒否です
僕は《 見せ物 》じゃない。静かに自然に生きていきたいだけなのです。
同性愛者の1人としてそう思います。同じ立場に立つ人も、きっと結構いると思います。

今回の記事は、自己分析のために書いたという側面もあって、ごちゃごちゃしてしまいました。
ただ、僕の中で渦巻いているいろいろな思いが、そのまま吐露されているともいえるので、そういう感じで読んでくだされば嬉しいかもしれません。


同性愛(ノンアダルト) ブログランキングへ

コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« [K中シリーズ] 部活動のこと... | トップ | 女性専用車への疑問 »

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (nsew)
2012-11-01 08:47:29
ブログ全部拝見しました
僕もちょうど同じようなことを考えていて
共感できる節がたくさんありました
返信する
nsewさん (Nikkoh)
2012-11-02 17:42:49
nsew さん

コメントを頂き、ありがとうございます。
そして、ブログを読んでくださって感謝です。
共感していただけて嬉しく思います。
微力ながらブログでの情報発信を続けていこうと思っていますので、ぜひ今後ともご愛読下さい(^^)
返信する
Unknown (animal)
2012-11-10 23:27:33
はじめまして。
ブログ拝見しました。
自称バイセクシャルのものです。
いろいろかんがえさせてもらったいい記事でした♪
返信する
animalさん (Nikkoh)
2012-11-11 16:44:01
animalさん

コメントありがとうございます(^^)
バイセクシャルの方だと、場合によっては、ゲイにも疎まれてしまったりして、大変そうですね。
僕の記事が、考える材料になったとのことうれしいです。
こういう感想をもらうと、執筆意欲(?)がわきますねー
感謝です♪
返信する
男性異性愛者より (Iwakuma)
2013-06-09 14:38:43
はじめまして。異性愛者の立場から少し。

嘲笑するのは良くないと思います。
しかし、いわゆるゲイ、つまり男性同性愛の人ってのは、私達が女性に対して抱くような性衝動がオトコに向かう訳ですから、そりゃもう、異性愛者のオトコからしたら恐怖ですよ。
忌み嫌われて当たり前じゃないですか?
これは偏見じゃないと思います。

それから、セクシャルマイノリティの方って、性欲強いですね。マジョリティとはいっても、通常は我慢を重ねて生活しているんですよ。
NHKの番組はその視点が完全に脱漏していました。

我慢できないとか抑圧に耐えられないとか言う前に、一般の人(特に男性)がどれほど我慢を重ねて生活しているか、よく観察したほうが良いと思います。
返信する
Iwakumaさんへ (Nikkoh)
2013-06-09 16:44:43
Iwakumaさん、こんにちは。
コメントを頂きありがとうございます。
異性愛男性の立場からの貴重なご意見、うれしいです。

論点を大きく2つ頂いたので、分けてお返事させていただきますねー。

(1) ゲイの存在は異性愛男性にとって恐怖であり、忌み嫌われるのは当たり前である。これは偏見ではない

客観的に見て、概ねおっしゃるとおりだと思っています。
異性愛男性にもいろんな方がいらっしゃるので、ゲイを怖がらなかったり、特段忌み嫌っていない人もいます。僕はそういう人々の存在を知っています。一方で、ご指摘のとおりの感覚を持つ方も相当数いらっしゃることは僕もよくわかっていますし、そういう人の気持ちも言い分も理解できます。
もちろん、1人のゲイとしては、忌み嫌われれば悲しいですし、それは僕の正直な気持ちではありますけれど。
同性愛嫌悪(ゲイフォビア)という言葉がありますが、嫌悪の気持ちを心の中に持っていることそのものは、偏見でもなんでもないと思います。人にはそれぞれ好き嫌いがありますし、怖いものもあります。誰もそこに介入することなんかできないと思います。「嫌うな!」とか「怖がるな!」なんてことを言うのは、無理強い以外の何者でもないですし、思想統制でしょう。だから、そんなことをする押し付けがましいマイノリティやその周辺の人たちのやり方には、大いに疑問を抱いていますし、僕自身がそうなることのないように、日々自戒して、気をつけています。
ただ、その嫌悪感の表出として、不当な攻撃が行われたり、襲撃や殺人のようなヘイトクライム(憎悪犯罪)が起こったりするようなことがあれば、やはりそれは別物だと僕は思っています。嫌いだからといって、直ちに攻撃したり社会から抹消してよいということにはならないはずですし、嘲笑したりいじめたりしていいということにもならないはずです。
もちろん、正当な批判というのはあっていいですし、無ければならないとも思います。僕らマイノリティは、得てして、正当な批判をされているときであっても、それを不当な攻撃であるように捉えてしまいがちですが、それではダメだなーと強く思います。耳に痛い指摘であっても、正当なものはどんどん聞き入れて、改めるべき部分は改めていかないといけないと考えています。

(2) セクシャルマイノリティの方は性欲が強い。マジョリティとはいっても、通常は我慢を重ねて生活している。NHKの番組はその視点が完全に脱漏していました。我慢できないとか抑圧に耐えられないとか言う前に、一般の人(特に男性)がどれほど我慢を重ねて生活しているか、よく観察したほうが良い

まず、セクシュアルマイノリティの中にもいろいろでして、性欲は強い人から弱い人までいます。ア・セクシュアルの人の中には、性欲がまったく存在しない人もいます。
ゲイに限ってもやはりいろいろですね。性欲の強い活動的な人が目立っているので、ゲイは性欲が強いというイメージがあるのかもしれません。
実のところはかなり個人差が大きくて、性欲の弱いゲイも結構います。その一方で、男をとっかえひっかえ肉体関係を持っている人もいます。
やりたい放題している人は、本当にやりたい放題です。公園や公衆浴場などの公共の場で性行為をする困った輩がいまだにいるのも事実です。
HIVも男性同性愛者間の感染が圧倒的に多いです。あまりに放埓というか、後先を考えない行動で、こんなのは批判されて当然だと思います。

NHKの番組は福祉番組ということもありますが、セクマイにとっての負の側面を強く取り上げていましたし、セクマイ(の一部?)側の感覚に偏っていたとは思います。
したがって、「別にマジョリティだって我慢してるし抑圧されてるんだよ!」っていう意見が出てくるのは当然だと感じます。
僕も、「我慢して生きている人や抑圧されて生きている人なんて、世の中には別にたくさん居るよなー」と思います。
いずれ記事にしてみたいですが、今の日本社会の中で一番我慢を強いられているのって、むしろ、異性愛者の男性なのではないかとも考えています。
マイノリティや、(公認の)弱者は、往々にして、「わたしって何て可哀想なんだろう」という洞穴へ閉じこもりがちです。そして、「こんなに可哀想なわたしたちなんだから、なんとかしなさいよ!」と吠えがちです。
僕も一時期はこの過ちを犯していました。今になってみれば恥ずかしい限りですが。
とはいえ、やはりマイノリティは少数であるという点から、声を発しないといけないとは思っています。言わなければわからないという部分はあると思うのです。
一方で、《 マイノリティや弱者に優しくあること 》が正義としてふりかざされ、その乱用の結果として、マイノリティや(公認の)弱者についての他愛も無い発言や正当な批判をも憚らせるような風潮を招いている現実も、直視していきたいと考えています。

※ 以前書いた記事ですが、関連した内容を含んでいますので、興味がありましたら併せてお読みください。
http://blog.goo.ne.jp/nikkoh-gn/e/b26e242f487fa613fcd45838f95359bc

以上、長々と失礼しました。
返信する
嘲笑について (多様性って)
2013-06-17 00:30:30
都内住みのゲイです。
ちょっと感じていることを書かせてください。

今日、みんなゲイなんか普通で、
受け入れているかのような態度を表面的に取り、
なんというか、“進んだ人”ぶった人が増えたと思う。
ドラマで刷り込まれたのか、グローバル企業に接して
人種や性的志向差別への禁止の知識だけはあるというか。
結局、上辺だけのものだから、ゲイをカマと呼んでたり、
社内でのセクハラも減らない。
当然、嘲笑の対象でもある。

俺は、ゲイを公言はしていないものの、特に隠しもせず生きているが
上に書いた一見リベラルな人から、ものすごい嫌がらせにあう時がある。
中にはお前みたいな奴が俺(他人)を馬鹿に出来んの?って思わず笑ってしまうような奴にもよく遭遇する。
こういう言い方はしたくないが、頭・外見・人格ともに駄目な奴が、
根拠のない自信と異様な自己評価の高さで馬鹿にし潰しに来る。
幸い、彼らはもともと同じ土俵にいない人間なので都度、力の違いを見せ付けて倒しているが
“あいつに負けるはずがない”と言わんばかりに何度やられても関わって来る。
これは不気味だ。
長らくそういう人生を歩んで来たけど
なんかこれは同性愛者とかマイノリティだけの問題じゃないと気づいた。

それは、彼らは何かを嘲笑しなければ自分を保てない人の層と重なるという事。
そもそも嘲笑というのは、みじめな自分、自己愛を満たすために自分より格下の人間が必要なのであって、対象は誰でもいいのである。
ニュースでもなんでも誰かがヘマをすればここぞと笑い、
無意識に自分より立場の弱い者、持たない者を探している。
これは頭・外見が良いからとか、高収入の人は満たされているから起きないとか、グローバル企業に勤める人はコンプライアンス教育がきっちりなされているから起きないとかいう単純な話ではなく、
一人一人の人生への満足度とか自分への肯定感とかから来るものだと思うので全ての階級にそういう人達は存在する。
さらに、皆に愛される常識人(ぶり)ながら、同性愛にだけはヒステリックに反応する人など
そういうレイヤーが幾重にも重なって世間を作っているので
単純に同性愛への差別問題だけを見ても解決しない。
返信する
コメントありがとうございます (Nikkoh)
2013-06-19 00:10:58
『多様性って』さん(?)、コメントありがとうございます
興味深く、示唆に富んだ内容だと思います。

> 受け入れているかのような態度を表面的に取り、
> なんというか、“進んだ人”ぶった人が増えたと思う。

確かにそんな気はしますねー。
そして、現状だと、喧しく訴えていけば行くほど、もっとそういう人が増えるだけのような気もしています。

> 上に書いた一見リベラルな人から、ものすごい嫌がらせにあう時がある。

なるほど。「上っ面だけは綺麗に取り繕ってるけど、蓋を開けてみたならば…」といったところでしょうか。
逆に、一見すると全然理解が無くて受け入れてくれていないように映ってしまうような人が、実は深い理解の持ち主で、しっかりと配慮(?)してくれてたりということもある気がします。
《 一見 》での判断って結構あてになりませんよねー。

> 彼らは何かを嘲笑しなければ自分を保てない人の層と重なる
> 嘲笑というのは、みじめな自分、自己愛を満たすために自分より格下の人間が必要なのであって、対象は誰でもいい
> 一人一人の人生への満足度とか自分への肯定感とかから来るものだと思う

なるほど。興味深い考察ですねー。
よくよく考えてみると、健全な自己肯定感の持ち主や、自分の人生に満足している人というのは、他者を嘲笑することがあまりないように思えます。そういう発想が出てくる余地がなくなるのかもしれません。
逆に、健全な自己肯定感を持てずにいる人や、自分の人生に対して不満だらけの人の場合、他者を見下して嘲笑することによって相対的に自分を持ち上げてしまいがちなのかもしれません。
納得がいきます。

> 皆に愛される常識人(ぶり)ながら、同性愛にだけはヒステリックに反応する人など
> そういうレイヤーが幾重にも重なって世間を作っているので
> 単純に同性愛への差別問題だけを見ても解決しない。

なるほど。
複雑に色々な問題が絡み合っているから、一筋縄にはいかなさそうですねー。
これが仮に幾分かでもほどけてくれると、複数の問題が一挙に解決しそうでもありますが。
いずれにせよ、多角的に見ないといけないと言うことですね。
キーワードとして、《 自己肯定感 》や《 幸福感 》というのは、設定できそうですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。