Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

隠れて生きるゲイ(ホモ)のはなし

2012-08-16 15:14:53 | ゲイ(同性愛)のことI (考察,一般論)
同性愛者は、少なく見積もっても、人口比で3%いるとされています。
でも、そういう実感を持っている人は少ないのではないでしょうか。
それはなぜか? 同性愛者の多くが、《 隠れて 》生きている からです。
同性愛の場合、基本的には、当人が明かさない限り はその事実が他者に知れることはありません。当人が同性愛者であるということを述べたり、同性愛者であることが発露する行動をしない限り、周りの人は知ることはできないのです。
そのため、当事者が他者に知られないように気をつけてさえいれば、《 隠れて 》生きることができます。そういう人は世の中にはたくさん存在しているのです。同性愛者全体のうちの比率で言っても、《 隠れて 》生きている人の方が、圧倒的に高いと僕は考えています。統計をとったわけでもないですし、本当のところは分からないのですが。
したがって、この記事を読んでいるあなたの周りの、思いもよらぬ人が、もしかしたら《 隠れて 》生きている同性愛者かもしれません。近所の人,友達,先生,親戚,兄弟,… etc.
ちなみに、一口に《 隠れて 》生きていると言っても、やむを得ず《 隠れて 》生きている人(今の生き方が辛い人) も居ますし、《 隠れて 》生きる今の生き方を楽しんでいる人 も居ます。それは人それぞれ異なるのです。いろいろな人がいます。
ただ、前者の人の場合、なぜやむを得ず隠れていないといけないのかと言えば、やはり社会の中には 無知と偏見と差別 があって、場合によっては 嫌悪や憎悪 にさらされてしまうからです。同性愛を嘲笑の対象として、そのことに罪悪感すら持たない風潮 が蔓延しているからです。それが怖くて、隠れていざるを得ないのです。

この記事では、このような《 隠れて 》生きているゲイが、どういうところで辛さや違和感を感じて居るのか、主に非当事者の人たちに知ってもらいたくて、僕自身の実体験を2~3つほど書こうと思います。
僕もつい最近までは完全に《 隠れて 》生きていましたし、近頃でもごく少数の人以外に対しては同じスタンスを貫いている人間です。そういう立場から、事実を発信することで、《 隠れて 》生きているゲイの存在に目が向けば少し考えてもらう材料・手がかりになればと考えて、この記事を書きます。そういうつもりで読んでいただければ嬉しいです。

※ 関連記事 → ゲイの気持ちを描いた動画 (2012年7月16日更新)

1.野球場での出来事
1つめのエピソードは、野球場での観戦中の出来事です。
去年の8月のことでした。とある天然芝が美しい球場の外野席で、僕は大好きな野球チームの応援をしていました。
その日は1人での観戦ではなく、Twitter で繋がった同年代の人々で一緒に観戦していたのでした(観戦オフ会というやつです)。
参加者は5人でした。男性が4人(私を含む),女性が1人。私にとっては男性2人は以前に面識のある方でしたが、男性1人と女性1人は初対面の方でした。ここでは、仮にAさん(男性面識有り),Bさん(男性初対面),Cさん(男性面識有り),Xさん(女性初対面)としておきましょう。
座席は自由席なのですが、横並びで5人座りました。左から順に、Xさん → 僕 → Aさん → Bさん → Cさん の並び順でした。
今思えば、この席の取り方も悪かったかもしれませんね。
僕はあまり声が大きくないし、人付き合いも不得手で、右隣のAさんや左隣のXさんとばかり喋ってしまい、BさんやCさんとは言葉を交わすことがあまりできませんでした。
Xさんとは初対面だったのですが、グラウンドやブルペンの選手のことなどで話が盛り上がり、楽しかったです。でも、これが悲劇を生んでしまいました。
5回表ごろ、TLにBさんやCさんのツイートが流れました。
「左端の2人がいちゃついててウザイ」とか「ボールぶつけてやろうか」とかそんな感じの内容でした。
携帯電話でそれを見てしまった僕は、その後は、始終黙りこくってしまいました。
花火が上がったのですが、それも上の空。ただ、応援歌を歌って、グラウンドの選手達の動きにだけ、意識を集中させていました。1人で観戦しているときと同じように。
この日、チームは勝利をおさめました。1点ビハインドだった9回裏、ツーアウトから同点に追いついて、そして、10回裏にサヨナラ勝ち。
いい勝ち試合でしたし、楽しかった。でも、なんだかその楽しさに少し影が落ちてしまった感じがして、悔しかった。なぜこんなことになってしまったのだろう…。
僕には、いちゃついているというつもりは全くなかったのです。女性に対してそういう意識すらもないから、本当に普通に自然に喋っていただけなのです。
でも、BさんやCさんはヤキモチを妬いてしまった。嫉妬してしまった。
彼ら、ノンケ男子からすれば、そうなってしまうのは理解できます。きっと、すごく親密そうに見えたのでしょう、僕とXさんの距離感が。
僕はあのツイートを見て、初めて1つの事実を思い起こしたのです。僕がゲイだと知らない人は、僕のことを異性愛者の男性だと見ているのだ と。だから、女性と仲良く話していれば、そういう目で見られてしまうことだってあり得るのだと。
では、僕はどうすればよかったのでしょう。あるいは、BさんやCさんはどうするべきだったのでしょう。その答えは僕にはわかりません。ただ、こういう哀しいできごとは、日本中、いや、世界中のどこかで、毎日のように起こっているのではないかと、そんな気がするのです。
もしかして、僕がゲイだということをBさんやCさんが知っていたら、あるいはあの場で知らせることができたとしたら、どうだっただろう。もし、左利きや色覚異常(本当は「異常」という言葉を使いたくないけど…)のように、ためらいなくゲイであることを言えるような社会だったとしたならば。そんなことも考えます。
これで野球場での出来事の記述は終わりです。読者の皆さんは、この出来事をどう受け止めてくださるでしょうか。


2.飲み会での出来事
《 隠れて 》生きているゲイにとって、飲み会やコンパというのは、存外に辛い要素を含んでいるものです。少なくとも僕にとってはそうなのですが。

(1) 大学の研究室でのコンパ
大学4年生になって研究室に配属されたとき、居酒屋で新入生歓迎会が催され、僕も参加しました(なんせ、主役の新入生ですし)。
規模の小さめな研究室で、教員も学生も男性ばかりでした。穏やかな感じの人が多くて、下戸でも何ら問題もなく、まあそんな感じだったのですが。
お酒の入る席というのは、性的な話題も出やすいものです。「どんな女性がタイプか」とか「女性のどこに惹かれるか」とか、そういう話題も出てきてしまいます。すると、僕としては答えられないのです。
もちろん、女性の友人は何人もいます。でも、性愛対象として見ていない以上、タイプとか何とか言われても答えようが無いのです。
(「どんな男性がタイプか」とか「男性のどこに惹かれるか」ならば普通に語れますけどもね)
ただ、僕は賢くなっていたのですね。というのは、そういう経験が以前にもあったし、そのとき困ったことがあったから。だから、事前にそれなりに答えを用意しておくのです。ある種の演技ですよね。そうやって、飲み会やコンパの席を乗り切っている人って、結構いるはずです。まあ、めんどくさいですが、慣れてしまえばそれなりに造作なくできてしまいます。
とはいえ、やはりこんなことをしなくて済むのがラクだとは思うんですけどもね。
これは、同性愛者もだけど、無性愛者にとっても同じことかもしれませんね。

(2) 野球観戦後の飲み会
こちらは、つい最近の出来事です。僕が周りの少数の人にカミングアウトするようになって以後の出来事です。だから、この飲み会には、僕がゲイであることを知っている人 が混ざっていました。この点が、ここまでの事例とは少し異なります。
大勢での野球観戦オフ会の後、飲み会が開催されました。野球のはなしで盛り上がって、とっても楽しかったです。初対面の方も多かったけど、話しやすい方が多かったですしね。
ただ、その飲み会の中で、約5~10分くらい、僕がフリーズしてしまった時がありました。
それは、同性愛に関わる話題が上がったとき。たいして差別的な発言でも無かったし、僕に「グサッ」と来るような内容でも無かったです。上で書いた、野球場でのエピソードは、僕個人への攻撃でしたが、こちらの場合はただの偏見というか誤認というか、そういう感じのもので、それもすごくありがちなもので、もしかしたら普通にスルーできたものかもしれません。
でも、その日の僕はスルーできず、その話題が出てからしばらく、下を向いて(というか携帯を見ながら)黙り込んでしまいました。
僕の右隣に座ってらした女性は、僕がゲイであることをご存じの方。僕のそういう様子を察知されたのか、何度も目配せをくれました。その気遣いが嬉しかったです。
彼女はふつうに話を合わせていましたけどね。あの場ではそれが正解。
僕が黙っていたのも、それもたぶん正解な気がします。話を合わせられればもっとよかったのかもしれないけど。今の自分はそこまでは訓練されてないんだなあと、そう思いました。
もちろん、その誤認を正すような発言をすることが念頭を掠めました。でも、それはできなかった。15人もの人の居る飲み会で、事情をご存じの方は2人しか居らず、やはり勇気は出ませんでした。
そして、そういう発言をすることで、場の空気をおかしくしてしまうのも嫌でした。
こちらのエピソードも、結局何が正解なのかはわかりません。いったいどうするのがいいのか、僕には分からないのです。
もし、あの場にいた全員が僕がゲイだと知っていたなら、状況は異なっていたでしょうね。そういう話題がそもそも上がらないか、あるいは、僕が軽い感じで正せるか。
読者の皆様は、このエピソードをどう受け止めますか? もちろん色々な受け止め方があって当然です。


以上、3つ(大きくは2つ)のエピソードを挙げました。全部、僕という1人のゲイの体験してきた実話です。
ここでは極力主観を交えず、事実を客観的に書いたつもりです(もちろん自分自身の感情・気持ちのことですから、完全に客観的にはなっていないと思うのですが)。それは、冒頭でも書いたとおり、事実を提示することで、《 隠れて 》生きているゲイの存在に目が向けば少し考えてもらう材料・手がかりになれば という思いがあってのことです。
その意図をくみ取って下さる方が、読者の中で1人でもいらっしゃれば、僕は幸せです。


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うんうん、わかる! (さいとう)
2012-12-20 01:05:32
そう思いながら読みました。ほんっと、ツライんだよね。私も悩んでます。とはいいながら、もう答えはひとつしかないんだけど。。

私は、弱いオトコで、世間体やまわりの関係を壊したくないから、がんばって《隠して》生きてます。これが、時々せつなくもなります。

『やむを得ず《 隠れて 》生きている人(今の生き方が辛い人)』と『《 隠れて 》生きる今の生き方を楽しんでいる人 』のふたつであれば、どちらにもゆらぐ感じでしょうか。

オンナ友達が多いのは、多分ゲイだから。けど、オトコとしてオンナ好きをアピールし、ニクいオトコだとか、オンナたらしだとか。はじめの嫉妬のエピソード、気付かなかったけど、オレもそう思われたことあったかもしれないです。

隠さずにゲイとして生きられなかったオレは、彼女を作り、エッチはがんばり、時には勃たず、付き合いは続かず。。人として好きになって付き合ったし、普通の男女のカップルの行き違いと同じような別れだと思いつつも、、いや、実際は、オレがゲイだから、そうなんだよなぁて。。

こないだ付き合い出した彼女とは結婚したいと思う。けど、オレはゲイ。いいんだろうか。

あ、オレ、バイともいうのかもしれないですが、がんばってバイでいて、コアはゲイなんです。伝わるかなぁ。

なんかダラダラ書いてしまいましたが、すごく、うんうん、わかるーなんて思い、投稿させてもらいました!ども!
返信する
さいとうさんへ (Nikkoh)
2012-12-29 18:17:25
さいとうさん

コメントありがとうございます! お返事が遅くなってしまいました。

> 世間体やまわりの関係を壊したくないから、がんばって《隠して》生きてます

そういう人はいっぱいいると思います。
そして、それが正しいとも間違っているともいえないとも思います。
ただ、《 がんばり 》 や無理が度を過ぎると自分自身が壊れてしまうので、そこまで行かないようにしないといけないんですが。それがなかなか簡単じゃないんですよね…。

> 『やむを得ず《 隠れて 》生きている人(今の生き方が辛い人)』と『《 隠れて 》生きる今の生き方を楽しんでいる人 』のふたつであれば、どちらにもゆらぐ感じでしょうか。

わかります、わかります。
僕もそんな感じですよ。
前者か後者か明確に言える感じじゃなくて。結構あいまいです。
記事を書く上で、両極(?)を書いてみたんですが、実際のところ、両方の要素を持っている人が多いのかもしれませんね。

> あ、オレ、バイともいうのかもしれないですが、がんばってバイでいて、コアはゲイなんです。伝わるかなぁ。

大丈夫です。伝わりました。
性的指向はグラデーションだと言われますが、たぶん、さいとうさんの場合は男性指向と女性指向の比率が 8:2 とかそんな感じなのかもしれませんね。
その、たった2割の女性指向を、うまく引き出しているみたいな。
(違ってたらごめんなさい)

なにはともあれ、幸せなというか、楽しい人生を歩まれることを祈っています。
お互いに!
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