オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

おとっぞい  (伽草子)  

2015-04-21 | 鹿児島弁

あんな ふいあっせい       かんな ひっとまっちょいが

つい今さっまでい         ドンチャン そどしちょったまっが

さずんしっせいか         つんぶっ きれしっせ

そろいしちょっ mu         そろいしちょっ mu

ゆんでん たもいながぁ      まちっと  おきおっがね

 

わいもちょびっちな         そつどん くろたぁよかが

おぼゆいはじめんうっどん    うとっほしかぁよっじゃ

スプーンな皿じゃっち       みんつこきちょれば

ああーよかねー mu         ああ よかねー  mu

なっでけっよな声で        まちっと  いこかいね

 

雲な とばかされっせ       つっかぽっかぃ ひといごっ

こげな空な むかっ        ほっどんのっちょいまほつけん

もんじゃったどち          せんねか つらしっせ

わいが絵本な mu        なえっしもが  mu

まちっと幸せい           幸せいなっがね

 

 

いつの間にか「鹿児島弁」で30曲を超えてしまっていた。

前にも書いたのですけど吉田拓郎は「元気です」あたりで聴かなくなっていた。

それから後の曲はほとんど聞いていない。

彼の曲に「御伽草子」というのがある。

まあ深くは知らないのでどういう意味かも知らない。メロディーもよくは知らない。もちろんレパでもない。

じゃあなんで?かといえば、手当たりしだいやっていた曲の中のひとつです。

曲の雰囲気はどちらかと言えば「元気です」あたりに入っていてもいいような気がするのだけれども。

 

「御伽草子」といえば。

本当は「嫁入り道具」の一つ。

「御伽」とは「夜伽」に繋がる言葉で、「本当は猥褻なおとぎ話」ということになる。

例えば「桃太郎」は女性の「桃尻」から生まれたことを表している。

さらに「お爺さんとお婆さん」の間の子供。

当時、人生五十年。

三十歳くらいで孫が居るのはあたり前だった。

でもまあ性欲はある。

で、ついつい孫より幼い子供ができてしまった。

一体これは何?

「い、いや、これは…川から桃が流れてきて…割ったら出てきた。」

というのが本当の話。らしい。

 

 

 

 


おくいこっば   (贈る言葉) 

2015-04-20 | 鹿児島弁

暮れなずんまっの あかぃと影んなか  はっちっいっ おはんに  贈いこっば

せんねかこらえっ わろこっとよぃ      なんだ ねごんぎい なっほがよかどがぁ

人ちゃせんねどん  ふとかとい       とぃどんこえらしゅ でくっとじゃっでね

さいならじゃどんかぁ とぜんねじゃっでか むぞいかおはんに  おくいこっば

よいんくっ かぜぃ ちょぎれたどんかぁ おわっとずい きっせぃ おくいこっば

信じられんち なっかぶっよいか      とぃどんしんじっ  きしくっほがよか 

欲しかちゅわんじ こえらしなんじ       ひっかぶいん ゆよじゃっでねぇ

はじめっむぞいかぶった  おはんがとぃい  かざぃドンつけんじ 贈いこっば

 

こいかぁはじむっ  暮らしんなっで      だいかが おはんどん あいすっじゃろや

じゃどんか おいほっ おはんがこちょ    ふこ むぞかぶっ やちゃおらんど

遠ざかいっかげぃ  ひとんなけぃきえっ もうとじかじおっ 贈いこっば

もうとじかじおっ 贈いこっば

 

フォークグループに共通する苦悩?が、どうしても生まれてくるメンバー間の格差ではないかと思う。

例えば「アリス」。谷村新司、堀内孝雄はまだしも、もう一人は?

「バンバン」って三人組だったけど、ばんばひろふみ以外の二人は?

そして「海援隊」の残りの二人は?

武田鉄矢以外の二人の活躍など見聞きしたことがない。

こういうメンバー格差がどうしても生じてくるのだけれどもそれがある意味「解散」の大きな理由なのかもしれない。

有名になったメンバーは無名の他のメンバーが鬱陶しくなる、お荷物のように思えるのだろうし、売れていないメンバーは「仕事もないし金もない」グループとして活動しようと思っても最も集客力のあるメンバーは「他の仕事」で忙しい。

となれば別れるしかなくなる。

そして…

「ガロ」というニューミュージックグループ(その当時はそういう言葉がなくフォークグループだったのだけれど彼らはフォーク原理主義者から徹底的に糾弾されていた。)があった。

いわゆる「日本人のフォークロック」という存在自体が世の人々に理解されず、失意のうちに?解散し、彼らの名前を聞いたのは…メンバーの死亡報道だった。

 

まあなんとか年をとって再結成している「海援隊」はましな方なのかもしれない。

 

 


きんこわんブルース  (沖縄ベイ・ブルース)

2015-04-19 | 鹿児島弁

アーン アーン おはんとならぁ めえ一度(いっど)

アーン アーン くろどんしてんよかがち   おんじょどんゆたが

やっじゃなぁ じき過ぎっせ   影ばっかい ががぶっちょい

いっきな 旅立っがなっご    手荷物な くくっちょいが

ゆかたどん ひっかくい前ん   ゆたとい 信じたったぁ

ごったましか かいなんなっで  うんなこゆい 夢どんみたでや

アーン アーン 聞っそこねたとや   教えっくいやい

アーン アーン 待っ長かちのこい  青か鳥(とい) はっちた

きんこわん・ブルース 燃ゆいさっらじま

 

アーン アーン おはんとなあ  めえ一度(いっど)

アーン アーン 出もどいしたかがち     おんじょどんゆたが

やっじょな オウム返っ     くっさきぃ のけみっとよ

窓からん つんなあかい     きもんな壁 突んぬくっとよ

アーン アーン かんげまっげな   教えっくいやい

アーン アーン けわすい顔どんしっせ    青か鳥(とい) はっちた

きんこわん・ブルース 燃ゆいさっらじま

 

 

「きんこわん」とは俗に言う(正式に?)「鹿児島湾」のこと。「錦江湾」

ゴロ的には「きんこわんベイブルース」という方が良いのかもしれないけれど「湾」と「ベイ」が重なるもので「きんこわん・ブルース」にしてあります。

ダウンタウンブギウギバンドという「ロックバンド」があった。個人的に、聴いていた「ブギウギ」とはどうしても違う。

むしろ♪東京ブギウギ♪のリズムの方がブギなような気がしていて。

私の「宇崎竜童」観が変わったのが「夜はタマたマ男だけ!!」という番組で、所ジョージとMCをして「竜童組」で演奏をしていた時から。

番組自体は多分ほとんどに人は記憶にないと思うのだけれども、「萩本欽一」がTVをすべて止めると言い出して完全に「つなぎ」番組として作られたもの。

お化け番組であった「欽ドン」の後番組でだれも視聴率で比較されることを考えれば手を挙げなかった。

しかもこの番組は萩本欽一の番組が始まることが前提だったから半年ほどしか放送していない。

でも、二人のMCの魅力が発揮されていたように思う。

それは完全なつなぎ番組であったため出演者を自由にさせていたからではないかと思う。

この番組以後「宇崎竜童」と「所ジョージ」のファンにもなった。

 

ダウンタウンブギウギバンドの代表曲の一つに「スモーキングブギ」というのがあるのだけれども、あの「大瀧詠一」プロデュースのアルバム「LET'S ONDO AGAIN」の中に竜ヶ崎宇童(デビュー前の鈴木雅之の変名)名義の「禁煙音頭」がある。

ちなみにこの「LET'S ONDO AGAIN」は個人的に“世界に誇りうる大迷盤”だと思う。

「河原の石川五右衛門」なんて最高に「烏賊酢是!」

 

 


おっざい したん せんねかとい  (おきざりにした悲しみは) 

2015-04-18 | 鹿児島弁

生きっいっといな         ああ げんねこっじゃどが  

あいがけしんだとでん      おいな よくろちょった

じゃっど おいも         とがにんな ひといじゃ 

※ああ めいっ あんせんねかとい  おっざい したんまま

 

まついごっなんだ         いけんでんよかが

気いすいこっちいえば       今ないけんすっかい

じゃっど あんやっと  じょじい   せんとならんが

 

わいだってんか          も、裏切っこちゃせんが

ぼりかこっなすすけてん      こえらしかといだっちっ

じゃっど おはんな   おごじょ  じゃっでね

 

おっざいしっみた         あんせんねかとい

ほうむっとこいな         どこいひこなかが

△ああ おっざいしっみた     あんいっかたどな

夜んねっとこい   だっいっこてすっ

 

あまりコメントすることがなくなってきたのですが、吉田拓郎、岡本まさみというコンビが一世を風靡した時期があった。

たしか「襟裳岬」「旅の宿」もそうじゃなかったかと。

で岡本まさみを文明の利器を使って作品を調べてみた。

泉谷しげる「黒いカバン」、ガチャピン「たべちゃうぞ」という“問題作”から南こうせつ「愛する人へ」、よしだたくろうと組んで「ルームライト」「歌ってよ夕陽の歌を」「アジアの片隅で」「地下鉄に乗って」「ビートルズが教えてくれた」などなど。

結構好きな歌も数多くあった。

 

 


大空とじだんなっで    (大空と大地の中で)

2015-04-17 | 鹿児島弁

果てんなか 大空と  広かじだんな そんなっで

いっどいか 幸せな  わがが かいなで つかんごっ

 

あるっだそや あすんひな そいのっといな まだわけが

ふっまくい きたかっな とばかされんごっ とばんごっ

※さんかなまんぼいぃ いっな かけっせい   さんかなごていな あっためっせい

生くいとが きしかとか 苦しかとじゃち かゆっまえん

野いすだっ 花じゃれば 力んかぎい いきいっど

 



果てんなか大空と  広かじだん そんなっで

いっどいか幸せな  わがが かいなで つかんごっ

わがが かいなで つかんごっ

 

 

松山千春というひとがポプコンからでてきた。

最近公職選挙に出馬したりしているのだけれども、世も変われば変わるものだと。

それまで反「権力」で、外から喚くのが「フォーク」だったはずなのに、直接的な「選挙に出馬する」ということを考えもしなかった。

なぜならば選挙には金がかかる。国政あたりでは数億必要だ。

そんな金など「貧乏歌手」などには夢のまた夢だった。

だから「フォーク歌手」を標榜する人物がそういうことができるというのはものすごく違和感を感じる。

もちろん金を稼ぐことが悪いとは思わない。

私は「原始原理主義者」でもないからだ。

かつて「高石ともや」や「岡林信康」を攻撃した思想は間違っていると思っている。

そこまでフォークソングとは不自由ではないはずだ。

自由のために制限を加えるのは本末転倒だ。

 

ではなぜ松山千春の行動に違和感を感じているのか。

結局議員という特権階級を求めている気がして仕方がないからだ。

誰かの応援をするのは勝手だ。

その延長として出馬するというのは如何なものなのだろう。

そう思えて仕方がない。

国会議員には年間1億円以上の税金が支払われているのだ。

 

 

 

 


かごんまで けれったおごじょ  (大阪で生まれた女)   

2015-04-16 | 鹿児島弁

おどいだれた ディスコんかえっ     こいでわけとっもおわいじゃねち かたったや

おはんが へっどま みちょきながぃ   痩せたねっち おもたぃ 泣けっきた

かごんまで けれったおごじょじゃっで  かごんまんまっ どげんもうっせれん

かごんまで けれったおごじょやっで   ときょどん どげん てのっできん

おどいだれた ディスコんかえっ     電信ばしたぃ染み込んだよっ 

 

たどい たどいん ひとぃん部屋      裸電気どん 点けたドンかぁ いっき けしっせぇ

おはんがつらっ おめでっながぃ     おわいじゃねちおもたぁ なけっきた

かごんまでけれったおごじょじゃどん   かごんまんまっを 出っど

かごんまでけれったおごじょじゃどん   おはんに てのっいっちきめた 

たどい たどいん ひとぃん部屋      わけとっ てんがらかした部屋

 

かごんまでけれった おごじょがきょ   かごんまをあとぃ すっどんから

かごんまはきょっ へドンかぶっせい   どこいひこぃ とっがくっ

あとがえっそきゃ へんいろんまっ    わけとっのおめでっ おっきゃすれっまっ

わけとっのおめでっ おっきゃすれっまっ

 

大阪を歌ったもしくは大阪の歌は数多くある。

その一つに「大阪で生まれた女」という曲がある。

「BORO」という人の曲。

その人のことをほぼ知らないので文明の利器wikiを使用。

その歌曲で知っているのは「大阪で生まれた女」と「ネグレスコホテル」くらいだった。失礼ながら。

ただ「あんじょうやりや」はオール巨人で聴いたことはある。

 

まあ基本的にその曲はレパートリーではないので・・・あまり解説とかできません。

 

 

 

 

 


きっみらんか おいがとけぇ   (おいでよ ぼくのそばに)

2015-04-15 | 鹿児島弁

きっみらんか おいがとけぇ      おいがむぜかおごじょ

ふたいん ぼんのすぃ夜な       そろいちすごすいが

 

そてな つんたかかっが        ふいちょっどんかあ

ふたい じっち だっちけば      きもっなもゆいもんど

 

わいが やらしか 肌い        そろいち手どんおっせ

答ゆい わいがめめ          答ゆい わいがぼんの

 

みしけおう くっびぃ           みおうせかめめ

みしけおう ぼんの          いんまいか くれいっもんじゃ

 

 

 

放浪のシンガーソングライターと呼ばれる「エリック・アンダーソン」。

彼の曲で日本で受け入れられているのは「Come to my Bedside」だけかもしれない。

彼は歌う度に違う歌い方をしているイメージがあるのだけれども、それもまた「放浪」のイメージどおりなのだろうか。

で、その「Come to my Bedside」なのだけれども和訳を幾人かがしている。

そしてタイトルも「おいでよ僕のそばに」や「おいでよ僕のベッドに」など様々。

昔々、ブルース風にこの歌を歌ったところものすごく批判をされた。

「エリックアンダーソンを馬鹿にしている。」

 

 

そういう原始教条主義の人たちにとっては、こういう「遊び」は絶対に許されないのだろう。

というよりも冒頭の歌詞が「Come to my Bedside」だとは言ってはいないので。

 

しかし、フォークソングというモノはそんなに不自由なものではないはず。


襟裳岬  (アイヌ語…風)

2015-04-14 | 鹿児島弁

ぬあんこたん たね  もんけしないおくんぬか あべあれ ほしき  ことむ

うわ えらんべうてっ  やいぬいるいけ   おんね わ  あくす

ほもいたくべ    けしとあんこ         へたくぁべくる    らっちたらもこる

えりもん ばいかるあん らんまのいさむ    ばいから

 

あね  とぅぷねえんた   こーひーいたんき  角砂糖 しね ねえんた

おちうぇおちっばわいさむ  こちゃんしさくす  くるくるかきまわ わ

通りすぎた  さっ らく  えしかるん    えしかるんね

えりも ばいかるあん らんまのいさむ    ばいから



けしとあんこいぬくり  やってくる  やっかい  らっち  みなみないきくに

らいきりりせへぽきき 生きることまぬ   いれす馴らし    るい  あわん 

えぽたらながら     うこいたぅ     あや うゆゆっく   なんえんた        

えりも ばいかるあん らんまのいさむ    ばいから

 

めあん  うたり ぬえっ いかたいしねうぇ えおりぱくほもあくす   ぽっけ たく へたくぁべくる

 

はっきりいって作った本人も意味が判りません。

襟裳岬は北海道にあります。

「えりも」はアイヌ語です。

だったら全編アイヌ語で…とチャレンジしたのですが、挫折しています。

アイヌ語に詳しい方々にとっては「馬鹿にするな!」ということになっているかもしれませんが。

ただ、北海道、東北に限らず地名をアイヌ語に変換すれば意味が通じるものが数多くあります。

山(崖)の下は「ひら」「ぴら」とかです。

アイヌ語地名が日本全国に広がっているということの意味を考えることも大切かもしれません。

 

 

 


襟裳岬

2015-04-14 | 鹿児島弁

北んまっではもう 寒さぁ暖炉でっ もやっはじめちょっらしかっ

訳ん解らんこっで  なやんじょうっこぃ おんじょになっでかっ

だまっちょった としつっ       ひれ集めっせい あたたむごっすっかい

襟裳んはりゃ なんじゃなか はっじゃっど

はんな 二杯目じゃっどね こーひちゃわんに  かっざとひとっじゃったね

うっせきっしもきたゃ  やぞろしかちゅうとだっ   ぐるいかっまわっせぃ

とおっすぎっ なっのかざっ  おめでしっせぃ  めずらしかどいね 

襟裳んはりゃ なんじゃなか はるじゃっど

 

めにっくらっいけんしてん やっくっどから    そろいと われかぶぃが

よんごっこっだっが  いくっこじゃち      けならし すったといで

身構えっながぁ かたっとじゃっち  ああ ひっかぶぃ じゃったどね

襟裳んはりゃ なんじゃなか はるじゃっど

 

さんか どしだっが  たんぬぃきたど    

しんしゃせんじよかでっ あったまっせぃいっきゃんせ

 

 

朝の連続ドラマだったかNHKのドラマで「吉田拓郎」が取り上げられるという。

出身地!の広島では盛り上がっているだろう。

出生地の鹿児島ではどうだろう。

大口、伊佐では、還暦を祝ってアマチュア達が集まってコンサートを開いたという。

 

吉田拓郎が「森進一」のために書いた曲に「襟裳岬」というのがある。

これがヒットしていた時代に「えりも町」からクレームが来た。

「襟裳の春には何もない」とは何事だ!!。

けれどレコード大賞をとってNHK紅白でも歌われてえりも町が有名になればそれも収まり、逆に岬には歌碑が、島倉千代の襟裳岬のモノと並んで建てられている。

鹿児島出身の吉田拓郎が作り鹿児島出身の森進一が歌う曲は「鹿児島弁」で。

 

 


おいがおやっどん  (うちのお父さん)

2015-04-13 | 鹿児島弁

汗な けたどんで 一休ん            たっもんな だるっじゃろや おやっどん

もいっき日な暮れっせ からっがはっちっが よいんぼっひかっずいな  めいっききばっがね

汗なぬぐっせ 茶どんのんせ          こいなぬっせい おやっどさん

にっこい わるが にっこい わるが      明日な よか日いなあれ

 

きょんな 渡辺どんな ごぜんけじゃっでな  おいがおやっどさんな なかだっじゃっでか

めでたか めでたか 鯛んお頭付っ      そつな飲め飲め 花嫁じょ

つんぶいくずっ 皿なたたっせ         うっどんうとえば おやっどさん

にっこい わるが にっこい わるが      明日な よか日いなあれ

 

セーターすがっが にえちょいが        まねけな着飾ざっみやい おやっどさん

つぎな かかさんな まっないっときな     真赤な蝶ネクタイな こっきもろたいな

※ はんになっせか さがい梅ん        花が咲っがね おやっどさん

   にっこい わるが にっこい わるが     明日な よか日いなあれ

 

 

 

かぐや姫の曲になぜか「鹿児島弁」が似合う。

とても載せやすい。

 

近所の知り合いに「渡辺さん」というのがあって、そこの方が「結婚」する頃に覚えた歌がかぐや姫の「うちのお父さん」だった。

窓を開けて歌うなと(いろんな意味で)言われたことがあった。

まあまだ歌謡曲が全盛だった時代だったのだろう。フォークソングなどというキワモノをがなっている馬鹿は損難に居なかった時代の話だ。

例の「武田さんとこいのフォークソング狂いのバカ息子」の時代だった。