オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

演歌という不思議なジャンル  3

2024-05-03 | 歌謡曲

すべての日本の歌曲を歌謡曲というジャンルで一括していたのは便利だったからです

歌謡曲という言葉で日本の歌曲ということが判りますから

 このジャンルにすべて含まれるということは今の感覚でいえば演歌からアイドルから和製ロックまでが含まれていたということです

 この歌謡曲というジャンルに入ることでテレビに出ることができたといって過言ではありません

 なぜならばNHKをはじめとする歌番組には「歌謡」というタイトルだらけだったのです

つまり歌謡曲という巨大なジャンル側が世を謳歌していたのです

 新しいジャンルの音楽が生まれても日本人の歌曲であれば歌謡曲に取り込んでいくことができたのです

 この中で小さな動きがありました

 春日八郎という人が1958年に出した「赤いランプの終列車」という曲です

 これは「ひさしぶりに“演歌風”歌謡曲が発売された」と評価されます

 ここでは演歌風の歌謡曲なのです。決して演歌ではありません

つまり歌謡曲の牙城には揺るぎがなかったのです

 しかし、あまりにも巨大になりすぎたジャンルにも落日の日が来てしまいました

そして歌謡曲において大地殻変動が起きてしまいます

 フォークソングの輸入です、発生といったほうが良いかもしれません

 1962年に朝日新聞が紹介したのが日本のフォークの始まりだといわれています

 アメリカ公民権運動前夜にウディガスリー、民謡研究家ピートシーガーらによって生み出されたアメリカ古民謡の再評価運動です

 特にウディガスリーの提唱した替歌によって政府批判が公民権運動の中で瞬く間に広まっていきました

 替歌というのはどういうことか

 素人がメロディーを作るのは難しいが言いたいことを詩にすることは出来る

 だから既存の曲に自作の歌詞を載せればいい

 そうウディガスリーは提唱し実践したのです

 彼の代表的な「我が祖国」という歌も同じメロディーの民謡があります

そうして社会批判を歌っていったのです

 一方で民謡をリバイバルして歌う勢力も存在したのです。彼らの歌には政権批判はありません

 それらはコーラスグループ的にきれいに歌うことを目的としました

 代表的なグループがキングストントリオやブラザースフォア、ピーター・ポール&マリー、ニュークリスティミンストレルズなどなどです

 このアメリカのフォークソングの二つの流れがそのまま日本に伝わりましたが、当面彼らは外国の曲を歌っている外国人ですからポピュラーのジャンルに組み入れられ紹介されます

 後者の流れは関東の慶応、城西、成城といったお金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんによってスマートに演奏する「カレッジフォーク」というジャンルになっていきます。そして歌謡曲の一ジャンルになるのです

 なぜ金持ちの子女なのかというとまず輸入レコードは高かった!

 さらにギター、バンジョー、ウッドベースなどの楽器も高かった

 1ドル360円の時代です庶民には手の出ない価格です

 だから金持ちでなければ聞くこともやることもできなかったのです

 そして社会批判という部分がない歌である以上歌謡曲側は喜んで受け入れていきます

 さて前者のフォークソングは関西のあまり裕福でもない学生たちによって始まります

 もっと極端な話をすれば大阪のドヤ街から発生します

 大阪のドヤ街に住んでいた高石ともやが1966年にピートシーガーなどの曲を和訳したものやオリジナルの曲を引っ提げてフォークキャンプに登場します

 彼に続いたのが東京のドヤ街にいた岡林信康です

 彼らの心情は「言いたいことを自分の言葉で自分の声で」歌えばそれがフォークソングだ、というものでした

 そして反戦や社会批判の曲を歌っていきます。これらは「メッセージフォーク」(便宜上関西フォークとします)と呼ばれました

 この動きが全国的に大学生や高校生などの若い人たちに受け入れて広まっていきました

 そして爆発したのがフォーククルセダーズの1967年の「帰ってきたヨッパライ」です

これは史上初のダブルミリオンセラーを記録しました

 これ(フォークソング)は商売になると踏んだ各レコード会社は次々にフォークソングを発売していきます

 そして・・・歌謡曲側も

 それまでたかが関西のわけのわからない歌を歌っている奴ら、という評価を一変させて「君たちも我々歌謡曲の人間だよね!」とすり寄ってきます

 まずフォーク系の若い歌手を歌謡曲歌手としてデビューさせることに成功しました

 関東の森山良子を「禁じられた恋」関西の高田恭子を「みんな夢の中」で歌謡曲歌手としてデビューさせたのです

 歌謡曲のジャンルに入ることは「テレビに出ることができる」ということでした

 ロカビリーもGSもカレッジフォークもすべて歌謡曲のジャンルに入っていたのですから関西フォークも当然にしっぽを振って歌謡曲の中に入るものだと思っていたのかもしれません。なにしろ森山良子などの前例があるのですから

 しかし関西フォークの人間はすでに若者たちに支持されていた「深夜放送」や「コンサート」で十分な人気を持っていたので歌謡曲の中に入ることはしませんでした

 「自分たちはフォークというジャンルだから」ということになったのです

 そしてそれを社会が認めてしまったのです

 テレビ以外で活躍できる音楽のジャンルがあることを認知してしまったのです



コメントを投稿