オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

みごてか めかんさぁ (美しいヴィーナス)    

2015-04-11 | 鹿児島弁

ああ みごてか めかんさぁ     鳶色ん こいびっじゃ

わけんし おいたっが めかんさぁ  うんなおっ こいびっ

おいがもんでん  だいのもんでんなかが    

なんのぶっ ひとっから けれったおごじょじゃ

ああくろかめめん めかんさぁ  うんばっかぃみらんじ 

たとい こいびっなおってん   おいたっとあそんが 

 

おいなひといで よいんへなかくれっ    

まこっなこっでんいうとなぁ くっすいしたかが

ああ 黒かめめん めかんさぁ  うんばっかぃみらんじ 

たとい こいびっなおってん   おいたっとあそんが 

 

 

ヴィーナス=アフロディーテだと思っていたらどうも違うらしい。

ヴィーナス=ウェヌスについての伝承が全く無く、そもそも別の存在だったアフロディーテと混同してしまったらしい。

愛の女神なので、たしか女性器ヴァギナの語源の一つじゃなかっただろうか。「性別記号で女性は「♀」と表記されるが、本来はウェヌスを意味する記号である。」ということらしい。

ところで「ミロの」ビーナス像というモノをよく目にするのだけれども、発見から今日まで世界の謎となっているのが「手の形」。

様々に想像されているのだけれども「黄金の林檎」を手にしていた可能性が大きいという。

まあどうでもいいことなのだけれども。

ただ、ミロのビーナスは美人だけれども、そのほかにも「ヴィーナス」像は発掘発見されているらしく、それは必ずしも「美人ではない」らしい。

そして最古のヴィーナス像は3万年以上前のものだという。

それが本当なら古代ギリシャ文明、古代エジプト文明のはるか昔からヴィーナス信仰はあったということになる。

眉つばで読むべき「神々の指紋」シリーズは超古代文明について触れているけれども、まああの本を信仰している人たちにとって3万年以上も前の文明の存在は至極まともなものだろう。

 

ちなみに「美しいヴィーナス」という曲を加山雄三という人が歌っている。

四半世紀以上前に「デンセンマン」「電線音頭」というのが流行した。

あれはキャンディーズや伊東四郎小松政夫らが出演していた「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」という番組からでてきたものだけれども、この番組は本来は「加山雄三ショー」だった。

それをパクった?のがウッチャンナンチャンの南原清隆が自分の番組でやっていた「加山雄三(くわやまゆうぞう)ショー」。

土曜日なのでちょっと長い解説を載せてしまいましたが。

 

 

 


うとくいやい ゆいんひいうっどん (歌ってよ夕陽の歌を)  

2015-04-11 | 鹿児島弁

うとくいやい ゆいんひいうっどん   うとくいやい こえらしかごっち

おはんな坂どん登っちょいが      あたいなうしとい ついっといよ

かっどなあたいたっが べちぃすとで  こえらしかゆひどん とっどくもいかくれっくるぃ

※うとっくいやい ゆいひいうっどん   うとっくいやい こえらしきもっで 

うとくいやい ゆいんひいうっどん   うとくいやい  こえらしかごっち

 

おはんななっどん おりいっがね    あたいなあっに のぼいいっとよ

きもっを きせっがべちすもんじゃっで  てばしかかっどん こげんしふたいなさんかさすっ

※    ×2

 

 

フォーク原始教条主義によれば「フォークソング」とはTシャツ・Gパンにズック(今でいえば「デニムにスニーカー」かな)でフォークギター(アコギ)をかき鳴らしメッセージソングを歌うことだった。

そしてそのスタイルは「ウッディ・ガスリー」「ピート・シーガー」「ボブ・ディラン」だった。そしてその路線を外れたモノは「フォーク」ではなかった。断じてそれは「フォークソング」ではなかった。徹底的に弾圧される存在であった。

そして女性は「ジョーン・バエズ」でなければならなかった。

つまり女性フォークシンガーは必ず「和製ジョーンバエズ」であった。

その路線から外れた女性歌手は「歌謡曲歌手」として生き残るしかなかった。その代表が「高田恭子」だ。彼女は関西フォークの歌姫でありながら「みんな夢の中」という中途半端な歌謡曲でしかデビューできなかった。多分、今でも「レコード大賞新人賞」を獲得したフォーク(系)歌手は彼女だけだ。

高田恭子と真反対だったのが「和製ジョーン・バエズ」の称号を唯一手にした「森山良子」だ。

彼女は「成城」出身の音楽一家という「お嬢様」だ。そういう意味では貧民のフォークソングとかけ離れたところに居た。しかし関東のフォークファンは彼女を支持した。それは彼女が「和製ジョーンバエズ」だったからだ。

そして森山良子だけが「和製ジョーンバエズ」の称号を手にしたことで他の女性フォーク歌手はフォーク系歌手にしかなれなかった。

プロ歌手として多くのフォーク歌手がデビューしていた時代だ。

フォークとは原始教条主義によれば「プロテストソング」でなければならない。しかしそれでは一部の熱狂的教条主義者しか購入しないだろう。それはレコード会社としては困る。

メッセージ性のない曲も歌ってもらわなければならない。

となれば「フォーク」に変わる言葉を使えばいい。

それが「シンガー・ソングライター」だった。「よしだたくろう」「井上揚水」はその代表だった。でもそのおかげで「シンガーソングライター」は男性のイメージがついてしまった。

そこで「女性フォーク系歌手」に別な名称がついた。

それが「ニューミュージック」

だから日本においては「女性フォーク歌手」とは唯一森山良子だけが使える称号で、彼女以外の女性フォーク系歌手は「フォーク系歌手」か「ニューミュージック歌手」ということになる。

それが良いのかどうなのか。

男女問わずフォーク歌手ではいけないのだろうか?

フォークソングとはそんなの型にはまったものではないはず。