オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

なんだどん ぬぐせぃ  (涙をふいて)

2015-09-29 | 鹿児島弁

あんひぃ  ゆめどんみしくっせぃ    おいたっあいっ うっせたふたいじゃ

にどっ   めぐぃよっち         かんげんなか  こんまっかっで

 

ぬるぃ まっばげふかんか         あいひこ きしか くろどんしたやぁ

やすぃ おはんがへっどま        こんてぃでたやぁ すっぺぃわかっど

なんだどん ぬぐせぃ でっしったぃや   あんひぃおはんぃ もどるいはっじゃ

なんだどん ぬぐせぃ ふたんわろえば   とえかしあわせ ちんと ふたいで 

 

なっせぃ なんだ ねどなってん    こころぃあいだん きしゃならんたっでね  

まぐるぃじっちいきほべん        きょずぃはんな  はなさんでねぇ 

なんだどん ぬぐせぃ でっしったぃや  どしこかあすでん まっちょいはっじゃ

なんだどん ぬぐせぃ あるいったや   とえかしあわせ  ちんと ふたいで 

 

なんだどん ぬぐせぃ でっしったぃや あんひぃふたいぃ もどるいはっじゃ

なんだどん ぬぐせぃ ふたんわろえば  とえかしあわせ  ちんと ふたいで 

 

 

三好鉄生の「涙をふいて」と言う曲が流行っていた頃、会社勤めをしていて直属の上司が亡くなった。

お通夜の後、同僚達と飯食いという飲み方をした。

そこそこ若かったので、まあ想像どおり盛り上がらなかったのは当然なのだけれども、彼のなじみのスナックに行くことになった。

そこで歌ったのが「涙をふいて」だった。

彼のブルースロックは結構好きだった。

「現在は 三貴 哲成 名義(読みは同じ)で活動している」ということなので、またいつか耳にすることは出来ると信じている。

 

 


なげか よっ  (長い夜)

2015-09-24 | 鹿児島弁

恋なゆるい  きもっいいっちょ   おはんだっぎゃ おいかくいおっど

こんか こけぇおいがとこぃ      ゆいごとすぃ くっすいどなすいが

ながかよっどん ひっとんでみたか   おはんだけぃ こん愛な ちこどん

重ぬいかいなん  ぬきかとぃ    まぐるいふたい

 

けどなゆるい きもっどなひとっ   おはんだっどん だっきちょいかしたか

じゃっでか おいが胸んとっめっ   きこゆいなんなら とっこんこんかぁ 

※ながかよっどん ひっとんでみたか  おはんだけぃ こん愛な ちこどん

ほっふぃよどん さそわれっせ   まぐるいふたい

 



 

大変失礼なのだけれども松山千春という人の「長い夜」と言うのを実はまともに聴いたことがない。

カバーというかモノマネの歌とか、素人さんの歌とかでしかまともに聴いたことがない。

ということはメロディーにきっちりと載っているのかが・・・不安。

 

 


トランジスタラジオ

2015-09-18 | 鹿児島弁

Woo授業どんサボッせ       陽んあていとけいな おったとよ

寝ちょっこっじゃが おっじょで  たばっなけむいな わっぜ青かっせ

うっポケットな いっでん  トランジスタラジオ

おごじょ きょかしょ ひろげちょっとっ あっかきょっどん  空いはっちった

ああ こげなきもっ    じょじかたっがならんが  ならん

うんぎいからリバプールから    こんアンテナな とじったきょっじゃ

おごじょ きょかしょ ひろげちょっとっ あっかきょっどん  空いはっちった

 

じゅぎょちゅう あくっしちょったら    くっがふとかなっしもた

ねちょいばっかいしちょったら   めめんこめなっしもた

うっポケットな いっでん 今でん トランジスタラジオ

あいな きょかしょ ひろげちょっとっ あっかきょっどん  空いはっちった

ああ こげなきもっ    じょじかたっがならんが ならん

アーわいがしらん きょっじゃ   きいたこんなか  はやいうっ 

アーわいがしらん きょっじゃ   きいたこんなか  はやいうっ 

 

 

だんだんとフォークソングから離れてきている曲も多くなってきている気はするのだけれども、「僕の好きな先生」という曲があってそれを歌ったのが故忌野忌野清志郎率いるRCサクセション。

彼らの曲に「トランジスタラジオ」と言うのがある。

 

実はあまり聴いたことすらない。

けれども彼ら(に限らずかもしれないけれど)の曲を聴くたびに思いを馳せるのが「はっぴいえんど」。

日本語のロックを開拓したグループだ。

当時、ロックは英語でなければならなかった。

そういう意味ではっぴいえんどはロックグループではなかった。

そして当然にエレキギターを抱えていたことからフォークグループでもなかった。

しかし彼らの音楽はその後の日本のポピュラーソングに多大な影響を与え続けている。

話は変わるけれど日本の人々は教条主義に陥る傾向がある。

フォークソングとは~。ロックとは~。

今、そういう代表がカントリーファンかもしれない。

今でもカントリーは「ハンクウイリアムズ」「ビルモンロー」でなければカントリー音楽とは認めない。

いやカントリーファン以外が案外そういう意識を持っていてテイラースゥイフトなどカントリーとは認めていない。

しかし「ハンクウイリアムズ」なんて戦中・戦後派だ。「ビルモンロー」と同世代は・・・春日八郎あたりだろうか。

もし日本の音楽は古賀政男の音楽でなければならいと言われたら反発しないだろうか。

 

 

もう教条主義に陥るのは止めた方が良い。

 

 


どいよ (友よ)

2015-09-16 | 鹿児島弁

どぃよ  よあくぃまえん くらんかなけで 

どぃよ  いっさんしたっすぃ ひどん もやさんか

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あしっどんあっが

 

どぃよ はんがなんだ はんが汗じゃれ   

どぃよ りっぱぃなっでくっ ひどんくっが

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あっどんあっが

 

どぃよ のぼいいとぃ ひさっが なけで 

どぃよ うれっせかどん  わくごっすっどかぃ

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あっどんあっが  ref

 

岡林信康という「フォークの神様」がいた。

彼は高石ともやのステージを見てフォークソングに目覚めた。    

そして高石ともやと共に「友よ」という曲を歌っている。

この曲は全共闘時代の希望のテーマソングだったのだろう。

彼は熱狂的フォーク教条主義者達(一方で自称全共闘世代)によって、全日本フォークジャンボリーの舞台を追われるように降りた。

そして26才の時に「おいら一抜けた」といってアメリカに渡った。

高石ともやもアメリカに逃げた。

そして二人とも同じテーマでアメリカをさすらっている。

それは日本のフォークを見直すこと。

高石ともやはルーツを探りカーターファミリーに辿り着き、岡林信康は日本の民謡に辿り着いた。

今の日本の音楽、にみならず日本社会の底の薄さは自分たちのルーツを完全に否定するところから始まっているところからのように思えて仕方がない。

彼らのようにオールドタイミーや民謡を学ぶべきだとは他人に強制しようとは思わない。

しかし自分たちの「今」には過去の累々とした流れの上に存在していると言うことは理解しておくべきではないのだろうか。

 

 さて、下に京都弁の「御連れはん」を載せておきます。

北海道生まれの高石ともやは京都に住み、滋賀県出身の岡林信康とともに関西弁が似合う気がするのだから。

 

御連れはん   夜明け前ん    闇ん中え

御連れはん   戦(いくさ)ん  炎をくべなはれ

 ※夜明けは 近こおますえ           夜明けは 近こおますえ

  御連れはん この闇の    向こうねぎ

  御連れはん 輝く     あすがおます

 

御連れはん  あんさんの涙   あんさんの汗が

御連れはん  むくわれへん   そん日がきはる

  ※

御連れはん  のぼりくる    朝日ん中で

御連れはん  喜びを           わかちあおう

  ※ 

 

 

 


どしどん  (ともだち)

2015-09-14 | 鹿児島弁

せっないか  きもっどめ胸い       どしどんな はっちっきゃった

きょどめちゅぅ  日な くいこちゃ    よけでけん こっじゃたろや

 

どしどんな とえかぁ たっどん    めいっど でらんかいねち

てどんにぎい ががぶい声で      ゆたどんかあ さずなぐったじゃろや

 

どひこでん 広なっ夢と        自由とが ほしかった

あてんなか 長か道(みっ)でん    何じゃろや 信じちょったたろや

 

今日ん日な あたいにとっせぃ     とじいかん 彼じゃった

あとがゆっ こっどん け忘れ     どしどんな わざえかったとじゃろう

 

おかじょんのっいっ うっろ姿ぃ    どしどんな 語っちょった

なんでんか こみあげっくいが     せんなかい こらゆいとじゃったろや

 

きしかっすいこっどなせんがち     こえらしかが わかっちょいもんで

バカヤロウっち かやしほしかった   そいだっを かやぃわするいたろや

 

1971年の「よしだたくろう(!)オン・ステージ ともだち」というアルバムを聴いてフォークのライブの楽しみを知った人も多いかもしれない。

と言うよりも今でもそうだけれども、いわゆる"シャベリ"がこれだけ入っているのも珍しいと思う。

このアルバムには「老人の詩」とか「what i say」が入っているのだけれども、

個人的にはよしだたくろうと言う人のアルバムはこれを初めて買って、「元気です」で終わっている。

 

そして「全部抱きしめて」あたりを聴いて・・・終わり。

 

 

 


とんなてんごじゃっ   (時のいたずら)

2015-09-13 | 鹿児島弁

※とんなてんごじゃっが 苦げ笑ろじゃっが

冷んたか風が今 吹っ抜くいだっ

ふいんかっどんががびっ はんが細せへっどん  

きしっかせ抱っちっせぃ みたかどんかぁ

きゅどな わっぜはんな おせしぃ見ゆっど   

おいがしたんままぃ はんな はやっせぃ

 

かたいぐっなかっせ   いっすいすっきもっ  

ひといあゆんだしおっ  はんなみっせいか

むかいぼんのしといどん おめでしっだっじゃが  

今ひこ言えんがよ そいな はんじゃっち

 

※×2

 

松山千春の曲に「時のいたずら」というのがある。

失礼ながら彼のことをよくは知らない。

特にファンでもないし、なので・・・

 

以上 !!!(厚切りなんちゃら風に)


時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ  (時には母のない子のように)

2015-09-12 | 鹿児島弁

時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ   そろいち うんな 見っめいみたか

時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ   ひといでたっどん でっみたか

じゃっどん きもんな   いっきかわっ

かかん おらんごぃ なったいな  だいでんぼんのなぁ かたれんが

 

時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ   なげかてがんどん けっみたか

時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ   ふとか声でん おらんみたか

じゃっどん きもんな いっきかわっ

かかん おらんごぃ なったいな  だいでんぼんのなぁ かたれんが

時にゃ  かかさぁ おらん ちごんごっ

 

 

ロックブルースの女王「カルメン・マキ」はかつてフォークを歌っていた。

その時代の代表曲が作詞寺山修司の「時には母のない子のように」

このタイトルはかなり有名な黒人霊歌にある。

この場合の母は「神」だとも言われている。つまり

祝福された人生を送っている神様の子供ではないかのような幸せがない人生を送っている!という曲。

ところで寺山修司の詩はフォークシンガー達に多く歌われている。

フォークルの「戦争は知らない」もそうだ。

 

最近、詩人の詩を作品にする歌手がいないのは何故なのだろう。

 

 


とおかとこいへ (遠い世界に)

2015-09-10 | 鹿児島弁

とえかとこいへ  旅どんでっかいね   

そいとん  赤かふせんな のっせぃ

雲ん上んほぃ    あるいっみたろかぃ  

ひよちん ひかっで  にっどんこしらえっ

空ん風どん     もろっせかえっせぃ   

黒かぃ霧どん   ふっとばかしたか

 

おいたっが すんじょぃ こんまっも    

あかるかひよっどん つらぁ みすってん

心んなきゃ いっどどん せっなか    

力なぁ あわせっせぃ いきっこっどん

いまじぶん だいもかいも きゃすれっしもた 

じゃっどん おいたっ わけもんがおっ

 

くんに かくるぃ こまんか ほっは     

こいが日本じゃ あたい がくんじゃ

わけぃか 力なぁ 身体ぃおもっせぃ    

おいかぎぃであゆんど ながかみっじゃが

ひとっ みちぃ ちからんかぎぃ             

あすんせかいどん みひけぃいっど

あすん世界どん みひけぃいっど

 

 

何時の頃からなのだろうか、「五つの赤い風船」というグループの存在を知ったのは。

たしか「まぼろしの翼とともに」と言う曲は今でも大好きなフォークだ。

そして、彼らの「遠い世界に」。

特に「雲に隠れた小さな星は“これが日本だ私の国だ”」という歌詞に心惹かれた。

学生の頃左派の集会でもこれが歌われたりしていた。

どう考えても彼らが「これが日本だ」「私の国だ」なんて歌いそうもない集団なのに平気でこの歌を歌っていた。

けれど、それで良い。それが良いと思う。

人はたった一つの考えで固まる方がおかしい。

 


いけんかなっが  (どうにかなるさ)

2015-09-07 | 鹿児島弁

今夜ん     おかじょでっ   旅でっ おいじゃが   

あてなんど   なかどん      いけんかなっが

ありがね すっぺつこ       切符ドン こうたが 

こいから いけんすっかぃ    いけんかなっが

見慣れた 街んあけ        いんなっち おらった

じゃどんかぁ おんなじ     くらしっ だれたで  

どっか    いったかぁ       いけんかなっが

 

しごっも  なれっせぃ      まっにぃなれっせぃ    

そいでん いっとけ        いけんかなっが

いっねん すんせぃ        なこごもあっどんか   

ばかんご  あっどんかぃ     いけんかなっが 

ぼんのあっ すっなおんじょも  ひといどめおったどん

おいなんぞ けわすれっ       よかくらっしっくいや      

ひといで おいどな           いけんかなっが

 

 

久々にカントリーを。

かまやつひろしの曲に「どうにかなるさ」と言うのがある。

元のメロディーはハンク・ウイリアムスの「淋しき汽笛」"(I Heard That) Lonesome Whistle"。

これに詩を乗せたというか、山上路夫の詩にハンクのメロディーがぴったりだったのか知らないけれども、まあそこそこ売れた曲が出来た。

惜しむらくは「これはカントリーです」と言っておいてくれれば、もう少しは日本のカントリーも人々に馴染みのあるジャンルになったのではないのかなと思う。

彼とマイク真木の・・・・そして音楽評論の超大物某Nとうよー氏のカントリーは評価するに値しない!!という評論によって。

うーん、今となってはいたしかたないけれども。

特にフォーク畑の人は元歌になるカントリーや古いアメリカの曲を歌って売れっ子歌手になったと思っているので。

それに例えば「日曜日からの使者」はそもそもカーターファミリーだし・・・・。

 

 

 

 

 

 

 


東京

2015-09-05 | 鹿児島弁

うっどめんおかじょぃ  はんにさいなら

いっどどんあゆっかち たんぬぃ はんがこっば

そうまとうんごち めぐいひこしっせ  おいがこころん ひいつくっ

 

なんじゃいわんじ       おかじょとっのい 

はんがすんとうきょへとうきょへ でばったとよ

いっでんいっどでん ゆめいのぞっもっせ   はんな とうきょで くらしちょった

 

とうきょどま なんどでんいったがよ  

はんがすん きれいかみやっ

とうきょどま なんどでんいったがよ  

はんがさっ はなんみやっ

 

はんないっでん こえらしわろおっ    

じゃどんここぃ とぜんなばきゃ

いっかふたいで すんこっ おもちょいながぁ 

いまどん はんれっせぃ いきいこっ

 

はんにわろっせぃ さよならちゆっせぃ 

おかじょはしっ とおかみっを

ああ いまにでんから もどったかどっから 

はんがすん はなんときょ

ref

 

東京という題名の曲は山ほどアル。

著名な曲からカルトまで様々にあるのだけれども、 最初に記憶にあるのがこの曲のような気がする。もちろん所謂、懐メロでも様々にあるのだけれども、何故かこの曲が一番最初に頭に浮かぶ。

何故かはわからないけれども個人的に、結構印象に残ったのだろう。

とはいえ未だに東京で暮らしたことがない。