オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

空よ

2015-07-29 | 鹿児島弁

空よ 水色ん空よ        雲ん上い ゆんなのせっせい

空よ あたいがきもっじゃが   おめですったい こまんかころんどん
 ふりやとけん あらきなぁ   はいめっ けれっきた

 むざいか  ふたいん こまんかぼんの

空よ 教えっくいやい     あんちごな 今 どけおっどかい

 ふりやとけん しゅっどなぁ   こてぃ 手なにぎぃっ

 あん頃ん  ふたいん こまんかぼんの

空よ 教えっくいやい     あんちごな 今 どけおっどかい

どけおっどかい  どけおっどかい

 

実は未だにトワエモアというグループの位置づけがよく解らない。

一般的にはフォークニューミュージックのデュオと言うことになっているのだけれどもよく解らない。

そのトワエモアというデュオをはじめて意識したのが「空よ」と言う曲だった。デビュー曲は「ある日突然」のようだけれども。

「空よ」と言う曲は調べたところでは(私がよく見ていた)NHKの「あなたのメロディ」から生まれた曲らしい。

前に書いたかもしれないがこのあなたのメロディから生まれた曲は結構多い。

北島三郎の「与作」もそうだ。

 

で、この歳になると疑問が沸いてきた。

それらの曲の著作権は・・・ひょっとしてNHKが持っていやしないかい?

であればNHKは「濡れ手で粟の丸儲け」だと思うのだけれど。

 

話をトワエモアに戻すとメンバーだった芥川クンは後にレコードディレクターになった。

担当はナターシャセブン。

彼がいくつか提案した中に「ヘイヘイヘイ」がある。

107ソングブックの中では107曲目だ。

ということは芥川クンはどちらかといえばカントリーを聞いていたのだろうか。

彼がナターシャと共演したライブを見た記憶があるのだけれど。

 

 

 

 

 


そらいほっがあっごてい  (空に星があるように)

2015-07-24 | 鹿児島弁

そらいほっがあっごてい      うんぎい 砂な あっごてい

おいがきもっに たったひとっ   こまんかゆんどん あったとよ

 

風んひがんな 吹っこてい     川な流るい 行っごてい

とんの 流れい たったひとっ   こまんかゆっどん きえいったとよ

 

せんなか せんねか ほっどんみっせぇ  ひといで ひといで なんだながすっ

なんじゃかんじゃ ずるっ     終わい  しもたどんから

 

なんじゃかんじゃ まわいな    きえいっしもたどんから

はんな ちあめい 降っごてい   あっな かるっは ちらかっごて

   そいな だいでん あっごてい   ただんきせっな かわいんこっじゃ

 

 

荒木一郎という人を「俳優」としてしか知らないのだけれども今でも多方面で活躍しているらしい。

その人の歌に「空に星があるように」と言う曲がある。

1966年の発表で彼のデビュー曲?だと思う。

今日ではニューミュージック系のジャンルに入るのだろうけれどもどう考えてみても「歌謡曲」だ。勿論そのことが悪いと言うことでもない。

というのは同じ年にマイク眞木の「バラが咲いた」が発表されているからだ。

その曲が日本のフォークソングの始まりだというのなら「空に星があるように」も同じではないか。

カレッジフォーク風の歌謡曲だというのが共通している。

もう少しフォークの側はこの曲を評価してあげてもいい気がする。

その違い荒木一郎氏の俳優という立場と、そのそもカントリーをやっていたマイク真木氏の立場の違いだと思う。

どうも日本の音楽界ってどうして視野が狭いのだろう。

昨今、昔の昭和の時代の世相がブームなのだそう。

一般人の方が本質を見極める選択肢を持っている気もしないではない

 

 

 


卒業写真   (そっぎょさしん)

2015-07-23 | 鹿児島弁

せっねか こっがあっと  あくっ  かわんひょし 

そっぎょうしゃしんん   あんひとは    むぜいかめめしちょっ 

 

まっで でおたっとっも  なんじゃいえんかった 

そっぎょしゃしいん ん  むかっつらぃ そんないじゃったでや

ぼりひとん おされっせ   かわっいっ    あたいじゃが

おまんさな まねけんな   とえどんから  がっくいやい

 

かたぃかくっよに ゆるぃ やなぎんしたぃ

かねっ とおっすじどま  いまんうちゃ おかじょんうえかぁみいだっ

あんとっのまま いっきゃんせ おはんな  うっちぇんじおっくいやぃ

おはんゃ あたいが わけとっそんまま

 

ぼりひとん おされっせ かわっいっ   あたいじゃが

おまんさな まねけんな とえどんから   がっくいやい

 

おはんゃ あたいが わけとっそんまま 

 

 

あまりというか基本的に好きではない歌手の一人に「荒井由実」と言う人がいた。

彼女は「フォークスピリッツ」から最も遠いところにいる気がしていたからだ。

つまり自分の歌を「ファッションの一部」として考えている気がしている。

それが悪いとは思わない。そういう歌手、歌があってもいっこうにかまわない。

しかしそれは・・・フォークソングなのだろうか。

ニューミュージックでは有っても。

 

彼女の曲は良い曲があるとは思う。しかしそれは彼女が洋服を着るように作り続けた曲だろう。

それを嫌いだという権利は誰に出もあるはずだ。

 

この鹿児島弁の歌詞の中で「せっねか」と「せんねか」

意味が違うのだけrども歌う時に区別をつけて歌うことができないので・・・・

歌うことは無い。

 

 


いっさなしらん ちごどんさあ  (戦争を知らない子供たち)

2015-07-22 | 鹿児島弁

いっさどんおわっせぃ     おいたちゃ けれった

いっさどんしらんじ       おいたちゃ そだっきた

おせどんなっせぃ        あゆんでっいっとぃ

へいわんふしどま        くっうといしっせいか

 おいたっが なめどん     おぼゆいしちょったもし

 いっさどんしらん         こどんじゃったっで


にせどんじゃったっち    ゆるされんとなぁ

びんたんけどん なげがち  ゆるされんとなぁ

いまん おいどなぁ        のこいちょったぁ

なんだどん きばっせぃ   うとこだっじゃいが

 

あおぞらぁすっじゃが     はなどんすっじゃが

いっでん えごさぁ       じっぱかとぃなぁ

だいでん いっしょき      あるいっすぃが

みごてか ゆひさぁ       ひかっちょいみっどん

※   

いっさどんしらん     こどんじゃったっで

 

 

かつてのフォークソングは簡単なコードだけで弾けた。

ジローズの「戦争を知らない子供たち」のその代表で、この曲も5つのコードで弾けた。

そしてその5つのコードが弾ければたいていの曲が弾けた。

ギターを最初に弾く練習曲として最適だった。個人的にも一番最初の練習をした曲だった。

 只、最大の問題は個人的にその時から「上手くなっていないこと」。

最大の悩みではある。

そもそもこの曲が一番最初に披露されたのは1970年の「大阪万博」で北山修氏が音頭を取って若いアマチュアミュージシャンを集めてできた「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ」

 

ところで「戦争を知らない子供たち」には替歌がたくさんあり、「阪神タイガースの優勝を知らない子供たち」という際物も存在する。阪神がなかなか優勝できなかった事を関西の芸人さんたちが歌ったのだけれども、その年に優勝している!!

 

そして北山修氏自身が作ったパート2がある。

「戦争を知らない子供たち ’83」。作詞は北山修

作曲が「戦争を知らない子供たち」の方は杉田二郎に対してナターシャセブンのメンバーだった坂庭省吾(このときのクレジットは坂庭賢享)

個人的には内容はあまり好きではないけれども・・・。

一度聞いてみるのも良いかもしれない。

 

 

 

 

 


いっさどな知らんが  (戦争は知らない)  

2015-07-21 | 鹿児島弁

のんさっ 花ぁな なめどんしらんがぁ  じゃっどんか のいさっ花ぁがよか

ぼしんなけ ぃずんばぃ いれちょけば  いけんか なんだどん なんだどん でっが

 

いっさんひどま なんじゃしらんどん   じゃどんか あたいや  おやっどんおらん

おやっさぁかんげぃ あああれっとけぃ あかか くれんひぃ くるっひぃしずん

 

いっさっ けしんだ むざいかおやっどん あたいや おはんが  むいめじゃっど

20年あてぃ  こんふりぃさっで   あしっよめじょぃよめじょぃいっど 

 

みおっせくいやぃ とえかおやっどん  いわっぐもぃいっ そらんしたぃ

いっさしらんじ はたちぃなっせ         とつっせぃはほぃ はほぃいなっど

 

のんさっ はなぁ なめどんしらんがぁ  じゃっどんか のいさっはなぁがよか

 

 

 

寺山修司が作詞した戦争は知らないと言う曲をフォークルが歌っている。

昔からこの曲が不思議でならなかった。

20年後のこのふるさとで~

戦知らずに20才になって~

戦争が終わって20年だとすると20才ということは終戦の年昭和20年に生まれたことになる。

まあ発表が昭和41年なのでそのあたりは良いのだけれども、どうもそのあたりが腑に落ちなかった。

 

戦争を知らずに20にになって嫁に行く

 

そういう事だけなのだと思うのだけれども。

 

 


わけにせどんな 荒野なむこっ  (青年は荒野をめざす)

2015-07-18 | 鹿児島弁

ひといでいかんか 幸せいへっむけっ   さいなぁ こいびっよ めずらしかうっやどいや

今  うーうーうー わけとっの川こえっせ  にせどんな にせどんな あるちぃむこが

 

めいっき あくいが たっでっとがくい  さいなぁ ふるやしっ おめですい山や河よ

いま うーうーうー あけんひな丘な越えっ  にせどんな にせどんな あるちぃむこが

 

ずるっちいっがね くろどんなぁわくっとい さいなぁはるんひな こめぃかゆじゃれあっじゃれ

いま うーうーうー よいんもてたっな越えっ にせどんな にせどんな あるちぃむこが

 

ひといでいかんか 幸せいへっむけっ  さいなぁ こいびっよ めずらしかうっやどいや

いま うーうーうー わけとっの河こえっせ  にせどんな にせどんな あるちぃむこが

 

 

フォーク系の歌には「作家」が作詞をしたモノも案外多い。

五木寛之が作詞をしたモノの中に「成年は荒野をめざす」と言うものがある。

作曲を加藤和彦がしてフォークルが歌っている。

まあ完全な!プロテスト社会派フォークソングではないのだけれども「フォークルが」歌っていることでフォークソングに含まれている。

もっともフォーク教条主義の人達にしてもPPMのパフをフォークソングとして認めているのだから、どういう曲がフォークソングであるという定義なんて何の意味も持たないだろう。

 

 

 


わけとっがうた  (青春の詩)

2015-07-17 | 鹿児島弁

喫茶店ぃおなごとふたぃで入っせ  コーヒーどんたのんこっ    

     ※ああ そいがわけとっ

映画館ぃおなごとふたぃで入っせ  おなごん手なにぎぃこっ       ※

繁華街で前(めぇ)を行っ みごてかおなごを ひっかくいこっ      ※

みごてか女(とい)にくっもきけんじ  ラブレターな書(け)たいすっこっ ※

Go Goクラブい あっだっになっせぃ  踊いだれかぶっこっ       ※

グループサウンズにやんきもなっせぃ  ふて声でおらんこっ       ※

フォークソングいにしびれっせいか  反戦歌どな うとこっじゃ     ※

ボボなしっせいか おんじょいなったち  わっぜよろこんこっ       ※

親んしぃかきっせ、そつ・タバっ・睡眠やっ  げっな接着剤シンナーあすん   ※

アルバイトばっかいで学校どないかんじ てげてげぃすっこって      ※

飛行機のっとり革命おらび     血と汗いまみるっこっ        ※

勉強ばっかい 他には目もくれんじ    わが道な行っこっ       ※

スポーツな おんじょん こんじょづくいじゃ やれサッカーやれ 野球一年中まっ黒 ※

よかぶいなよふっ よかぶいなくいま プレイボーイプレイガールちいわるこっ ※

パチンコ・マージャン・競輪・競馬 かけごと専門のギャンブラー     ※

一んちじゅっ きまっどおぃ生きっせ   他にゃ何んにもせんこっ    ※ 

ジュリー! ショーケン! キンチャン!                  ※

こどっんなっせ ひといで悩んせ    ひといで考えみっこっ      ※

かってしで 思っとおいな      何んでんやってみっこっ      ※

ほいでわけとちゃあ いって何じゃろかい 

そん答えな人それぞれでちごじゃろや

ただひとっだっな言ゆいじゃろ    

おいたっなおんじょよいか時間が多か

おんじょよい ずんばいの時間な持っちょい 

おんじょがあと30年生きとなあ     

おいたちゃ あと50年生きっじゃろ

こん貴重(たし)ね ひととっな  おいたちゃ   

何かをせんじおれんがね

こん貴重(たし)ね ひととっな  おいたちゃ   

わけとっち呼んでんよかじゃろや

わけとっな ふたたっ 帰っこんがね    ずるっち わけとっな

今このひととっでん おいのわけとっ

 

いつのまにか100曲を超えた。

よしだたくろうと言う人の例の「古い船には~」と言うアルバムをはじめて聴いてから、もうどれくらいになるだろう。

彼の「青春の詩」と自作の替え歌「老人の詩」 は結構歌ったりもしていた。

もっともその頃には高石ともや、高田渡、岡林信康あたりを聞いたりしていたので強力なファンというわけではなかった。

 

ところで「ボボ」。

九州地方の方言。「お◎んこ」。関西地方の三文字表現。

所謂放送禁止用語!なのだけれども、かつてプロレスラーに「ボボ・ブラジル」と言う黒人選手が居た。

当時視聴率のとれるコンテンツ。軒並み高視聴率を誇っていた。

その番組内で放送禁止用語を連発していたと言うことになる。 

 

 

 


せいかっんな たっ   (生活の柄)

2015-07-08 | 鹿児島弁

あるっだれかぶっ よんそらんりっとん    あいだぃ もぎぃこんせぇ

くさぃ うんもれっせぃ ねちょぃどんかぁ  どこでんかひこでん ねちょったとよ

※あるっ だれかぶっちゃぁ  くさぃうんもれっせ  ねちょぃどんかぁ

あるっだれかぶっ ねちょぃどんかぁ      ねがならんとぃよ

 

こんごりゃぁ   ねがならん       おかんうえじゃあ ねがならん

よぞらんしたどま ねがならん       ゆさぶいおきっ ねがならん

ref

 

そげな おいが いっかたぃよしぃ            なっむきなっじゃろかぃ

ねたかちおもやぁ ねったちおもやぁ    つんたかかぜぃちょくられっせいか

あっは あっかりゃ   ほぼどんそんない ねがならん

あっは あっかりゃ   ほぼどんそんない ねがならん  ref

 

鹿児島弁の歌詞の100曲目。

 

高田渡の曲に「生活の柄」というのがある。 

かつてフォークソング!ブームの頃、曲の書かれた本は「歌本」で、特にフォークシンガーの場合「~の世界」という風にかかれていた。

そういうタイトルのソングブックはとんと見なくなったが・・・。

そしてもう一つ。

その当時の歌本に書かれていて今のソングブックに書かれていないモノ。

「演奏方法」

今はtab譜か五線譜かなのだけれども、当時はそんなに複雑じゃなかったので、3つくらいで済んでいた。 

「ダウンストローク」「2(3)フィンガーアルペジオ」そして「カーターファミリーピッキング」。

それだけで当時の曲はほぼ演奏できた。

それだけ単純だったのか、練習するアマチュアのほうが上手かったのかわからないけれども、とりあえずこれだけで済んでいた。

生活の柄は3フィンガーのカーターファミリーピッキング。

これで弾けるはず。

 


ちょびったぁ あたいに えどんくいやい   (少しは私に愛を下さい)

2015-07-07 | 鹿児島弁

ちょびったぁ あたいに えどんくいやい  ずるっおはんに さっしゃげんみた あたいじゃで

いっどん 咲かんじ 散っいんごていな   バラなかがんに映っちょいもんど

ちょびったぁ あたいに えどんくいやい

 

まねけんな てがんどん さっだっくいやい いっでん おはんな むぞかぶっ あたいじゃっで

おはんなきもっどな すんくじらでん    あたいが なめどん のけっおっくいやい

まねけんな てがんどん さっだっくいやい

 

みぞれん うっせいん でっしっ おやしいっ

こえらし おはんな おめでしちょっとよ

ちょびったぁ あたいに えどんくいやい

 

 

まあ、だんだん書くこともなくなって。

特にあまりファンではない歌手についてはほぼネタが尽きた。

ということろで。