最近「演歌」というジャンルについていろいろ考えることがあったので、私なりの整理をしてみたいと思います
そもそも「演歌」というのは明治大正昭和初期に存在した!「演説歌」を語源としている
あえて語源としたのはこれから記す内容からです。さらにこれまで流布していたことに対する個人的な意見を述べていきたいと思います
1 演説歌は自由民権運動の中で発生した
という説は実は正しくない。
自由民権運動は明治6年に板垣退助が「国会開設の請願」を行ったことから始まります
そしてまず明治10年の西南戦争でいったん収束する
運動自体はそのあとも続き「帝国憲法発布」「帝国議会開設」明治23(1890)年の第一回総選挙の実施で終了するのです
ここで自由民権運動は終わるのです!
では演歌(演説歌)は・・・
1891年に川上音二郎により発表された「オッペケペー節」が始まりとされています。つまり自由民権運動が終わった後に演説歌ができているのです
さらにこの歌は1900年にレコード化されて世間に流布していきます
ということは直接的には演説歌と自由民権運動とはつながりがないのです
むしろ帝国議会が開設された中での政権批判がその誕生のきっかけなのです
2 演歌は日本の伝統的歌曲である
という説も正しくはない
演説歌は街頭での!「政権批判の演説」を明治13年の「集会条例」という法律で禁止されたことから演説ではなく「単なる歌謡曲の発表」という形でおこなったものです
ちなみに演説という言葉は福沢諭吉が発明したものです
ですから「政権批判の歌」こそ演歌なのです
それを広めたのが「演歌士」です
プロの演歌士は何で飯を食っていたかというと街頭で一番だけとかさわりだけを歌い、全編は歌詞カードを販売して収入を得ていました。
だから今の感覚でいえば路上ライブでオリジナル曲を歌い歌詞カードを売っているようなものです。
さてこの方式は、大きな転換期を迎えます
1903年にレコード録音が日本で行われ、1910年に日本で市販されます
これで路上ライブの演歌士の多くが仕事を失います
実演を聞きにいかなくても日本中で同じ音が聞けるからです
さらに1925年にラジオ放送が開始されたことでレコードを買わなくてもラジオから音楽が流れてきます
これが演歌士を根絶させたのです
ラジオ放送をきっかけとして日本の演歌は絶えたのです
3 演歌は日本人の心だ
という言葉も良く聞きますがこれもいささか・・・
演説歌の代表的な歌に添田唖禅坊、添田さつきの「東京節」というのがあります
いわゆる「パイノパイノパイ」です
この曲は1918年に発表されたのですが、このメロディーはアメリカの「ジョージア行進曲」という曲です
ということは日本の心である演歌はアメリカの歌曲であるということになりますね
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