オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

22ほんのどそどんたてっせ  (22歳の別れ)

2015-10-24 | 鹿児島弁

おはんに「さいなら」ち えゆいたぁ     きょどんじゃ

あすんあっせい もいっどおはんな      ほぬぃかてどん

さわったやじっち   ゆきらんごんなっじゃろや   そげなきもすいが

あたいにゃ かがんうつっちょ   おはんがすどんみひけられんじ

あたいがめんまえんあった     しあわせぃだっちきしもうた

 

あたいが うんまれびぃ 22ほんのどそどんたてっせ

ひとっひとが  ずるっおはんがいっかたじゃねいち

17ほんめかぁ いっしょき ひどんつくっといが   きのんごちゃっどね

いまあただ5ねんのつっひどな  なげぃか はっじゃち いうっだっじゃが

おはんがしたんがとけぃ     むかわりぃあたいにとっちゃ 

 

ひとっどめ こげなあたいが   やからんきっくるいなぁ

おはんな おはんまま      けわらんじおっくいやい そんままで

  

 

伊勢正三の名曲に「22歳の別れ」というのがある。

実はその曲の意味がいまだにわからない。

そもそも

誕生日を「ろうそくを立てて」 の祝うのだろうけれども、でも17本目からってあんたそりゃ高校生だろう。

よくこれで放送禁止にならなかったものだ。

拙くないかい?

さらに22本のローソクは一緒に立てた?

しかし「あなたの 知らないところへ嫁いでゆく 私」はいったい何歳?

22歳の誕生日を一緒に祝って、他人と結婚をする「別れ話を」したのかなぁ。

 

とはいえこんなこ難しいことを考えなければとても好きな曲なんです。

 


虹とずっくぐっなころ  (虹とスニーカーの頃)

2015-10-15 | 鹿児島弁

※やからすったぁ おんじょんつん   そいなゆるさんといな おごじょんつっ

  わけかった すっぺこっぺ      あんずっくぐっどな も うっせたどかい

白かずっくぐっ 汚らかさんごっ     はだっで あんななけ おいたっあゆんじょった

びっしょきぬれちょっ とれーなーな  かわっまで だっちちょった なんのひいさげっ

 

白っ浮かんだ みっぎなあっ      いっさっ なずりゃ かんないんおっ

まっどん つらなぁ つっだっせぃ   虹どんみしけちょいわいを おぼゆっちょっが

 

もつるいいっどな ひっちぎっみてか  ひょっかっ ふたいな ひとんごんなった

おいたんな できんかった         おせんなけどん いけんしてん

 

 

財津和夫の作詞作曲によるTULIPの「虹とスニーカーの頃」という曲がある。

タイトルの意味が全く解らないので・・・。

今日はこれまで。


なんだずるぃずるぃ  (涙そうそう)  

2015-10-13 | 鹿児島弁

古かアルバムめくい         あいがちなっち かたったが

いっずい いっでん  胸ん中け   きばらんかちいう といどんな

よかぁてんきじゃれ 雨ん日ずい   おめでし あん笑れがっ

おめでっわっぜかさぎっしてん おもかげ 探んぬいし 

よんがゆっ日な なんだずるぃずるぃ

 

いっばんぼっなあ 祈っ       そいがあたいが くせいなっ

よいんもて 見上ぐい空       いっぺこっぺ おはんな みしくっ

せっねかこちょ にたーすっとぃ   おめでっ あん笑れがっ

おはんがとこいかぁ  あたいが  見ゆいなぁ きっちいっか 

おえるちおもっせ 生きいっが

 

よかぁてんきじゃれ 雨ん日ずい   おめでし あん笑れがっ 

おめでっわっぜさぎっしてん とじんなっ おもちょっせ 

おはんなおめでっ なんだずるぃずるぃ

あいたかせ あいたかっせ おはんなおめでっ なんだずるぃずるぃ

 

 

東京都出身の、二世ジャズトランペッターの娘 森山良子という女性歌手がいる。

日本で唯一の!!「女性フォーク歌手」だ。

何故彼女が唯一なのか・・・。

彼女が「和製ジョーン・バエズ」といわれた女性だからだ。

そもそも「フォーク歌手」は男性はボブディラン、グループはPPMそして女性はジョーンバエズでなければならないという絶対教条主義が横行している。

だから「和製ジョーンバエズ」である彼女だけが女性フォーク歌手であって、それ以外は単なる「フォークソング的な歌手」だった。

たとえば高田恭子も歌謡曲歌手としてデビューさせられた。

彼女はジョーンバエズを歌い、関西フォークの歌姫であったにもかかわらず、和製ジョーンバエズと言われなかったことからだ。

他にも本田路津子も、茶木みや子も・・・。

絶対にフォーク歌手だとは言われなかった。森山良子よりもボブディランやジョーンバエズを歌ていたにもかかわらずだ。

その頑固明朗な教条主義が結局フォークソングというモノを狭くしてしまって、衰退させていった気がしてならない。

ではなぜ森山良子だけが和製ジョーンバエズと言われ女性フォーク歌手と言われたのか?

はっきり言ってしまえば彼女が東京出身で家族親族が音楽家だったから!!!

 

 

 


じゃどんおはんな きょとどんいっとな (なのにあなたは京都へ行くの)

2015-10-10 | 鹿児島弁

あたいがかんなぁ くっすいしせぇ    「むぞいかおごじょ」ち あたいにかたった

※じゃどんおはんな きょとどんいっとな  きょとんまっどなそげんかよかや

こんあたいが 愛よいか

 

そろいち よいそっ こえらすみっせ   「むぞいかわろ」ち あたいな よばこ

 

もゆいかいなで だっしめくるっ     「さげなか愛」どん あたいにちこた

 

 

チェリッシュというフォークグループが「あった。」

たしか5人組だったと思う。

彼らの最大で唯一の(失礼)ヒット曲が「なのにあなたは京都へ行くの」だった。

そのタイトルだけで言えば、私も諸般の事情で京都に行ったのだけれども、まあそう言うことは置いておいて、そのグループの話を。

彼らはその後、グループとしては・・というレコード会社の方針で。

そしてついに一応、解散することに・・・。

レコード会社としては、グループは解散させてリードボーカルの「えっちゃん(松井悦子)」だけでソロ再デビューさせようと考えていた。(確か公式には他のメンバーの脱退と言うことになっていた気がする。)

そこにギターを弾いていた男性が「俺も芸能界に残りたい。えっちゃんと一緒にやりたい。」とだだをこね?、しかたなく彼を残した。

そしてデュオ「チェリッシュ」として再出発した。

 

と聞いていたのだけれど。

 


なっやすん (夏休み)

2015-10-06 | 鹿児島弁

むっがらぼしどな もうひっきゆっ たんぼんどんこびっ もうひっきゆっ

そいでん待っちょっ  なっやすん

 

あねさんせんせ もうおらん    みごてかせんせ   もうおらん

そいでん待っちょっ   なっやすん

 

絵日記つけちょっ なっやすん   花火どん買うちょっ なっやすん

いっおっ待っちょった なっやすん

 

はいんあけしなぁ どけいっちょぃや  あんとっにげしっ やったとぃ

ひといで待っちょった なっやすん

 

すかどんくちょった なっやすん  みいまっしちょった なっやすん

ひまわい さだっち せみん声

 

50年代南の片田舎、辺境の地「鹿児島」の谷山市と言う場所は市役所のある中心地でさえメインストリートを一歩外れれば田畑が広がり少し歩けば白砂青松の海岸と漁港があった。

鹿児島県庁職員であったY氏はその谷山市に居を構え、家族も一緒に住んでいた。

子ども達は自然の中で走り回って育った。Y氏の息子のT君も小学校に入った。

同じ学年に「今川盛揮」君というのがいた。

次第に人口が多くなり、学校はマンモス校になっていった。

そのころY氏は浮気をし家族を捨てて、家族は離ればなれになり、そこの子どもたちは父母それぞれに分かれていった。

T君は母親に引き取られ鹿児島を離れ母親の出身地広島に帰っていった。

それ以来T君は父親にも鹿児島にも良い印象をもっていない。憎悪とさえ言ってもいいのだろう。

その彼が長じて「フォークのプリンス」と言われるようになった。

ついでに今川君はその前に芸能界に入り「西郷輝彦」と名乗った。

 

 


なごりゆっ   (なごり雪)

2015-10-05 | 鹿児島弁

おかじょ まっ わいが よこで おいは     じこっ きいしちょっ

きせっはずれん ゆっがふっちょい    

東京でみっゆっな こいがうっどめじゃねち とぜんがっ わいが かたった

なごりゆっも ふっとっしっちょせ        あまいしぎっ きせつんあっで 

いま はりがきっせ わいはみごてかなった   けねんよいか ぼり みごてかなった

いごきだしたおかじょんまどい かおをつけっ わいはなんか かたいち しちょっが

わいがくっから さいならち いごっとが   おとろしせ したいむいちょった

とっがすぎれば こまんかわいも       おんじょになっち きじかんまま

いま はりがきっせ わいはみごてかなった  けねんよいか ぼり みごてかなった

 

わいがおらんごなった ほーむイのこっつ   あゆい とくっ ゆっをみっちょった

いま はりがきっせ わいは みごてかなった けねんよいか ぼり みごてかなった

 けねんよいか ぼり  みごてかなった     

 

かぐや姫の解散後、 伊勢正三のシングル曲としてきっとなごり雪という曲を出すだろうと言われていた。

そしてファンもそれを期待していた

しかしその曲は何故か「イルカ」と言う姉ちゃんが歌って大ヒットした。

私は個人的に今でもあの曲は「伊勢正三」の曲だろうと思っている。彼女の声にどうも違和感を持ってしまうのだ。

彼女は「サ、サ、サ~、サラダの国から来た娘」あたりが似合っている。

ところでその「なごり雪」。あの嘉門達夫の「なごり寿司」(だったかな?)という名(迷)曲になっている。