狂歌・落首編 その1(元亀年間以前)
ここでは戦国前期(元亀年間以前)に関する狂歌や落首などを、管理者の独断によりピックアップしてご紹介します。横書きご容赦下さい。 |
きこしめせいよいよ乱をおこし米 又はほりほり又はほりほり ながらへばまたみよしをやしのばまし うきかうさいぞ今はこひしき 京中はこのほどよりもあふりかふ 今日もほりほり明日もほりほり 花ざかり今は三好と思ふとも はては嵐の風や散らさん
はげしかりし嵐の風は音たえて 今をさかりのみよしのの花
洛中に今年は種々の大ばやし 河原ばやしぞ興はさめけり
立ちよりて影もうつさじ流れては 浮世を出る谷川の水
たぞやこの鳴門の沖に御所めくは 泊り定めぬ流れ公方か
近江までとらんといづる木沢殿 いひもり山を人に食はるな
とき世とて聟(むこ)をころすは身のおはり むかしはおさだいまは山しろ
昔より奇特(きどく)ありまの湯ときけど 腰折れ歌は直らざりけり
あしからじよかれとこそたゝかはめ など難波田のくずれ行らん 君をゝきてあだし心を我もたば すえの松山波もこえなん
ときはれど糊たてもせぬ四布(よの)袴 三布は破れて一布にぞなる
やりなはを引きずりながらひろき野を 遠ぼえしてぞにぐる犬山
川舟をとめて近江の勢の来ず 問はんともせぬ人を待つかな
尼の子の杖柱たる鬼神も 盲打ちにぞ討たれけるかな
子指皆切れば大指只壱つ 相手なければ刀握らじ
類親のくびをきりぬる義龍が 殺人剣を今ぞもちいる 紫野ゆかりたのめど別傳を みながら人はあわれとはみず 大海を知ぬもどうり義龍は ただ井口のかいるなりける
佐和山に百々(どど)ときこゆる雷も 伊賀崎入れば落ちにけるかな
苅萱の身に入む色は無けれども 見て捨難き露の下折
時鷹が朝夕善をなす棚に 鳶入るまめは味噌に成べし
年経れば白髪の糸も破れ果て 毛利の木陰の露と朽ちなん 安芸の毛利朽葉も落ちて木枯の 中に松田ぞ色を増しける 元就は白鹿の糸につながれて 引くも引かれず射るも射られず 尼の子の命と頼む白鹿糸 今ぞ引切る安芸の元就
むこいりをまだせぬ先の舅入り きくていよりはたけた入道
正木にて結ひたる桶のたが切れて 水も溜ぬ池の和田かな
こよこよとすりあけ物の奈良刀 みのながいとて頼まれもせず
永禄の十の十月十日の夜 奈良の大佛焼ける亥の時
舞い遊ぶ千代万代(よろずよ)の扇にて 二本手に入る今日のよろこび
無用かな人の弓箭に頼房の 首をごう木に下らしてみむ
甲斐もなき大僧正の官賊が 欲に駿河の甥倒す見よ
花よりも団子の京とぞなりにける 今日もいしいし明日もいしいし
名をかへよたけたがほすと八幡の はた打ちすててにげ田信玄
秋はてば一条冬にかかるべし 又来ん春は何と信州
城を明け落葉尤(もっとも)道理なり いかに庵を春焼にする
信長のきては破るる京小袖 わたがさし出て見られざりけり
伊東奴が真幸の陣は桶平に 飯の欲しさにおびのゆるさよ
福原の都人とはききつれど 年貢諸役のしなのあしさよ
家康に過ぎたるものは二つあり 唐の頭に本多平八
三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城
※戦国前期・後期についてはコンテンツの便宜上区分けしたもので、特に意味はありません |