狂歌・落首編 その2(天正年間以降)
ここでは戦国後期(天正年間以降)に関する狂歌や落首などを、管理者の独断によりピックアップしてご紹介します。横書きご容赦下さい。 |
かぞいろとやしなひ立てし甲斐もなく いたくも花を雨のうつ音 山中を攻むれば明くる箱根山 逃ぐるも早き足がらの敵
黒皮を袴にたちて着てみれば 襠(まち)のつまるは襞(ひだ)の狭さに
昨日たち今日きて見れば衣川 裾の綻(ほころび)さけ上るらん
世の中に我は何をか那須の原 なすわざもなく年やへぬべき
ならかしやこの天下殿二重取り とにもかくにもねだれ人かな
世を渡るわざのなきゆえ兵法を かくれがとのみたのむ身ぞうき 兵法にかちをとりても世のうみを わたりかねたる石の舟かな
武蔵野やしのをつかねて降る雨に 蛍よりほかなく虫もなし
太閤が一石米を買いかねて 今日も五斗買い明日も五斗買い
世の中は不昧因果の小車や よしあし共にめぐり果てぬる
打割りてつがれぬものは備前鉢 つかうものにも用心をせよ
二たびと帰らんこともまた難し いまぞ別れの老いが身ぞ憂き 残し置くそのたらちねの妻や子の 嘆きを思ふ風ぞ身にしむ
国々の百姓どもを太閤の 思食(おぼしめ)さるる御朱印ぞかし 太閤に思ひたまひし百姓を 捨て物にするつらき心や
秋の田をからで其儘(そのまま)ただおきの 心なかおか何をいふさい
徳川のはげしき波にあてられて 重き石田の名をや流さん 御城に入て浮世の家康は 心のまゝに内府極楽
争いに負けしも道理右馬介 熊谷とても虎に恐るる
古も今もかわらぬ世の中に こころのたねを残すことのは 藻しほ草かきあつめたる跡とめて むかしにかへす和歌のうらなみ
関ヶ原八十島かけてにげ出でぬと 人にはつげよあまりにくさに
目のくろき人と云はれし治部少も 負けめになれば赤目をぞする
山の端の月は昔にかわらねど わが身のほどは面影もなし 涙のみ流れて末は杭瀬川 水の泡とや消えむとすらむ
破れ笠道にかけつつ乞食くとも 宮が下にて蓑は頼まじ
大将はみなもとうじの茶臼山 ひきまわされぬもののふぞなき
御所柿は独り熟して落ちにけり 木の下に居て拾ふ秀頼
織田が捏(こ)ね羽柴が搗(つ)きし天下餅 座して喰らふは徳川家康
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