「原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」との謝罪を前面に掲げた提言の内容は政府や東電の発表よりも今回の事故を深刻に受け止めており、緊迫感が伝わってくる。
大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める
「私たちは事故の推移を固唾を飲んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、事故を終息させる見通しが得られていない」「膨大な放射性物質は圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている」 「特に懸念されることは溶融炉心が圧力容器を溶かし、格納容器に移り、大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」
提言は、水素爆発などで格納容器が破壊され、放射性物質が長期にわたり国土を汚染する可能性を指摘している。日本を代表する学者たちが、チェルノブイリ原発事故級の最悪の事態を想定していることがわかる。
16人は東京大学名誉教授、京都大学名誉教授、東京工業大学名誉教授など錚々たるメンバーで、原子力安全委員会や原子力委員会の歴代委員長や委員を務めるなどした日本を代表する原子力の専門家たちだけに、発言には重みがある。
特に気になるのは、「当面なすべきことは原子炉及び使用済み核燃料プール内の燃料の冷却を安定させ、大量の放射能を閉じ込めること。これを達成することは極めて困難であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない」と述べた点で、有効な解決策を見いだすのが難しいことを自ら認めているとも受け取れる発言だ。
2011年4月1日、会見した田中俊一氏は「原子力の平和利用を進めて、まさかこういう事態、これほど国民に迷惑をかけるような事態は予測していなかった。結果的にこういうことになっていることについて、原子力を進めてきた人間として、国民に謝らなくてはならないという気持ちは、みんな持っていると思う」と心境を明かした。
田中氏は提言をまとめた理由について「(我々は)余計なことを言わなくてもいい年齢だけれども、黙っていられないと。とにかく早くこの状況を抜け出して頂きたいという思いでまとめた」と述べた。学会で地位も名誉もある学者たちが、自分たちのこれまでの仕事を全否定するような今回の提言や会見が、事故の深刻さを物語っている。
「どうして今まで推進派だった方々は何も言ってくれないんだろう」と思っていたので、今回こういった発言を聞いて最初に感じたのは驚きと嬉しさでした。
しかしその後みなさんのコメント欄を見て少し考えがずれてるのかなと考えているところです。
今までの立場に拘わらず、方向転換してくれる人がいらっしゃるんだなと思うと心強く思いました。
別にこの学者が悪いわけじゃないでしょう。
悪いのは、災害対策を怠ってきた東電であり電源喪失という自体を考えていなかった人達です。原発を推進してきたのは国策であったわけだし仕方がなかった面もある。大事なのは、これからどうするかでこれ以上被害を拡大させないように努力してもらいたい。
あやまるなら、反省するなら、国の放射能基準値が国際標準よりかなり高いこと、低線量被曝はほぼ何ら危険性がないかのような言われ方をしていることについて、きちんと検証して欲しい。チェルノブイリの強制避難地区より放射線濃度が高い場所でさえ、放射能は安全安心と言われ、子供達がそのまま放置されているが、本当にそれでいいのか。晩発性障害の危険性はないのか、科学者の立場から検証し、危険があるなら国にはたらきかけて下さい。このままでは、チェルノブイリの二の舞にならないのか、もしくはそれ以上の晩発性障害が出ないのか、とても不安です。お願いですから、陳謝して終わりにしないで下さい。
この学者さん達の心の中が全く判らない。
これだけの物理的な(物質的な)損害を出している状況で、陳謝するとはどういうことか?
、むしろ、陳謝することによって、物理的損失に対する弁済を逃れようと言った魂胆が、あきらかに見える言動である。
人たちに、原子力行政を一任していたのかと思うと、非常に情けなくなってくる。
学者が提言したことを全ておこなってたら、本当はこんなことは起こってなかったよ。w
経済的な安さのみを求めた奴ら、反原発だけで凝り固まってるやつらがここぞとばかり。
日本人的だね。w
言い訳は聞き飽きた。
今の状況をなんとかしろ!初めから原発が安全なんて思ってなかったけど…。
第一号炉の容器が小さいと云うことは40年前に米国の原発設計技術者が指摘していたことであり何故その当時見直しをしなかったのか。これは国際的犯罪である。何が原発研究学者の権威か。マスコミも大罪を自覚し迎合記事ばかり書かず本分に戻れ。
>25
人が住めない土地にした時点で十分犯罪でしょ
違うと言うならどうぞ福島原発の近くに行ってくださいな
「原発推進派学者」しか、大学に研究者として残ることができななかったらしい(彼らはそういう組織を維持した張本人達)。つまり、「原発推進派学者」=「原発安全管理者」。今の状況では、=「悪者・犯罪人」。ただ、これだけ無能で世界中を恐怖に陥れても犯罪を問うことができない。せめて、国から報酬もらった人だけでも、責任を問えないだろうか。本人が認めてるんだから有だろ。秋葉原通り魔事件の死刑より、事件の質悪くも量も大きい。それにしても、大勢で陳謝するところがこの人達の思考停止をよく表しているよね。原発推進している最中も皆が推進するからで頭が働かなかったんだろうな。最悪。
結果として、原発を推進してきた人たちは、お金のために国民、特に子どもたちの未来を犠牲にしました。
原発が、いかに大企業など一部の人の利益をもたらしたか。日本が世界に誇れる素晴らしい技術、自然エネルギーによる発電技術を踏みにじってきたか。
この人たちができる償いは、原発推進派は何によって動かされてきたのか、誰に利益があったのかを徹底的に検証し、発表し、国民的議論を起こすことです。
次は、プルサーマル計画の失敗時にでも謝る気なのでしょうか。残念ながら、この先、原発をめぐって起きるであろう問題は、謝ってすむようなものはないでしょう。
パフォーマンス止まり、自己満足止まりの懺悔は許されないと思います。
反省はいらんから解決策を示せ。それが学者の仕事だ。事態が終息してから腹を切るなり、資産をなげうって復興に役立てるなりして責任とればいい。まぁ、何もしないんだろうけど。
優雅な隠居生活の為の謝罪は謝罪ではありません!
危険を承知で黙認した罪から逃れられるとでも?
英知を持って事後処理に提言しなければならない立場で、
我関せず心配無いと言い放つその姿勢・・・本当に許し難い!!!
それを垂れ流すメディア…悲惨度は増すばかり。
047
ほんとにコイツラが困るのは核分裂燃料の輸入、加工に関わる利権を解体させられることなんだよ、ウィックッ!!
だいたい、半減期があっても永遠に核崩壊するのは誰にも止められないんだよ!!濃縮したら最後子孫ともども要放射性物質取扱資格の無期懲役なんだよ。そんなこともしらないのかよw、ウィックッ!!
他のところで取り上げている、「放射能ヒステリー」といい、ここの東電叩きと言い、こんなことで問題が解決するわけじゃあるまいし。
本当に考えるべきなのは、何十機も原発がなければ成り立たないような生活を、365日24時間好き勝手に続けてきた、日本人のライフスタイルに対する反省をすることじゃないのかな?
それ以上に今回の事故はチェルノブイリと違って、稼働中の原発が丸ごと爆発したわけじゃない分、軽くすんでると思うけど、違うだろうか?
逆に言うと、稼働中の原発が何基も爆発していたら、とっくの昔に東日本は、誰も住めなくなっていて、日本人総出で大脱出こうなってるはずなんだけど。
これまでの自分の主張が誤っていたと認めるのは勇気のいること。知名度のある人ならなおさらです。批判にさらされることは目に見えているのだから。けれど、人間に絶対や完璧はありません。間違いを認めて、反省し、それをどう未来につなげるかが問題だと思います。原発推進派の高名な学者達がこれまでの主張の誤りを認めたことで、今後のエネルギー政策の見直しにおいて、原発推進論を展開するのはより困難になったはずです。彼らの懺悔は、今後のエネルギー政策という観点から見れば、大きな一歩といって良いのではないでしょうか。過去を責めても何も解決しません。今は、一人ひとりが「未来」のためにできることをすることが、何よりも大切だと思います。今回懺悔した方々も、ただ懺悔するだけでなく、可能な限りの知恵を絞って、福島第一の事故収束に向けて協力してほしいと思います。
謝罪するなら、きちんと批判もしてほしい。よほどの馬鹿でもないかぎり、こうなることは想定できたはず。想定しても公言できなかった、そして実行できなかった理由は何?適切な批判なくして、適切な謝罪なし。怖いもの、悪いものに触れずに謝罪したといえるのだろうか?事故前となんら変わりなく保身に専念する良心なき学者には、正直うんざりしてます。東電、保安院、電気事業連合会、政府、官僚、大学と産業の関係など自己批判する対象はあまるほどあるはずなのに。
「余計なことを言わなくてもいい年齢」とは責任逃れも甚だしい。
嘗て良心的な慎重論を唱えていた科学者達を理不尽に排斥し続けてきた責任を何とする?。
懺悔などで被災者を償いきれる訳でもなく、まして、今更の分かりきった提言などは誤魔化しにしか見えない。
何故、その様に慎重に進めなかったのか・・。
庶民が身を削って作り上げてきた日本の繁栄を、斯様にして取り返しのつかぬ衰退へと後押しして来た張本人の実態を此処に観る思いである。
資源の無い日本で原発は、必要だっただろう。事故が起きてからじゃ、なんとでも言える。今批判している奴らの方が実は、無責任な奴らなんだよ。事実かどうか判らないが、東電は、蒸気解放したかったが、総理がパフォーマンスの為に、待ったをかけたらしいが。そうなると、学者よりも、総理の責任だよ
震災対策を怠ってきた関係者や建設当時の関係者にまず大きな責任を取ってもらう必要がある。政治家・経産・保安・トーデン。
トーデンだけが責任取れば済む話じゃ全くない。
今後のためにも。
受験勉強は一流だろう。
しかし、科学的事実を無視したのも事実。
『希望的観測』に意思決定を引きずれれた、科学者ではなく『政治屋(や)』だ。
世渡りにたけた、ビジネスマンだ。
論理的体系的思考ではなく、『場の空気』に支配され、同時に支配し続けようとした『老害』だ。
昔、神奈川県のある公立小中学校は教師が自由人だったので原発開発のカラクリや危険性や反対派への監視や弾圧等を教えてくれていた。
だから、こうなることは津波が来た時にわかっていた。大学の専攻も違った、今はただの主婦だけどね。
いかに教師の自由度と各人の日々の感覚を研ぎ澄ます努力が大切か。
「原発は安全です。放射能はなにがあっても絶対漏れません。」
と言って無理矢理地域住民や世間を説得?させて原発を推進させてきた奴らが、放射能が漏れたら漏れたで今度は「この程度の放射能は安全です。健康には全く問題ありません。」とのたまわっている。
全く何をか言わんやである。
そういう政治家や役人、東電の輩と比べ反省するだけでもまだ良心的かとも思うがね。
この記事で出てくる「学者」は殆どが安全委関連の人。この人達が責任を強く感じているのは、立場を考えれば非常に理解出来る。
結局、東電などの電力会社や政府・保安院の推進圧力と原発反対派の圧力との板ばさみで最終的な安全基準を監査して来た人たちだから。
言い換えれば、この人たちは「自分達が最後の理性にならなければいけなかったのに、結果的になれ切れていなかった。申し訳ない」と言ってる訳です。
だからこのパニックを煽る記事の書き方はちょっと違うと思う。
この学者達は自分たちの立場としての責任を果たせなかった「重大性」を謝罪してるので有って、「事態の重大性」を強調したい訳では無いでしょう。
そりゃぁね、自分たちの責任を謝罪する場で「事態は大した事無い」なんて言えませんから。
原発推進論出せば、国、電力会社、建設業者、重電機メーカーから研究費やら助成金を沢山もらえたんだろうね。
本気で脱原発を進めないとならない事態が一気にやってきた。
原発の点検後、再起動させてもらえない状況が見える。
次、国が打つ手は、電力会社の判断で動かすことができる!って言うのだろう。
今回の事故の本質的な問題は、設計センスのなさ。非常用発電機を地下に設置するなど、実務経験者から言わせればあり得ない。さらに、非常用系統を近接して配置する等、おおよそ「法律で設置が義務付けられているから、しゃないな」程度の考えで設置したことが見え見え。
これは、学者が謝罪すべき問題ではない。メーカーの設計者、および発注した東電技術部の無能が問題なのだ。
それは、経営者に対し「非常用発電機は系統を分けるのみならず、設置場所も分散しなければならない。地下に設置するなど、絶対だめだ!」との主旨で説得できなかった点も含む。
でもね、
東電がスケジュールを発表する直前に、
何でこんな時にするんだろう?
ひょっとして、過去ばかり見てて
‘今’を見ていないなんてことないでしょうね。
今ここで「原子力安全委」の批判をされている方々、「原子力発電の未来を夢見て頑張ってこられた学者」を非難している方々。本当に「脱原発」でよいのですか。「謝られば済むことじゃない」という心情は分かります。事は重大です。日本に「人が住めなくなる地域」ができるかもしれないほど、重大です。でも、原子力に電力の30%依存している日本が、それを捨てられますか。事は「火力・水力・自然エネルギーへ」などという単純なことではありません。それの開発にかかるお金は誰が出すのですか。「お金の問題じゃない」と言われるなら、脱原子力による開発費(それも日本全体の30%)を誰が出すのか考えてみて下さい。
マスコミも、原子力危険論を煽りすぎやしてませんか。福島の状況を「チェルノブイリ」「スリーマイル」と同等に話すのは分かりますが。(でも嘘も多い情報を流されても困るだけですが。)
被災前まで「原発反対」を口にしていた人達は、最悪を想定し、原発の危険性を訴えていたわけだけど、そんなことあるものかと、一般的には「赤」だの「主義者」だの「活動家」だの陰口を叩かれ、どう見ても社会的な迫害を受けていたと思う。反原発を唱えることは社会的に勇気が必要なことだったのだけど、結局彼らが正しかったわけだ。
しかしここに来てなぜか「反原発主義者」が急に増えたような気がする。これまで原発を推進する人達を見ながら何も言わず、ただ原発の電気を使ってきた人達は、政府や東電や原発推進学者とどこが違うのだろう。日本は民主主義の国だから沈黙は肯定だよ。これまで沈黙により原発を肯定し、原発の恩恵に与り、原発の片棒を担いだ人達に、いまさら原発を批判する権利はないと思うがどうだろう?