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2011-05-26 10:36:06 | 江戸時代

軍団構成と軍師(参謀)


戦国時代の合戦において、軍団はどのような命令系統で成立していたのでしょうか。また、軍団内で「軍師(参謀)」の占める位置は? 厳密な意味では「軍師」と「参謀」はその性質がやや異なりますが、ここではまとめてご紹介します。

合戦時の軍団命令系統図

 



軍師の役割と位置

大人数の軍団同士がぶつかると、当然個人の力量よりも、集団としての進退の方がより重要になってくる。いくら戦闘力が高い集団でも、個々がバラバラに戦っていたのでは合戦には勝てない。そこで軍師は大局観に基づいて戦局を分析する。つまり、敵味方の戦意や兵数・天候・時刻・地形等あらゆる状況を把握検討した上で、的確な陣形の選択や軍の進退のタイミングを主君に進言したり、または自身が軍の采配を揮う。
だから、譜代の宿老や重臣クラスと言えども軍師の命令に従って軍を動かした事が多かったので、合戦時においては軍師は主君に次ぐ「ナンバー2」の存在であったろうと思われる。
もちろん大名自身の中にも織田信長豊臣秀吉徳川家康の三傑を始め、武田信玄毛利元就島津義久義弘北条氏康など特に知謀に優れた人物がいたが、やはりこういう人物のいる大名家は強かった。


軍師(参謀)として有名な武将とその主君

 

片倉景綱(伊達政宗) 宇佐美定満(上杉謙信) 直江兼続(上杉景勝)
山本勘助(武田信玄) 真田幸隆(武田信玄) 蜂須賀正勝(羽柴秀吉)
黒田官兵衛(羽柴秀吉) 竹中半兵衛(羽柴秀吉) 本多正信(徳川家康)
太原雪斎(今川義元) 島 勝猛(石田三成) 朝倉教景(朝倉孝景)
立花道雪(大友宗麟) 角隈石宗(大友宗麟) 鍋島直茂(龍造寺隆信)

 


 

 


戦国時代人物名鑑

2011-05-26 10:33:04 | 江戸時代

戦国時代人物名鑑

Ver.1.20Copyright(C) 1998-2005 Hiroyuki Echigo
 武将名
明智光秀 浅井長政 朝倉孝景 朝倉義景 足利義明
足利義昭 足利義輝 足利義晴 芦名義広 尼子勝久
尼子国久 尼子晴久 尼子誠久 荒木村重  
石川数正 石田三成 井上元兼 猪俣邦憲 今川氏真
今川義元        
上杉景勝 上杉謙信 上杉朝定 上杉憲政  
         
大内義隆 大内義長 太田道灌 大友宗麟 織田信雄
織田信忠 織田信長 織田信秀 織田信行 織田秀信
加藤清正        
         
九戸政実        
         
小西行長        
斎藤龍興 斎藤道三 斎藤義龍 佐久間信盛 里見実堯
里見義堯 里見義豊 真田昌幸 真田幸隆  
柴田勝家 島津義久 清水宗治    
陶晴賢        
仙石秀久        
         
高橋紹運 滝川一益 武田勝頼 武田信玄 武田信虎
武田義信 伊達稙宗 伊達輝宗 伊達政宗  
長宗我部国親 長宗我部元親      
         
         
土岐頼芸 徳川家康 徳川秀忠 豊臣秀次 豊臣秀長
豊臣秀吉 豊臣秀頼 鳥居元忠    
         
         
         
         
         
         
平手政秀        
福島正則        
別所長治        
北条氏綱 北条氏直 北条氏政 北条氏康 北条早雲
細川晴元 本願寺顕如      
前田利家 松永久秀      
三好長慶        
村上義清        
         
毛利隆元 毛利輝元 毛利元綱 毛利元就  
         
         
         
         
龍造寺隆信        
         
         
         
         

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戦国時代の合戦事情

2011-05-26 10:25:25 | 江戸時代


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実戦検証~野戦・攻城戦~


野戦~有名どころの野戦のほとんどが"後詰"

野戦はたいてい後詰によって起きる場合がほとんどだった。長篠の戦い、川中島の戦いなどなど。桶狭間の戦いも今川勢による後詰戦によって生じたものであった。攻める方は敵領地の城の攻略を目指し、攻められる方は敵攻略軍を追い払うために攻撃をする。
現在伝わっている戦記には誤報や誇張されている部分が意外と多くあると見ている管理人は左記『陣形』『部隊構成』『合戦を間近でみると』を参考に、当時の野戦の実態に迫りたいと思う。

長篠の戦い1
天正3年5月21日(1575年6月29日)
学校でも習った有名な戦いの実態は?本当に決戦する気がなかったとすれば・・・・

長篠の戦い2
天正3年5月21日(1575年6月29日)
鳶の巣の砦攻略が一番の目的だったのか?
戦国時代の合戦データベースより~
誰かの妄想』の筆者さんからのコメントを記載。

桶狭間の戦い
織田信長は運がよかったのか?今川が後詰目的だけだったなら、あの奇襲も納得?

三方ヶ原の戦い
三方ヶ原の戦い
死ぬ間際に有終の美を飾った武田信玄。惨敗を喫した松平元康。男には負けると分かっていても戦わねばならぬ時があるんです。

河越城救出戦
河越城救出戦
織田信長の桶狭間に匹敵する合戦だが実際はどうだったのだろうか。

攻城戦~領地を取るには敵城を奪う必要があった

攻められる方に野戦をする力が無い場合攻城戦となる。攻められるほうは味方の救援が追い払ってくれるまで耐え抜く。若しくは、包囲している敵の兵糧が尽きるのを待つ。
ここでは特に興味深いと感じた攻城戦について検証したいと思う。

小田原城攻防戦
上杉、武田の包囲戦から豊臣軍の攻城戦まで。なぜ秀吉は小田原城を開城できたのか?

戸石城の合戦
武田信玄が勝てなかった村上義清。だが戦略拠点として戸石城は重要であった。さてどう攻略したのか。

上田城攻防戦
天下に真田の武勇を知らしめた対徳川との攻防戦。第一次、第二次の攻城戦について。

小谷城攻防戦
武田信玄の死により、北近江、越前を本格的に侵攻した織田信長。朝倉義景まで討ち取ったこの戦いとは。

高天神城攻防戦
堅城といわれ、信玄も攻めあぐねた高天神城は武田、徳川にとって重要拠点だった。

戦国マップ

大名の領国を形成した"領と郡"
グーグルアースを利用。一族衆、譜代衆等が統治した領域。甲斐、相模、武蔵、信濃、遠江、上野の地図。

有名どころの合戦は現在のどの辺りであったのか?
三方ヶ原合戦マップ1572年
現在地:静岡県浜松市三方原
手取川の合戦マップ1577年
現在地:石川県白山市湊町

動画で見るお城、古戦場

現在、お城や古戦場はどうなっているのか?動画で紹介。

山城を攻める前に

動画で見るお城、古戦場』にて、安土城観音寺城小谷城という山城を1日で攻めて(単に見学・・・・)きましたが、想像以上にハードで、特に足がしんどいです。
なので、山城へ行く場合は歩きやすい靴で行かれることを奨めます。

amazon↓
山城を攻める為の靴

ついでに、キンキンに冷えたお茶も忘れずに持っていきましょう・・・。
山城に入ってしまうと自販機はないので。


3D布陣図

戦国時代の合戦布陣図を3Dジオラマでデジタル再現。多少アバウトなところはご容赦下さいm(__)m


なぜお城ってあまり残ってないの?

城割・破城について
戦国時代にはいたるところにお城や砦があったのに、なぜほとんど跡形もなくなっているのか。

その他合戦

悪口合戦~武田信玄VS織田信長
いつの時代も戦争には大義名分が必要のようで、三方ヶ原の合戦の後、武田信玄は織田信長の悪口をいって、信長も負けじと応戦した。


川中島の戦い-第5回

2011-05-26 10:12:35 | 江戸時代

川中島の戦い-第5回

武田信玄VS上杉謙信

第5回 塩崎の対陣

永禄7年(1564)、謙信は5度目の出陣を前に、6月24日、春日山城内の弥彦神社に「武田晴信悪行の事」と題する願文を納めた。信玄がまたしても山県昌景に飛騨を侵略させたのである。飛騨の三木氏の以来を受けて、謙信は8月10日に川中島に出陣した。信玄もこれに応じて、塩崎に軍を進めた。両軍の対陣は67日間続いたが、すでに北信の大部分を制圧していた信玄は、謙信と戦おうとせず、謙信は関東の形成が気になるので10月1日帰国した。『川中島五箇度合戦の次第』に「信玄は謙信の勇才を憚り、謙信は信玄の智謀を恐れ、互いに大事と思慮をめぐらし云々」と記してある。

結末
12年間5度にわたる戦いはどちらの勝利だったのか。八幡原に先制攻撃を仕掛け多くの将を討ち取った謙信か、上杉軍をそのあと追い詰め敗走させた信玄か。豊臣秀吉は、「前半戦(午前9時)までは謙信の勝ち、後半戦は信玄の勝ち」という判定を下している。通説でも勝負なしの引き分けと見る向きが多い。川中島の戦いは5度とも、信玄の侵略がきっかけで起こっている。謙信はいずれも危機に立った武将からの依頼で出兵している。村上義清や小笠原長時らが旧領を回復したいという希望は、謙信にとっても越後の安泰のため重要なことだった。結局、川中島は信玄のものとなったが、多くの武将をうしなった信玄にとって苦い戦いであった。両者が長年にわたって無駄な戦をしている間に、織田信長は着実に天下取りへの基礎を固めていったのである。

両雄のその後
武田信玄は、上洛のため大軍をおこして西進したが天正元年(1573)、肺結核のため帰国。信濃の駒場で53歳の生涯をとじた。
上杉謙信は、天正6年(1578)、関東出兵のため領国中に
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大動員令を発し、軍勢の結集を開始したとき、脳卒中で倒れ、49歳でこの世を去った。
「戦国武将列伝」大名・武将を紹介しています。




posted by 合戦野郎 at 18:21| 川中島の戦い| このブログの読者になる| 更新情報をチェックする

2007年03月20日

川中島の戦い-第4回

武田信玄VS上杉謙信

第4回 八幡原の戦い

武田軍・・・「本隊」・武田信玄(41歳)、武田信繁(戦死)、武田義信、穴山信君、山県昌景、内藤昌豊、諸角昌清(戦死)、原昌胤、山本勘助(戦死) 「妻女山攻撃隊」・高坂昌信、馬場信房、飯富虎昌、小山田信茂、真田幸隆 総勢2万人

上杉軍・・・「本隊」・上杉謙信(32歳)、長尾藤景、直江実綱、柿崎景家、北条長国、甘粕近江、本庄繁長、色部長実、新発田長敦、荒川伊豆守(戦死) 「信濃衆」・村上義清、高梨政頼 総勢1万3千人


謙信は死中に活を求め妻女山に布陣
永禄4年(1561)8月14日、謙信は1万3千人の軍勢を動員して、春日山城を発ち、8月16日妻女山に陣を構えた。謙信はこれまで3度信玄と戦ったが勝ちらしいものは得ていない。そこで今度こそ決着をつけようと妻女山に布陣した。信玄はこれに先立つこと1年、永禄3年に川中島を一望できるところに海津城を築いて、高坂昌信を城将にたてていた。謙信が陣を敷いた妻女山は、海津城のわずか南にあった。自ら死地に入ったのである。死地に自らを投じれば、必ず信玄が仕掛けてくると読んだ。そこで雌雄を決するという思い切った作戦に出たのである。一方、信玄は高坂昌信からの知らせにより、8月18日、2万の兵を従えて、甲府を後にし、21日塩崎についた。24日茶臼山を経て、29日海津城に入城した。海津城は越後に近く、妻女山は甲斐に近い。ともに退路を切断する形となった。相手を倒さない限り自分の領地には帰れない。それから、対陣は10日間続いた。上杉軍は兵糧が乏しくなり、兵の士気は次第に衰えてきたが、謙信は悠然として琴を楽しんでいた。

謙信は敵の策を読み密かに下山
海津城に入った信玄は、9日間まったく動こうとせず、両者とも智謀の限りをつくし、肚のさぐり合いをしていた。信玄は軍議を開いて、軍師山本勘助が提案した啄木鳥(きつつき)作戦をとった。軍勢を二手に分け、一方が妻女山に夜討ちをかける。そうすれば謙信は必ず下山して川中島に向かうに違いない。そこをもう一方の本隊が迎え撃ち謙信を討ち取ろうという戦略である。妻女山を襲う攻撃隊は、高坂昌信、馬場信房、飯富虎昌等に従う、約1万2千。川中島で迎え撃つ本隊は、信玄をはじめ、弟の信繁、山本勘助等、約8千。川中島は「霧の名所」といわれるほど霧の発生が多い場所である。両者ともこれを利用しない手はない。9月9日霧が立った。ついに信玄が動いた。啄木鳥作戦を実行に移して夜明けを待った。しかし謙信はこの作戦を察知しており、9日深夜、夜襲隊が到着するはるか以前に、妻女山を下り、千曲川をわたり、10日午前5時ごろ八幡原に布陣していた。妻女山には武田軍を欺くため兵をわずかに残し、紙の旗をたて、かがり火をたいて、あたかも上杉軍が山頂にいるかのように見せかけた。信玄はこの戦略が見破れなかった。10日午前6時朝霧が晴れようとする頃、謙信の軍旗が見え、馬蹄の音が聞こえた。

裏をかかれた武田方の反撃
信玄は驚きあわてたが、上杉方が「車懸り(くるまがかり)の陣」を敷いたと判断すると、「鶴翼の陣」でこれに対した。しかし、上杉勢が1万以上を擁したのに対し、武田勢は1万2千が妻女山に向かっているため、8千の軍勢で分が悪い。しかも不意を突かれている。まず、信玄の弟信繁が討ち死にし、諸角昌清が討たれ、軍師山本勘助までもが壮絶な戦死をした。この間に謙信が信玄に切りつけ、信玄は軍配で受け止めたとの言い伝えがある。夜襲隊はどうしたか。行ってみたら妻女山はもぬけのから、見事に裏をかかれてしまった。しかし、初めのうちは、上杉勢が武田本陣まで攻め込み優勢だったが、奇襲隊が引き返したあと形勢は逆転した。今度は上杉方が押しまくられ、甘粕近江をしんがりにして善光寺まで引き上げた。信玄は追撃せず、八幡原の戦いは終わった。武田軍の戦死者は4,630人、負傷者は7,500人。上杉軍の戦死者は3,470人、負傷者9,400人であったといわれる。
「戦国武将列伝」大名・武将を紹介しています。



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2007年03月19日

川中島の戦い-第3回

武田信玄VS上杉謙信

第3回 上野原の戦い

せっかく和を結んだが、謙信の家臣であった大熊政秀が武田信玄の策略にあい武田方に寝返ったため、破れてしまった。謙信がこの宿敵を佞臣とか逆賊などと罵倒し、弘治3年(1557)信州更科郡の更埴八幡宮への願文に「武田晴信という佞臣が信州に乱入し、理由もなく万民を苦しめることは、神を恐れぬ蛮行である。晴信に恨みはないが、断じて許すことはできない。一団扇をもって信州に平和を取り戻し、天下に家名を興したい。」と訴えている。信玄は政秀を使って越中から越後を攻めさせようとしたが失敗。しかし謙信方の葛山城を奪取した。これに怒った謙信が信濃に出兵し、上野原で激突したが、両軍とも戦果をあげることができなかった。



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2007年03月18日

川中島の戦い-第2回

武田信玄VS上杉謙信

第2回 犀川の戦い

天文23年(1554)、武田、北条、今川の三国同盟が締結され、信玄は北信攻略に全力を傾け始めた。翌年弘治元年(1555)謙信は信濃に入って、善光寺の城山を根拠地とした。そのころ善光寺の別当栗田氏には、大御堂主の里栗田氏と、小御堂主の山栗田氏の両氏があって、里家は上杉方、山家は武田方に属していた。山栗田氏の栗田寛明は旭山城で上杉方と対した。信玄は旭山城に3千人の兵を投入し、自ら犀川の南岸に陣取って謙信と対峙した。勝つか負けるかを覚悟し、短期決戦に持ち込みたい謙信に対して、信玄は悠々として持久戦に持ち込んだ。対陣が3ヶ月になろうとしたとき、上杉の軍勢は長期の布陣にあせりはじめた。謙信は10月に軍規粛正のため家臣に5箇条の誓約書を書かせた。ついに両軍とも疲れ果て、信玄は今川義元に調停を頼んで10月15日和睦し終わった。この3ヶ月の間に両軍は7月19日に小競り合いをした他は対陣したままだった。

この合戦の翌年3月、謙信は高野山へ引退すると言い出し、家臣は驚いて諫め、謙信も思い直した。結果的にはこの引退騒ぎが上杉家の家臣たちに一致団結をうながすこととなった。この引退劇は謙信の演出ではないか、との見方もある。引退を思いとどまる条件として、家臣に連盟で忠誠を誓わせ、人質を春日山城に差し出すことを要求しているからである。


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2007年03月17日

川中島の戦い-第1回

武田信玄VS上杉謙信

発端

武田信玄の信濃攻めによって、領地を失った村上義清、小笠原長時、高梨政頼の武将たちは越後の上杉謙信を頼った。義侠心の厚い越後の謙信は、時をおかず信濃に出陣。天文22年(1552)のことである。謙信に出陣を決意させたのは、義侠心だけではなく、信玄に完全に信濃を統一されれば、越後と国境を接するため、謙信にとっては人事ではなかったのである。これが12年間5度に及ぶ川中島の戦いの幕開けである。


第1回 布施の戦い

天文22年4月、上杉謙信は村上義清を救援するため姨捨山北麓に姿をあらわした。塩田城にこもる村上勢を攻めていた信玄は、このため兵を引かざるをえなかった。謙信としては武田軍の北上をとどめて、村上勢を助けるばかりでなく、自ら信玄の圧迫を避けるためのけん制であった。同年8月、武田軍は1万の兵で塩田城を落とし、川中島方面へ向かうのを知った謙信は、8千の兵をもってこれに対し、八幡で衝突した。しかし、信玄は塩田城から出ず、謙信も深追いせず、9月20日越後春日山城に帰った。第1回めは両軍とも相手をうかがうだけに終わった

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2011-05-25 14:41:42 | 江戸時代

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*** 戦国【今日の出来事】***
【丹後一色家で同族争い】1517年5月25日
丹後守護一色義清が一族の九郎と戦い、幕府は朽木稙綱に義清を援助させる。

【大内義隆が失意の帰陣】1543年5月25日
尼子晴久の月山富田城攻めに出た大内義隆が敗れ、意気消沈して山口に帰陣する。

【細川晴元、細川氏綱を破る】1545年5月25日
細川晴元が細川氏綱と京都宇治に戦い、これを破る。

【毛利氏、一揆を誅殺】1573年5月25日
毛利輝元の将桂元将が備中神代舞尾で一揆と戦い、これを誅殺する。

【謙信、武田方属城を攻略】1574年5月25日
上杉謙信が西上野の武田方属城を攻略、由良成繁・国繁と戦う。

【織田勢が播磨丹生山砦を破壊/美作で法華宗徒暴れる】1579年5月25日
織田勢が播磨丹生山砦を破壊、淡河城主淡河定範は城を捨てて三木城に逃げ込む。また法華宗徒二百余人が美作久米郡誕生寺に乱入、堂宇を破壊する。

【秀吉、池田信輝父子を移封】1583年5月25日
羽柴秀吉が池田信輝を大坂より美濃大垣へ、その子元助を伊丹より岐阜へ、輝政を尼崎より美濃池尻へ移す。

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