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笑い話千夜一夜

2011-08-08 21:54:35 | 日記
100個以上のネタでくすっと笑かします!オリジナルの面白い話・笑える話がいっぱいありますよ!ちょっと寄って、笑ってって
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ある日、地下鉄に乗ってると、

向こうの車両から車掌さんが全速力で走ってくる。

そして真剣な顔をしながら、そのまま次の車両へ猛突進。

なんだろう?なんかハプニングでもあったのかな、

と思いながら座っていると

電車がホームに入り、止まる寸前に

早口の車内アナウンスが・・・

「ハァ、ハァ、次は○○―、ハァハァ、○○でございます!」

言い終えると同時に、電車の扉が開いた。

どうやら、止まる前にどうしても言いたかったらしい。

いや、いくら早口でも、もう意味ないから!!

鉄道マンの意地!?なのかな?
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小学生の時、学校で友達と喋っていると、

「お前、鼻毛でてるぞ!」

「クサイ所おると鼻毛伸びるらしいぞ、お前の部屋くさいんやろ。」

と言われた。

あんまり失礼なこと言うので、

そいつとは、その日ちょっと喧嘩に。


その夜、テレビを見ていると、

くさや作りの紹介をしていた。

ふと、くさや作りの説明をしてるオジさんの顔を見ると、

両方の鼻の穴から、鼻毛がどっさり出ていた。

僕はあわてて、部屋の空気を入れ替えようと、窓を全部開けた。
あるスーパーマーケットでのこと。

買物をする時、何十個も吟味するのに、

結局一個しか買わないおばあちゃんがいた。

その、あんまり真剣に吟味するしぐさが愛らしいので、

僕ら店員は密かに「吟味さん」と呼んでいた。

そしてみんなで、

「可愛いおばあちゃんやねえ。」

などと言いあっていた。

ある日、そのスーパーで万引犯が捕まった。

なんと吟味さんだった。

毎回、買うものじゃなく、取るものを吟味していたらしい。

そして僕らは、おばあちゃんが万引するところを、

暖かく見守る・・・おバカ店員だった。


読んでいただきまして、ありがとうございました。
今日は女同士語り合おうと、

友達の家に遊びに行ったら、

友達が手料理で迎えてくれた。

その料理の中に、トマトのサラダがあった。

「わたし、一番好きな食べ物、トマトやねん。嬉しいわぁ。」

と言うと、

「そうなんや。じゃ、どんどん食べてや。」

と、優しい。

「ありがとう、やっぱり、トマトおいしいわぁ。一番好きや。」

と私は上機嫌。

最後に一番好きなものを置いておくタイプの私は、

トマトを一つ大事にスタンバイさせていた。

さて、そろそろお楽しみを・・・と思ったが、遠慮して

「食べていいの?」

と、一応聞いてみた。、

すると、突然友達がぱくっとトマトを食べてしまった。

えっ!!

どうも彼女には「食べていいよ。」

と聞こえたらしい。

さっきまであんなに優しかった友達が、

今は悪魔に見える。

でも、ここで駄々こねるのもかっこ悪いし・・・。

誰のせいでもない怒りが、ふつふつと湧き上がってきたが、

私は一旦持った箸をそっと下ろして、

心で叫ぶしかなかった。

私はトマトが好きなんだあ!!


読んでいただきまして、ありがとうございました。
これは、関西ならではの話。

関東の友達と車で高速に乗っていると、

料金所が近づいてきた。

料金所で、

「気いつけて行きや。」

「ありがとう。」

とやりとりして、車を走らせていた。

すると、関東の友達は真面目な顔で、

「え?今の料金所の人、友達なの?」

と、聞いてきた。

「えっ!?友達?なんで?」

と、まったく話がかみ合わなかった。


関西人って奴は、やっぱりなれなれしいのですかねえ。


読んでいただきまして、ありがとうございました

カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説 作者:春野一人

2011-07-24 22:49:11 | 戦国時代考証

 カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

47 書記に書かれた、継体王の婚儀
 継体王は大伴金村大連《おおとものかなむらおおむらじ》を大連とし許勢男人大臣《こせのおひとおおみ》を大臣とし物部麁鹿火(もののべのあらかい)大連を大連とし、すべて元のとおりとした。
 十日に大伴の金村大連が王に奏上する。「臣が聞きますには、代々の帝《みかど》が世を穏やかに治めるには皇太子、後宮の事が定まっていなければならないといいます。清寧《せいねい》王(白髪の王)は世継ぎがいませんでした。それで私の祖父、大伴の大連室屋(むろや)は王の名を残すために郡《くに》ごとに三種の白髪部《しらかべ》(雑役、食僐、警備の三種の仕事をする白髪名を冠した部門)を置きました。これは痛ましいことでありました。ご了承して頂きたいのは手白香皇女《てしらかひめみこ》を后《きさき》として立てるために使者を遣わしていただき、民意にそうと言うことです」
 王はおっしゃられた。「使者を立てることを許す」と。

 三月一日 継体王は詔《みことのり》(王の命令を伝える文書)を発した。「天の神、地の神を祭るには神主が居なくてはならず、天下を治めるには君主がいなくてはならない。天は人民、田畑の財を守らせるために王を持ってなし、それを助け養うことを司《つかどら》した。大連は子のない事を憂えて、私の代ばかりではなく代々誠心誠意国の為につくした。礼をつくして手白香皇女をお迎えに行きなさい」と。

 三月五日 継体王は皇后に手白香皇女を立てた。婚儀を行った。

カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

2011-07-24 22:46:15 | 戦国ロマン

  カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

46 漢書からまる写しの継体帝即位
 継体元年(507年)二月四日 又、大伴の金村大連達がやって来た。そして跪《ひざまづ》いて天子の印である鏡と剣をさし上げて位を受けることを懇願した。オオドノ君は詫びて言った。
「民を子として国を治めることは、重い事だ。自分には才がないから王として立てるに十分ではない。お願いであるから考慮して、もっと賢い人を選んでください。私は王にはなりません」と言う。大伴の大連は土に額をくっつけて「あなた様こそは王にふさわしい方です。是非ともおなり下さい」と言う。オオドの君は西の臣に向かって譲ること三回、南の臣に向かって譲る事三回であった。
 大連等は口々に説得する。「臣達が専心して政治にあたれば大王になられても民を子として国を治める事がかなうでありましょう。臣等が国家のために審議することをゆるがせにすることは決してありません。どうか皆の願いを入れる幸をお与え下さい」
 オオドの君は言う「大臣《おおみ》・大連《おおむらじ》・将相《まえつきみ》・諸臣《もろもろのおみ》全てがこの到らぬ私を推している。私はもはや違わず受け入れよう」
 オオドの君は王が持つべき印(銅鏡、刀)を受け取った。つまり、この日オオドノ君は大王となられたのだ。

 ここまで書いてきた、日本書記による継体王の即位の事情であるが、この章に入ってからの記事は「漢書」文帝紀の文章を多少潤色してそっくり用いている。(岩波文庫。坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋、校注 日本書紀 記載。興味のある方は漢書原文が文庫巻末に記載されているので読んでいただきたい。ここでは余りにも難解になるので書きません)という。つまり、この記事全体がフィクションである可能性大である。ここにも日本書紀の編者の謎かけが示されている。つまり(これは嘘だよという、メッセージである)
 つまり筆者は、継体帝の即位のまつわる書記の記事に(信じなくてもいいよ)というメッセージを聴く
のである。
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46 漢書からまる写しの継体帝即位
 継体元年(507年)二月四日 又、大伴の金村大連達がやって来た。そして跪《ひざまづ》いて天子の印である鏡と剣をさし上げて位を受けることを懇願した。オオドノ君は詫びて言った。
「民を子として国を治めることは、重い事だ。自分には才がないから王として立てるに十分ではない。お願いであるから考慮して、もっと賢い人を選んでください。私は王にはなりません」と言う。大伴の大連は土に額をくっつけて「あなた様こそは王にふさわしい方です。是非ともおなり下さい」と言う。オオドの君は西の臣に向かって譲ること三回、南の臣に向かって譲る事三回であった。
 大連等は口々に説得する。「臣達が専心して政治にあたれば大王になられても民を子として国を治める事がかなうでありましょう。臣等が国家のために審議することをゆるがせにすることは決してありません。どうか皆の願いを入れる幸をお与え下さい」
 オオドの君は言う「大臣《おおみ》・大連《おおむらじ》・将相《まえつきみ》・諸臣《もろもろのおみ》全てがこの到らぬ私を推している。私はもはや違わず受け入れよう」
 オオドの君は王が持つべき印(銅鏡、刀)を受け取った。つまり、この日オオドノ君は大王となられたのだ。

 ここまで書いてきた、日本書記による継体王の即位の事情であるが、この章に入ってからの記事は「漢書」文帝紀の文章を多少潤色してそっくり用いている。(岩波文庫。坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋、校注 日本書紀 記載。興味のある方は漢書原文が文庫巻末に記載されているので読んでいただきたい。ここでは余りにも難解になるので書きません)という。つまり、この記事全体がフィクションである可能性大である。ここにも日本書紀の編者の謎かけが示されている。つまり(これは嘘だよという、メッセージである)
 つまり筆者は、継体帝の即位のまつわる書記の記事に(信じなくてもいいよ)というメッセージを聴く
のである。
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カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

2011-07-24 22:43:35 | 個性派武将得意戦法

 カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

45 継体王の即位
 のちに、 大和の男大迹《おおど》の君は王位を受ける時になって、荒籠に十分な施しを与えたという。
 この継体という名は七世紀半ばつけられたもので、生存中はオオド王と呼ばれていた。筆者がここで継体天皇を継体王と書くのは日本書紀の罠にはまらないためである、本来は日本書紀の叙述によらないでオオド王と書くべきであるがそれでは、この名前が歴史上の誰をさすのか判らなくなる。讃、珍、済、興、武のごとく。しかしまあ、それは別として朝廷がつけた継体天皇という、あからさまである名前の異常さに驚く。あたかも推理小説中の不明の殺人犯人の名前に、菖蒲成男《あやめなすお》と名付けるなどは考えられない。それに似たことを日本書紀はやっていると考えられまいか。この天皇は前代と断絶している人ですよと知らせているのだ。万世一系を強調しているのに、それに逆らう名前をつけている。日本書紀の史官は歴史を隠蔽しているが、真実をかなり濃厚に残そうとしている。それが日本書紀のおもしろさで、惚れ込める美点でもあるのだが、この命名はひどく可笑しいと思う。本来隠すべき事があからさまではないか。せめて古事記ぐらいの描写で良いのに、書紀は重箱の隅を突っつくように、事情を面白可笑しくぶちまけてしまう。中国には王の気に入らない史書の叙述をして、惨殺された史官がいたと言う。まさに史官が殺されかねない叙述を書記は露悪的に描いてみせる。本当に不思議でならない。
 さらに言えば、あまりと言えばあまりな武烈帝の暴れぶりはまるで漫画であり、ここまで書くと(ははん、継体帝が従来の王家の血筋でないことを隠そうとしているな)と誰にも推理できてしまう。史官は
真実を現したくて馬鹿な表現者を演じているのだ。

 継体王元年(507年)一月十二日、王は樟葉宮《くすはのみや》(河内の国、葛葉郷。今の大阪府牧方市楠葉)に移られた。
 二月四日 再びやって来た、大伴金村大連はひざまずいて天子の鏡、剣をさし上げて王を拝んだ。王は詫びて言った。

カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説 作者:春野一人

2011-07-22 03:04:24 | 足軽の階級

 カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説作者:春野一人

44 501年 倭国生まれの百済王即位
 百済の武寧王は筑紫で生まれた王であると、日本書紀は501年の記に失われた百済の史書、「百済新撰」から引いてきて書いている。(読者の方には申し訳ないが、42章に加筆したので読んでいただきたい)このことは三国史記には何も触れられていない。やはり三国史記は「倭」についての記事を避けているように見える。
 武寧王は、書紀で読みとれる限りでは、501年に百済の王となるのだが、その時には武寧王は成人していたようである。産まれたのが九州であったと云うからには母も夫と一緒にいたと云うことを示している。武寧王の母が百済の人なのかそれとも倭人であったかは読み取れない。考えるに、父である王子が倭に来ているという事はおそらく父は人質として来ているのだと思われるから母は倭人であったかもしれない。倭国王は、この時、磐井の父だったであろう。若い磐井は伽耶に倭国全権大使のような立場で館を構えていたと推測できる
 497年~500年 勃興新羅は高句麗と倭、伽耶から絶え間ない攻撃を受けていたようである。
 501年 百済に倭国生まれ(おそらく倭国育ちだろう、百済新撰から日本書紀が引いてきた文章からは、そのことは判別できない)の王、武寧王が即位した。王の母が、倭国王女であることも考えられる。
 ここにおいて高句麗、新羅にとって百済は倭国そのものではあるまいか。武寧王は磐井の姉か妹の子供でありうる。磐井の甥が武寧王という可能性は非常に高い。
 その武寧王が百済に戻ってきた(おそらくそれまで倭国に人質に取られていただろう。人質というと捕らわれ人のようであるが、丁重な待遇が保証されているのが当時の常識である。
 磐井は兄弟のように親しい武寧王が百済に戻って来たので、その喜びは非常に大きかった。