フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

非思量

2021年02月20日 07時00分00秒 | 社会・政治・思想哲学

非思量とは、禅の言葉で、何も考えないことを意味します。

禅僧が、坐禅を組んでいるときに、

坐禅に集中し、頭を空っぽにすることです。

僕の解釈では、これは平常心を保つための訓練だと思っています。

僕も、短い時間ですが、坐禅を組みます。

しかし、頭を空っぽにすることは本当に難しいです。

思考が、あちこち動いて、どんどん変な方向に流れていきます。

妄想は止められません。

すでに終わったことについて、怒ったり悲しんだりします。

しかし、最近はちょっとだけコントロールできるようになってきました。

そして日常生活でそれを活用しています。

まあ、仕事中に頭を空っぽにしてたら、

「なにボーっとしてるんだ」と怒られますので、そこまではしません。

そうではなくて、出来事について良い悪いの評価をしないようにしています。

評価すると感情的になります。

たとえば、運転してるとき、子供が飛び出してきたとしますね。

「くそ、何やってるんだ」と怒ります。

しかし、飛び出した子供の良し悪しを評価しても意味はありません。

大事なのは飛び出した事実です。

そして、感情と関係なく、ブレーキを踏むだけです。

怒っても意味はないですよね。

そうやって、次々に起こる出来事について、

評価せず感情をからめないようにする。

感情が湧き上がると、ダメダメとストップをかけます。

そうやって過ごすと、ぜんぜん疲れなくなりました。

仕事を終わってから、自分の時間を有効に使えるようになりました。

本当ですよ。負の感情は、脳を疲労させるだけです。

事実を事実として捉えて、評価しないこと。

試してくださいね。

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