高校時代の親友の娘が、日曜日にお台場に遊びに来ていた。帰りにお台場から東京駅まで送ってくれないかと頼まれたので、送ってやった。
この娘は昔からよく知っている。お母さんのお腹の中にいる時にディズニーランドを案内したのだけれど、その時からの付き合いである。その後、何回か家族で東京に遊びに来るたびに、私の狭いアパートに泊まったりして交流を深めた。私には子供はいないが、もし子供がいたらどんな感じなのかなぁと想像すると、思い浮かぶのがこの娘である。
早いもので、もう高校を卒業して働いているとのことだった。何年かぶりに会って、大きくなってびっくりした。レディと言うにはまだまだ程遠いが、それでも十分に大人で軽く扱うことはできないくらいになっていた。
ただ、たわいもない話をいろいろしていくうちに、基本的な部分は変わっていないなぁという印象を受けた。この「基本的な部分」とは何なのか自分で言っておいてよくわからないが、本質的な部分はいくつになっても変わらないということだろうか。三つ子の魂百までも、である。その辺の性格的な部分が見えてくると、昔のちっちゃい頃を思い出して、すごく可愛らしく感じてしまう。
自分が育てた子供でもないのに、すごく愛情を感じるのだから、お父さんはすごいだろうなぁと想像する。
愛情というのは不思議なものだ。うまく言葉にすることができない。いちいち言葉にしなくてもきちんと愛していれば分かるという考え方もあるだろう。私も半分はそう思っている。しかし、表現しなければ伝わらないこともある。だから、それを恥ずかしがらず、きちんと伝えることも時には必要なのだろう。