フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

オウエンのために祈りを ジョン・アーヴィング

2010年09月14日 08時06分35秒 | 読書・書籍

 ある人がどんな性格かは内面が見えない以上、その行動から判断するしかない。つまり、どのような行動をするかがその人の性格となる。もう少し正確に言うと、人は自由意志を有しているわけだが、どのような行動をとるかを選び取るその選び方がその人の性格といえそうである。ポイントは「自由に選び取ること」にある。人間の性格を論じるとき、前提となるのは自由である。自由に行動できなければ個性的な性格も生まれてこない。
 それに対して、人はある出来事に対して、宿命を感じることがある。宿命はある出来事がそうなるように予定されていたかのような感覚である。そのように言うと自由と宿命はまったく相容れないような気がしてくるが、それは違う。人がある行動を自由に選び取っているはずなのに、そうなるように予定されていたかのように感じるときのほうが、より深く宿命を感じるといえる。
 
 個人的に題名を聞いただけで思わず涙が出そうになる小説の一つに「オウエンのために祈りを」がある。宗教に興味のない人も、この小説を読んだら人生における宗教的側面について深く考えさせられることになると思う。キリスト教がベースになっていると思われるが、仏教徒が読んでも深く考えさせられる事には変わりがない。
 この小説は端的に言えば、主人公のオウエンの人生が描かれたものである。彼の自由な意志で選び取った人生なのだが、トータルとして眺めると、結果的に「宿命」という糸に操られているとしか思えない。それほど人生における何気ない出来事が繋がりをもって彼に大きな意味を与える。読後、人生の宿命について深く感動させられてしまう。ある種の宗教的体験ともいえるのかもしれない。
 オウエンの人生は、生まれた状態もあまり幸福とはいえないし、死に方もあまり幸福とはいえない。しかし、最高の人生だったなぁと素直に思える物語である。

 

 人生における物語の不思議さは、生き切ってみないと、結局、どういう人生だったのかうまくいえないところにある。また、ある苦しみが後に重要な出来事となって繋がってくる場合もある。何がどう繋がっていたかは終わってみないことにはわからない。人生を終えて、もう一度ビデオを再生するかのように見返してみると、ああ、あれとこれが繋がっていたんだと分かるが、その行為をしている瞬間にはそれがどのような意味を持っているのか知るすべはない。
 
 さしあたって、私たちにできることは、今この瞬間を一生懸命生き抜くことしかないのだろうと思う。どんな物語であろうとそれが私達の個性なのだから。

 

 

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