新潟には吉野家がなくて、食べたことも見たこともなかった。しかし、キン肉マンがよく牛丼の歌を歌っていて、東京には吉野家っていう牛丼屋があるということは知っていた。上京してはじめて牛丼を食べた。たしかにうまかった。吉野家の大ファンになった。それはもうランチといえば吉野家の牛丼だった。
十日くらい前に、久しぶりに牛丼を食べた。そのときにこれはもう駄目だなと思った。大盛480円を注文。しかし、昔の並盛程度の量で肉も相当少なく感じた。アレを食べるんだったら、マックのダブルクオーターパウンダーの方がいい。
個人的な意見だが、吉野家にいく人は、決して安さを求めているばかりじゃないと思う。お金のない学生だったり、貧乏なサラリーマンだった人は必ず吉野家のお世話になっている。そしてたまに吉野家の牛丼を食べたくなる。「ああそうだ、これだよなぁ。吉野家っていつ食ってもうまいなぁ」と確認したい部分もある。そのように懐かしさだったり変わらないものだったり、そういうものを求めている人も中にはいる。吉野家の牛丼って、決しておしゃれなものではなく、むしろそれ食っていると、ダメダメ感が漂ってくるような食べ物である。パチンコや競馬に負けたり、人生がうまくいってなかったりしてチクショーといいながら、心の涙を流しながら食っているというイメージだ。またそれがなんともいえなくいい。
吉野家は文化である。没落するのは哀しすぎる。ぜひとも、もう一度原点に戻って頑張ってもらいたいものである。