旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行11 高崎宿~板鼻宿~安中宿

2011-11-26 | 中山道紀行

「高崎宿」 11:15
 江戸時代に「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほど
賑やかだった田町を過ぎるて、中山道は左・右・左と鉤状に折れて高崎城下を後にする。

「信州街道分去れ」 12:10
 烏川を君が代橋で渡るところからR17と別れて信濃追分まではR18と寄り添うことになる。
渡河後の下豊岡は脇往還・信州街道との分去れで、道標には「右くさつみち」と記され、
まさに温泉リゾートへのゲートになっている。

 

「茶屋本陣・飯野家」 12:50
 若宮八幡宮を過ぎると上豊岡では茶屋本陣・飯野家が公開されている。
茶屋本陣とは、宿場と宿場の間にあって、大名や上級武士の休憩に用いた休憩施設。
書院造の上段の間や庭など見ることができる。

「板鼻宿」 13:50
 上豊岡からは4車線のR18としばらく重なり、4kmほど進んで板鼻から旧道に入る。
この辺では仲の良い男女の双体道祖神を多く見かけるようになる。
板鼻宿にはさしたる遺構はない。木島本陣跡は公民館となり、その敷地奥には、
皇女和宮が降嫁の際に宿泊した書院が資料館として保存されている。

 板鼻宿から安中宿の間は僅かに3.3kmしかない。理由は現地を歩くと容易に理解できる。
この間蛇行する碓氷川を二度渡り、どちらも「徒歩渡し」かなりの難所だったようだ。
増水で川止めになるとかなりの旅人が逗留するため、旅籠など宿泊施設が必要になる。
なぜ二度渡すのか、安中城の防衛のため、それとも安中藩の経済政策のためだろうか。

「安中宿」 15:20
 安中宿は碓氷川とそれに合流する九十九川に挟まれた台地上に在る。
最も高いところに安中城址、その南側を東西に街道が伸び宿場が置かれている。

 

安中宿に遺構は殆どないが、郡奉行役宅と武家長屋が復元され、往時を想像させる。
高崎宿から板鼻宿を経て安中宿までは10.5km。上州の空っ風の中約4時間の行程となった。



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