思考の踏み込み

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謙信2

2013-11-25 08:49:35 | 
だが今ひとつ、納得できないものがある。何故だろうか?

とにかく謙信は全てにおいて完璧である。"戦が強い"といっても、ただ強いのではなく、神懸かり的に強いのである。

それは長篠で武田軍を壊滅させた、織田の鉄砲軍団を武装の上では明らかに劣る槍と馬で一蹴、圧倒していることでも明らかである。

そして小説の主人公でもこうはいかないというほどに義に厚く、助けを求められれば快諾し、敵に塩を送るという言葉の元になるほど正々堂々と戦い、正義を貫く。

その上酒豪で詩も一級、とくれば、三流小説家でもここまでのヒーローは生み出せないだろう。

謙信に感じる一点の不快感というか、どこか消化しきれない感覚はこの全て出来すぎているというところにあるのかもしれない。

実際、謙信を描いた映画や小説、絵画の類は極めて多いがやはりどこか締まらない。
描ききれていない、というよりむしろ描き過ぎなのであろう。

まるで寿司の上に、デミグラスソースをかけ、そのうえからトリュフを散らすようなものだ。

数少ない成功例は頼山陽が漢詩で描いた "不識庵 機山を撃つの図に題す" だろうか。

"鞭聲粛々夜河を過る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年一剣を磨き
流星光底長蛇を逸すー "


他にはあまり思い浮かばない。
あるいは芭蕉なら…芭蕉ならば謙信の鋭く澄んだ美しさを描ききれたのではないかと思ったりもする。
(残念ながら芭蕉における"兵ーツワモノ"とは全て源平時代の武将である)

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