ところで虹という漢字がなぜ虫篇なのか考えたことがお有りだろうか?
漢字を作ったいにしえの人々にとっては「蟲」とは "蠢く生き物" 全てを指すものだった。
つまり動物全般が蟲だったのである。
なんと「蟲師」の世界観に近いことだろうか。
むしろ昆虫の類を「虫」と分類していたようだが、ともかくも "虹" はそれら蠢く蟲たちのなかでも、"龍" を表しているという。
"工" は貫くという意であり、従って「虹」は蟲 (龍もしくは蛇) が天を貫くという意味を持つ。
ちなみに雄の竜が "虹"、雌の竜を "蜺 (ゲイ)" という。特に色の淡い虹を指して雌と見たようだ。
音に関しての "ムシ" は明確な日本語だが、この由来ははっきりしない。
六 (ム) 足 (シ) という説は弱い。いろいろ調べてもよくわからないが、個人的な想像をいうと、いわゆる "苔のムスまでー " のムスが転じたコトバと思われる。
それは生 (ム) す、蒸す、むしむしする、などのイメージを内包し、多湿な地帯が生命の宝庫である様に、湧き上がるような、命の生成の盛んなことを表す音である。
さらにその奥には "結ぶ" があって生命の本質というか仕組みが、男女や陰陽の結びや霊肉の結びとかいったところにあるという哲学的な問題まで遡る可能性がある。日本語の奥深さと面白さはこういう例からもよくわかる。
「蟲師」の世界観における "蟲" の印象は漢字のそれよりもやはりこうした日本語における "ムシ" の由来から派生しているように思う。
ついでにいえば西洋人は霊的盲人と言われたりするのはこの "ムス" によって理解できる。要するに湿度の問題であるが、乾燥した西洋圏からみればアジアは多湿であり、生命の宝庫であり、純粋な地球環境という意味からみれば圧倒的に豊かな土地である。
例えば "気" という概念が彼らに存在しないように、あるいはまた彼らの神々が我々アジア人からみるとどうにも人工的な虚構に見えてしまうことも、こうした観点からみていくと少し見えてくる。
地理的豊かさに欠けた地域において暮らしを良くする為に、近代文明が興ったということはこの意味で自然なことだし、彼らがその後世界で支配的な影響を及ぼした事も歴史的段階としては必然性がある。
だが、これ以上その段階が続く事は危険性を孕んでいる。
なぜなら彼らの考え方の根底には以上の経緯からも "自然は征服するモノ" という思想が横たわるからで…
…いや、どうも脱線してそのまま止まらなくなりそうなのでこの辺でやめよう。
ともかくも、果たして作者は上記の虹蛇の由来をどこまでイメージしてこの虹の一話を書いたかどうかは知らない。
巻末の作者あとがきはその辺りをまるではぐらかすかの様なのん気な内容で、とても本編における鋭い表現とは趣を異にしているが、面白いのでご紹介。
"周りには絶不評だった虹郎だが、私は描いている当時大変好きでした。が、見返してみると何でこんな奴を…?という。何。これは。恋?"
漢字を作ったいにしえの人々にとっては「蟲」とは "蠢く生き物" 全てを指すものだった。
つまり動物全般が蟲だったのである。
なんと「蟲師」の世界観に近いことだろうか。
むしろ昆虫の類を「虫」と分類していたようだが、ともかくも "虹" はそれら蠢く蟲たちのなかでも、"龍" を表しているという。
"工" は貫くという意であり、従って「虹」は蟲 (龍もしくは蛇) が天を貫くという意味を持つ。
ちなみに雄の竜が "虹"、雌の竜を "蜺 (ゲイ)" という。特に色の淡い虹を指して雌と見たようだ。
音に関しての "ムシ" は明確な日本語だが、この由来ははっきりしない。
六 (ム) 足 (シ) という説は弱い。いろいろ調べてもよくわからないが、個人的な想像をいうと、いわゆる "苔のムスまでー " のムスが転じたコトバと思われる。
それは生 (ム) す、蒸す、むしむしする、などのイメージを内包し、多湿な地帯が生命の宝庫である様に、湧き上がるような、命の生成の盛んなことを表す音である。
さらにその奥には "結ぶ" があって生命の本質というか仕組みが、男女や陰陽の結びや霊肉の結びとかいったところにあるという哲学的な問題まで遡る可能性がある。日本語の奥深さと面白さはこういう例からもよくわかる。
「蟲師」の世界観における "蟲" の印象は漢字のそれよりもやはりこうした日本語における "ムシ" の由来から派生しているように思う。
ついでにいえば西洋人は霊的盲人と言われたりするのはこの "ムス" によって理解できる。要するに湿度の問題であるが、乾燥した西洋圏からみればアジアは多湿であり、生命の宝庫であり、純粋な地球環境という意味からみれば圧倒的に豊かな土地である。
例えば "気" という概念が彼らに存在しないように、あるいはまた彼らの神々が我々アジア人からみるとどうにも人工的な虚構に見えてしまうことも、こうした観点からみていくと少し見えてくる。
地理的豊かさに欠けた地域において暮らしを良くする為に、近代文明が興ったということはこの意味で自然なことだし、彼らがその後世界で支配的な影響を及ぼした事も歴史的段階としては必然性がある。
だが、これ以上その段階が続く事は危険性を孕んでいる。
なぜなら彼らの考え方の根底には以上の経緯からも "自然は征服するモノ" という思想が横たわるからで…
…いや、どうも脱線してそのまま止まらなくなりそうなのでこの辺でやめよう。
ともかくも、果たして作者は上記の虹蛇の由来をどこまでイメージしてこの虹の一話を書いたかどうかは知らない。
巻末の作者あとがきはその辺りをまるではぐらかすかの様なのん気な内容で、とても本編における鋭い表現とは趣を異にしているが、面白いのでご紹介。
"周りには絶不評だった虹郎だが、私は描いている当時大変好きでした。が、見返してみると何でこんな奴を…?という。何。これは。恋?"
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