思考の踏み込み

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前田智徳35

2014-08-31 01:00:31 | 
人体もまた同じである。
ただほったらかしで、そのシステムにだけ身を委ねていれば分散の支配下で老いと病と死に怯えて暮らすしかない。

だが、凝縮力を高める手段を講じればその不安を取り除く事が可能になる。
その為の具体的な身体技法はいろいろあるが、そこまではここで触れるつもりはない。

だがその内容は全て、"集中" する事である事に変わりはない。
その時、ポイントとなるのは他の一点を設けることだけである。


勘の良い方はすでにお気付きだろう。


前田智徳にとって他の一点とは、投手の放る白球である。



これを最高のタイミングとポイントで理想的な角度で捉える。
その時、自己の身体は高度に統合へと向かい、高い凝縮感が生まれる。


それは野球経験者ならなんとなく想像できる筈である。
バットの芯でボールを捉えたときの心地よい感覚はなんとも不思議なものである。

それは方向性の違う力と力が衝突し相殺し合うという様な質のものではない。明らかに二つの力の統合による別の力の発生であると思う。

即ち "凝縮力" である。





ー 人間の身体はそれを "快" と感じる様にできている。


この物質世界においては二元論は揺るがない真理であり、強力な支配力を持つが、そのもっと前の世界においては二元論は必ずしも真実ではない。


二元を統合し、一つのモノとする事は物質世界おける様々な矛盾を解決する唯一の方法であろう。



その為に芸術によって美に命を懸ける者もいれば、神という架空の一点を設けて信による統合を果たそうとする者もいる。

直接呼吸と瞑想によってそこへ向かう者もいるし、アスリート達が極限まで身体を鍛え抜くのもそれぞれの競技における統合の瞬間に全てをかける為である。


だがそれは、わずかにでもそういう感覚による喜びを経験した者でなければ、そこを目指すという事を普通知らないというのが厄介な部分ではある。

その意味で "付与された者" ー 天才達はその経験をしやすいという点で恵まれている。

その "快" を知っているから、彼らはまた尋常でない様な努力もできるし、己を普段から厳しく律していく事ができる。

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