IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

2週連続でチェコ映画に泣かされる

2005-08-15 13:59:50 | イラク関連
日本でお世話になっている御夫妻から電話があり、ニューヨークの空港で乗り継ぎの飛行機を待っている最中だったようだ。数ヶ月前に南米旅行を計画中だと聞いてはいたけど、「これからブラジルに行ってきます」という言葉を電話口で聞いていると、僕も無性に南米に行きたくなってきた。ブラジル・サッカーが好きで、今でも夜中にやっているサントスやサンパウロの試合をDVRに録画して見ているけど、やっぱり一度はブラジルで「フッチボール」とシェハスコを思う存分堪能したい。このワシントン周辺でブラジル・レストランがほとんど無いため、9月にボストンに行った時には久しぶりにミネス・ジェライス出身の大将がやってるレストランに顔を出そうかと思ってる。それから、去年と同じように、ワシントンに戻る直前にブラジル食材店でトリの心臓やソーセージを大量に買って帰るつもりだ。2週間後のボストン旅行、ドイツの友人達と何をしようかまだ決めかねているけれど、食べたい物だけは全部リストアップした。

食べる話ついでに、今日も身のまわりでビックリする事があった。いつも世話になっているスポーツバーで長い間バーテンをやってきたジョニーが、あと2週間で店をやめて、とうとう自分の店を構えるらしい。チップだけで年間に10万ドル以上稼ぐジョニーは、この辺ではまぁ名前の知れたバーテンなんだけど、僕がワシントンに来た時からよくしてくれてて、少し寂しい気もする。コートハウス駅近くの映画館周辺にあるレストランの1つが彼の経営するアメリカン・バーになるそうで、今から4ヶ月ほどかけてオープンの準備に入るんだとか。そのジョニーと昼過ぎに話をしてたら、土曜日の朝の出来事を話してくれた。土曜日朝、いつものようにスポーツバーではサッカーの試合が生中継され、ジョニーは朝から働いていたらしい。熱心なイングランド人ファンの近くには日本人のグループがいたらしく、日本人の集団がグラスゴー・セルティックの試合に一喜一憂する姿が面白かったんだとか。中村俊輔おそるべし。これからワシントンでも、土曜朝に早起きする日本人が増えるんだろう。

イラク駐留米軍兵士の使う防弾チョッキが武装勢力の使用する兵器から兵士の身を守れない事が判明し、ペンタゴンは以前から新型の防弾チョッキとの取替え作業をすすめているが、作業は予定通りに進行していない。米兵の多くが現在も使う防弾チョッキには、セラミック板が入れられているが、武装勢力側の使う弾薬がこれを軽く貫通してしまう事実が以前から問題となっていた。このため、より強固な新型防弾チョッキの駐留兵士への供給が決定されたが、ペンタゴン内の供給システムの度重なる遅れが原因で、取替え作業開始から1年以上が経過した今でも数万人の駐留兵士に新型防弾チョッキが届かない事態となっている。防弾チョッキの取替え作業は2004年5月から開始されているが、複数のペンタゴン高官がニューヨークタイムズ紙に語ったところによると、駐留兵士への新型防弾チョッキ供給作業の完了には、少なくともあと数ヶ月を要する見込みだ。

ニューヨークタイムズ紙の取材に答えた高官らは、安全上の理由から、どれだけの新型防弾チョッキがすでに供給され、あとどの位の数が残っているのかという問いには答えなかった。武装勢力の攻撃によって戦死する米兵の多くは走行中の車両を狙った仕掛け爆弾の犠牲になっているものの、銃撃で死亡した米兵も少なくとも325人が確認されており、ペンタゴンでは防弾チョッキの改善が以前から大きなテーマとなっていた。防弾チョッキの供給システムに大幅な遅れが出ている原因だが、新型防弾チョッキが複数の零細企業によって製造されており、そのために生産能力に限界が存在する事が挙げられている。ペンタゴン高官の話では、来月から新たに2社がイラク駐留米兵用防弾チョッキの生産に取り掛かる予定だ。今回の防弾チョッキの件だけに限らず、イラク駐留米兵から強い要望が続く軍用車両の装甲化もなかなか実施されていないのが実情で、これが仕掛け爆弾による攻撃の犠牲者を増やしているとの指摘もある。

防弾チョッキの必要性が語られ始めたのが2003年5月のことで、国内の武装勢力が駐留米兵に対してゲリラ活動を開始した際、現地の米軍部隊が供給されていたベストには防弾能力がほとんど無かった。やがて陸軍は前線に展開する兵士にセラミック製の板を与えることにしたが、複数のペンタゴン高官はニューヨークタイムズ紙の取材に、当時はペンタゴンがイラク武装勢力を過小評価し、前線以外の場所でゲリラ攻撃が起こるとは考えていなかったと認めている。新型防弾チョッキの重量は約8.2キロで、ペンタゴン内で長い間おこなわれた防弾チョッキの軽量化に関する議論も、結果的に供給システムに遅れが生じる原因となったようだ。

自転車レース「ツール・ド・フランス」で7回の優勝記録を持ち、ガンの病魔からも見事に生還を果たしたランス・アームストロングは14日、ABCテレビの報道番組に出演し、イラク戦争で使われる莫大な戦費をアメリカ人の多くが毎日直面している「ガン」という名の戦争にも使ってほしいと訴えた。アメリカ政府は1971年より国を挙げてのガン撲滅に取り組んできているが、アームストロングはアメリカの「ガン戦争」が現在では敗色濃厚だとも語っている。ABCの番組で司会のジョージ・ステファノポリスの質問に答えたアームストロングは、アメリカが戦争やテロリズム対策で莫大な金を使い続けていることは必要かもしれないと前置きしながらも、その一部をアメリカ人の多くがより懸念している事柄に使えれば望ましいと指摘している。

「ガン委員会」のメンバーとしてブッシュ大統領にアドバイスを送ったりもするアームストロングだが、14日のインタビューでは国立がん研究所やその他の政府系医療機関に対する予算が少ないと語り、ガン撲滅のためにはより多くの予算が必要になると主張した。「この数年間、医療機関などへの予算配分は厳しいものとなっています。ただ、ガンから生還した者の意見として言えば、政府はガンのような病気の研究にもっと予算を出すべきではないかと思います」、アームストロングはそう語っている。アームストロングは1996年に睾丸ガンと診断され、ガンはやがて脳と肺にも転移したが、その後のガン治療に成功している。国立ガン研究所の2005年度予算は48億ドルとなっており、研究所は2006年度予算のアップを求めていたが、来年度予算も48億ドル程度となる見込みだ。一方、2001年以降にイラクとアフガニスタンでの戦争で使われた軍事費はすでに約3000億ドルに達している。

ガンはアメリカ人の死因のトップに君臨しており、全米ガン協会の調査では、男性の約半分、そして女性の約3分の1が一生のうちに1回はガンと診断されている。現在33歳のアームストロングは1ヶ月前に7回目のツール・ド・フランス優勝を飾り、その直後に引退を発表した。14日の番組でこれからのプランについて聞かれると、自転車競技よりもガン撲滅に関わる仕事に集中していきたいと語っている。将来の政界入りについて聞かれると、「ストレスに耐えながら多くの時間を犠牲にした自転車競技を引退したのに、そのまま政治の道に進もうなんて考えたくも無いですね」とコメントし、より多くの時間を家族と一緒に過ごしたいとの希望を明かしている。

2週間つづけてチェコ映画を見た。別に今凄くチェコに興味があるとか、チェコ出身の下着モデルと知り合ったからという理由ではなく、今週たまたま見た映画がチェコ映画だったのだ。さすがにチェコ語は全く分からないので(でも、映画なんかで聞いていたら、発音がドイツ語に似ている気もする)、この映画の原題の意味は全く分からないけど、英語のタイトルは「ダーク・ブルーワールド」という。第2次世界大戦の戦闘機パイロット達の活躍を描いたドラマで、映画のベースとなるテーマは実話に基づいている。ドイツ軍がチェコスロバキアを占領してすぐ、何人もの空軍兵士がイギリスに渡って、英空軍のパイロット(チェクスロバキア出身者だけで構成された飛行隊があったようだ)としてドイツ軍との戦闘に参加していた。映画ではパイロット同士の友情や恋模様などが描かれており、スピットファイアーに乗って大空を駆け回ったパイロット達は戦争終結後に母国に戻るが、そこではハッピーエンディングとは程遠い結末が待っていた。

母国の自由を勝ち取ったことに少なからず貢献したと思っていたパイロット達だが、戦後のチェコスロバキアではすでに共産主義政権が樹立されていて、ナチスと戦ったパイロット達はナチスのために働いていた医者達と一緒に強制収容所に入れられる。収容所の中で、戦死した親友と再び空を飛ぶ自分の姿を笑いながら想像する主人公…、どうしても泣けてしまうラストシーンだった。4月にこのブログで書いたけれど、前に住んでいたアパートで仲のよかったユーゴスラビア出身の老夫婦の事を思い出した。航空機設計の仕事をしていたジイさんは、第2次世界大戦が始まると、そのままパルチザン組織に加わって、バルカン半島をバイクで走り回っていた。けれども、戦後にできた共産主義政権を目の当たりにし、結婚したばかりの奥さんを連れて西ヨーロッパ経由でアメリカに移り住んでいる。戦後60年、祖国を愛しながらも政治のパワーゲームで数奇な運命を辿った人は意外に多いのかも。