IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

名前で選んだやろう、あんたら

2005-05-31 13:54:32 | テロリズム
週刊誌の編集者と東京でメシを食ったのが数週間前。帰国する前から彼がパリス・ヒルトンの大ファンだという事を聞いていたためか、その夜の食事では何度か「今ならまだ間に合うから、考え直してごらんよ」と説得にあたったものの、彼の気持ちが揺らぐ事は無かった。あんまり彼女のことを悪く書いてしまうと、温厚そうなこの編集者が本当に怒りそうなので、少しばかりオブラートで包んだ表現で行きますが、僕には彼女がエンターテイナーには見えないのだ。知り合いのアメリカ人記者から借りた彼女のプライベート・セックスビデオも見たものの、全然普通の人じゃぁありませんか…。確かにブサイクではないけど、あれなら我が家の近所のスタバで働いている学生の方がカワイイような。「セレブ」という、これまたファジーなジャンルにしか分類不可能なヒルトン嬢。

なんでパリス・ヒルトンの話題から始めたのかといえば(別にこの編集者にイヤミの1つを言うためとかじゃなく)、彼女がとうとう婚約したという話が入ってきたからで、お相手はギリシャの海運王の息子なのだとか。結婚の時期などは未定だけど、2人の婚約はヒルトンのスポークスマンも雑誌「ピープル」の取材に対して認めており、こちらのエンタメニュースはしばらくヒルトン関係でもちそうな感じ。マイケル・ジャクソンの性的いたずら事件も、最近は三国志のように登場人物の把握が困難になってきていて、正直よく分からなかったもんだから、こういうシンプルなニュースが一番です。婚約者の名前はパリス・ラトシスと言うそうで、彼女と同じファーストネームになっている。まさか名前で選んだわけじゃないだろうけど、彼女だったら有り得ない話ではないし…。

今日は久し振りにチェイニー副大統領の話から。世界的な人権擁護団体として知られるアムネスティ・インターナショナルは先週、キューバのグアンタナモにある海軍基地内の収容所で、タリバンやアルカイダの関係者とされる収監者たちが米軍から深刻な人権侵害を受けていると発表した。チェイニー副大統領が月曜日に同日夜に放送予定のトークショー「ラリー・キング・ライブ」の収録に参加し、その中でアムネスティ側の報告に「気分を害した」とコメントした。「アムネスティ側はアメリカが人権侵害に加担していると示唆したようですが、私はこのような報告を真剣にとらえる事はしません」、と副大統領は語っている。先週水曜日にアムネスティのアメリカ支部代表ウイリアム・シュルツ氏は、アメリカを「人権侵害を作り出し実践する国家」と名指しで非難している。

ロンドンを本拠地にするアムネスティ・インターナショナルは、ウェブサイト上に声明も発表している。「拷問や(収監者に対する)非人道的な扱いの証拠が存在する現在、アメリカはグアンタナモを含む国外の基地で国際法の遵守を徹底させるべきだ」、と声明は訴えている。CNNの番組収録の中で、チェイニー副大統領はアムネスティ側の主張に反論し、アメリカは圧政から数百万の人々を開放した事を強調した。グアンタナモでの人権侵害をあえて避けるかのように、チェイニー副大統領はブッシュ政権がアフガニスタンとイラクに住む5000万人を「開放」したと語り、諸外国の自由化にアメリカほど取り組んだ国は無いとコメントした。人権団体から「強制収容所」と揶揄されるグアンタナモについて、副大統領は「間違った事は行われていない」と語った。

アムネスティのシュルツ氏はチェイニー副大統領の発言に素早く反応し、「彼が我々の報告を深刻に受け止めるかどうかは大きな問題ではない」と語った。「チェイニー副大統領は何も深刻に受け止めていないのでしょうね。拷問もジュネーブ条約も、適法手続きや国際法といったものも」、とシュルツ氏は皮肉を込めて語っている。アムネスティ報告だけでなく国際法といったものまでがブッシュ政権に無視されている事を危惧するシュルツ氏だが、ブッシュ政権のスタンスが変わる気配は無い。先週木曜日にはグアンタナモの司令官が収容所での内部調査結果を発表し、少なくとも米兵によってイスラム教の聖典コーランが「不適切な扱い」を受けた辞令が5件あった事を認めた。ただし、問題のコーランがトイレに流されたというケースは、確固たる証拠が存在しないとの見解を示している。

ベネズエラ最高裁判事のアメリカへの入国拒否をめぐり、ベネズエラ政府がアメリカ政府高官の入国を拒否する可能性が出てきた。ベネズエラ副大統領府は30日、アメリカ政府が一度は発給していたオマー・モラ最高裁判事への観光ビザの取り消しを行った事に抗議し、外交的な警告を発している。モラ判事は今月アメリカに入国する予定だった。「多くのアメリカ政府高官や議員がベネズエラを訪れており、我々は何の問題もなく彼らを受け入れてきました。もし今回のような問題が続くのであれば、我々も同様の措置をとる事になるでしょう」、と副大統領は声明文の中で語っている。ベネズエラとベネズエラ産石油の最大の輸入国であるアメリカとの関係は、チェべス大統領の左派政権が誕生して以来冷え切ったままだが、事態がさらに悪化する可能性もある。

チャべス大統領はイギリスなどのメディアに対して、アメリカ政府が政権転覆か彼の暗殺を企てていると語った事があるが、アメリカ政府高官らは「馬鹿げた話」とこれまで一蹴している。ビザ発給を取り消されたモラ判事は先週、アメリカ側のやり方を「尊厳に対する大きな攻撃」として厳しく非難している。ベネズエラ政府とアメリカ政府は最近も反カストロ主義者のテロリストとして知られるルイス・ポサダ・カリレス(1976年にベネズエラ国内でキューバの旅客機を爆破したり、80年代後半似発生したハバナでの連続爆破テロの首謀者とされている)の引渡しをめぐり、外交的な衝突を繰り返していた。カラカスの米大使館関係者はビザの発給取り消しは領事の裁量によるもので、申請を再び行う事は可能だと語ったが、取り消しの細かな理由に関しては言及を避けている。

今月始めにはカリレス容疑者の身柄引き渡しを強く求めたチャべス大統領がアメリカに対し、引渡しが実施されない場合は両国間の関係見直しを実施せざるをえないと発言している。CIAの元で働いていた過去のあるカリレス容疑者はベネズエラの市民権を取得している。引渡し要求は先週金曜日に拒否されたが、ベネズエラ政府は明日火曜日にも正式な引き渡し要求を申請する見込みだ。チャべス大統領とキューバのカストロ議長は、現在77歳になるカリレス容疑者をベネズエラでテロリストとして裁判にかける事を望んでおり、先週末には数千人のチャべス支持者らがカラカスで引渡しを求めるデモを行っている。

ノーム・チョムスキーの爺さんが以前に著書の中で語っていたけど、ブッシュ政権の政治スタイルが世界中で容認されたなら、それこそIRAの資金源の一部として知られるボストンの幾つかの地域はイギリス軍の絨毯爆撃を受けてもいい事になる。もちろん、現実には絶対無理な話なんだけど。このカリレス容疑者はフロリダ州の反カストロ組織(メンバーは亡命キューバ人など)と大きな繋がりがあると言われていて、80年代後半のニューヨーク・タイムズの記事はハバナのホテル爆破はカリレスの犯行だったと指摘している。テロリストとフリーダム・ファイターという2つの言葉があるとしたら、その間に入る言葉は=(イコールね)しかないと思うんだけど、僕の周りのアメリカ人のほとんどがこの数式を理解できないようだ。みんないい学校を出てるはずなのになぁ。

日本から持って帰ってきた幾つもの本の中に、糸井重里が書いた「オトナ語の謎」というのがあって、夕方に最後まで読んでみたのだが、これが結構面白かった。英語でもビジネスなどで使う微妙な表現って多いけど、日本語のように「オトナ語」が氾濫しているわけでも無いと思う。僕も帰国した際には頑張って「オトナ語」を使ったりしているけど、糸井氏が指摘しているように、「オトナ語」には英訳不可能なものが少なくないんだよね。「その節はありがとうございました」みたいな表現、これって確かに英訳するには非常に困難なわけで、何とも言えないオリジナリティがあると思う。こういった「オトナ語」の会話集(ビジネス表現ではなく、あくまで一般的オトナ語)が書店に並んでいれば、僕みたいな横着者は真っ先に買いに走るだろう、絶対に。


デニス・ホッパーなんているわけないけど

2005-05-30 13:34:30 | Weblog
明日は戦没者記念日、つまり休日ということで、今日は日が暮れるまで遊んでおりました(一応、仕事もちゃんとしております。念のため)。長いこと僕のブログに付き合ってくれている方はもうお気付きかもしれませんが、僕がこういう出だしでブログを書き始めたときには短く終わらせてしまう事が多く、今日もそうなっちゃうんだなぁ。スミマセン。なにしろ今日も天気がすこぶる良かったもので、ずっと外出してたもんだから。

今日は朝飯を外で食べる事になり、友人と待ち合わせたレストランに行くと、周辺には数え切れないほどのバイカー軍団が集結。昨日もアレキサンドリアに行く際、ペンタゴンの近くを集団で走るバイク愛好家の面々と遭遇したけど、かなりの人数がワシントン周辺に集まっているのではないだろうか?以前に聞いた話では、戦没者記念日には全国からハーレーなどの大型バイクに乗ったバイカーがワシントンにやってくるんだそうで、その多くが退役軍人らしい。僕はオーストラリア時代に何人かの中年バイカーと友達になった思い出があったので、少し懐かしい気持ちにさえなって、きれいに磨き上げられたバイクをレストランから眺めていた。

しばらくすると、僕らが朝食をとるレストランにも何人かのバイカーが入ってきて、隣の席でオムレツなどを注文し始めた。どちらかといえば暖かい天気だったが、オッサン・バイカーはみな揃いの革ジャンを着ており、その革ジャンも防弾チョッキと変わらない重さに思える代物だった。分厚い革ジャンを着込んだ髭面のバイカーはみなコンガリとバイク焼け(って言うのかな?)しており、10年ぶりに俗世界に戻ってきた南極観測隊のメンバーに見えなくもなかった。レストランの外には子犬を連れたバイカーがいたのだが(それにしても、どうやって犬を連れてきたんだろう?)、僕は数秒ほど小学生時代に映画館で見た「南極物語」を思い出していた。あれって、タローとジローだったっけ?

こういったバイカー連中を実際に見るまで、僕の中のバイカーのイメージといえば、やはり映画「イージーライダー」に出てくるデニス・ホッパーとピーター・フォンダだった。最近で言えば、愛すべきB級映画「ハーレー・ダビッドソン・アンド・マルボロマン」のミッキー・ロークとドン・ジョンソンのイメージだろうか。とにかく、バイカーといえばワイルドなイケ面野郎というイメージを持っていた、ある時期までだけど。でも、オーストラリアでもアメリカでも、実際にバイカーを見てみて、そのイメージがことごとく崩れ去ってしまった。今日もそうだったけど、デニス・ホッパーみたいな人は全く見当たらず、そこにいたのは何百人という太ったウイリー・ネルソンだった。何と言うか、まぁマイケル・ムーアがレザージャケットを着た姿を想像してみてくださいな。

コレステロール大国を体現するかのような太鼓腹を革ジャンで隠しながら、中年バイカーの皆さんは食事を開始したが、この人達がまたえらく「いい人」だった。僕が今までであったバイカーの皆さんもそうだったけど、マッドマックス的風貌からは絶対に想像できないくらいに礼儀正しいのだ。ウェイターへの接し方なんかを見ていても、その話し方などは正しくジェントルメン。自分中心に世界が回っていると錯覚しているアホなヤッピー連中に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいですなぁ。伝説の暴走族「ヘルズ・エンジェルス」の話を聞いたことはあるけど、僕の知るバイカー達はまさに昔気質のカウボーイのようで、非常に魅力的な面々ばかり。来年の今頃が楽しみになってきた。

勝手気ままなボクシング映画のみかた

2005-05-29 14:39:06 | スポーツ
かなりイイ感じの天気だった今日、僕は週末恒例の部屋の掃除と洗濯で1日を始めた。乾燥機がアパートについているため、洗濯はいつも放り込んで終わりの感じなんだが、大阪のデパートで買ったばかりのポロシャツが縮みやすい(なぜか店員が3回も強調していたので)事もあって、洗濯後にポロシャツだけを取り出した。他の洗濯物は全て乾燥機へと直行したけれど、僕は濡れた状態のポロシャツを近所のクリーニング店で貰った安物のハンガーにかけ、そのまま寝室の窓の近くに掲げた。イタリア人かアイルランド人が住むアパートの一室のような光景だったが、ロケーション的に太陽の光がかなり入ってきてくれるので、これがやっぱりベストなのだ。本当に天気がよかった事もあり、ポロシャツは1時間ほどできれいに乾いてくれた。

夕方になって、友人が自宅に遊びに来た。明日の昼過ぎにサッカーの練習試合があるので、午後7時頃から軽くボールを蹴ろうかといっていたのだが、中途半端な時間帯に食べてしまったサンドイッチがモロに影響。2人とも「ソファから立ち上がりたくない」症候群にかかってしまい、公園でボールをすでに蹴り始めていた他のメンバーの携帯に連絡し、「2人とも本番に強いタイプなので、今日はパスするよ」と意味不明のメッセージを残す。マーフィーの法則じゃないけど、明日はきっと「昨日の練習に出とけばよかった」と後悔するんだろうなぁ。しばらくして、2人で大手家電店に向かい、デーブ・チャペルのコメディDVD(とうとう2シーズン目が出たのです)を揃って購入。うつ病に悩んでいるという噂のチャペルだが、早いとこ彼のショーをテレビで見たい。

5月30日のアメリカは戦没者記念日で休日となるが、この前日にはインディアナ州インディアナポリスでインディ500と呼ばれるストックカーレースの開催が毎年の恒例行事ともなっている。23歳のダニカ・パトリックはインディ500の出場権を勝ち取った4人目の女性ドライバーとして話題を集めているが、彼女の体重をめぐってちょっとした論争が巻き起こっている。このレースに出場を予定している別のドライバーが、パトリックの体重の軽さを問題視し、このような不公平なハンディキャップが存在する限りは大会には出場しないと言い始めたのだ。現在NASCARで活躍するボビー・ゴードンは、僅かに50キロほどしかないパトリックの体重が車の速度を微妙に速める事になると主張している。

インディ500で使用される車には重量制限が存在し、車は少なくとも1525ポンド以上なければならないと決められており、このような状態で男性ドライバーの約半分の体重しかないパトリックは非常に大きなアドバンテージを持つ可能性がある。パトリックの体重がレースに及ぼす影響を心配した各チームは独自に分析作業を行い、通常の車よりも約2キロほど時速が上がる可能性が存在するとの見解を示している。ゴードンは主催者側が何らかの対抗措置を見せない限り、レースには出場しないと語っているが、現在までに他のドライバーから出場を見合わせる声は出ていない。彼女の体重をめぐる論争は大会前日の土曜日になっても続いているが、体重がレースの大きな支障にならないと語るドライバーも少なくない。

戦没者記念日前日にはNASCARレースのコカ・コーラ600と呼ばれる大会も行われるため、NASCARドライバーでインディ500に出場する者は極めて少ないが、ゴードンは過去4年にわたって同じ日に2つの大会をこなしてきた事でも知られている。今年はNASCARだけに専念しようと考えていたゴードンだが、本業のチーム成績がよろしくなく、経済的な理由もあってインディ500参戦を決断している。インディ500出場をかけた予選レース、ゴードンは25位という成績に終わっているが、テスト走行では彼の車は最も早いランクに入っている。50キロ以上の体重差がレースにどれだけ影響するのかは誰にも分からないが、経済的にも勝利が必要なゴードンにとっては、何よりも大きな問題のひとつなのだろう。

FDA(食品医薬品局)は27日、医薬品大手ファイザー社のバイアグラやイーライ・リリー社のシアリス、バイエル社のレビトラといった性的不能治療薬を服用した男性が視覚障害を起こした事例が存在すると発表した。性的不能治療薬が原因で視覚障害を引き起こした可能性のあるケースだが、これまでに少なくとも43件報告されており、FDAは担当の医師らと協力して原因の究明を急いでいる。最も被害報告が多かったのがファイザー社のバイアグラで、43件中38件を占める格好となっている。世界中で数千万人が服用するといわれるバイアグラだが、FDAは製造元と協力して、視覚障害の報告があった事を利用者に伝えていく模様。

CBSニュースの報道によれば、アメリカ国内の複数の消費者団体はFDAに対して、性的不能治療薬製造メーカーにより強い警告メッセージを商品に記載するよう求める予定との事。視覚障害や失明に関する報告をめぐる製造元の反応はバラバラで、イーライ・リリー社は「ごく稀に失明の可能性がある」と薬の危険性を暗に認めたものの、バイエル社は現時点で失明と薬の関連性は見出せていないと発表している。しかし、ある消費者団体の代表は以前から問題の3つの薬の危険性を自らの著書で指摘しており、失明の危険性に関する散発的な報告が出始めた7年前にはFDA側にも警告を発していた。この男性は今後2週間以内にFDAに対して、警告レベルの強化を正式に訴える予定だそうだ。

一連の失明が薬の服用からではなく、糖尿病や高血圧が原因で引き起こされた可能性も存在するため、FDAは最終的な見解を発表していない。眼科医のハワード・ポメランツは1998年から性的不能治療薬と失明の因果関係を指摘し続けてきた1人だが、彼の元にはこれまでにも視力を失った多くの男性から連絡があり、彼らはみなバイアグラのような薬を服用した経験があったのだという。FDAは失明と薬の関連性を証明するものは何も無いとしながらも、製造元は消費者へ対して早急な情報開示や警告を発する必要があるとも語っている。

もうすぐです、ラッセル・クロウの新作「シンデレラ・マン」の公開まで。少し前なら「ミリオンダラー・ベイビー」もそうだったんだけど(この映画に関しては、ボクシングよりも別のテーマに涙したのだが)、よく考えてみると、僕は公開されるボクシング映画をかなり高い確率で見ている。この前の日本帰国時には、機中で自分のパソコンを取り出して、ウィル・スミス主演の「アリ」を見ていたくらいだ。どの映画もプロットの本質的な部分は似たり寄ったりだけど、それでも見てしまうし、やっぱり涙してしまうのだ。ロッキー・シリーズ(異論はあるでしょうが、それでも3作目までは気に入ってる)や「ザ・チャンプ」、「レイジング・ブル」に「どついたるねん」…、どの作品も3回以上は見た記憶がある。

前述の「アリ」とダニエル・デイ・ルイス主演の「ザ・ボクサー」は数あるボクシング映画の中でも異色の存在じゃぁないだろうか?この2作品に共通するのは、1人のボクサーの運命が政治によって大きく弄ばれた事。「アリ」は言うまでも無く、実在する伝説的チャンプのモハメッド・アリの伝記映画だが、彼もベトナム戦争や公民権運動、ネイション・オブ・イスラムといった政治的な動きに運命を大きく動かされた1人だ。「ザ・ボクサー」は北アイルランドのベルファストに住むダニー・フリンというカトリック教徒のボクサー(架空の人物)をテーマにした作品だが、ボクシングを通じて宗教の垣根を取り払いたいと考える彼の思いに反して、ベルファストでのテロは激化していく。面白いボクシング映画って、ストーリーの背景にかかっているのかなと思うんだけど、どうでしょうか?


シャック流引退後プラン

2005-05-27 13:44:12 | テロリズム
東京滞在中に新宿歌舞伎町で人と待ち合わせることがあり、ドン・キホーテ前で待っていると、僕の近くにケバブの屋台があるのを発見。何とも言えない懐かしさからか、1つ買おうかなと思ったが、その夜は食事の約束があったために断念。ワゴン車を改造した屋台では、トルコ人らしき兄ちゃんらが(言葉を聞いていないので、断言はできないんだけど)、なぜかウエストコースト風ヒップホップを大音量で流しながら、通りすがりのサラリーマンらにケバブを売っていた。少なくともワゴン車で売られていたのは、トルコ風のケバブだった。僕は16歳でレバノン風ケバブを食べて以来、この中東風ファーストフードの大ファンになったのだが、もう日本でも普通に買えるんだね(これって、東京だけなのかな?)。

ケバブで僕が真っ先に思い出すのが、少しばかりドイツに滞在していた時期の事で、夜遅くまでオープンしているケバブレストランにはよく通ったものだ。南ドイツにトルコ系移民が多く住んでいる事もあって、僕が滞在したアウグスブルグという町でも、トルコ風ケバブはマクドナルドよりも人気があった。アウグスブルグという地方都市とトルコ移民をつなぐキーワード、サッカー好きの人なら若くしてFCアウグスブルグで活躍したイルハン・マンシス(覚えていますか、このひと?)の名をあげるかもしれないが、僕はケバブレストランのイメージしかないのだ。ドイツ語が苦手だった僕をいつもスマイルで迎えてくれたのが、こういったレストランで働くオッちゃんやオバちゃんだったからで、ドイツにいた僕がトルコに興味を持ったのもこの頃だった。ケバブからかなり脱線してしまいましたが…。

米誌ニューズウィークの5月9日号が報じたグアンタナモ海軍基地での収容者に対する侮辱行為に関する記事は、記事の掲載から間もなくしてイスラム諸国で反米感情を増大させる原因となり、アフガニスタンを中心としたアジアのイスラム諸国では幾つもの反米集会が催された。世界各地で開かれた反米集会では、治安当局と衝突した参加者らの間に少なくとも20人以上の死者が出ており、負傷者の数は数百名に及ぶともいわれている。ブッシュ政権はニューズウィークに掲載された記事の信頼性を疑うと公式に発表し、ニューズウィーク編集部に責任を求めていた。16日になって、同誌編集部は記事を全面撤回すると発表した。

問題の記事は同誌のベテラン記者マイケル・イシコフによって書かれたもので、イシコフ記者は長年にわたって付き合いのある政府高官から、グアンタナモでイスラム教の聖典コーランが収容者の目の前でトイレに流されている情報を入手したとの事。イスラム諸国におけるアメリカのイメージ改善に努めたいブッシュ政権は、これまでにも多額の資金をアメリカのイメージ戦力に投入してきたが、今回の記事がこれまでの試みに大きな影響を及ぼす事を避けるために、異例ともいえる記事の撤回を求めてきた。しかし、これまでにもグアンタナモでコーランが破られたりトイレに流されたという話は存在している。そんな中、FBIは25日になって、コーランが実際にトイレに流されたというグアンタナモ収容者の証言を、情報公開法に基づいて開示した。

ACLU(全米自由人権協会)が情報公開法に基づいて取り寄せた資料によれば、グアンタナモ収容所でのコーランに対する冒涜行為は2002年4月にはすでに行われていた模様で、グアンタナモやアフガニスタンの収容者の中には激しく殴打される者もいたとの事。公開された書類では調査に携わったFBIスタッフやグアンタナモ収容者の指名等は削除されているものの、収容者の証言がニューズウィーク誌の記事とあまり変わりが無かった事も示す結果となっている。ACLUはグアンタナモ海軍基地内の収容所で発生した複数の人権侵害を巡り、アメリカ政府を告訴しており、今回のFBIによる調査記録も裁判の資料の一部として入手している。ACLU側によれば、収容所では懲罰の一環として、コーランが蹴られたり破られたりしており、2002年8月に看守の1人がコーランをトイレに流したのだという。ペンタゴンは25日夜に声明を発表し、コーラン事件の信憑性を証明できるものは存在しないと主張している。

プロ・バスケットボールのスター選手シャキール・オニールは実業家や音楽家としての顔も持ち、ある時には映画にも出演しているが、彼の引退後のプランは警察で働きたいという事だ。現在NBAのプレーオフで東地区優勝をかけてマイアミ・ヒートを引っ張るオニールだが、最近になって司法省管轄下の特別捜査班に加わっている。この特別捜査班は、子供を標的にする性犯罪者をインターネット上で追跡するために創設されたもので、非常に忙しい部署の1つでもある。2メートルをこえる身長のオニールは先週土曜日のプレイオフ開始前に、連邦執行官代理に就任するための宣誓を行っており、マイアミ・ビーチ警察で捜査講習も受講している。

マイアミ・ビーチ警察のドン・デルカ署長は、オニールは捜査関係者が使用するコンピューターやソフトウェアの取り扱いにも慣れ始めたと語っている。これらのハイテク機器は性犯罪者の追跡や特定に必要不可欠とされており、オニールは自宅などから警察のネットワークにログインし、定期的にソフトウェアの取り扱いなどを学んでいるとの事だ。「こういった仕事が本当に好きなんだ。バスケットボールを引退したら、おとり捜査官になって、それから保安官、最後には警察署長になれたらいいね」、とオニールは最近になってAP通信に語っている。以前からオニールは警察や軍隊といった、「国やコミュニティを守る仕事」に敬意を示しており、将来はマイアミかオーランドで警察関係の仕事ができればと考えているようだ。

バスケットボール選手としてのオニールの知名度は高く、まだ現役で十分やっていけるとの声も多い。しかし、引退後すぐに警察官として活動したい理由から、オニールは多忙なスケジュールの合間をぬって講習に参加したりしているのだ。オニールを育てた義理の父親が陸軍所属の軍人だった事もあり、彼は十代の頃からすでに軍隊か警察で働く事に興味を示していた。ちなみに、彼の2人のおじも警察官である。ロサンゼルス・レイカーズ時代には警察学校に通い、のちにロサンゼルス港湾警察の予備役として登録されている。2000年にレイカーズが優勝を決めると、ロサンゼルスの街中では興奮したファンが2台の警察車両を破壊する事件を起こしているが、オニールは破壊車両の買い替えのために4万2000ドルの小切手を警察に送ったエピソードまである。

日本滞在中、ワシントンの友人から送ってもらったメールにはワシントンタイムズ紙のローカルニュースへのリンクが貼られていて、その記事を見た僕は絶句するしかなかった。一緒にサッカーをしていたアゼルバイジャン人の友人が逮捕されたという記事だったからだ。昨年9月からロースクールに通い始めたため、最近は練習でも彼をほとんど見かけなくなっていたんだけど、新聞記事によれば彼の働いていた法律事務所が移民関連での不正行為を行っていたとの事。パキスタンやトルコからやってくる移民でグリーンカードの取得を希望するものに対し、この法律事務所は架空のスポンサー会社などを作り、関連書類の一部も偽造していた疑惑がある。僕の友人だが、ここでアシスタントをしていた。

現在も裁判が続いているため、友人や法律事務所にどのような処分が下されるのかは、現時点では全く分からない。ただ、有罪が決まった場合、これはワシントンポスト紙などがあくまで仮定形で書いているのだけど、アゼルバイジャンから来た友人や彼の家族(アメリカ市民権を持たない永住資格者)は国外追放になる可能性が高いのだという。法律事務所は1人の移民から2万5000ドル以上を集め、偽造書類の世話になった顧客は200人ほどいたようだ。別のサッカー仲間の話では、事件発覚後に連絡を試みたものの、まったくつかまらない状態になっているらしい。現実には悪い方向に進む可能性が高いんだけど、僕はこの事件を少し注意しながら見ていこうと思っている。

こんな試合もあるもんだ

2005-05-26 13:23:29 | Weblog
更新遅れて、ホンマに申し訳ないっす。昨日の夕方、ようやくワシントンに戻ってきて、自分でも驚くほどの爆睡から目覚めた今朝は、ちょっとばかしペーパーワークをしたり、洗濯や掃除をしとりましたぁ。で、夕方のラジオの出演があるものの、昼過ぎに友人宅に猛ダッシュ。今日はサッカーの欧州チャンピオンズリーグの決勝戦があり、こちらの時間で午後2時半より生中継だったのだ。

まだ少しばかり旅の疲れがあるので(明日からは普段のブログに戻ると思うので、今日はこんなのでお許しを)、ACミランとリバプールによって行われた今日の試合の詳細を書くつもりはないが、これまでのチャンピオンズリーグ決勝の中で最も興奮した試合じゃなかっただろうか?前半終了後に3-0でミランが大量リードするものの、後半開始直後の約7分間でリバプールが3点を取り返す大波乱。

結局、30分の延長戦でも決着がつかず(延長後半終了間際、リバプールのGKデュデクが見せたスーペルなセーブが唯一の見せ場だったかもしれない)、試合はそのままPK戦へ。テレビを見入る僕らは興奮のあまり、何かを握り締めないといられないような精神状態だった。僕は雑誌を丸めて握り締め、右に座るイタリア人はペプシの空き缶を今にも握りつぶしそうな状態。極めつけは僕の左に陣取ったギリシャ人(家主でもある)で、床に落ちてたカノジョの下着を握り締めながら、試合に見入ってた。もちろん、「客が来るんだから、それくらい片付けとけ」とツッコミがあったのは言うまでも無いけど。

さてさて、PKだけど、トルコのイスタンブールに大挙して詰め掛けた大勢のリバプールファンの応援にプレッシャーを感じたのか、はたまたデュデクの奇妙な動き(チャンスがあれば見てほしいんだが、相手キッカーの前で体をクネクネと動かすこのポーランド人キーパーは、まさしく頭髪の薄いベリーダンサーといったところだ)にビビってしまったのか、ミランのPKがことごとく失敗する有様。まさかのシナリオが続き、リバプールがミランを破ってしまった。その瞬間、僕の右にいたイタリア人は無言で爪を噛み始めた。誰も期待しなかった結末。

「フットボールの世界じゃぁ、何が起こっても不思議じゃない」と評論家連中は言うけれど、今日だけは彼の言い分にも一理あると思った。リバプールよ、とにかくおめでとう。来年こそは、こんな劇的な格好でバイエルンがトロフィーを奪還できればいいんだけど。

明日から、またブログも頑張っていきます。今日は、まぁこの辺で。

400gハンバーグで始まり、3年ぶりのカラオケでおわる

2005-05-20 11:58:43 | Weblog
相変わらずのいい加減さで、ブログの更新が全くできていない日本滞在なんだけど、それでも水曜日の事は少しだけ書いておくことに。久しぶりに食事をする姉の強いリクエストもあり(何でも、はじめてだったらしいので…)、びっくりドンキーにて夕食。僕自身も久しぶりだったため、食べてきましたヨ、400グラムのハンバーグを(その上には目玉焼きのトッピングも付けてもらって)。ハンバーグは美味かったけど、400グラムという量はやっぱりヘビーだったわけで、帰宅後に胃がダンベル化したような感覚に。

そんな事もあって、時計の針は午後9時に達しようかとしていたけど、少しばかり運動をする事に。降っていた雨もやみ、ジョギングでもと思ったんだが、大事に履いているニューバランスのレザーシューズを汚したくないというセコい理由もありまして、結局は自転車に乗ることにしたのです。どこに行こうかと考えながら、とりあえずペダルをこぎ始めると、「なんとなく」の雰囲気で甲子園球場まで行くことに。特に目的も無く、英語で言うところの「ランブリング」をただただするだけの事だけど、久しぶりの甲子園球場はヨカッタっす。

木曜日、朝7時半のラジオ番組出演後、出演者やスタッフと弁天町近くのカフェでモーニングをいただく。新しい番組の方達とゆっくりと話をするのは今回が初めてだったが、僕はすごく貴重な時間をすごせたのではないかと思っている。朝からの新番組に移ったのが4月からだったが、番組の皆さんと顔を合わせる機会が無いまま、1ヶ月以上が過ぎていたからだ。これからも、どうかヨロシクお願いします。

楽しかったモーニングも終わり(たまごサンドはアメリカでは絶対口にできない美味さで、これからアメリカに帰ることに憂鬱を感じずにはいられなかったほど)昼過ぎから毎日新聞の記者だった男性とコーヒーを飲むため、再びJR大阪駅周辺に移動。半年ぶりに会うことになる。数週間前にワシントン近郊で行われたジャーナリスト追悼式典の話をしていると、18年前の朝日新聞阪神支局襲撃事件が話題に。この方は実際に事件を取材していた事もあって、いろいろと当時の様子を話してくれた。事件当日、僕は家族でJR西ノ宮駅近くの某コーヒー・チェーン店におり、生まれて初めて何台もの覆面パトカーを見た記憶がある。そんあこともあって、この事件を忘れることがなかったのだ。

「ジャーナリストは危険な仕事。それはイラクでも日本でも同じ事じゃぁないでしょうか」、と彼は僕に言った。定年後に関西の大学で週に数回ジャーナリズムを教えているそうで、生徒達にも時々そんな話をするのだとか。話も終わり、駅前で別れてから、僕は自分のノートパソコンを開いてメールをチェックした。背筋が凍りつくほどの偶然で、シカゴ・トリビューン紙の高橋邦典さんからメールが。トリビューンの別の記者らとアフガニスタンに取材に行くことが決まったらしく、出発直前のメールだったようだ(今は機内の中かな?)。短めの返信を入れておくと、クニさんからも返信が。初めてのアフガニスタンという事で、少しでも現地の様子を伝えることができればという内容だった。大先輩にこんな事を言うのもなんだけど、とにかく気をつけて御安全に。アメリカに戻ったら、いろいろと話を聞いてみたいなぁ。

夜はNEWSワンダーランドのスタッフとの食事会。本当にありがとうございました。番組で本当にお世話になった(99パーセント以上は電話でのやりとりだったのですが)パーソナリティの里見まさとさんや中井雅之さん、坂崎優子さんからも本当にありがたい言葉を頂き、これからも頑張ろうとモチベーションがグツグツと湧き上がった夜だったのだ。ジャーナリストの矢野宏さんのお住まいが僕の実家とあまり離れていない事も分かり、次回の帰国時には「びっくりドンキー」で宴を開ければなぁと思ったりも…、もちろん僕は400グラムのハンバーグで。プロデューサーの上野さんが「24」の熱烈なファンだということは、以前から頂いていたメールで知ってはいたものの、かなりハードコアなファンだった事にビックリ。まぁ、僕もアメリカで使っている携帯の着メロはエミネムの「スタン」のさびの部分なんだが。とにかくx3、話の尽きない食事会でありました。

食事会のあとでカラオケに5人ばかしで行ったものの(中井サマ、ジェニファー・ロペスよりも音痴だと評判の僕の歌を「ダンス」で盛り上げていただき、本当に感謝しております!)、ここでちょっとしたカルチャーショック。僕は日本のメディアと仕事をしている事もあって、たとえアメリカに住んでいても「自分は浦島太郎にはなってへんでー」みたいな自負があったんだけど、見事になっておりました。カラオケの選曲でアーティストの名前や曲名を見ても、それがどんな歌だったのか、本当に思い出せなくなっていたんです。2曲ほど歌ったが、最初がチェッカーズで、次が布袋さんの曲。やっぱり、もっと覚えないとなぁ。3年ぶりのカラオケ、吉村プロデューサーのパフォーマンスに思わず目頭が熱くなりやした。弁天町のパバロッティ(決してヒゲだけを言ってるのではなく)による、数々の名曲のカバー。うーん、隣の竹内氏は「あれ、全部ラップになっとるやん」と一言。でも、楽しかったです。

午前2時の「アリガトウ」

2005-05-13 03:00:55 | Weblog
帰国前の「ブログ頑張って更新します」宣言からしばらく。色々と事情があって更新が遅くなってしまったけど、10分前に滞在先の四谷に戻ってきたので、少しだけ長かった木曜日について書いておきます。大阪の難波で焼き鳥を頬張っていたのが水曜日夜のことで、帰宅後に少しだけ仮眠を取った僕は木曜日の朝5時前に起床。いつもはワシントンDCから出演しているラジオ番組だけど、今日はスタジオで生出演することもあり、7時頃に局入り。ここまでに僕の消費したコーヒー(もちろんブラックで)は早くも3杯を数えている。

ラジオでは、先ごろ発生したイラクでの日本人警備員拘束事件についてパーソナリティのお二方とトークを展開し、数年前から米軍のトレンドとなりつつある軍隊のアウトソーシング化の実態を紹介した。去年の夏ごろ、僕はこのテーマの取材を行っていたため、当時の関係者の証言なども番組では紹介した。番組が終わり、新幹線に乗るために新大阪駅に向かい始めたが、この頃から少しずつ睡魔が襲い始める。「新幹線の中で寝たらええわぃ」と軽く考えていたんだけど、社内で思うように寝ることができず、仕方なくパソコンでヒュー・グラントの「アバウト・ア・ボーイ」を見ることに。レイチェル・ワイズはやっぱりイイ女…、そんな事を考えながら映画をボーっと眺めていた。

東京には火曜日まで滞在するんだけど、最初の3日が四谷で、それからが吉祥寺という変則パターン。滞在前半に済ませておきたい用事を考えると、四谷のロケーションがすごく便利という理由もあるんだが、それよりも個人的に四谷が好きなのです。僕は東京に住んでいたわけじゃないけど、それでも四谷には高校生の頃からまぁ色々と思い出がありまして…。とりたてて大きなスポットがあるわけでもない四谷を、僕はそれなりに気に入っているのだ。ホテルの部屋でインターネットができることもあって、夕方過ぎまで少し仕事を。いわゆるランナーズ・ハイっていうやつか、不思議なことに眠気を感じなくなっていた。

6時前になって、赤坂にある放送局に移動。このラジオ局のスタッフの方と晩御飯を食べることになっていたが、待ち合わせまで少しだけ時間があったので、放送局近くの書店へ。そのロケーションが大きく影響しているのか、ジャーナリズム関連の書籍が多く、滞在中に再び訪れたいスポットが一つ増えた。雑誌の方も新しいものがいくつも出ており、長時間の立ち読みに耐えれるように足元を少し鍛えてから、再び訪れようかと思っている。しばらくして取材から戻ってきたプロデューサーと合流、もう一人のスタッフも加わって、六本木にある鉄板焼店攻略へとタクシーを走らせた。

実は、このプロデューサーと僕は中学から大学まで全く同じで、高校の時の担任まで偶然にも同一人物なのである。何か悪さをして先生に「しばかれた」思い出や(今じゃPTAがうるさいだろうけど、僕らの時代まではこういったことが普通だったし、誰も気にしなかったしね)、隣の高校の生徒らによる「出入り」や名物先生らのエピソードを僕らは共有している。僕よりも12年先輩で、もちろん学生時代に面識は一切なかったが、初対面とは思えない懐かしさを感じずにはいられなかった。同席したもう一人の女性は関西の知識がほとんど無かったそうで、西宮北口といった地名が全く分からなかったそうだが、今からでも遅くないので旦那さんを連れて六甲山の夜景を見に行ってくださいませ。本当に綺麗だから。

鉄板焼をスタートさせてから1時間ばかし経過。放送局からもう一人のスタッフ(宝塚出身)、そして商社勤務の僕の高校の先輩(今日初めて知り合いました)も合流し、話題は自然な流れで関西の話に。自分の出身校をヨイショするわけじゃぁないけど、イタリア語で言うところの「ベッロ」が多いうちの学校の先輩方の例に漏れることなく、この2人のオッサンもメチャクチャ格好よかったのだ。ミドル・エイジ予備軍の僕としては、こんな40代に憧れる。人生観や哲学的な話もしながら(2件目の店ではボサノバの上手なホステスやママも加わり)、こんな先輩方に出会えた事に本気で感動。まぁ、少しばかりまじめな話をしながらも、そこでボケやツッコミを繰り広げるのは、やっぱり母親の胎内で僕らに刷り込まれている関西人のDNAなんだろうか?

僕と2人の先輩との共通点は幾つもあるけど、偶然にも3人とも担任が同じで、またこの担任教師にすごく世話になった事だ。2人も口を揃えて恩師だと語るこの先生、メル・ギブソンの「マッド・マックス」で悪人役をしてそうな風貌だけど、僕も本当に世話になっている。もう15年近く前、僕の学校の成績に悩んでいた両親に、「何も心配することはありません」と言い切ってくれたのがこの担任だった。人間って単純な生き物かもしれないけど、担任が信頼してくれてると感じた時、僕は机に向かって勉強を始めたのだ。「おもろい先生がようおったなぁ」、六本木で拾ったタクシーの中で僕はひとりそう感じていた。オールドスクール的学校生活、携帯もメールも無い学校生活、教師がやたらと怖かった学校生活、どれも今ではハッキリ「プライスレス」と言える。

前日に慌てながらのパッキングは毎度の事で

2005-05-08 12:26:22 | きょういく
「やってもうた~」とテレビの前で絶句したのが1時間前。RFKスタジアムでのDCユナイテッド対コロンバス・クルーの試合を自宅でテレビ観戦していた時だった。木曜日に農務省で働く友人からRFKに行こうと誘われていたのだが、帰国直前で家の掃除などをしておきたかったので、試合開始数時間前に連絡するという事に。で、掃除をしようと思ったら別の友人から連絡があり、僕らはそのままポトマック川の近くにサッカーの練習に出かけてしまった。なにしろ天気がよかったもので、サッカーの練習は日曜日が基本なんだが、今日は何人かでボールを蹴りに行ってしまったのです。掃除やパッキングをせずに家を出た事もあり、夜は絶対に家に戻らなければと思い、夕方5時頃になって「ゴメン、やっぱり今日は無理だわ」と電話を入れた。

部屋の掃除や洗濯をしながら、7時半頃から始まった試合をテレビで観戦。フレディ・アドゥが1ゴール・2アシストの大活躍したこともあり、試合は3-1の快勝。それよりも、テレビを見て絶句せずにいられなかったのが、プレイメーカーとしてのアドゥの才能だ。両足を駆使して長短織り交ぜたパスを前線に供給するアドゥーを見ていると、アメリカ人サッカー選手にほとんどいないゲームメーカーの役割をキッチリと果たしている事に驚かされる。自身が決めた3点目は、スラロームのような動きでマーク役の相手ディフェンダーに尻餅をつかせ、ゴールキーパーとの間合いをはかってからシュート。まだ15歳のサッカー小僧が突然に「実は28歳でした」と年齢査証を明かしても、僕は決して驚かないだろう。今日の試合をスタジアムで見れなかった事を悔やみながら、アドゥのドイツ行きの可能性を少し意識した夜だった。

今日は学校関係の話が2つ。まずはヒューストン・クロニクル紙の記事を紹介します。テキサス州下院議会は4日、チアリーディングの演技に関する規制法案を85対55で可決し、来年以降よりテキサス州で「性的な事を連想させる」パフォーマンスが禁止される可能性が出てきた。この法案、上院での可決が必要だが、上院における通過の可能性はそれほど高くない模様。チアリーダーが激しく腰を振ったりする事が「性的なパフォーマンス」なのだと、今回の法案を提出した民主党のアル・エドワーズ下院議員は語っているが、通過した法案は規制の対象となるパフォーマンスを明確に定義していない。エドワーズ議員は過去にもポップソングの歌詞をめぐって論争を展開したり、麻薬密売人の指を切り落とすべきという趣旨の発言で世間を騒がせている。

エドワース議員は最近のチアリーディングにおける「広く知られた好色さ」がテレビでの性表現やインターネット・ポルノと密接に繋がっているという持論を展開し、チアリーディングの影響で十代の妊娠や学校中退者が増え、性病が蔓延する事になると警告している。当初のエドワーズ法案は懲罰的な色合いが濃かったが、学校関係者からの反発を考慮してか、最終的に懲罰部分は緩やかなものへと変更された。しかし、反対派からの批判の声は止む事が無く、同じ民主党のトンプソン議員は「こんな馬鹿げた法案が本会議にかけられること自体、恥ずかしくて仕方がない」と切り捨てている。共和党のカスティール議員は「政治家がモラルという領域を法制化するのはどうかと思う」と語ったが、法案には賛成票を投じた事も明かした。

エドワーズ議員は複数のテレビ出演の中で、上院における法案の発起人を見つけられていない事を明かしている。議員達は今回の法案のテーマはそれぞれの町で議論されるべきであり、州によって法制化するものではないとの認識を示している。チアリーディングの人気が高いテキサス州では、地元住民の中にもエドワース議員の法案に憤慨する者が少なくない。スタッフォードにあるチアリーディング・スクールで働くケリー・ミュークスは高校で行われるチアリーディングのイベントが健全なエンターテーメントであると強調し、子供達は学校の名誉をかけながらチアリーディングを楽しんでいるのだと語った。「政治家連中は私の子供がお尻を振る事よりも、イラクで亡くなる人達の事を心配すべきでしょう。」、とミュークスは皮肉を込めて言った。

もう1つのニュースは、アトランタ・ジャーナル・コンスティチューション紙の記事から。これ僕も結論を出せないテーマだけど、皆さんはどう感じるでしょうか?ジョージア州アトランタ近郊にあるグイネット郡の教育委員会は金曜日未明、地元のダルカ高校の物理学教師ラリー・ニースの解雇を決定した。ニースは授業中に居眠りをしていた生徒に厳しい成績を与え、これを問題視した教育委員会が木曜日夜からニースの処遇を決定する公聴会を開いていた。公聴会は日付が変わった金曜日早朝まで続けられ、最終的に4-1の投票でニースの解雇が決定された模様。ニースの弁護団は30日以内に州教育委員会に解雇処分に対する控訴を求める予定で、「ダルカ高校の生徒達は学力だけではなく人間的な成長も気にかける優秀な教師を失ったんです」、と弁護士の1人は語った。

生徒の成績は学力レベルをベースにすべきとのルールが存在するため、規律面で問題のある生徒の成績アップを拒んだニースは教育委員会の定めた規定に反している事になる。郡教育委員会によって行われた公聴会では、全会一致でニースの規定違反が認められたが、解雇に関しては1名が反対している。また、ニースが処分決定まで給与の支払停止処分をすでに受けていたため、今回の解雇という決定が本当に効果的だったのかという疑問の声も存在している。公聴会には生徒やその親ら約200人が傍聴人として参加し、ダルカ高校で23年間にわたり教職についていたベテラン教師の運命を見守った。ニース本人は4月14日を最後に学校に戻る事を許されておらず、木曜日の公聴会に久し振りにその姿を現した。

ニースによって厳しい評価を下された生徒は高校のフットボール部に所属しており、夜通しで行う物理学実験でずっと眠りっぱなしだったため、ニースはこの生徒の成績(成績自体は満点だったとの事)を半分にまで減点した。ニースは10年前から自分の授業のシラバスに「授業中の居眠りなどは減点対象になるので注意」と書き加えており、これまで教育委員会などからのクレームは一切無かった。ニースの行為を支持する生徒や家族は多く、公聴会にはニースの処分に反対するバッジやTシャツを着た生徒が多く詰め掛け、ニース支持を声高に叫んでいる。娘がニースのクラスで学んだ事があるという女性は、ニースのやりかたに理解を示し、クラスで居眠りをする生徒に対する何らかの懲罰は必要ではないかと語った。

とうとう帰国です。2週間ほど日本に戻り、少しゆっくりとして、5月の終わりに再びワシントンに戻ってくる予定。本当はゴールデンウィーク前に帰りたかったんだけど(帰省している友人も多いし)、なにしろ航空券価格がハンパじゃない高さだったので、泣く泣く8日にワシントンを発つ事に。明日は午後1時前のフライトで、ありがたい事に一緒にサッカーをやっている友人が車でレーガン空港まで送ってくれるのだが、フライトが昼ということもあってサッカーの試合を見る事に。セリエAチャンピオンの座をかけ、現在共に1位のACミランとユベントスがミラノにて激突。こちらの時間で午前9時にキックオフなので、試合終了後に車を飛ばして空港に向かうつもりだが、フライトには遅れないように気をつけます。本当にシャレにならないからね…。

機内ではノートパソコンでDVDでも見たり、最近買った本を読んだりしながら、眠気が襲ってくるのを待つことに。幸運な事に、僕は今まで時差ぼけとは無縁なのだが、やはり機内では眠る時間帯などに少しばかり神経質になってしまう。まぁ、帰国したら少しばかり仕事もしなければいけないので、時差ぼけも自然に吹き飛んでくれるとは思うんだけど。日本滞在中のブログの更新だけど、今回は新しいノートパソコンを持って帰るので、昨年の帰国よりは少しばかりマシだろうと信じております。この前の帰国で持って帰ったノートパソコン、実家についてスイッチを入れるとモニター部分が死んでしまった状態で、何度もネットカフェの大世話になる始末。今回は頑張って更新しようかと(現時点では…)思っているので、たまにブログの方をのぞいてやって下さいな。


昨日の話のつづきになりますが

2005-05-05 14:04:13 | ニュース
昨日の話の続きに入る前に、まずはサッカーの欧州チャンピオンズリーグの話から。ラジオの仕事を終わらせてから、駆け足でスポーツバーまで向かい(昨日のブログでも触れた右足の魚の目、あれは冗談じゃなく本当の話で、走るのがこんなに辛いとは思わなかった…)、準決勝のPSVアイントホーフェン対ACミランの試合を観戦。先週ミラノで行われた1試合目ではACミランが2-0で勝利している。先週の試合後、バーに残って友人らとサッカー談義を続けた僕は、ホームに戻ったPSVが「大仕事」をやってのける可能性があると言ったんだけど、その時は底抜けにおめでたい変人として切り捨てられた。しかし、「幾何学の美」とでも表現すべきPSVのパスサッカーにミランのディフェンス陣が翻弄されていたのも事実だったのだ。まともなストライカーが1人いれば…。

今日の試合にもPSVはまともなストライカー抜きで挑んでいるが、70分までにパク・チソンとフィリップ・コクーがゴールを決める活躍で、スコアはなんと2-0でPSVがリード。ロマーリオ、ロナウド、ファン・ニステルルーイ、それに最近ならロッベンといったような各時代を代表するストライカーを輩出している事を考えれば、今のストライカー陣はなんとも頼りないが、これを中盤の選手が見事なまでにサポートしている。試合のほうだが、このまま延長戦にはいるかと思われた後半のロスタイムにアンブロシーニのゴールでミランが1点を返す展開。その30秒後に、再びベテランのコクーが、マラドーナにシャンプーみたいな名前とからかわれたあのコクーが、難しい体制からのゴールでスコアを3-1にする。このまま試合は終了し、アウェーゴールのためPSVは敗退したが、今大会で最も美しいサッカーをしたクラブだったと思う。楽しませてもらいました。

兵庫県西宮市で発生した朝日新聞阪神支局襲撃事件から18年を迎え、現在の局舎が来年春に立て替えられる事から、当時の建物で行われる追悼式は今回が最後になるのだという。ここワシントンから朝日新聞のホームページを眺めながら、僕は当時のかすかな記憶を思い出すことに懸命だった。事件発生当時に自分が小学6年生だった事を、18年前というキーワードで思い出すことができたのだが、事件のあった夜に僕は家族と一緒に事件現場からそれほど離れていないJR西ノ宮駅近くのレストランにいた事を鮮明に覚えている。ちょうど、ゴールデンウィークだという事もあって、家族で何かを食べに行ったはずなのだけど、食事の事よりも何よりも、店の外(国道2号線になっている)を猛スピードで走る覆面パトカーの印象が今も脳裏に焼き付いているのだ。

子供の頃の記憶って、次第に薄れがちになるもんだけど、この阪神支局襲撃事件とグリコ・森永事件だけは実家からそれほど離れていない場所で発生した事もあり、昔の記憶が今でも簡単に浮かび上がってくる。阪神支局の中で殺害された小尻知博記者の事件当時の年齢は今の僕と同じ29歳。こういった話に「たられば」は無いんだけど、もし生きておられたらワシントンで偶然会っていたとしてもおかしくない年齢になっていたはず。そんな5月3日のワシントンで、小尻記者にも少し関係したイベントが行われた。正確にはポトマック川の対岸にあるバージニア州アーリントンのロズリンと呼ばれる地区で、ジャーナリスト記念碑に名前を刻む式典が催されたのだ。名前を刻まれた78人は、2004年に命を落としたジャーナリスト達である。

このジャーナリスト記念碑、一般に無料で公開されている事もあり、僕も時々足を運んで名前を見たりしている。ボストン時代にホームパーティーで知り合ったウクライナのテレビ記者の同僚は2001年に何者かによって殺害され、大学院時代に仲のよかったベネズエラのクラスメートの友人は、1993年にカラカスで発生したデモ取材中に催涙ガスの破片に当たり死亡している。2人の名前や、小尻記者の名前も記念碑には刻まれている。この記念碑に刻まれる名前が増えない事を祈るばかりだが、現実には名前は毎年増える一方で、状況はむしろ悪化の一途をたどっている気配すらある。

名前が新たに刻まれた78人の中には事故で亡くなった方も含まれており、ニューヨークに本部を置くジャーナリスト保護委員会(CPJ)の調べでは、少なくとも56人が殺害されたとの事だ。橋田さんや小川さんのように2004年にイラクで殺害されたジャーナリストの数は23人に達しており、ほぼ全員(記念碑に名前が刻まれたのは25人)の死因となってしまっている。フィリピンで殺害されたジャーナリストの数も多く、2004年には8人が犠牲となっている(記念碑には9人の名前が刻まれている)。1812年以降の統計で、2004年度に死亡したジャーナリストの犠牲者数は3番目の大きさを記録しており、2005年度もすでに15人のジャーナリストの殺害が確認されている(CPJ調べ)。

CPJの調査結果もここに少しだけ紹介しておきたい。アーリントンで追悼式典が催される前日の2日、CPJは現在ジャーナリストにとって最も危険な5つの国を発表している。1位から順番にフィリピン、イラク、コロンビア、バングラデッシュ、ロシアという名前が挙がっており、これは2000年1月1日から現在までの調査に基づいて出された結果だということだ。調査開始から現在までに190名のジャーナリストが死亡しており、そのうちの121件は殺害されたケースとなっている。はじき出された数字だけで判断すると、2000年以降に世界中で死亡したジャーナリストの64パーセントは殺害されたという計算になる。ジャーナリストの殺害事件で解決まで至ったものは、悲しくなるような数字だけど、全体のわずか14パーセント足らずという事。

近年では1995年がジャーナリストの殺害が最も多かった年なのだが(51名)、それからは少しずつ下降傾向に入り、2002年には20名にまで減少した。しかし、イラクで命を落とすジャーナリストが増え始めたため、2003年に再び39名にまで増加し、2004年は56名が殺された。暗い話題で申し訳ないが、せっかくの機会なのでCPJ発表のデータをもう少しだけ書いておきたいと思う。1995年から2004年までの間に殺害されたジャーナリストの数は246名に達するが、このうちの211件では犯人は何の刑罰も受けていない状態だ。60名は殺害前に何らかの脅迫を受けており、殺害前に誘拐されたジャーナリストも23名いる。19名の女性ジャーナリストが殺害されている事も触れておきたい。悲しいけど、現実はこんな風になっているんです。

1812年以降で3番目のひどさを記録した2004年。僕はきっと第2次世界大戦やベトナム戦争などで多くのジャーナリストが命を落としたのだろうと考えていたが、実際には最も多くのジャーナリストが命を落としたのは1994年の94人で、この年はアルジェリアやルワンダ、ボスニアで内戦が激化している。2番目は1991年(93人)で、コロンビア国内の麻薬戦争で多くのジャーナリストが犠牲となった。「イラク戦争の陰に隠れながら、いくつもの国でジャーナリストへの暴力は増えており、現実には事態が悪化していると言わざるをえません」、と追悼式典の責任者スーザン・ベネットは僕に話してくれた。ワシントンの記念碑(いろいろありすぎて、僕も幾つ位あるのかは分からない)を訪れる観光客は多いけど、ぜひこの記念碑にも訪れて欲しいと思う。

いかんいかん、帰国までに劇場で見たい映画が数本あるんだけど、どれも見れないまま今日に至ってしまいました。今週末から始まるリドリー・スコット監督の「キングダム・オブ・ヘブン」だけはぜひ見ておきたいんだけど、金曜日うまく時間が作れたらの話。十字軍遠征という、今の時代に凄くセンシティヴなテーマで作られた映画だけど、どのような作品になっているのかが凄く気になる。スペインのアンダルシアやアラゴンでロケは行われたようで、監督の独特の世界観が再びスクリーンで見られるのだろうか?友人の話では、リュック・べッソン脚本でジェット・リーが主演するアクション映画が以外にグッドらしく、見ようかなぁと迷っている最中なのだ。やっぱり、夏といえばアクション映画でしょう。気持ちもスカッとするしねぇ。


78人

2005-05-04 13:40:04 | Weblog
右足裏にできた魚の目を気にしつつ、今日は朝からアーリントン市内で行われたジャーナリスト追悼式典に出席。いろいろと書きたい事があるが、2時間前に友人らと一杯やったのが影響してか、今は凄く眠たいため(「またかよ…」という突っ込み、ここにいても聞こえてきそうですが、どうかご勘弁を)、明日ゆっくりと書くことに。この式典、去年も取材でカバーしたんだけど、今年もまた色々と考えさせられる時間だった。式典に参加されていた橋田さんの奥様から、悲しみと強さのオーラが両方出ていた事は、寝る前にどうしても書いておきたかった。78人のジャーナリストが不慮の死を遂げた2004年だが、果たして状況は改善されるのだろうか、それとも…。続きは明日に。