夏バテではないけれど、少し疲れがたまっていたのか、夜の9時過ぎにソファーに腰掛けた瞬間に心地よい眠りの世界へと引き込まれた。ランチの時に呼んでいたウォールストリート・ジャーナル紙にはアディダスのリーボック買収に関する記事があったりして、本当は今日のブログで書こうかなとも思ったんだけど、これから再び寝るつもりなので(今夜はクーラーもつけっ放しで)、明日にでも書きます。でも、どうしても書いておきたいことがあって、今から30分だけ眠い目をこすって、今日の夕方思ったことを書きとめておこうと思う。冷蔵庫に食料が全く無い事が気になり、ラジオ出演前の夕方5時頃にスーパーマーケットに行ってきた。スーパーの前で偶然にも国務省勤務の悪友と遭遇(相変わらず、役人は帰るのが早い…)。10分ほど立ち話をした。
「この3日間でイラクの米兵が何人死んだか知ってる?」、友人がいきなり切り出してきた。ちょうど数時間後にラジオで触れるテーマでもあったため、「20人だったよね?」と僕は答えた。「そう、20人。20人の兵隊が3日間で殺されてるのに、ワシントンじゃぁ誰も気にしてないんだぜ。狂ってるよ、この町は」、興奮を隠せない友人の口調がヒートアップする。さすがにオフィスでは口にできないらしく、スーパーの前で遭遇した僕に腹の中で煮えくり返る思いをぶつけたかったようだ。アメリカだけじゃないけれど、戦争は常にクーラーの聞いた部屋でジイさんらが計画して、貧乏人の若者が命を落とす。7年前の誕生日、僕はアルゼンチン人の女の子とケンブリッジの地中海レストランでディナーを楽しんだけど、そこでフォークランド紛争の話を少しした記憶がある(誕生日のディナーに招待してくれた女性と話すような話題ではないことは百も承知ですが…)。当時、イギリス軍と戦ったアルゼンチン兵の多くが経済的に貧しい北部出身者で、彼女の出身地コリエンテスで生まれ育った若者で命を落とした者も少なくなかったそうだ。今朝からそんな事を思い出していた。アメリカでもコリエンテスのような町が存在するからだ。
6人の海兵隊員が戦死した2日後の火曜日、イラク西部では新たに14人の海兵隊員と通訳の1人が死亡している。この3日間で戦死した20人の海兵隊員が全てオハイオ州に基地を持つ同じ部隊出身だったこともあり、オハイオ州に住む戦死米兵の家族らからは悲しみと怒りが交錯した感情が湧き起こっている。戦死した20人の海兵隊員はクリーブランド近郊に基地のある海兵隊第25連隊第3大隊に所属していた。そのうち火曜日に戦死した14人と通訳の1人は、シリアとの国境に近いイラク西部のハディーサ近郊を軽装甲車などで移動中、道路わきに仕掛けられた爆弾によって殺害されている。CBSニュースの報道では、爆発後に車内に閉じ込められる格好となった兵士らは、車外に出る事もできないまま息絶えたようだ。
火曜日に戦死した14人のうち、9人が第3大隊内のリマ中隊に所属していた。この中隊には「ラッキー・リマ」というニックネームがついているが、すでに11人がイラクで戦死している。中隊の兵士らは全て予備役で構成されている。第3大隊は今年1月に始動し、3月にイラクに派遣されたばかりだった。第3大隊の本部は人口2万1000人ほどの小さな町ブルック・パークにあり、ブルーカラー層の多い町として周辺では知られている。「米軍兵士にこれ以上の犠牲者を出させないためにも、ブッシュは今すぐイラクからの撤退を行うべき」、第3大隊本部前のコーヒーショップで69歳の女性はAP通信の記者にそう語った。コーヒーショップを経営するパット・ウィルソックスさんは、「ここの客はみんな大隊の連中を誰かしら知っているし、兵士もよくコーヒーを買いに来るからね」と、火曜日のニュースにショックを隠せない様子だった。
ベトナム戦争時と違い、今回のイラク戦争ではアメリカ各地の予備役が招集され、イラクで実際の任務についている。軍事史の研究家らはAP通信に対し、兵士が互いをよく知り合う部隊の方が作戦の実効性や生存率が高まるとの論理的根拠を説明したが、1つの地域から多数の死傷者が出る危険性も兼ね備えている。オハイオ州立大学のアラン・ミレット教授(軍事史)は、同地域出身者で固めた部隊による効果を強調しながらも、多数の戦死者を出した出身地では大きなトラウマが残るだろうとも指摘している。ベトナム戦争時、全国で徴兵された兵士や志願兵らは、出身地に関係なく様々な部隊に配属されていた。海兵隊第25連隊第3大隊が初めて始動したのは1843年の事で、第2次世界大戦中には硫黄島の飛行場制圧に大きな役割を果たしている。
数ヶ月前に友人の新聞記者らとジョージタウンにディナーに行った時、僕と同じバージニア北部に住むIRS(国税庁)勤務のオッサンも遊びに来た。彼の息子さんも海兵隊員で、今もイラク西部で任務についている。メールなどで頻繁に連絡を取り合っていても、戦死者を報じるニュースを見た途端、その晩はなかなか眠れないと悩んでいた。赤ワインが手伝ったのか、彼も「この戦争は一体なんなんだろうね?」とこぼしていたけど、僕も同感だ。大量破壊兵器も無けりゃ、フセイン政権とテロリストとの関係も全く証明されていない。「僕らは1日も早く故郷に帰るため、今ある任務をこなすだけ」、ソマリアで任務についた事のある元陸軍兵が僕にそう言った事があったけど、今回の戦争の意味を誰も理解できないまま、米兵の戦死者はついに1800人を突破した。
「この3日間でイラクの米兵が何人死んだか知ってる?」、友人がいきなり切り出してきた。ちょうど数時間後にラジオで触れるテーマでもあったため、「20人だったよね?」と僕は答えた。「そう、20人。20人の兵隊が3日間で殺されてるのに、ワシントンじゃぁ誰も気にしてないんだぜ。狂ってるよ、この町は」、興奮を隠せない友人の口調がヒートアップする。さすがにオフィスでは口にできないらしく、スーパーの前で遭遇した僕に腹の中で煮えくり返る思いをぶつけたかったようだ。アメリカだけじゃないけれど、戦争は常にクーラーの聞いた部屋でジイさんらが計画して、貧乏人の若者が命を落とす。7年前の誕生日、僕はアルゼンチン人の女の子とケンブリッジの地中海レストランでディナーを楽しんだけど、そこでフォークランド紛争の話を少しした記憶がある(誕生日のディナーに招待してくれた女性と話すような話題ではないことは百も承知ですが…)。当時、イギリス軍と戦ったアルゼンチン兵の多くが経済的に貧しい北部出身者で、彼女の出身地コリエンテスで生まれ育った若者で命を落とした者も少なくなかったそうだ。今朝からそんな事を思い出していた。アメリカでもコリエンテスのような町が存在するからだ。
6人の海兵隊員が戦死した2日後の火曜日、イラク西部では新たに14人の海兵隊員と通訳の1人が死亡している。この3日間で戦死した20人の海兵隊員が全てオハイオ州に基地を持つ同じ部隊出身だったこともあり、オハイオ州に住む戦死米兵の家族らからは悲しみと怒りが交錯した感情が湧き起こっている。戦死した20人の海兵隊員はクリーブランド近郊に基地のある海兵隊第25連隊第3大隊に所属していた。そのうち火曜日に戦死した14人と通訳の1人は、シリアとの国境に近いイラク西部のハディーサ近郊を軽装甲車などで移動中、道路わきに仕掛けられた爆弾によって殺害されている。CBSニュースの報道では、爆発後に車内に閉じ込められる格好となった兵士らは、車外に出る事もできないまま息絶えたようだ。
火曜日に戦死した14人のうち、9人が第3大隊内のリマ中隊に所属していた。この中隊には「ラッキー・リマ」というニックネームがついているが、すでに11人がイラクで戦死している。中隊の兵士らは全て予備役で構成されている。第3大隊は今年1月に始動し、3月にイラクに派遣されたばかりだった。第3大隊の本部は人口2万1000人ほどの小さな町ブルック・パークにあり、ブルーカラー層の多い町として周辺では知られている。「米軍兵士にこれ以上の犠牲者を出させないためにも、ブッシュは今すぐイラクからの撤退を行うべき」、第3大隊本部前のコーヒーショップで69歳の女性はAP通信の記者にそう語った。コーヒーショップを経営するパット・ウィルソックスさんは、「ここの客はみんな大隊の連中を誰かしら知っているし、兵士もよくコーヒーを買いに来るからね」と、火曜日のニュースにショックを隠せない様子だった。
ベトナム戦争時と違い、今回のイラク戦争ではアメリカ各地の予備役が招集され、イラクで実際の任務についている。軍事史の研究家らはAP通信に対し、兵士が互いをよく知り合う部隊の方が作戦の実効性や生存率が高まるとの論理的根拠を説明したが、1つの地域から多数の死傷者が出る危険性も兼ね備えている。オハイオ州立大学のアラン・ミレット教授(軍事史)は、同地域出身者で固めた部隊による効果を強調しながらも、多数の戦死者を出した出身地では大きなトラウマが残るだろうとも指摘している。ベトナム戦争時、全国で徴兵された兵士や志願兵らは、出身地に関係なく様々な部隊に配属されていた。海兵隊第25連隊第3大隊が初めて始動したのは1843年の事で、第2次世界大戦中には硫黄島の飛行場制圧に大きな役割を果たしている。
数ヶ月前に友人の新聞記者らとジョージタウンにディナーに行った時、僕と同じバージニア北部に住むIRS(国税庁)勤務のオッサンも遊びに来た。彼の息子さんも海兵隊員で、今もイラク西部で任務についている。メールなどで頻繁に連絡を取り合っていても、戦死者を報じるニュースを見た途端、その晩はなかなか眠れないと悩んでいた。赤ワインが手伝ったのか、彼も「この戦争は一体なんなんだろうね?」とこぼしていたけど、僕も同感だ。大量破壊兵器も無けりゃ、フセイン政権とテロリストとの関係も全く証明されていない。「僕らは1日も早く故郷に帰るため、今ある任務をこなすだけ」、ソマリアで任務についた事のある元陸軍兵が僕にそう言った事があったけど、今回の戦争の意味を誰も理解できないまま、米兵の戦死者はついに1800人を突破した。