IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

思い出のブラッサリーと古びた紅茶

2005-08-18 14:08:02 | テロリズム
取材から帰ってきて、時計を見ると時刻はすでに午後2時過ぎ。前日にドイツの友人にメールをし、彼女が8時までは自分のオフィスにいると聞いていた僕は、現地時間で午後8時までには電話を入れると約束していたのだ。アメリカ東部とドイツとの時差は6時間。つまり、この時点でドイツの現地時間は午後8時をまわっていたんだけど、彼女の携帯電話にかけると電話代が割り増しになるというセコい危機感を持った僕は、とりあえずオフィスの方に電話を入れた。ダンケ・シェーン、幸いにも友人はまだオフィスで仕事中だった。先週末、僕は彼女の生徒がワシントンで9月から調査活動を行うと聞き、周辺で1ヶ月ほど「リーズナルブルな値段(ドイツ人らしからぬファジーな言葉)」で住める場所を探してほしいと頼まれた。YMCAやYWCAも、意外に高いらしい。

そんな事もあり、ワシントン周辺のサブレット情報に目を通した僕は、幾つかのナイスな物件をリストアップしてみた。それぞれのサブレットの情報(たとえば、地下鉄駅から近いのかとか、インターネットができる環境にあるのかなど…)を細かく説明していると、「某大手不動産屋のエージェントのよう」と受話器の向こうで友人は笑っていた。昔、ある人に「報道以外の仕事では、広報か営業が似合ってるかもね」と言われたけれど、不動産の仕事もなんか面白そうだね。サブレットの件は無事にうまく行きそうだけど、友人の生徒は先週、ワシントンから車で40分ほどの所にあるバージニア州ロートンの家をオファーされていたらしい。結局、交通が不便なために、ワシントンにより近い場所を探す事にしたらしいけど、これまたユニークな交換条件だった。ロートンの家に無料で泊まれる代わりに、来年のドイツW杯でドイツの家を貸してほしいという条件。高騰が予想されるホテル代を考えたら、これって頭のいい取引でもあるなと思った。

アルカイダ系ウェブサイトの掲示板に11日、ワシントンDCの地下鉄駅マップが掲載されていたようで、掲示板にはワシントンを走る地下鉄で化学兵器を使用したテロを行うべきだとのメッセージも書き込まれていたそうだ。単なるいたずらなのか、それとも実際に何かが計画されているのか、今の段階では全く分からない。でも、9月11日が近付くにつれて、これはもう毎年の恒例行事と化した感すらあるけれど、アメリカ国内でテロが発生するのではないかといったニュースが報じられ始めている。カリフォルニア州の刑務所内でテロ実行部隊をリクルートしているという話が流れ始めたのが数日前、少し気になったので、今日はこのニュースから。刑務所内で受刑者がイスラム教徒に改修するケースは少なくなく、古くはマルコムXもそうだったように、決して目新しいニュースではないと思う。それに、これから紹介するニュースでは刑務所におけるアルカイダの勧誘活動がテーマとなっているけれど、そういった場所での勧誘活動は白人至上主義組織もヒスパニック系ギャングも、みんなやってるわけで…。ロンドン事件から1ヵ月半、同時多発テロ事件4周年を迎えるアメリカで、「テロ」が再びセンシティブな言葉になりつつあるようだ。

同時多発テロから4年目を迎える来月11日に、ロサンゼルス周辺の軍事施設やユダヤ教のシナゴーグを標的にしたテロが計画されていた事が判明した。テロ計画はサクラメント郊外にある凶悪犯罪者用に作られたニュー・フォルサム州刑務所で練られていた模様だ。地元捜査当局がABCニュースに語ったところでは、オークランドで元ストリートギャングのメンバーだったピーター・マルチネスと囚人仲間のケビン・ジェームズの2人が刑務所内で13人の仲間を集め、アメリカに対する「ジハード」を計画していたとの事。マルチネスとジェームズは現在、刑務所内の独房に身柄を移されている。カリフォルニア州の刑務所で運営管理官を務めていたエドワード・ケイデン氏は、刑務所がアルカイダなどのテロ組織にとって格好のリクルート施設になっていると警告する。

テロ計画の存在が公になった背景だが、ニュー・フォルサム州刑務所から出所したレバー・ワシントンと彼の仲間が、最近連続して発生したガソリンスタンド強盗の容疑者として逮捕された際、テロに関する情報も偶然に判明したようだ。捜査当局の調べでは、ギャング・メンバーだったワシントンは刑務所内でイスラム教に改宗し、周囲にはジハードの必然性を何度も唱えていたのだという。FBIの捜査関係者はABCニュースの取材に対し、昨年暮れに刑務所から出所したワシントンが、サンタモニカのシナゴーグや新兵募集センターの攻撃を仕掛けようと計画していたと語っている。AP通信は、攻撃目標ロサンゼルスのイスラエル大使館も含まれていたと報じている。ワシントンの共犯者として逮捕されたグレゴリー・パターソンは、ロサンゼルス国際空港の免税店に最近まで勤務しており、過去の犯罪記録も一切ない人物だった。しかし、パターソンは逮捕時、極めて殺傷能力の高いライフル銃の購入手続きを済ませたばかりだった。

ワシントンとパターソンに加え、8月2日にはカラチ出身のパキスタン人学生ハマッド・サマナが、一連のテロ計画に加担していたとして逮捕されている。FBIやロス市警から200人以上の捜査員が動員されている今回の事件だが、依然として謎の残る部分も多い。捜査関係者の1人はロサンゼルス・タイムズ紙に対し、ワシントンら3人がサマナの自宅近くにあるモスクに通っていたため、3人の接点が浮上したと語っている。しかし、ロサンゼルス周辺で唯一のモスクであるため、遠方からやってくるイスラム教徒も多く、同紙は捜査関係者のコメントに疑問を投げかけている。また、刑務所内で勧誘された「ジハード希望者」と、刑務所を出所したワシントンらとの関係についても、はっきりとしない部分は少なくない。元連邦刑務局管理官のデービッド・シュワルツ氏は、アメリカ国内の刑務所がイスラム過激思想の温床となりつつあるという最近の報道に懐疑的な見解を示し、イスラム教が受刑者の更生に役立つ場合も多くあると語っている。

大手映画スタジオのユニバーサル・ピクチャーズは16日、911同時多発テロ事件をテーマにしたスリラー作品の製作を発表した。映画のタイトルは「フライト93」と名付けられ、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスビルに墜落するまでの軌跡が描かれる予定だ。2001年9月11日、ニューアーク国際空港(現在のニューアーク・リバティ国際空港)を離陸した93便はサンフランシスコへ向かう途中、上空でハイジャックされ、ワシントンへ方向を変えている。93便がワシントン市内のホワイトハウスか国会議事堂を標的にしていた可能性が指摘されており、捜査関係者らの間では国会議事堂がターゲットだったというのが定説になっている。超党派の議員達で作られる独立調査期間「911委員会」は、機内で乗客の抵抗があったため、ハイジャック機は当初の目的を達成できずにペンシルバニアで墜落したと結論付けている。しかし、回収されたブラックボックスの録音記録などにも不明な点が幾つか存在し、93便がワシントン上空に到達する前に米軍によって撃墜されたという噂も絶えない。

「フライト93」のメガホンをとるのはイギリス人監督のポール・グリーングラスで、北アイルランド紛争をドキュメンタリー風に描いたドラマ「ブラッディ・サンデー」は欧米の批評家から絶賛を受けている。昨年はアメリカ映画「ボーン・スプリマシー」の監督もつとめ、ハリウッド進出も果たしている。なお映画の共同制作には、「フォー・ウェディングス」や「ブリジッド・ジョーンズの日記」といった映画の製作に携わったワーキング・タイトル社も参加する予定だ。バラエティ誌によれば、「フライト93」の上映時間は93便がニューアークを離陸してからシャンクスビルに墜落するまでの実際の長さか、90分程度になる見込みで、観客は墜落の瞬間までをリアルタイムで見ることになるようだ。また、映画では手持ちカメラが頻繁に用いられ、機内の緊張感が最大に表現される模様。

「フライト93」以前にも、ハリウッドの大手スタジオはすでに2本の911テロ事件関連映画の製作を発表している。オリバー・ストーン監督による世界貿易センター倒壊の様子を描いた映画の撮影が10月半ばから開始される予定で(製作はパラマウント・ピクチャーズ)、映画の主演にはニコラス・ケイジが抜擢されている。また、今年2月にはコロンビア・ピクチャーズがニューヨーク・タイムズ紙記者らによって書かれたノンフィクション作品の映画化権を購入しており、こちらも近いうちに具体的な製作発表が行われる模様だ。911テロ事件直後、国民感情を敏感に察知したハリウッドでは自主規制が設けられ、コロンビア・ピクチャーズは「スパイダーマン」の予告編から世界貿易センター・ビルが映ったシーンを削除したりしている。しかし、事件から4年の月日が流れ、大手映画スタジオやネットワーク・テレビ局は911テロ事件をテーマにした作品を続々と発表している。秋にはABCも合計8時間のミニシリーズを放送する予定だ。

からバタバタとした1日だったけど、とりあえず長~い1日がやっと終わった感じです。ラジオの仕事を終えてすぐ、僕はワシントンに地下鉄で戻り、FBI本部近くのレストランでディナーを楽しんだ。すでに姉達も到着していて、昨日のブログにも書いたジョー夫妻や、彼の息子夫婦と一緒に昔話を楽しんだりした。今日のレストランは肉料理の美味しいパリ風ブラッサリーで、本当に偶然なんだけど、僕の前の職場の先輩達に何度か連れて行ってもらった思い出の場所。食後のコーヒーを飲んでいる時、どういうわけか「コーヒー派、それともティー派?」という話になった。今では就寝10分前にもブラック・コーヒーを飲む僕だけど、よく考えたらオーストラリア時代には少々濃い目のセイロンティーが好きだったような記憶が。帰宅してからも紅茶と無縁の生活になって久しいのが気になり、キッチンに置いてあるティーバッグを手にとってみた。少なくとも2年以上前に買った物で、お湯を注いで飲んでみようという気にすらなれなかった。明日から紅茶で行きますか。体にもよさそーだし。