IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

清教徒のルールは今も残る

2005-11-21 12:27:24 | 歴史(?)
ミステリー映画好きのアメリカ人から、HBO(「Sex and the City」や「ザ・ソプラノズ」を放送している有料ケーブル局で、人気オリジナル番組を多く持つ)の新しい犯罪サスペンスドラマが面白いと教えてもらった。「エピタフィオス」というこのドラマ、HBOラティーノ(スペイン語チャンネル)がアルゼンチンで製作したもので、連続殺人犯を追うブエノスアイレスの刑事と精神科医の女性が主人公となっている。少し前からアメリカ国内でも英語の字幕付きで見れるようになったらしく、全13話のうち最初の5話までは見た。まだ全てを見終えてはいないけれど、おそらく僕がこの数年で見たドラマの中で最も質の高い作りだと思う。日本でも放送される機会があれば、ぜひチェックしてみてください。さて、今日は感謝祭休日に関するニュースをAP通信の記事から。

11月の第4木曜日は全米で感謝祭休日となっており、日本の盆や正月のように、家族や親戚が一堂に集まって夕食をとる伝統が今も続いている。11月の第4週は、週明けから大学生が実家に戻り始め、水曜日になると多くの町で人影が極端に少なくなる。伝統的に木曜日の晩はロースト・ターキーを食べる習慣があるため、各地では火曜日と水曜日の営業時間を延長するスーパーマーケットや市場が少なくないが、木曜日はそのほとんどがシャッターを下ろしており、店を開けるスーパーも昼過ぎまで営業するだけだ。感謝祭当日の朝になって、ギリギリでスーパーに駆け込み、七面鳥などの食材を購入するアメリカ人も少なくないが、マサチューセッツ州ではこういった当日の食料買出しができなくなる模様だ。

マサチューセッツ州全域にチェーン店を構える大手スーパーのホール・フーズ社はすでに州当局から警告を受けており、感謝祭当日に店を開けた場合には刑事責任に問われる可能性もあると圧力をかけられている。これはマサチューセッツ州に今も残る「ブルー・ロウ(休息日の労働や娯楽を禁じた清教徒的厳法)」によって感謝祭当日の労働が禁じられているためで、ホール・フーズ社のライバルでもあるショウ・スーパーマーケット社は最近、トーマス・ライリー州司法長官に対してホール・フーズ社の休日開店計画を止めさせるよう嘆願書を送っている。ホール・フーズ社のデーヴィッド・ラノン北大西洋地区代表はAP通信の取材に対し、同社がすでに州内の14店舗で感謝祭当日の開店を見送る事にしたと語っている。「法律を犯す考えは全くありません。ブルー・ロウが休息日の開店を禁じているのなら、我々もそれに従うのみです」、ラノン氏はそう語っている。

マサチューセッツ州に今も残る清教徒的厳法は17世紀に作られたもので、当初は植民地にやって来た清教徒達の行動を制限し、日曜日は自宅と教会以外からの外出を禁じるというものだった。ブルー・ロウの多くは時代の流れと共に廃止されていったが、休日の商店経営に関する法律は今も1つだけ残っており、コンビニとガス・ステーション以外は感謝祭・クリスマス・元日に店を開けてはならないと定められている。ホール・フーズ社はこれまで州内の各自治体から特別許可をもらい、感謝祭当日に幾つかの店舗で開店を行ってきたが、今年は同業者からの苦情もあって開店の可能性はゼロに近い。前出のショウ社はブルー・ロウ自体が時代遅れの法律だと語っているが、「従業員の休日を保障したい」との理由から感謝祭当日の開店を行う考えはないと強調し、同時にこれまで客を競争無しで独占してきたホール・フーズ社を批判している。

来年ドイツで行われるサッカーW杯。先週、そのプレーオフが世界各地で行われたけれど、トルコとスイスの一戦は、試合後に両チームの選手やスタッフが乱闘劇を繰り広げた事もあって、トルコの2010年大会からの追放も検討されているんだとか。トルコといえば、4~5年前にもイスタンブールで行われたUEFAカップ決勝戦の前日に、リーズ・ユナイテッド(イングランド)のファンがイスタンブール市内で刺殺されている(事件の前、多くのイングランド・ファンが市内でトルコの国旗を燃やしたり、破壊行為を行っていたのも事実)。そして、先週水曜日の夕方、我が家の近くにあるスポーツ・バーでもテレビで試合を観戦していたトルコ人とスイス人のファン同士が喧嘩を起こし、1人が前歯を全部折られてしまったらしい。この話をバーのオーナーから聞いた時、僕や友人はトルコ人が喧嘩を仕掛けて相手の歯を折ったものだと思ったんだけど、実際に喧嘩を吹っかけて相手に怪我を負わせたのはスイス人の方だった。犬が人に噛み付いてもニュースにならないけれど、人が犬に噛み付けばニュースになるのと同じで、スイス人による大立ち回りの話はちょっとした話題となっている。スイス人が喧嘩する姿…、今も想像するのが難しいんだけどなぁ。

5ドル札しか出てこないATM機、なんじゃそりゃぁ

2005-10-15 11:54:42 | 歴史(?)
国民投票をいよいよ翌日に控えたイラクのバグダッドで、14日夜に大規模停電が発生した模様だ。イラク政府報道官は武装勢力によってバグダッド市内の送電網が爆破されたと発表しており、CNNはバグダッド市内の約70パーセントが停電状態だと報じている。また市内の数ヶ所で水道設備が破壊された可能性もあり、各メディアはバグダッド市内の複数の地域で水の供給がストップしたと報じている。明日の選挙、一体どうなるんだろうか?さてさて、今日はまず明日早朝からワシントン市内で行われる大規模集会に関する話から。そのあとで、クリスチャン・サイエンス・モニター紙が報じたネイティブ・アメリカンとカジノに関する話を紹介します。アメリカ国内のカジノ産業はさらに成長が続くようで、数ヶ月前に読んだ新聞記事では映画「ミシシッピー・バーニング」の舞台となった南部の田舎町で、住民の多くがネイティブ・アメリカンが経営するカジノの従業員として働く様子が報じられていた。そんなカジノ産業の裏に、原住民の抱える問題が見え隠れするようだ。

黒人イスラム教組織「ネイション・オブ・イスラム」の指導者ルイス・ファラカーン師は13日、ワシントン市内のナショナル・プレスクラブで記者会見を行い、アメリカ国内で今も根強く残る人種差別の影響で多くの黒人が十分な教育を受けれずに貧困に苦しんでいると語り、アメリカ国内の黒人コミュニティ同士の団結を訴えた。「ミリオン・マン・マーチ」の10周年記念式典に参加するためワシントンに滞在するファラカーン師は、15日に市内で行われる大規模集会にも参加する予定だ。連邦政府が過去30年間にわたって黒人コミュニティの抱える貧困問題に対して真剣に取り組んでこなかったと激しく批判を展開したファラカーン氏だが、同時に黒人に対しても、政府の福祉に頼らずに経済的に自立する事が必要だと語っている。「本来なら自分達で出来る事までも、他人に施しを請うなんてうんざりです。自立する意思が無いのなら、誰もあなたに手を差し伸べる事はないでしょう」、ファラカーン師はそう語った。

13日の会見でファラカーン師は警察の暴力や教育問題についても語ったが、前立腺癌を完治した彼の表情は活気に満ちていた。また、ブッシュ政権を激しく非難したファラカーン師は、同様に彼の事を性差別主義者や反ユダヤ主義者と呼ぶ批評家達に対しても、「他の人間に黒人コミュニティの問題を語られたくはない」と反論してみせた。名誉毀損防止連盟(ADL)や全米ユダヤ人委員会(AJC)といった団体は、「15日の平和的な式典がファラカーン師の参加で台無しになるだろう」といった声明を発表している。「(ファラカーン師の参加は)全ての人にとって有害です。本当に嘆かわしい事ですね」、デービッド・バーンスタインAJCワシントン支部長はワシントン・ポスト紙の取材に対しそう語った。今年7月、ワシントン市内にある黒人教会でウイリー・ウイルソン牧師は同性愛者を批判したあと、「男性よりも稼ぎの多い女性の影響で、黒人コミュニティで多くの家庭崩壊が発生している」と語り、全国的な批判にさらされている。そういった背景もあってか、13日の記者会見で、ファラカーン師は同性愛者に対して寛容さをアピールし続けた。

15日早朝からスタートする「ミリオン・モア・ムーブメント」だが、主催者側が13日に発表したところでは、3000台のバスと数千台の車がワシントン市内に集結する模様で、最初のイベントは15日午前5時30分から開始される。集会は市内のモールと呼ばれる巨大な公園内で開かれるが、ホワイトハウスから数ブロック先にあるフリーダム・プラザでも黒人同性愛者組織による集会が企画されているとの事。10年前の「ミリオン・マン・マーチ」で最高責任者を務めたベンジャミン・ムハマンド師はワシントン・ポスト紙の取材に対し、15日の集会参加者が10年前のものを上回るかどうかは分からないと答えている。95年の集会では、推定で60万~100万人がワシントン市内に集結したと見られている。今回の大規模集会は以前から企画されていたものだが、偶然にも1ヵ月半前に南部湾岸地域で発生したハリケーン「カトリーナ」がアメリカの抱える人種問題をあらためて浮き彫りにした事もあり、明日の集会でも大きなテーマとして取り上げられる模様だ。

アメリカ国内でカジノ産業の盛んな町といえばラスベガスやアトランティック・シティが有名だが、近い将来、ネイティブ・アメリカンが全米30州で経営するカジノは400店舗に達しており、売り上げ総額で老舗のカジノを抜き去る日も遠くはないと噂されている。ネイティブ・アメリカンが経営するこれらのカジノでは年間190億ドルの売り上げが記録されているが、インディアン保留地以外でのカジノ建設も進められており、にわかに政治問題化する様相を見せている。最近の傾向として、カジノ経営で成功したネイティブ・アメリカンの実業家が外国人投資家とタッグを組んで、インディアン保留地以外の場所で新たなカジノ建設を行う準備を着々と進めているが、新カジノ建設予定地のほとんどがネイティブ・アメリカンと歴史的な関わりが薄い事実が問題となっている。連邦インディアン総務局によると、連邦政府から承認を受けた約40の部族が、彼らの保留地以外でカジノ建設を行うための申請を行ったとの事だ。

「カジノ産業は全米のあらゆる場所に進出しています。ギャンブルが原因で、犯罪率や自殺率が高まったり、自己破産や家庭崩壊に直面する人が少なくないのです」、カジノ産業反対派として知られる共和党のフランク・ウルフ上院議員は今年5月、ブッシュ大統領に宛てた書簡の中でそう語っている。インディアン保留地でのカジノ産業に市や州の当局がクレームをつけるのは、事実上不可能に等しい。これは19世紀にインディアン保留地内での主権がネイティブ・アメリカンに移譲されているためで、加えてインディアン保留地の多くが貧困に苦しむ中で大量の雇用も創出されており、単純に「カジノが有害だ」と言えない環境が存在している。ワシントン州のコウリッツ族は、東部コネチカット州で巨大カジノを経営するモヘガン族から資金援助を受けて、オレゴン州ポートランド近くのリッジフィールドという町に全米第5位となる規模のカジノを建設しようと計画している。保留地を持たないコウリッツ族だが、リッジフィールド周辺に数百年間住んでいた歴史が証明されている。

コウリッツ族のカジノ建設を巡っては、現在も連邦インディアン総務局からの承認が下されていない状態だが、リッジフィールドのあるクラーク群とコウリッツ族関係者との間では、固定資産税の代わりとして地元政府に一定額を支払う事で合意が交わされている。また純収入の2パーセントを郡内の慈善事業に寄付するという約束も交わされたようだ。コウリッツ族のように連邦政府から認可された保留地や土地を持たないネイティブ・アメリカンの部族は相当数いると見られており、そういった部族の多くがアメリカ建国の課程で強制的に居住地から追い出された過去を持っている。このため、税制上の優遇措置を受けることが出来ない彼らは、成功した別の部族から資金援助を受け、カジノ経営でそれぞれの失業問題を解決しようと試みているのだ。ネイティブ・アメリカンの中でも連邦政府に「承認」された部族と、そうでないグループが存在しており、カジノ建設ラッシュの背景に善悪を簡単に判断する事の出来ない問題が存在するのも確かだ。

半年前に購入した新しいジーンズの裾が思ったよりも長く、今日の昼になってペンタゴン・シティにある店に持っていって、もう一度裾直しをしてもらう事に。なぜ半年間もかかったかって?言葉にする事すら恥ずかしいのですが、単に僕が横着だったので…。とにかく、3年来の付き合いがある店員に理由を話して、予想通り「横着モンが!」と一言言われて、ジーンズの方は無事に修理に出せました。それから、少し買物をしようかと思い、モール内のATMで60ドルほど下ろすことにした。2ドルというボストンやカリフォルニアなら暴動騒ぎに発展しかねない手数料にも我慢して、ガラガラガラという引き出し音をいつものように聞く。出てきたドル札を見て笑わずにはいられなかったよ。なにしろ全部5ドル札ですよ。普通なら20ドル札3枚とか、運が悪くても10ドル札6枚でしょうよ。仕方なく、近くのニューススタンドで20ドル札3枚と交換してもらうことに。8年のアメリカ生活で初めての経験。仮にあの場所で400ドル引き出していたら、80枚の5ドル札が出てきたんだろうか…。

明日は昼前頃から、ワシントン市内で「ネイション・オブ・イスラム」の集会の様子を取材して、夜からDCユナイテッドのゲーム(今シーズン最終戦)観戦を口実にスタジアムに飲みに行ってきます。午後10時頃からのライブにも誘われたけど、酒に飲まれてばかりの僕がシッカリとした足取りでダウンタウンのクラブまでたどり着く確立は、あんまり高くないことだけは確かだ。数年前、とあるクラブでのレゲエライブに誘われて行った時には、ステージの真ん前にいながら、あまりに疲れていたため、立ったまま上半身を揺らしながら寝ていた事がある。どうなるんでしょう、明日。


写真:「ネイション・オブ・イスラム」のルイス・ファラカーン師-今年1月に撮影されたもの (ワシントン・ポスト紙より)

太鼓腹でカンクーンに行こう

2005-08-23 15:19:28 | 歴史(?)
1年ぶりにボストンの病院で研修医をやっている友人と電話で話をした。ボストン市内のセント・エリザベス病院の精神科に研修医として勤務しているギリシャ人のアンジェロス、メールでは何度もやり取りしていたが、電話で話をしたのは本当に久しぶりだ。ちょうど2週間後にボストンに遊びに行く予定なので、留守番電話にメッセージでも入れておこうと軽い気持ちで電話をしたら、珍しくアンジェロス本人が受話器を取った。研修医生活も3年目となり、最初の2年と比べれば比較的時間に余裕が出てきたらしい。僕らはそこから延々と話を始め、電話を切った時には日付がすでに変わっていた。それぞれの仕事、ドイツ移住計画(アンジェロスはドイツの医大を卒業している)、政治の話、それからケンブリッジのカフェで今も働くブルガリア出身の美人ウェイトレスの話…。最後の最後に僕のボストン旅行の話をすると、「シャイセ!」とドイツで最も使われる言葉が電話の向こうから聞こえた。アンジェロスは来週から久しぶりに家族のいるアテネに戻り、9月の真ん中までギリシャにいるらしい。

ロサンゼルスで21日、第2次世界大戦中に強制収容所に入れられた58人の日系人に高校の卒業証書が手渡された。第2次世界大戦中、アメリカ国内の日系人は国内に設けられた強制収容所での生活を余儀なくされ、多くの日系二世の若者が通っていた高校を卒業する事ができなかった。レイとサッシュをまとった卒業生達は、ロサンゼル市内にある大学の講堂に集まり、50年以上前に参加しているはずの卒業式に改めて出席した。杖や車椅子で壇上に上がる者も少なくなく、58人の卒業生の目からは涙も溢れていた。1944年にベルモント高校を卒業する予定だったホシザキ・タダシさんは、21日の卒業式でスピーチを行い、ワイオミング州に作られた収容所での体験などについて語った。「高校の卒業証書がただの紙切れと考える人もいるでしょうが、私にとってはシンボルのようなものです」、ホシザキさんは会場に集まった数百人の聴衆にそう語った。

77歳のアイボシ・トシコさんも壇上で卒業証書を受け取り、孫のニコラスさんが2001年に亡くなったアイボシさんの夫の卒業証書を受け取った。「私は夫と一緒にニコラスの卒業式に行きました。本当に素晴らしかったですよ。ニコラスにも今日の卒業式の素晴らしさを分かってもらえればいいですね」、アイボシさんはAP通信の取材にそう語っている。第2次世界大戦中の収容所生活で高校を卒業できなかったカリフォルニアの日系人に卒業証書を与えようという動きは、民主党のサリー・リーバー州下院議員らが中心となって法案化され、州内の各学区では日系二世へ卒業証書が発行される事となった。第2次世界大戦中、反日感情の高まるアメリカ国内では、連邦政府によって12万人以上の日系人が国内10ヶ所に設けられた収容所に送られた。この日系人隔離政策は1942年から45年まで行われ、子供達は収容所内で教育を受ける事となった。

リーバー議員の法案が通過した昨年以降、すでに亡くなった人を含む400人以上が収容所生活前に通っていた高校の卒業証書を手にしている。「本当に長い間、日系アメリカ人の間で収容所生活が語られる事はありませんでした。まるで刑務所から出てきたかのように、収容所の話はタブーだったんです」、そう語るアイボシさんだが、子供や孫の世代では「遠い昔の話」になりつつあると溜息を漏らす。アメリカ政府は1988年、戦時中の日系人隔離政策を公式に謝罪し、収容者1人につき2万ドルの賠償金を支払う事を決定している。しかし、昨年から始まった「カリフォルニアの二世に卒業証書を送るプロジェクト」によって、家族の中で戦時中の体験をオープンに話せる機会が増えたのも確かなようだ。プロジェクトに参加した14歳のジョーダン・マルドナードさんは、日系人の祖母が送った収容所生活の話を初めて聞き、祖母と二人三脚で卒業証書を手に入れている。

アリゾナ州ベールに今年から開校したエンパイア高校では、従来の教科書が全く用いられず、その代わりに340人の生徒全員にアップル・コンピュータ社製のノートパソコンが1台ずつ支給されている。アメリカの公立高校では教科書の変わりにノートパソコンで授業を行う試みが実験的に採用されており、エンパイア高校は教科書の使用を廃止した全米で最初の公立高校のひとつでもある。「テクノロジーを今まで以上に教育現場に投入していきたいですし、多少のリスクは覚悟しています」、この学区で管理官を務めるカルビン・ベーカー氏はそう語った。「多くの学校にとって、コンピューターはケーキの上にかかっている粉砂糖のようなものですが、私達はノートパソコンをケーキの原材料そのものにしたいのです」、とベーカー氏。

ワシントンDCにある全米ソフトウェア・情報産業協会のマーク・シュナイダーマン氏によれば、2年前に全米の600学区で生徒全員にノートパソコンが実験的に支給されたが、現在そういった学区はほぼ倍増しているとの事。ノートパソコンだけを用いて授業を行う学校は依然として少数派であるが、シュナイダーマン氏は、将来的により多くの公立高校が教科書からパソコンへの移行作業を開始するだろうと推測している。バージニア州リッチモンド近郊のヘンリコ郡にある23の中学・高校では、生徒達がノートパソコンを使い始めてから今年で5年目を迎えるが、教師達はこれまでのように教科書を用いている。しかし、学校内でのコンピューターの使用が一般化しつつある今、出版社も教科書のデジタル化に力を注いでいる。前述のエンパイア高校では、カリキュラムに合わせたソフトウェアが開発されており、教師はインターネットで関連資料を瞬時に取り出すことができる。

エンパイア高校の生徒は無線ネットワークを使っての教材ダウンロードが可能だが、校内でのダウンロードには制限も設けられており、基本的に教材以外のダウンロードはできない。また、インターネットを用いたチャットやインスタント・メッセージも、校内では使用が制限されている。宿題の提出もオンライン上で行えるが、インターネットのソースもチェックの対象となっているため、他人の宿題をコピーするのは不可能となっている。エンパイア高校が開校される前、ベールの教育関係者達は他校で行われているノートパソコン授業を細かくチェックし、最近の高校生がコンピューターを使った学習により集中する傾向があると判断した。前述のベーカー氏によれば、高校生達はコンピューターのスクリーンを中心に学習を行う事にほとんど抵抗感が無いとの事で、ノートパソコン授業は今のところ成功しているようだ。

アンジェロスの話を最後にもう少し。今日の長電話は楽しかった。ありきたりな言い方だけど、本当に楽しかった。7年くらい前、アンジェロスや僕を入れた8人の悪友は、毎週末を一緒にカフェやクラブやパーティーで過ごしていた。20代半ばにボストンで見つけた第二の青春時代。シカゴやフィラデルフィアの病院で研修医として働いている奴もいれば、ニューヨークに移って国連本部で働く奴もいる。連絡だけは取り合っていても、全員で会うチャンスがなかなか無い事は、みんな知っている。僕がワシントンに来る少し前、2001年10月頃だったと思うけど、アンジェロスが「太鼓腹になる前に、みんなでもう一度会いたいな」と言ってた。今日の電話で聞いてみると、3年目に入った研修医生活でグルメに開眼したアンジェロスは、確実に体重が増えているんだとか。自分で言っといてからに…。でも、20年後に太鼓腹のオッサンだけでカンクーンあたりのビーチに集まるのも面白いかも。なんだか、ビーチボーイズの復活コンサートのようで。

ショッピング・グラディエーターズ

2005-08-17 14:11:20 | 歴史(?)
姉達も無事にワシントンに到着し、今朝ダレス空港で久しぶりに再開したんだけど、日本で昨日発生した地震が心配だった僕は開口一番「地震は大丈夫だったの?」と聞いてみた。どうも地震の事は全く知らなかったようで、彼女達のフライト後すぐに地震は発生したようだ。東京からワシントンまでの長旅でお疲れの姉達とジョージタウンで遅めのランチを食べた僕は、夜8時頃まで雑用をこなしてから、9時前に再びみんなの滞在するホテルに行った。姉のセントルイス時代の恩師が車で遊びに来ると聞いていて、水曜夜にワシントン市内でディナーを一緒にする前に、僕も久しぶりに会って話がしたかったのだ。奥さんと2人でアーリントンのホテルに来るはずのジョーさん、10時になっても姿を見せない。滞在先の息子さん夫婦の家に電話してみると、7時半には家を出たとの事。息子さんまで心配になり始めて、僕らも「まさか交通事故にでも」と思っていたら、息子さん宅に戻ったジョーさんから電話があり、道に迷って3時間近くドライブしていたという話。3時間のドライブでどこまで行ったんだろうか(フィラデルフィアまでは軽く行ける)。明日、コッソリと聞くのが楽しみになってきた。

首都ワシントンから60マイル離れたところにあるペンシルバニア州ゲティスバーグは、人口7000人ほどの小さな町だが、南北戦争時代の1863年7月には町周辺に16万の兵士が終結し、アメリカ史でも有名な「ゲティスバーグの戦い」が繰り広げられている。わずか3日間の戦いで、北軍と南軍の双方に5万人以上の死傷者を出している。同じ年の11月には、エイブラハム・リンカーンが「人民の人民による人民のための政治」という有名な演説も行っている。そのゲティスバーグの戦場跡にカジノホテルの建設計画が浮上し、地元住民や歴史家らは怒りを隠せない。地元ビジネスマンの主導による建設計画では、戦場となった場所に200室のホテルと3000台のスロットマシーンを備えたカジノを建設しようというものだ。

建設計画を進める開発グループは、カジノホテルの建設によって観光客が増加し、ゲティスバーグの地元経済も潤う事が間違いないと主張する。しかし、地元住民の多くは「アメリカ史の聖地を冒とくするに等しい行為」として、カジノホテル建設に真っ向から反対している。反対グループのリーダーを務める心理学者のスーザン・パドックさんは、英ガーディアン紙の取材に対し、「アメリカとアメリカ史にとって極めて重要な出来事がここで起こったんです」と語った。「この周辺一体が歴史のクラスそのもので、リンカーン大統領もここでの出来事を決して忘れてはいけないと語っています。我々地元住民は、これまでも歴史の保存に必死になって努めてきたんです」、リンカーン演説を記念して作られたモニュメントの前でパドックさんはそう語った。

パドックさんはカジノ建設を計画する開発業者だけではなく、カジノに関する法律改正を行ったペンシルバニア州議員達にも批判の矛先を向けている。ペンシルバニア州議会では昨年、住民の固定資産税を減らす目的で、州内に最大6万1000台のスロットマシーン設置を認めた法案を通過させている。このため、カジノ建設に携わる開発業者はビジネスに理想的な場所を捜し求めていたが、年間200万人の観光客が訪れるゲティスバーグは非常に魅力的だったようだ。今回のカジノ建設を計画するチャンス・エンタープライゼズ社は、カジノホテル建設によって800人程度の雇用が創出され、カジノ建設後に増えるだろうと予測される1000万ドルの税収で戦場跡地の保護も行えるだろうと語っている。現在のところ、開発業者と反対派の間で妥協点は見出されておらず、「ゲティスバーグの戦い」はしばらく続きそうだ。

アメリカでホームパーティーに誘われた経験のある人なら、きっと1度は目撃した事があるかもしれないけれど、さらに1つだけ残ったピザのスライスやドーナツを、周囲の間接的な視線を全く気にせずにペロリと食べてしまうアメリカ人は僕の周囲にも多い。「欲望のかたまり」だとか「自己中心的」だとか言ってしまうのもいいけれど、僕はその人間味溢れる部分が意外に好きだ。みんなが最後のドーナツを気にしながらチラッと見る中で、いきなりやって来てパクッといてしまう…。それと似た話で、アメリカ人の友人の中には買い物を「戦い」の一部と考えている奴までいる。つまり、バーゲンなんかでいかに早く店に到着して、目的の商品を予想よりも安く買えるかといった具合にだ。クリスマス後に全米各地のデパートで行われるバーゲンセールでは、小学生の小僧からお婆ちゃんまで、みんながパットン戦車団のごとく目標に向かって突進していく。「戦い」に勝利した幸運な買い物客は、周囲に「今日の買い物はグッド・ディールだった」と勝利宣言をしたくてウズウズしている。

そんなアメリカ人の戦闘的購買欲が事故を招いたようだ。バージニア州リッチモンド近郊のヘンリコ郡で16日、郡教育委員会が中古ノートパソコン1000台を(新品で買えば、1000ドル以上はするマックのiBook)1台50ドルで地元住民に販売した。この中古ノートパソコン販売会は以前から地元住民に通知されていたため、教育委員会側は2000人程度の住民がやってくるのではと考え、混乱を避けるために警備員も配置していた。しかし、1000台のパソコンを求めて6000人近い住民が販売会場に殺到し、入り口付近では将棋倒しまで発生している。この将棋倒しでベビーカーがペシャンコになったが、中にいた赤ちゃんは間一髪で難を逃れている。結局、17人が病院で手当てを受けたものの、大惨事にならなかったのが不幸中の幸い。ニュース映像では、どう見てもマック愛好家とは思えない4歳くらいの子供まで、販売会場に向かって全速力で走っていたけれど、本当にパソコンを使うのかな?

*写真はリッチモンド・タイムズ・ディスパッチ紙から

衝動買いした竹に癒やしを期待してみる

2005-06-13 12:27:07 | 歴史(?)
相変わらず暑くて仕方のない1日だったけど、昨日のブログにも書いたとおり、夕方からサッカーの試合に行ってきました。タバコやコーヒーという不摂生なライフスタイルを謳歌してるんだから言い訳はできないんだけど、今日は思うように体を動かせずに、なんと情けなかった事か…。70年代の伝説的選手ヨハン・クライフはヘビースモーカーとしても知られていたし、僕が10年近く前に南ドイツで会った事のある当時のドイツ代表主力級選手もニコチンとは相思相愛の関係だった。こういった選手はもともと才能があり、毎日のようにトレーニングを繰り返しているから大丈夫だけど、僕のように才能も無ければ練習も週に2回しかしない凡人には、夏のサッカーはかなりキツいのだ。

ダレス空港からそれほど離れていない郊外の住宅地にあるグランドでの試合だったけど、芝生がきれいに手入れされていて、何時間でもプレーしたいくらいだった。僕が地元アーリントンでの試合で使うグラウンドも、もちろん芝生のグラウンドではあるんだが、所々で芝生が削られてなくなっている場所もあったりするのだ。ボストン郊外の試合で使ったグラウンドはきれいだったのを覚えているけど、今日の芝生は本当に写真に撮ろうかと思ったくらい。試合の方は、なんとか4-3で勝ちましたよん。最初に2点をアッサリとられてしまって(毎度の事ですが、うちのDFは本当になぁ…)、チームメイトのカルロスから「真ん中でコーチングやってくれ」とのお達しが。そんなわけで前半はほとんど動かずに、真ん中でボールを散らして、後半(見方も相手も相当ヘバッてた)から精力的に動き回るというセコい戦術を実行。こうでもしなきゃ、90分もやってられんよ、まったく。

昨日の続きで、今日も英ガーディアン紙が報じたアメリカの「暗部」にせまるレポートを軽く紹介。ワシントン近郊のメリーランド州プリンス・ジョージズ郡で子供時代をすごしたアナ・ホームズは、地元にある橋にまつわる話を今でも鮮明に覚えている。彼女の周囲ではこの橋で過去に白人によるリンチが繰り返されたと語る人が多く、アナはそういった話を子供時代から耳にしていたのだ。1894年10月20日には白人女性を「手荒に扱った」として橋からそれほど離れていない刑務所に収監されていた黒人男性ステファン・ウイリアムズが、マスクをかぶった人物に刑務所内で拉致され、橋まで連れてこられた。激しく殴打されたウイリアムズは首にロープをかけられ、そのまま橋から吊るされて殺害されている。ウイリアムズ殺害事件は当時のワシントンポスト紙も報じている。

過去に白人によるリンチ行為を取り締まる連邦法は存在せず、また多くの州がリンチに加担した白人を起訴する事をためらっていた。下院ではリンチを連邦法違反として制定する動きが過去に3度見られたが、そのたびに上院の南部出身議員らによって計画は潰されてきた。1882年から1968年までの間に、少なくとも4742人がリンチによって殺害された事が判明している。13日、議会上院は105年前に初めて提案が出された反リンチ法案を可決できなかった事に対する公式な謝罪をすべきかどうかの投票を行う予定だ。今回の決議は党派を超えて支持が集まっており、謝罪が行われるのも時間の問題と見られる。13日には1964年にミシシッピー州で3人の公民権運動活動家を殺害したとされるKKKのメンバーが、実に41年ぶりに殺人罪で裁かれる事もあり、全米の注目を集めている。

リンチは宗教や人種を超えて、広範囲で行われていた模様で、最もターゲットになりやすかったのが移民だった。20世紀初頭には国務省がリンチ犠牲者の出身国であった中国やメキシコ、イタリアといった国に約50万ドルの支払いを行っている。しかし、リンチ殺人のほとんどは南部で行われており、アラバマ州にあるタスキギー大学の調査では、犠牲者の80パーセントが黒人であった。リンチの原因だが、「白人女性を見ていた」とか「白人に口答えした」といったものが十分な理由となってしまっていたのだ。また、黒人地主も頻繁に標的にされていた。歴史学者らの調査の結果、当時のリンチ行為がカーニバルに似たような物だった事も判明している。周辺では飲み物が売られ、リンチ行為を見物するために学校や商店は閉められていた。「これは紛れも無くアメリカ版ホロコーストですよ」、と「公式な謝罪を求める会」のマーク・プラニング代表は語った。

ボクシング史における最も偉大なヘビー級チャンピオンの1人として知られるマイク・タイソンだが、いよいよ引退が現実的な話となってきたようだ。11日にワシントン市内のMCIセンターで行われた試合、タイソンにとっては約10ヶ月ぶりとなる再起戦でもあったが、アイルランド出身のケビン・マクブライドの前に散った。6ラウンド終了後に戦意喪失からの棄権がタイソン陣営から発表され、TKO負けという形で注目の一戦は終止符を打った。過去4試合で3敗を喫した事になるタイソンは試合後に自らの引退を示唆し、「もう戦う根性が無い。心はすでにボクシングから離れてしまっている。自分の愛するスポーツを侮辱するのはゴメンだ」とのコメントを残している。

タイソン陣営が申し出て、レフリーのジョー・コルテスがタイソンのTKO負けを正式に決定したわけだが、ある意味では試合がこのような形で終わってよかったとも言える。試合中、タイソンはマクブライドの左腕を折ろうとしたような行為に走ったが、レフリーによって引き離されている。タイソンはさらに明らかに故意の頭突きを行い、マクブライドは左目の近くを切っている。昨晩の試合がタイソンの最後の試合になる可能性が非常に高いが、元チャンピオンが無様な姿をさらす前に、レフリーが見事に試合をコントロールした格好だ。一方でマクブライドにとってもラッキーな試合だった。タイソン側から棄権が申し込まれた際、リングサイドの2人のジャッジによるポイントの集計は僅差でタイソン優勢だったからだ。マクブライドのファイトマネーは15万ドル足らずで、試合前には数ラウンド持つのかさえも心配されていた。

全盛期には4億ドルの資産があったとされるタイソンだが、気がつけば3400万ドルの借金を抱える身となっていた。3年前には破産を宣言しているが、債権者らからは未だに2000万ドル以上の返済を求められている。昨晩の試合は、華やかさという点においても、全盛期のタイソンによる試合を考えればさびしい物だった。モハメド・アリや一部のスポーツ選手は会場に姿を見せていたが、過去の試合では毎回のように姿を見せていたビリー・クリスタルやニコール・キッドマンといったハリウッドの面々はほとんど会場で見かけられなかった。タイソンの前妻で現在はジョージタウン大学の研修医として働くモニカ・ターナーは12日、タイソンのファイトマネーから得られるはずだった75万ドルの受け取り権利を放棄したと語った。しかし、ファイトマネーのほとんどが債権者に渡る事になっており、タイソンの手元には25万ドルしか残らないようだ。

数ヶ月前まで住んでいたアパートにはテラスがあったため、植物の鉢植えをいくつか置いていたりしてたけども、新しい引っ越してきたアパートにはテラスが無いので(そのかわり、部屋は少し広くなったんだけど)、鉢植えは知人に引き取ってもらったりした。僕はそんなに植物に詳しいわけじゃないけど、今のアパートに何も無いっていうのも寂しい気がして、昨日スーパーマーケットに寄った際に1つ購入してきたのだ。昨日買ったのは花とかではなくて、小料理を入れるような陶器製の入れ物に細めの竹が何本も刺さっているというもの。入れ物には小さな砂利が敷き詰められており、そこに刺さった何本もの竹の先からは何枚もの葉が出ている。水だけで育てられる簡単さが、いい加減な性格の自分とマッチングしたわけだけど、部屋を竹で飾るのもいいかなと思ったわけで。


タイソン、首都襲来もTKOに泣く

2005-06-12 13:16:52 | 歴史(?)
少し前にワシントン市内にあるMCIセンターで行われたボクシングの試合が終了したようで、僕はこの試合を見に行きたかったんだけど、チケットが取れなかったこともあって、しぶしぶ諦めていたのだ。マイク・タイソンがワシントンで試合を行うという事もあって、ボクシングをあまり知らない僕や僕の友人も興味津々だったけど、それはワシントン周辺のボクシング好きとタイソン・ファンにとっても同じで、ローカルニュースでは試合前の会場周辺の混雑状況が報じられるほどだった。でも、どうやらタイソンは6ラウンド目にノックアウト負けしたようで(ニュースの速報からだったので、間違っていたらゴメンなさい)、過去4試合のうちで3敗を喫した事になる。やはり、ひとつの時代が確実に終焉を迎えたという証なのだろうか。

昨日はシンクタンク主催の日本国憲法の改正を考えるというセミナーに出席した後で、取材のためにダレス国際空港近くにあるスターリングという町に行ってきました。町自体はどこにでもあるような郊外の住宅地なんだけど、この周辺ではバイオメトリック技術を使った現金支払機なるものを設置する商店が増えてるんだとか。バイオメトリックなんて言葉を使うと分かりにくいかもしれないけど、簡単な話、クレジットカードなんかを使う代わりに自分の指紋で買い物ができるんですわ。日本でもコカ・コーラの自販機で携帯をあてると商品が買えるシステムがあったはずだけど、携帯電話が自分の指紋に代わったと思ってくれれば分かりやすいかな。

まだまだ普及が始まったばかりで、アメリカに住んでいても知らない人の方が多いだろうけど、それでも指紋照合型支払いシステムが全国的に少しずつ広がりを見せている事にビックリ。クレジットカードの場合、1人の買い物客が支払いを済ませるまでに1分近くかかるらしいけど、指紋の支払いだと15秒ほどで全てが完了するので、導入を決定したコンビニやスーパーなんかでは売り上げが増えることを期待しているらしい。さらに指紋での年齢認証が可能なため、この機械が十分に普及するとフェイクIDも事実上効果を持たなくなるため、酒やタバコの販売でトラブルも無くなるんだとか。学生にとっては耳の痛くなるような話で…。でも、個人情報の管理は大丈夫なんでしょうか?最近、それ関連で不祥事が多いから、まったく。

1964年6月21日、ミシシッピー州フィラデルフィアで3人の公民権運動活動家がKKKメンバーらによって殺害され、FBIなどによる捜索の結果、数ヵ月後に遺体はダムの底から発見されている。当時のアメリカ南部では黒人に参政権を与えようとする運動が展開されており、公民権運動組織「コア」に所属していた2人のユダヤ系学生とミシシッピー州在住の黒人活動家が、同年6月16日に発生した教会爆破事件の調査のためにフィラデルフィア周辺を訪れていた。地元警察に身柄を拘束された3人は、起訴される事も無く釈放されたが、警官の1人がKKKのメンバーに密かに連絡を入れており、3人は釈放後に森林地帯でKKKの集団に捕まった。事件をめぐる当時のフィラデルフィアの様子は、ジーン・ハックマン主演の映画「ミシシッピー・バーニング」で詳しく描かれている。

FBIによる捜査の結果、18人が殺人罪ではなく共謀罪で逮捕されたが、実際に裁判で有罪となったのは7人だけで、彼らは全て6年以内に懲役刑を終えている。裁判で有罪を宣告される事の無かった11人の中にエドガー・キレンという人物がおり、陪審員の1人が裁判を欠席したために、評決不能陪審が適用されて彼は無罪を勝ち取っている。それから40年余、牧師として静かに暮らしていたキレンは今年始めに1964年の殺人事件の容疑者として逮捕された。キレンの逮捕劇には複線があり、1999年に捜査当局は別の殺人事件で服役中のKKK大物幹部がフィラデルフィアでの裁判妨害を行ったと告白した事に注目し、キレンの逮捕に向けて着々と準備を進めていた。キレンの裁判は13日の月曜日に行われる。

数日後に控えた裁判をめぐり、人口7000人ほどのフィラデルフィアが再び注目されている。英ガーディアン紙の取材に答えた地元住民らも複雑な心境を明かしており、20年以上にわたって語られる事の無かったテーマが再び現れた事に動揺を隠せない者もいた。41年前と違い、現在のフィラデルフィア経済の中心はカジノを経営するアメリカ原住民だ。しかし、町の本質的な部分は41年前とさほど変化していないとガーディアン紙の特派員は語っている。全住民の28パーセントが貧困ライン以下の生活を送り、町では未だに年に一回のKKKによる行進が実施されている。キレンの裁判が象徴的なものだけで終わる可能性も指摘されている。キレンの他に事件に関与した疑いのある7人は、今も悠々自適の生活を送っているからだ。

26歳のケイティ・ホームズと42歳のトム・クルーズという新カップルの誕生に、ファンの間では冷ややかな声も少なくないようで、ハリウッド流プロモーション以外の何物でもないとの指摘も存在する。インターネット上では「フリー・ケイティ(ケイティを救え)」と題したホームページも開設され、解説の理由として「我々の理解不能な力によって囚われの身となっているケイティを開放するため、たとえひと夏の監禁でも彼女のような将来ある人物には長すぎるから」との声明が記されている。このホームページでは「フリー・ケイティ」のロゴを施したTシャツやステッカーなども販売されている。ホームページの創設者シェイラ・キャメロンは、最近トム・クルーズがオプラ・ウィンフリーのトークショーでの行動に驚き、ウェブ上でキャンペーンを展開する事にしたそうだ。

5月23日のオプラ・ウィンフリー・ショーに出演したトム・クルーズは、興奮を隠し切れない様子でスタジオ内を動き回り、司会者のウィンフリーとのトークでも興奮しながら座っていたソファーで飛び跳ねる姿がテレビに映し出された。この様子に多くの視聴者が「クルーズはやりすぎ」と感じたようで、ニューヨーク・タイムズなどの大手メディアもホームズとの恋愛という熱病にかかったトム・クルーズの興奮した様子を記事にしている。前述のキャメロンだが、ホームズとクルーズのいわゆる「バカップル」ぶりをみて、ホームズの将来を心配したのだという。しかし、ホームズはクルーズによる「束縛」に悪い気はないらしく、2人が付き合い始めたこの6週間が本当に内容の濃い物だったと木曜日の深夜トーク番組で語っている。

トム・クルーズといえばクリスチャン・サイエントロジーの熱烈な信者としても知られるが、週刊誌「エンターテーメント・ウィークリー(EW)」最新号のインタビューで、ホームズがこの宗教を「理解し始めている」と語っている。クルーズは自身のサイエントロジー信仰について非常にオープンで、ガールフレンドのホームズがこの宗教に興味を持ったのも、彼の存在が少なからず影響している事は確かだ。クルーズは最新作「宇宙戦争」のロケ中にも現場にサイエントロジーのテントを設置していた事を明かしている。トム・クルーズをめぐる恋愛話は最近頻繁に聞こえてくるが、それが原因なのか、トム・クルーズ人気にも変化が見られるようだ。EW誌の調査では、回答者の61パーセントが以前よりも彼を好きでなくなったと答えている。

明日は再びダレス空港近くに行き、夕方からそこでサッカーの試合。相手はメキシコ人チーム(ワシントンって、そんなにメキシコ人がいたっけ?グアテマラとかの間違いじゃないの?)だそうで、今回が初めての対戦。脱水症状に見舞われた今週の教訓から、持てるだけの水を持っていこうと思ってるんだけど、それよりも何よりも天気が気になるなぁ。天気予報ではこれから1週間ほど雷雨が毎日続くそうで、夕方に多いんだとか。昼間は快晴そのものなんだけど。


1週間後にって…

2005-06-02 15:48:05 | 歴史(?)
やばい、時差ボケなんでしょうか。この3日間ほど午後7時頃から突然に眠くなる状態が続いていて、朝は午前4時半頃に自然に目が覚めてしまう始末。これがあと3時間ほどずれていてくれたら、そりゃかなり健康的な体内時計の時間設定なんだろうけど、4時半頃からなかなか眠れないのも辛いもんなんです。今日は夕方のラジオの仕事を終えてからは外出する予定も無く(これがいけなかったんだね、きっと)、さっさと夕食を済ませてから、ビル・マレー主演の新しいコメディをDVDで見ようかなと思っていたけど、気がついたらソファーで泥のように眠っておりました。目を覚ました時には、テレビでジェイ・レノが喋っていて、時計の針も午後零時前に。

日本からアメリカに戻ってきた際、時々なんだけどこういう事があって、その原因は僕には全然分からない。B級カンフー映画か何かで、「必殺技・3年殺し!」みたいなタイトルがあったのを覚えているけど、時差ぼけが一週間後に来るなんぞ、本当に有り得るのでしょうか?「やってもたぁ」と1人で嘆きながらも、今日はブログを更新する事に。1つは更新を昨日行えなかったからなんだけど、それよりも午前3時頃まで目を覚まして、それから8時頃まで眠るように頑張ろうと考えているからで、この計画は上手い事行くのだろうか?

ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者に極秘情報を与え続けていた政権内部の人間はディープ・スロートと呼ばれ、その正体は事件後もずっと謎に包まれてきた。ウッドワード記者らも情報源の守秘義務を理由に正体を決して口にしなかったことから、ディープ・スロートの存在はアメリカ政治史最大のミステリーの1つとしてメディアが定期的に取り上げるテーマとなっていた。2月6日にはロサンゼルス・タイムズ紙にニクソン大統領の側近を務めた人物がコラムを掲載し、ディープ・スロートの死期が近づいていると語っている。ディープ・スロートではないかと噂された人物は少なくなく、その中にはヘンリー・キッシンジャーやパット・ブキャナン、さらにはブッシュ元大統領(パパブッシュ)まで含まれていた。

ワシントンポスト紙は今春、ディープ・スロートの正体などに関する情報は彼の死後に公開すると発表したが、5月31日になって事態は意外な結末を迎えている。ニクソン政権時にFBIのナンバー2だったマーク・フェルト氏が近日発売予定の月刊誌「バニティ・フェア」のインタビューで、自らがディープ・スロートであった事を明らかにしたのだ。正午過ぎより全米のメディアがディープ・スロート関連のニュースを繰り返す中、午後になってワシントンポスト紙も正式にディープ・スロートがフェルト氏であった事をウェブ上で認めている。ウッドワードらはディープ・スロートの正体を(この人物の)死後まで明かさないと決めていたが、フェルト本人が親友の1人に長年の秘密を語ったのち、この友人が「バニティ・フェア」紙に記事を書くことでフェルトから承認を取った模様だ。

夕方にはカリフォルニア州サンタ・ローサの自宅に集まった報道陣の前にフェルト氏本人が姿を見せ、自宅には彼の娘ジョアンや孫達の姿もあった。91歳のフェルト氏はゆっくりと報道陣の前に歩みだし、「来てくれて、どうもありがとう」と語り、娘のジョアンは「アメリカの歴史にとっても、我々家族にとっても、本当に素晴らしい瞬間です」とコメントしている。フェルト氏の健康状態について聞かれたジョアンは、100歳までは生きるだろうとして、一部のメディアによる推測を一蹴している。意外な形で、しかも突然に自らの正体を明かしたフェルト氏だが、この時期に告白を行った理由は依然として不明のままだ。「バニティ・フェアー」誌はフェルト氏にギャラ等が払われた事は一切無いとしている。

今日の朝、バニティ・フェアーの記事を入手して読んでみたんだけど、やっぱりフェルト爺さんがなぜ今になって重い口を開いたのかが疑問に残る。どうもボブ・ウッドワードが1999年にカリフォルニア州にあるフェルト氏の自宅を訪問したのが原因との事で、彼の訪問を不思議に思った娘のジョアンさんが父親にウッドワード氏との関係を問いただしたのが始まりだったという事らしい。しかし、33年間も沈黙を守ってきた元FBI副長官が、家族からの説得だけで重い口を開くなんて有り得るんだろうか?少し疑問が残る。フェルト氏がディープ・スロートであったという報道が全米中に流されてから24時間後には、すでに彼に億単位の自伝執筆のオファーを計画する出版社も出始めたんだとか。カネ、それとも名誉?本当の理由は何だったのだろう?

ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外にあるチェスターは人口3万6000人ほどの小さな町だが、以前から貧困が深刻な問題として存在し、そのため市側が教育に多くの予算を使えない悪循環に陥っている。数年前には全国の各自治体における学力レベル調査で最下位にランク付けされたチェスター市は、4年前に「エジソン・スクールズ」という民間企業に市内に9つある公立学校のうち8校の建て直しを依頼した。このチェスターでのプロジェクトは、ペンシルバニア州における民間企業の公立学校教育への介入としては初めてのものとして注目されていたが、エジソン・スクールズ社は6月でチェスターでのプロジェクトから撤退する事を決めた模様だ。

撤退の原因とされているのが、市側の予算不足で、エジソン・スクールズ側への約400万ドルが未払いの状態となっている。加えて、最近の1年間は学校経営が全く上手く一行っていなかった模様で、教科書や教員の深刻な不足が指摘されていた。同社が経営に関わった高校では28人の逮捕者を出す暴動騒ぎも発生しており、民間企業の介入はチェスター市の教育改革の起爆剤とはなりえなかったようだ。エジソン・スクールの公立学校教育からの撤退は同時にチェスター市の35億円以上に及ぶ財政不足を露呈する結果となり、市政関係者によれば、このままでは教育関連予算はたったの9ドルしか残らないだろうと嘆く。

1992年に創設されたエジソン・スクール社は国内最大の公立学校管理会社で、現在は全米で157校の運営に関わっている。同社による学校運営の建て直しは評価が二分しており、ダラスやミネアポリスでは失敗に終わっているものの、ボルチモアやフィラデルフィアでは経営や教育レベルの改善に成功したとの評価が存在する。チェスター市では経営以外の部分でトラブルが相次いでいた。4月にはチェスター市の高校で校長を務める28歳の男性が16歳と16歳の女子生徒と性的関係を持ったとして逮捕されている。女子生徒は先週になって訴えを取り下げたが、生徒の間では動揺を隠し切れないものも少なくなかった。また、別の校長は学力テストで組織的なカンニングに関与した疑いがあるとして、5月に解雇されている。

さぁ、寝る準備でもしますかぁ。中途半端な時期に、これまた中途半端な時差ボケに悩まされているけど、とにかく気合で克服します。ボキャブラリーの少ないサッカー解説者じゃないけど、もうここまで来れば「気持ちの問題」だからねぇ。


トルココーヒーから始まって

2005-04-02 15:14:27 | 歴史(?)
ローマ法王の容態が悪化しているようだ。バチカン内部では、すでに法王に対して最後の祈りが行われたとされ、イタリアのメディアの中には死亡情報を発信したところさえある。我が家にも日本から持ってきた1冊の聖書と80年代の来日時に取られたヨハネ・パウロ2世の写真があるが、昨日の晩は久しぶりに法王の写真をじっくりと眺めて、色々と考えたりしてみた。暗殺未遂に遭いながらも、激しい時代を生き抜いた法王に、僕はただただ「長い間お疲れ様でした」と呟く事しかできない。

さてさて、本当は昨日ゆっくりと書こうかと思っていたユーゴ出身の老夫婦の話だけど、少しこれについて話します。いろいろあって、この老夫婦の話を昨日のラジオで紹介したんだけど、本当は10分程度では決して語れない事だから、ラジオの中で紹介するのが凄くイヤだった。ここでも昨日の話の何パーセントも語る事はできないんだろうけど、それでも書き留めておこうと思う。そもそもは古いアパートに鍵を返却したあと、同じアパートの5階(僕は2階に住んでいた)に住むこの老夫婦からトルココーヒーとケーキを御馳走になる事になっていたので、夕方前から夫婦宅をお邪魔した。砂糖のたっぷり入ったトルココーヒーとシュークリーム(話せば長くなるが、とにかく僕のお気に入り!)をいただきながら、僕らは世間話を始めた。

簡単に紹介しておくと、旦那さんはスロベニア出身で、奥さんの方がセルビアのベオグラードで生まれている。ちょうど3年前にアパートのロビーで挨拶をする仲になったのだが、僕がスロベニアとクロアチアを訪れた事があったり、セルビアに何人もの友人がいることもあって、いろいろと話をする仲になったのだ。近所のモールや、アパート最上階のプールで日光浴をする2人に何度も会ったことがあり、まだまだ若いなぁと思っていたのだが、昨日初めて年齢を聞いてビックリ。2人とも今年で85歳になるそうだ。1杯目のコーヒーを飲み終えた頃、旦那さんが「いい物を見せてあげよう」と立ち上がり、書斎から1930年代に買ったというドイツ製のカメラを持ってきてくれた。

「このカメラでいろいろ撮ったんだよ」、と語る旦那さんは若かりし頃の写真が詰まったアルバムを広げて見せてくれ、そこには航空エンジニアとしてヒトラー政権下のドイツに派遣された彼の写真が幾つもあった。町中にナチス旗が掲げられるベルリンで撮影した写真や、旅行先のロンドンやプラハで撮ったものもあった。アルバムには大きめのサイズに引き伸ばした写真が1枚はさまっており、そこには美形のカップルが「サウンド・オブ・ミュージック」を連想させる小高い丘に腰掛ける姿があった。「凄くイケてるね。昔のライフとかの表紙の写真みたい。誰?」と僕が聞いた瞬間、間髪を入れずに奥さんが「60年前の私達」と嬉しそうに言った。誇張無しで、本当にジュード・ロウとニコール・キッドマンに瓜二つだった。僕は何気に「ハリウッドでも十分通用したんじゃない、60年前なら」と言ってみた。

「ハリウッドじゃないけど、僕もある意味では俳優みたいな事をやっていた時期があったんだ」、そう言って旦那さんは僕に別の写真を見せてくれた。革ジャンにブーツという姿で、腕には国際赤十字社の腕章を巻き、オートバイにまたがる旦那さんの姿がそこにあった。国際赤十字の職員の格好に扮した旦那さん、実はナチスに占領されたセルビア国内で、チェトニックというレジスタンス組織に加わり、バイクでヨーロッパ中を走り回って情報収集活動を行っていたのだ。「あの頃は若かったからね」と自嘲気味に話す旦那さんだが、毎日のようにドイツ兵やウスタシェ(クロアチア人で構成された民族粛清組織)が集まる検問所を通り抜けるのは決して容易な事ではなかったはず。やがてドイツは敗れ去ったが、今度は新たな問題が出現した。

別のレジスタンス組織を率いていたチトー将軍によって共産主義国家ユーゴスラビアが誕生し、この時期に夫妻はユーゴを離れ、ドイツ経由でアメリカにやってきている。ユーゴ建国当初、一定の蓄えと政府関係者にコネがあった人間の多くが、賄賂を払って国外へと脱出したのだという。それから、60年近くが経過し、この元レジスタンス兵はベトナムやイラクでの戦争をアメリカ側から見てきた。「ヒトラーの時代も、今のイラクにしても、戦争の大義名分を作り出そうと頑張る人たちはどこにでもいるね」と溜息をもらす旦那さん、「究極的には、強欲こそが人間の生きていく上での最高のモチベーションなのかもね」と語った。何十枚の原稿用紙を費やしても、この夫婦の見てきた物の重さを完全には伝え切れないが、僕の体内のアドレナリンは最高潮に達していた。

ABCニュースの看板番組「ナイトライン」でアンカーを25年にわたって務めてきたテッド・コッペルは木曜日、今年度末に予定されている局側との契約を更新しない事を発表し、ABCでの41年間のキャリアに終止符をうつと発表した。局内の友人や仕事仲間と分かれるのは非常に辛い事と語るコッペルだが、ABCでこれ以上モチベーションを保てないことも明かしており、12月4日の契約満了と共に同局を去る見込みだ。関係者がワシントンポスト紙に語ったところでは、コッペルは毎週日曜日にオンエアされている1時間の報道番組でアンカー就任を打診されていた模様だが、新たなオファーに興味を全く示さなかったとの事だ。

毎週日曜日午前に放送される「ディス・ウィーク」はクリントン政権時に報道官を務めたジョージ・ステファノポリス氏が司会を勤めているが、以前から他局に視聴率で大きな差をつけられている。また、ABCニュースのウェスティン会長はコッペルに「ナイトライン」の継続をオファーしていたが、これまでの30分枠から1時間に拡大される事もあって、毎週月曜日から金曜日までの深夜にさらに遅くまで働く事を求められたコッペルはオファーを断っている。ディズニー社を親会社に持つABCニュースでは、2002年にコッペルの番組に有名コメディアンのデーヴィッド・レターマンを据えようとした事があり、コッペルと親会社との確執も噂されていた。コッペルは確執が存在を否定しなかったものの、ABCから追い出される形で辞めるわけではない事を強調している。

コッペルがABCニュースから離れる事を発表する以前、この4ヶ月でNBCのトム・ブロコウ(64歳)とCBSのダン・ラザー(73歳)も長年勤めてきたアンカー職から引退しており、テレビニュースにおける世代交代が急速に進んでいる。ベトナム戦争時代に特派員を務めた経験もあるコッペルは、「ナイトライン」で南アフリカのマンデラ氏やラリー・フリント氏らにも積極的にインタビューを行い、2003年にはイラクでの従軍取材にも参加していた。

今日から少しユックリして、日本時間で4月7日より再びブログの更新を再開します。4月7日までブログを書かない理由…、実は特に何かあるわけではなく、少しリフレッシュするために休ませてもらうだけです。4月7日にまたお会いしましょう。見てなかった映画を存分に見て、1週間ぶりに部屋の掃除もして、サッカーの練習に行ったりしながら、ブラブラしようかと…。ではでは。