読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「母べえ」

2008-02-03 00:47:33 | 映画
 久しぶりによい日本映画を見た気がした。そして、あの「28週後」との対比でも考えさせられた。たぶん、そんな異質な映画を比べるっていうのは間違ってるんだろうけど。

 それにしても、アメリカ映画ってなんて人間が薄っぺらい感じがするんだろう。「ナショナル・トレジャー」を見てびっくりした。よくまあ、あれだけ大がかりなものを作って、派手なカーチェイスをやって、さぞかしお金もかけているだろうに、なんでこんなペラペラな映画しかできないのか。子ども向けファンタジーだってもっとましだよ。だいたい、あんだけ黄金が発見されたら大変なことになる。金価格は大暴落、世界の市場は大パニック。強大な軍事国家だけど大赤字のアメリカが一気に世界一の大金持ちになってもはや怖いものなし。こんな恐ろしいことがあろうか。戦争が始まるかもしれない。だから宝は隠されているのに、それを見つけて何がめでたい!

 「母べえ」は治安維持法によって思想表現の自由が規制されていた時代の話だ。ドイツ文学者の野上滋は治安維持法違反で投獄される。残された妻佳代と子どもたちは困窮しながらも、周囲の人たちの助けを得て懸命に暮らし、獄中の父に手紙を書き続ける。検閲でところどころ真黒に消された手紙を読みながらお互いを心配し、そして自分は心配をかけまいと言葉を選んで愛情にあふれた手紙を書き続ける。
 この映画には確かにあの頃のなんとも言えない息苦しい社会の空気がある。どこにも逃げ場がないという絶望的な社会の空気。これだ。私は、あの「丸山眞男を殴りたい」の人にはなんか欠けているような気がしてしょうがなかった。「なんだろう?」とずっと考えていた。きっと、お勉強も足りてないんだろうけど、それよりもこの戦争のリアリティーみたいなものの理解が欠けているんじゃないかと思ったのだ。出生兵士が「万歳、万歳」で送り出され、爆弾が飛び交って人がバタバタ死ぬとかいうことの背後では、言論弾圧によって不用意な発言をしたものがつぎつぎと拘束されるとか、統制経済によって食べ物も着るものも配給になるとか、町内会組織が強化されて相互監視体制ができるとか、真綿で首をしめられるような不自由な社会があったのだ。おめーら、戦争になったらやりたい放題できると思ったら大間違いだぞ。

 佳代が滋の恩師のところに、報告と差し入れの本を借用するためとで訪問すると、その恩師は言う。「奥さん、あなたはまるで被害者のように話すが、野上君は国法を犯したのですよ。確かに治安維持法は悪法だ。しかし、悪法でも法は法だ。無法状態よりどれだけましかしれない。」
 また、山口で元警察署の所長だった佳代の父は、「お前まで危険思想に染まったのか!この剃刀で今すぐ喉を切って死ね。わしも後から行く」と迫り、佳代は「私は、野上の妻になったことを、一遍だって後悔したことはありません。」言って席を蹴って帰る。この、どんな困難があろうとも、夫を信じて支えていこうとする潔い態度に本当に感動した。ずっと泣きながら見ていた。なんでこんなに誠実でやさしい人たちがこんなむごい目に遭うのかと悲しくて仕方がなかった。

 だけど私にはあんな生き方はとてもまねできないとも思った。「悪法でも法は法」と思っているからじゃない。「踏み絵が差し出されたら躊躇なく踏む」ということを昔決心したからだ。大学の頃一時期、「転向論」ばかり読んでいたことがあった。ある小説を読んで、もしもまた戦時中のように言論が弾圧されて、不用意な発言で捕まる時代になったらどうしようかと思ったからだ。「転向したふり」をしていい加減な上申書を出して釈放してもらえないかなあとか思ったが、戦時中の共産党員の転向など数々の資料を分析した本を読んで、それは不可能だとわかった。検事はそれほどバカじゃない。非常に優秀で、しかも愛国心に溢れている。国のトップレベルのインテリなんだ。彼らは「思想犯を転向させることが国家にとって非常に重要で有益である」と心底信じている。映画でも、滋のかつての教え子の検事が担当になって、非情にも上申書を撥ねつける。「全然だめです。この上申書からはあなたが心底転向したということが感じられない。言葉遣い一つとってもそれがわかる。たとえばこの『支那事変』という言葉。最近ではこれは『聖戦』という言い方が一般的です。」
 滋は「君は本当に『支那事変』を『聖戦』と思っているのか?」と言って検事に怒鳴りつけられる。だめだ、検事は解釈の中身を議論するつもりなど毛頭ない。「転向論」では、最近の右翼が言っているような「日本にとって天皇制は必要」「この戦争は日本が生き延びるための唯一の道だった」という論法で諄々と説得していた。だから、愛国心があればあるほど絡めとられていったのだ。だけど滋は偉い。国を愛すればこそ戦争に反対した。歴史の欺瞞が許せないから命がけで発言した。あの時代はこのような人たちを殺した時代でもあった。そして、そのことは多くの死者に紛れてしまってほとんど伝わっていない。

 私は、あの頃つらつら考えて、結局のところ自分はあんまり国を愛していないのだという結論に達した。あきらかに国が間違った方向に進んでいて、自分にはその先の崖っぷちが見えていたとしても、大声を出して警告すれば殺されるってときにはもちろん黙っておく。踏み絵を差し出されたらもちろん踏む。たぶん。わかんないけど。 私はよく逆のことをやってしまう。KYだからさ。


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