読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

奥田瑛二監督「長い散歩」

2008-03-16 23:31:27 | 映画
 「尾道に映画館をつくる会」の会員になっている。尾道はわりと映画で有名な土地であるにもかかわらず、現在は映画館が一館もない。映画館を復活させようと市民団体が発足したのだけど苦戦している。まだ募金目標額の半分(1000万)くらいしか集まっていない上に、今年映写機などの機材が火事で焼けてしまうという不幸に見舞われて今春開館の予定が延期になったらしい。


 だけど今日は、「長い散歩」の上映会&奥田瑛二監督のトークショーが開催され、招待券で行ってきた。こういう映画はうちのあたりではミニシアターでほんの1、2週間上映するかしないかなので私は去年見逃していた。見れてよかった。ほんとに感動的で上映中会場のあちこちで泣いている人がいた。私もハンカチでごしごしやったから、おしろいがほとんどはげ落ちてしまった。
 さっちゃん役の子がすごく自然でかわいくていじらしくて、今思い出しても涙が出る。天使の羽根はあの子にとって唯一、幸福だった時の記憶の象徴で、過酷な現実から身を守るものであったのだと思う。一方、家族とうまく接することができず孤独な老後を送ることになった松太郎にとっても、さちの姿はかつて自分の娘を「天使」と思いながらそれを素直に伝えることができなかったという悔恨を思い出させるものだ。だからさちを、自分と家族の唯一幸福な記憶の場所につれて行こうとしたのだ。親の愛に恵まれない子供に「ほんとうにおまえを大事に思っている」ということを伝えるために。
 この映画に出てくる人は、だれもかれも程度の差はあっても傷つき、疲れている。さちを虐待していた母親だって最初からああいう状態だったわけではない。愛情に飢え、男に裏切られ続けたために疲れてしまったのだ。幸福だった記憶がないからストレスに耐えられなくて虐待してしまう。子供を殴るのは自分を殴るのといっしょだ。自分自身の人生を放棄しているのだと思った。アフリカからの帰国子女で学校になじめなくて引きこもりだったというワタル青年も、表面は軽くいろいろなことをしゃべっているがときどき底知れない孤独感をのぞかせる。きっと最初から死に場所を求めて旅をしていたに違いない。ほんとうに死んでしまうなんて・・・・。なぜどっと涙が出てくるのかと思ったら彼の顔は私の悲しい記憶をめちゃめちゃかきたてるのだった。

 トークショーでは奥田監督の映画づくりに賭ける自信とこだわりを聞けた。そもそも演技派俳優である奥田氏が映画監督になったのは、映画「もっとしなやかに、もっとしたたかに」「海と毒薬」「千利休」など、人間の心の葛藤を深く掘り下げた芸術性の高い作品で主役を演じる一方で「男女7人夏物語」「金曜日の妻たち」などTVのトレンディー恋愛ドラマでも有名になってキャーキャー騒がれ、その二つの役柄の間で自我が引き裂かれてめちゃめちゃになってしまった時期があって、「自分ってなんだろう?」と悩んだのがそもそものきっかけとか。酒や女に溺れて家庭が崩壊の危機に瀕したというそのあたりの事情は、奥様の安藤和津さんが新聞か何かに書いておられたような記憶がある。
 また、役者というのは全身全霊でその役になりきるため、その役が終わるとエネルギーを出し切って抜けがらになってしまう。とてもそのまま日常に戻れないから「飲む、打つ、買う」で逸脱してやっと我に返ることができる、そういうマゾみたいなところがあるから自分にはほんとは向いていない職業(!)なんだそうで、逆に監督という仕事は役者の才能やエネルギーを全部吸血鬼のようにチューチュー吸い取れる。こっちの方が楽で向いている。つまりサド、だそうです。ほんとかよ!
 「長い散歩」の主演緒形拳さんと、最初演技に解釈の違いがあったのだけど、「じゃあ、奥田さんやってみてよ」と言われて、さちが虐待される物音を隣の部屋で聞きつけて外へ出るシーンを自分でやって見せたら、「わかった」と一言。あとは全くスムースに撮影が進んだということだ。



 奥田瑛二監督の映画で今までに見たのは「るにん」だ(DVDでだけど)。これはなんと救いのない映画だろうかと思った。「当人勝手次第に渡世すべきこと」が唯一の掟である流人の島だが、何年かおきの飢饉で遅かれ早かれ死んでしまうのだ。一か八かで島抜けをしても外は決して楽園ではない。どこにも出口がないという閉塞感。ちょうど私もその頃「どこにも出口がない」という閉塞感を日々感じていた頃なのでDVDを見ながらオイオイ泣いてしまった。

 唯一笑えたのは、ご禁制の地図を作ったために流罪になったという近藤富蔵役が作家の島田雅彦氏で、これがめちゃめちゃ真面目なのだ。たとえば、女郎にハマってしまって醜態をさらすとか、飢えてヨロヨロしていたとしたら完全に映画の世界に同化しているのだが、徹頭徹尾端正な学者風なので却ってリアルでおかしかった。だって、「なすびの懸賞生活」で丸裸で踊っていたあのなすびがへらへらして出てるし、あの松坂慶子さんの卒倒しそうなほどエロチックなシーン満載だし、もう勃たないのに性に執着する老人とか、女を(干し魚で)買うことのできない男のための陰間とか、もう煩悩にまみれた地獄のような世界で真面目で端正というのは却って冗談みたいでおかしかった。

 忘れていた。奥田監督は下関で閉館した映画館を引き取って支配人をされているのだそうだ。映画館経営までされるに至った経緯や、市民から広く浅く資金援助をもらう秘策などもお話になった。維持費が年間1000万以上かかるとかで、その3分の1を下関市民が支援しているそうだ。尾道でもそういうのがやれるといいなあ。もうアメリカ映画は飽きたし、シネコンがあっても、かかってる映画はわりと貧弱だと最近気がついてきてがっかりだ。大手が掛けないようないい映画を上映してくれたら電車賃払っても見に行こうと思う。
 代表にはがんばってほしい。とりあえずまた献金しよう。

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