朝、東京を出発して「なにわ」についたのは
どっぷりと日の暮れた夜。
当時はナビなんてものがない時代だから
それこそ地図とにらめっこだ。
「“土地勘がない”って、こういうことをいうんだよなぁ~」
なんて言いながら、西も東もわからないなにわのマチを
迷走していた。
いわゆる「社宅」というヤツにご対面したのは
真夜中だった。
「なんか古くさくってごめんなさい。」
すまなそうな顔をして、暗闇の中、ヌボ~っと建っていた。
次の朝、もう一度行ってみるとその印象は少し変わった。
「社宅」は大阪市内が見下ろせるほどの山の南斜面を
切り開いた広大な敷地の一番てっぺんに堂々とそびえ立っていた。
門をくぐり、
独身寮やグランドなどを右手に見ながら
30度くらいある急な坂道を50メートルほど
上ったところで「社宅」は私たちに
「よう来たな~」と微笑んでいた。
その日の夕方、荷物整理も落ち着いてベランダに出てみると
下で小学校3年生くらいの男の子ふたりが
夕日に向かって「立ち小便」している
うしろ姿が目にはいった。
「なあ~、キムタクって知っとるか~?」
「あ~知っとんで~。キムチとタクアンのことやろ!」
「あはは、おもろいこといいよるな~。」
「ホンマのことやで~。」
「あっ、ほんまや。キムタクや~。」
うわ~小学生が大阪弁で会話している
衝撃的だった。・・・and おもしろかった。
ベランダから見る空は
叫びたくなるほど広い大パノラマ。
沈みゆく夕日は、
赤い絵の具をまき散らしたように染まり
目をあけられないくらい眩しくてデカかった。
暮らしが変わるんだ。・・・そう実感した。
どっぷりと日の暮れた夜。
当時はナビなんてものがない時代だから
それこそ地図とにらめっこだ。
「“土地勘がない”って、こういうことをいうんだよなぁ~」
なんて言いながら、西も東もわからないなにわのマチを
迷走していた。
いわゆる「社宅」というヤツにご対面したのは
真夜中だった。
「なんか古くさくってごめんなさい。」
すまなそうな顔をして、暗闇の中、ヌボ~っと建っていた。
次の朝、もう一度行ってみるとその印象は少し変わった。
「社宅」は大阪市内が見下ろせるほどの山の南斜面を
切り開いた広大な敷地の一番てっぺんに堂々とそびえ立っていた。
門をくぐり、
独身寮やグランドなどを右手に見ながら
30度くらいある急な坂道を50メートルほど
上ったところで「社宅」は私たちに
「よう来たな~」と微笑んでいた。
その日の夕方、荷物整理も落ち着いてベランダに出てみると
下で小学校3年生くらいの男の子ふたりが
夕日に向かって「立ち小便」している
うしろ姿が目にはいった。
「なあ~、キムタクって知っとるか~?」
「あ~知っとんで~。キムチとタクアンのことやろ!」
「あはは、おもろいこといいよるな~。」
「ホンマのことやで~。」
「あっ、ほんまや。キムタクや~。」
うわ~小学生が大阪弁で会話している
衝撃的だった。・・・and おもしろかった。
ベランダから見る空は
叫びたくなるほど広い大パノラマ。
沈みゆく夕日は、
赤い絵の具をまき散らしたように染まり
目をあけられないくらい眩しくてデカかった。
暮らしが変わるんだ。・・・そう実感した。
お互い知り合う前、私もすぐ近くで同じ空を見ていたことがあるんだな~と思うと何だか不思議です。
友人も、電車内で初めて女子高生の「大阪弁生トーク」を聞いたときは「こいつらは漫才師か?」とそのおもしろさにぶっ飛んだそうです(笑)。
私もぶっ飛びました。(笑)
やっぱり「なにわ」は「大阪人」ぬきには語れませんね~。
花の江戸子は「なにわ」で「おもろい人間」とたくさん出会いました。
これからも乞うご期待!ですわ。