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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

死に隣り合わせの感覚 その1

2007-06-28 19:13:50 | 死という運命を回避できた経緯
こんばんは。

さーて、地震も起きたし、心残りが少しずつなくなってきたtomoです。

先ほどから妙な感覚になってきたので、冷静に書き綴ろうと思いました。
昨日までは眠れませんでした。やけに興奮して、ビールテイスト呑んだって、平気でした。ですが、もう今日は眠くて眠くて、気がつくと寝ています。

で、やっと懸念の医者が終わりました。
先ほど行ったら、医者が申しました。
「心筋梗塞は、死ぬよ」

「ええ。軽い心筋梗塞かもって言われたので、ここに最後に挨拶に来て全て終わらせようと思って。」

「日曜から入院なんだね」

「そうです」

「挨拶に回るだなんてとんでもない。でも、よくあなた薬増えないね」

「いや、4週間分を3週間で飲んじゃったので、十分増えたと思います。」

「昔、両手一杯飲んでたんでしょ?」

「そうです。かなりきつい時はそうです。」

「で、今、何でこんな軽い薬で、そんなに増えないの?」

「そりゃ、明け方に痛くて起きて、あと少し寝たいと思ったりします。でも、飲んでも眠れないし、結局家事育児色々あって昼寝もできない。だから、主婦の過労死ってのはあると思います。増やしても眠れないから、増やさないんです。」

「増やさないって自分で言っていたけれど、どうして自分の制限を崩さないの?」

「飲んで眠って解決する問題じゃないから、増やさないだけです。」

「凄い意志力だね。」

「極限状態で考えてみたんですが、戦争に行く人はいつ奇襲があるかわからないわけです。ですが、私には私が負荷をかけない限り、奇襲である心筋梗塞は勃発しませんし、まだ、ましなのかと考えています。」

「戦地と比べてもしかたないよ。今は同じくらいの重圧だと僕は思うよ。でも、痛いんでしょう?」

「ええ。インターベンション自体、ウェルカムな処置行為ではありません。事実痛いですし。失禁しますし。で、血管造影剤が体に入るとやはり、軽くパニックを起こします。自分がコントロールしきれません。ですが、とにかく、5分は我慢しようと言い聞かせて我慢します。でも、今は勢いに任せて、受けるしか生きていく手段がないですし。泣いても何も始まりませんし。」

「そりゃそうだ。しかし、凄いね、でも、状態から見て次の予約は入れられないね。いつ還ってくるかわからないもの」

「やっぱ、そうですかね。オプションでバイパスしたら、一ヶ月は拘束されますしね」

「僕、手紙書いておくよ。何かあったとき、助けになると思う。持って行きなさい。」

「はい。お世話になりました。またこの次お目にかかれるように努力します。」

「・・・・・・・・・・(かなりびびっている)」


で、手紙を貰ってきました。
そして、なんだかね、私、気持ちがどんどん変わってきました。
せっかくだし、もう外に出れないから、パスタ食べよう。そして、最後の晩餐を終えて、周りを見て、感謝の気持ちしかありませんでした。

「昔は高層ビルの上からよく人を見てたけれど、あの時は本当に死ぬって気持ちって無かったな」

なんだか、すごく全てに満足してきちゃったんです。パスタの皿がSで少し物足りなくても、次回・・・って思わず、これくらいでちょうど良かったんだとか。
感謝ばかりで、もしかしたら、今、私顔がないかもしれません。あっちの世界に半分入ってる感覚がします。

なので、死と隣り合わせの感覚など滅多に味わえないので、克明な気持ちの観察を行おうと思っています。

もう、なんだか満足しました。頭の中も6割くらい動かないです。眠いんですかね。眠いと思います。ありがとう。すごく痛いのに、痛みがちょっと遠いんです。うれしいですね。

死に際の人が、いきなり元気になって挨拶して回るのはあながち嘘ではないと今思います。私も墓を思い出し、連休に掃除に行って置いてよかったと思いました。それに、先ほどのミイラにあんなに嫌悪感を示すのも、私がもうじき死体になったら嫌だなって気の表れかもしれません。
すごく痛くて、結構浮腫んでます。でも、我慢できるかな。
眠くて眠くてすみません。ちょっと、何もまだ寝る薬を飲んでいないのに眠いことはうれしいですが、支離滅裂になってきちゃいました。

足はガタガタ震えていますが、すごい心は平静です。

で、母にオルトランの散布の電話をしたら、寝ようと思います。今日はよく眠れるんだと思います。明日の朝くらいは寝坊させてもらって・・・・


日曜日までゆっくり休んで、入院の準備の買い物して・・・行かなきゃね。
でも別にそれもいらないや。さっき、地震があったので、イオンさんのとこ、覗いて寝ようと思います。

本当に誰に対してなんだかわかんないけど、ありがとうございましたと深く言いたい。子供のことよろしく頼みます。・・・意味不明。でも、私、疲れました。少しくらい、ペース落として寝ても文句言われませんよね。ごめんなさい。すいません。もう、歩けません。車のハンドルもなんで、パワステの癖にあんな重いんですか。ほんと、もう、何も考えられない。

思えば、今日ブログ書きすぎました。じゃぁ、そろそろ、布団敷きなおして、横になります。でも、十分楽しかった。

おやすみなさい。また明日。

tomo@通常の人の脳の処理しきれる情報量を今日は遥かに超えたのでしょう。脳のパンクと思ってください。パンクザファイヤー(謎

I love you all of guys, especially my daring and my sweeeeeeties.
Thanx a looooooooooooooooooooot. I shall be back! Ok?

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仮死状態で生まれた二人

2007-06-28 18:30:53 | 一回目のステップアップ
こんばんは。

どうしても今日中に書いておかないといけない気がするtomoです。

今、医者から帰ってきました。
で、運転最中書いておかなくちゃと思ったことがありました。それは私の二人の子供です。

両方とも、3000gを超える大きさで生まれました。が、二人には共通点があります。数秘術が二人とも同じ数字だってことではなく、(生まれた日にちがランダムなのに、同じ数字なんですよ)、二人とも仮死状態で生まれたことです。

上の子の時は気が動転しました。私も大出血で貧血で立っていられないほどなのに、自分の子が生まれた時泣かなかったこと、何度もひっぱたいても泣かなかったことだけは覚えていました。

私は生んだ時、出血が2リットル以上あり、生んでしばらくたった後、看護婦さんに猛烈なパーンチ!(o゜Д゜)=======O三★)゜◇゜)三★))゜□゜)三★))゜○゜)を食らっていました。

「今は寝ない。」
「寝ないのよ、わかる?寝ちゃだめ」
「こら、起きなさい。寝ちゃだめ。」

何度も続く往復びんたに私もめげて、

「すみません。ごめんなさい。」
「ほんと、すみません。ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」

と、謝ってばかりいました。ですが、既にその時は叩かれていないと、気が遠くなって意識がなくなるのです。なので、なんだかわかんないけれど、子供生んで、なんでひっぱたかれているんだろう、私悪いことしたのかと思っていました。

子は2週間近く、酸素テントの中。
私はと言えば、本当は、ひっぱたかれている間、危篤状態だったそうです。で、バイタルが落ち着いたので、スタッフは引き上げたそうです。
なのに、私は酸素マスクが嫌いなので、知らぬうちに酸素マスクをはずして寝ていたようでした。

夜中、響き渡るうるさい騒音。私の周りでとてつもないうるさい状態が起きている物音がし、私の頭の上で誰かがずっと会話をし続けていました。私はうるさいと思いながら、時折寝ていました。(実際には誰もいなかったそうですが、私は時折、自分に話しかける人の存在がいたのを覚えています。結構しつこく、酸素マスクをしろと言っていました。)

翌朝、酸素テントのわが子を見て、気が動転しました。動転して貧血起こしてめまい起こして、40度の熱を出しました。で、実家に電話をしました。亡くなる前2ヶ月の父しかいませんでしたが、私は父に言いました。どんなに気が動転したか。

父は亡くなる少し前に私に言いました。

「お前があんなに動転したのを見たのが初めてだ。だが、お前が生きてて良かった。それに、子供だって大丈夫だ。」


そして、二人目。やはり、わが子は産声を上げず、看護婦さんに思いっきり逆さにされてぶん殴られても黙っていました。で、やっと産声を上げたといって、看護婦さんが連れてきたのが生まれて5時間後。その回は出血も少なく安産でした。

が、私が胸に乗せている間に看護婦さんが見に来ました。途端真っ青になりました。

そうです。2番目の子の唇が真紫になっていたのです。その時、息をしていなかったそうです。

で、看護婦さんが慌てて、2番目を連れて行って、強引な処置をした結果、2番目は無事回復しました。それから60分後、還ってきた彼氏は、既に普通の赤ちゃんでした。



で、じゃぁ、何か障害があるのかっていえばないです。今はごく普通の男の子たちです。元気でやんちゃで、何も問題がありません。
ですが、二人の子があの時、スリーピングベイビーだったのかどうかわかりませんし、両方とも無痛でしたので、麻酔薬の問題、私の常備薬の問題・・・色々要素はありますが、既に真相は闇の中。

そして二人の皇帝と大王が繰り広げる平等に扱ってくれ闘争が勃発しているのです。この仮死が後々どんな意味合いを持つのか、私はこの先について考えています。

お父さん、あの時はありがとう。

tomo@バビロニア王国アレクサンダーとローマ帝国アウグストス一騎打ち、毎朝5時から好評勃発中

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永遠の命の代償

2007-06-28 15:46:09 | tomo的霊現象考
こんにちは。


tomoです。

眠くて眠くて仕方が無い私が、どうしても午後行っておかなくてはならない場所があります。医者です。私を過大評価してくれる唯一の存在であるW氏の紹介で出かけていった心療内科の先生です。

彼氏は、極限状態の心理に詳しい元医務官です。
ですので、非常に話も簡潔でわかりやすく、決して答えでもにょる事がありません。

で、それに会うまで起きているのですが、眠くて仕方が無い私が見たニュースで、ちょっとショックを受けました。

それは、ミイラが女王のものだったという記事でした。

記事には、ミイラの顔が出ていました。




私はミイラが大嫌いです。元々人の死体が大嫌いです。国立科学博物館が嫌いなのは、あそこにミイラを飾っているからです。何十年も前からあそこを通るたびに、非常に嫌な思いをしました。

ミイラには魂がないし、魂魄はそばにいないのでしょう?だから大丈夫なのに。からっぽよ。


違います。私の根本的にミイラの展示を嫌がるのは、あれが死体だからです。あれは、装飾用ではありません。エンバーミングの昔の基礎は、遺体を長く保つことにより、生き返ることができると思われて行われていました。

それがいつしか、エンバーミングを行う米国で、亡くなった有名人がエンバーミングを施され、まるで「見世物」のように、見える棺で運ばれてパレードをして埋葬されました。

もし、あなたが今、死ぬとして、死んだ後の美しさを自分でコントロールできると思いますか?心筋梗塞で死んだ場合、胸をかきむしり、のどから随分長い舌がでちゃいます。でも、それで、エンバーミングされて、もし、何十世紀もの後、人前にさらされたら、・・・・・・どう思いますか?

その頃、とっくにあなたは転生というものを繰り返し、その頃の記憶も定かではなくなるでしょう。でも、あなたが遺していった遺体が、今、現在のあなたの前に痛烈に置いてあったら、どう思いますか?

土葬の習慣のある国では仕方がないでしょう。それもそうですが、棺の中で腐らない死体。土に還るべきものが土に還れない。

私はとても嫌なのです。本来、死ぬ時願ったのは永遠の命。こうして、醜く病に冒されていく自分のしわだらけの手先を見て、女王はどう思ったでしょうか。

それが、現在の世にだされ、糖尿病だと言われ、顔写真を世界中に広められ。

もし、それが私だったら悲しく思います。

こんな風なことを永遠の命として願ったのではない。私は、若く美しく生き返り、そしてまたこの生活を楽しもうと思ってしてもらったのに、私はどうして、こんな風に横たわり、あらぬ解析にまわされてしまうのか。これが、私が願った永遠の命の代償なのか。


現在も、何十年後に起こしてもらう予定で、ポットに氷結されて寝ている人がいると聞きます。ですが、病気が治るかどうかわからない、果て待ては、興味本位に起こされる事もあります。もし、この先大惨事が起きた際、起きる前の生き証人としてだけ起こされる可能性もありです。

それが、高い代償を払ったツケなのでしょうか。
人々の前に老いた体を横たえる恥辱。あえて私は幼稚園の頃からそう思ってきました。あってはならない。こんな風に博物館で、「見る」ためのものではない。

愛する人が土に還るのは悲しいことです。ですが、誰もが土に還るのです。タイムマシンのように扱われ、解析されることが私にはとても耐え難いです。

ミイラを私は見ることが怖いです。
さて、あなたはどう思いますか?

tomo@ツタンカーメンは毒でやられたまんま、エンバーミングだよ、どんだけぇ。

PS:人体博物館悲しすぎる。行けない。
コメント (2)
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最後の一行ギャグ

2007-06-28 14:06:09 | 死という運命を回避できた経緯
こんにちは。

tomoです。

実は本日病院に行きまして、なんと狭心症ではあるが心筋梗塞の疑いも捨てがたい・・・・ことになり、今週の日曜日から入院予定です。
素晴らしいことに、インターベンションの後には、パラダイスが待っているようです。痛くない世界、痛みにおびえぬ世界。

お花畑を乗り越えて、三途の川を全力で泳ぎきり、針の山を軽く飛び越えて、閻魔大王に頭突きして、きっと待ってるパラダイス。そこには、

「重いリュックもって富士登山」

さえしなければ、普通に生活できる世界があると医師が言いました。思わず、

「最近流行のビリーザブートキャンプもできませんけど、それは遠慮しておきます」

と軽く受け流し、私はパラダイスを夢見ました。

今はもう既に、歩けば人より遅く、階段を登ることもできず、同じ病院の外来で、「動悸が激しくってぇぇ、きついんですぅ」と看護婦に叫んでいる私と同じくらいの年の美しい奥さんより血色の悪い私・・・・・・。

そんな私がコギャルのようにずっとくねくねしているのは、既に左肩が痛くて、のど元が焼け付くようで、放っておくと、左腕がしびれてくる、その痛みを紛らわせるためです。

私も思いました。このようなパフォーマンスをしたらどうなんだろう。



即刻出た答えがこれでした。
「しゃれになんないわ。」


そんな私が、また始めたのがMIXIでのギャグブログです。ありとあらゆる駄弁の使った馬鹿をしようと思いました。

ですが、この「不思議スイッチ」ブログの悲痛なまでの生真面目さの漂う、気品あふれる知的で優雅で上品な私がどうして、くだらないギャグを最近、最後の一言ギャグにして、tomo@の後に書き綴っているかわかりますか?





そうです。人生追い込まれても、どんなに切羽詰った状態でも、その状態で更にジョークを言えるだけの心のゆとりを持てば、きっとあなたは困難に勝つのです。過去、私は何度も切羽詰って、ぎりぎりでした。

ですが、鬱を回避し、現実を脱却しようとする時、私は必ずジョークを言ってました。


EX、「なんかさ、こんなに私、必死になってがんばって・・・(涙)まるで、滑車を回すコマネズミみたい。そのうちお手もするから、躾けといて。」

Ex.「あの人、まったく何よ、犬みたいに吼えて。私がこのキーホルダーの猿だったら、あぁもうすでに犬猿の仲か。」

Ex.「今回あたるかそるかだよな。こー言う時、いちかばちかって言うけど、はちじゃなくて、一個足して、いちかきゅうかにしておこうよ。でも、これってすぐだめになりそうな感じ。急降下っていうじゃん」

EX。「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。あなたが虎なら私龍よ。空飛んじゃうのよ。空飛んで、航空法に引っかかって打ち落とされるんだから。うらやましいでしょ?」

EX、「あなたが虎なら私は龍よ。とりあえず、アリタリア航空機にぶつかってくるから待ってて。」


本当に私はこういう言葉遊びが得意なのです。で、今まで土壇場でどうにもならない状態をこのような馬鹿を言うことで、シリアスを回避してきました。そして、皆さんが思うことでしょう。

そんなくだらないジョークを考える余裕がこいつにはあったのか。泣き事言って泣いてるけれど、本当はカラ泣きじゃないの?って。


強がってがんばって、シリアスな上品さでいようとする私は本当は作り物です。でも泣いても何も変わらないのです。「七転び八起き上がって頭突きされて、9回目に、自分から頭突きに行く」性格なのです。

嘆いても嘆いても変わらぬ状況があるのなら、ジョークで紛らわして見ましょう。もし、ジョークの言い方がわからなかったら、とりあえず、NHKで、フルハウスのアメリカンジョークを見て、真似してみましょう。いつしか、土壇場すれすれ、子供をかばって両手を広げ、

「私、今、ももんがみたいでしょ」

って、にっこり言えますからね。
がんばっていきましょう。

tomo@私の旦那がかわいそうだって言うな
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